#67 癒やしの湯に浸かって
これって……。
「イエロク式の風呂さ、声を失うほど驚いたか?」
見慣れた脱衣場で全裸になって、進んだ先は……更に見慣れた光景だった。
泳げそうなでかい湯船、後ろに更にでかい壁画。描かれている絵は、空と草原……これと同じ風景を見たければ、街を出て数歩歩けばいい。タイル張りの床、木の桶……。
胸焦がれた温泉とは、全くもって異世界らしくない、カポーンとか聞こえてきそうな、よくある銭湯だった。
といっても、俺は銭湯なんか行ったことない。
アニメとか漫画で、日本文化としてよく出てくるのを見ただけだ。でも、なんで寿司といい、こんな……。
唖然とする俺の様子に、何か勘違いをしているネルトが得意気に語ってくる。
フォレンジじゃないのに温泉なんて珍しいとか。
この風呂様式はイエロクでしか見られない様式だとか。
壁画を描いた水魔法使いの画家の名前とか。
ウェブ検索のようにペラペラスラスラタラタラ出てくるが……対して興味がない。
お風呂だけに聞き流しながら体を洗っていたが……。
ん、そういえば……。
「海の香りがするな」
「ああ、地下深くで温められた海水が混ざって上がってきてるからさ。海の水の温泉なんて、フォレンジにも無いかもな? 蛇口から出るのは普通に家のと同じだけど」
自分のことのように胸を張る。
突き出された右胸に、魔法火傷の跡があるのが、妙に目に付いた。
明確な悪意を持って、ナイフを奮われた創傷のような痕跡。
雷が空を引き裂かんと走ったような、痛々しい火傷跡。
彼もあの時、酷い憎悪に塗れたのだろうか、そしてずっと……。
誰かが桶を置いた音で、ハッと目が覚めた。
今、暗い気持ちになっているのは俺だけだった。
そうそうないと言われた、暴走の果ての傷を気にしているのは、俺一人だけ。
二人共、自分の傷も、友の傷も、見てなどいない。
それが意図であるか、無意識であるかは知りようがなかった。
ならば、こんなことを考えるのはやめよう。
髪の短いネルトが先に体を洗い終えて、湯船へ入っていった。
ざざざと、気持ちいい滝の音が轟いた後、温かいぞ、早く来いよ〜と煽る声。
だが、俺たちは髪がそこそこに長いから時間が掛かるのだ。おざなりにして入る訳にもいかない。いくら人のいない旅館でも、それはクソ野郎だ。
急かす声にちょっとばかし苛つきつつ、やっとこ全身を洗い終えた。
丁度、ラフェムも完了したらしい。立ち上がり、ペタペタと足音を鳴らして着いてきた。髪の量的に、俺より時間が掛かるはずだが……負けず嫌いが発動したのだろう。
微かな潮の香りのする、熱いお湯へと一直線。
足先を水面へ。うん、湯加減は大丈夫そうだ。
一気に全身を湯船の中へ。
……ふう。
極楽、極楽……。
うんちく源泉垂れ流しや冷やかしで若干怠かったのも、傷の不穏も、全部一瞬にして蒸発した。
心底心地がいい。自然の熱に触れて、やっぱり大地は、星は生きてるって実感する。脈動するマグマ、たゆたう海、生命の尊さが身に沁みる。
癒やされるなぁ……。
湯に全てを委ね、静かに過ごした……。
……。
なんか、変な感覚がする。
「……なんだか、人の気配がしないか?」
「あの二人も風呂に来たんじゃないか?」
ラフェムは、目を瞑ったまま、適当にあしらう。
壁画の向こうで、水の流れる音が聞こえてきた。彼の言うとおりだった。
そりゃ、彼女たちも風呂に入るだろう。
…………。
「なんだか、物音がしないか?」
「さあ、エイポンが掃除でもしてるんじゃないか?」
ネルトが、湯気に妄想でも投写しているのか、宙を埋め尽くす白い湯気を、目を細めて眺めたまま、あしらう。
確かに、家の掃除に飽き足らず、ここまで来てしまうのもあり得る話だ。
彼の言う通り……。
ガラガラと、扉が開く音が広い空間で木霊する。
「やっほ~、ワタシも入れて~」
「うわッ!?」
思わず、湯の中で飛び退いた。
平然と、当たり前のように、クアと詩歌が侵入してきたんだから!
ちゃんとタオルのように布を巻いて隠してはいるけど、俺たちはなぁ!!
彼女が蛇なら、俺らは睨まれた蛙。強敵と対面したときの威圧感。
堂々と向かってくる彼女らに、為せる術はない。
「何してんだよ!? 戻れ戻れ!」
立ち上がれるわけもなく、肩をすぼめ、まくしたてるラフェム。
硬直して黙り辺りを見回すしかない俺。
呆れながら、湯船の奥の角まで逃げていき、縁に肘を乗せ寄りかかると、関わらぬよう目を閉じるネルト。
だが、彼女たちは全く動じない。
側まで来ると、さも普通のことかのように湯船へと入ってくる。
隠してるって、その布、湯に入っちゃったら……。
耐えられず、視界を水面より上だけが見えるようにずらした。
火照ってるのか、恥ずかしいのか、……。どうであれ顔は真っ赤な気がする。
俺、今どんな表情してんだろう……。
クアは、当然ラフェムの隣にやってきた。
へらへら笑って、彼を小突く。
「向こうで体は洗ってきたから平気よ〜」
「そういう問題じゃない……そもそも、こんな破廉恥な」
「いいじゃないの友だちでしょ。それにどうせ見えないでしょ〜」
「ひっ! 覗こうとするな! お前、そんな直球に……、あのさ、見える見えないの問題じゃ……」
「ワタシは一秒でも長くお話したいのよ〜」
「ああ……もう……大問題だ……」
言葉を失い、頭を抱えながら、湯船の端へと寄っていき、へりを抱えてうなだれてしまった。
クアはそんな彼に着いていき、よりかかると、満足げに瞼を閉ざした。
そういや、ここの人間は彼女の言う通り下のはある。けど……上が無いんだよな。
脇も髭も生えてこない。
髭の概念自体は、ラフェムが前に、口周りについてしまったソースを髭みたいだって笑ってたからあるみたいだけど……少なくとも自分にはないし、周りの人にもないし。
もしかしたら、ある動物に髭があるだけかもしれないし。
やっぱり、形は似ていても、地球と同じ生物じゃあないんだなぁ。
いや、魔法が使える時点でそうなんだけど。
心臓とか内臓とか、存在してるパーツは同じみたいだけど……もしかしたら、形が違ったりして?
考えていると、波に肩を揺すぶられた。
詩歌が俺の隣に座ったんだ。互いに体が見えぬよう、背を向けて。
「なんでこんな真似を……」
「あの子が普通ですよ? みたいな顔してるから、混浴が常識だと思ったのよ……だから、まあいいかって。なのに……そんなに慌てられると……恥ずかしくなるじゃないのよ……」
「混浴が当たり前だったら、男湯女湯で分かれてないと思うんだよなぁ……」
「はあ……ぐうの音も出ないわ……」
大きなため息で、後悔をありありと見せつけた。
同時に彼女が、そっと寄りかかってくる。
おいおいやめろよ、大胆すぎるぜ。
触れ合う腕は、柔らかく、すべらかで、温かい…………。こんなの……。
……なんか、懐かしい……。
そうだ、お母さん……。
え?
いや……。
そんな、……。
違う。
違うよな、違うんだ。
俺はハッキリと嫌われてたんだ、愛されてなかったんだ。
誰からも、誰にも。
トラックで挽肉にされても、死んで清々と言われるだけマシなほど。
前世の誰も、俺を、頼太を見てはくれなかった。
だから、俺はずっと一人で、闇の中で過ごしてた。生きている間は、多分ずっと……。
だから、こんな気持ちになるわけ、絶対ないのに……。
なんでだろう……。
「恥ずかしいから」とか、「ベタベタするな」とか、体裁と言う名の虚栄を張る気持ちが、すっと鳴りを潜めた。
彼女を押し返そうとしていた手は、何も出来ぬまま湯の底へ沈む。
「温かいわ……」
「……温泉だからな」
「無粋ねぇ」
彼女はくすりと控えめに笑い、そして先程の俺達と同じように、黙って極楽に浸った。
聞こえるのは、大地から溢れ出る湯の流れ、寄り添う彼女の落ち着いた呼吸と、揺れる水面の共鳴。
しばらく寡黙が続いた。
だけれども、心地が良かった。
もたらされることなど無かったはずの、ぬくもりを感じられる。
俺と接してくれる友がいることを、改めて実感できる。
生ける星の流動が、体に伝わってくる……。
あまりにも心地よく、眠りに落ちかけた時。
クアが沈黙を破った。
「ねえ。手紙交換、しましょうよ」
蝉のように貼り付いて、微塵も動かなかったラフェムが、彼女の方に顔を向けて、首を傾げた。
「手紙交換? そんなのどうやって……」
「街に着いたら、あった事とか教えてほしいの。そしたらワタシは、先の街のギルドに返事を送るわ。それをラフェムが受け取ってくれれば……」
彼女は身を預けたまま、微笑んで語りかけるように優しく言う。
ギルドに送ってもらうのは想定していなかったみたいだ。
ラフェムは感心した様子で、縁との密着を緩め彼女の方を向いた。
「……いいな、面白い。よし、やろうか」
後に訪れるギルドに送って貰えれば、野宿だろうと、いつ街に着くかわからなくとも、確実に手にする事が出来る訳だ。いいアイデア。
まあ、俺たち転生者は文字が書けないし、送り合える相手がいないから、指を咥えて見てるだけだが。
「手紙か、それ良いじゃん。オレやエイポンも書くよ」
目を瞑ったきり微動だにしなかったので、もはや寝たと思っていたネルトが、興味を示して動き出す。
ざぶざぶと、嵌っていた角から抜け、ラフェムたちの固まる縁へとずり足でゆっくり近付いて行った。
「晩御飯の献立でも書こうかなぁ?」
「紙の無駄だ、もっと有意義な事を書いてくれよ」
話したことで緊張がほぐれたのか、また居間で寝転がって居た時と同じように雑談が始まる。
どんな便箋を買おうか、何を書こうか、筆はどうしようか。文字を小さくして詰め込もうか、綺麗な字で書こうか……。
三人は、死ぬかもしれない旅に出る前とは思えないほど楽しげに、これからの手紙について駄弁っている。
……俺たちは、最近知り合っただけの人。
まさに生死を共にした、あの三人の輪には加われない。
羨ましいな。
かすかな寂しさが、胸の内を木枯らしのように掠めるが、最後の日なのだから、ここはぐっと堪えて……。
「なにしけた顔してんのよ、ショーセたちもこっち来て?」
クアが、突然こっちに視線を向け、手招きした。
あまりにも突然で、一瞬理解が遅れた。
なんで、俺を誘うんだ?
「え? いや、俺は……」
「何怖気づいてるのよ! アナタも書いてよね〜」
彼女は、にっこり笑って手招きを続けるが……。
もしかしたら、俺はそんなに寂しい顔をしていたのだろうか?
彼女に気を遣わせるほど?
彼女が直接ラフェムと話せる時間、そしてラフェムと故郷に残る帰りを待つ人々との交流、貴重な時間を、ただ寂しいからという俺のわがままで、邪魔していいはずあるか。
水入らずで過ごさせてあげるべきだ。
「俺は文字が書けないって、知ってるだろ?」
「そうだったわ、でも絵なら描けるんじゃない?」
「絵はもっと描けない!」
「そんな躍起になるほど描けないの? じゃあラフェムに代筆して貰いなさいよ。アナタたちも元気かどうか、何を思ってるか知りたいのよ」
……え?
俺の安否を……?
おせじとか、社交辞令……じゃないよな……?
俺を、そんな風に……。
「そ、そ、それじゃあ……俺も書かせて……もらおうかな……?」
「ええ、ええ! そうして!」
素直に喜んでくれた、ちょっと照れるな……。
輪に加わろうと、ゆっくり彼女の方に近付くと、彼女は豪快に身を乗り出し、俺と詩歌の腕を掴んで引っ張った。
大勢で駄弁るのは、やはり楽しい。詩歌も、最初はおどおどしていたが、次第に自身から話すようになった。
手紙の話、脱線して別の話、更に脱線して……死闘の前に相応しくない、だからこそ相応しい、くだらない話を延々と続けた。
延々と、延々と。
そう、皆真っ赤にのぼせてしまうまで。
熱中し過ぎた。
ふらふらで、死ぬかと思った。
命からがら廊下と星空の庭を越えて、居間で倒れるように寝転がり、懲りずにまた続き。
晩御飯が出来るまで、ずっと、ずっと、明日からは出来ない話を、ずっと、ずっと…………。




