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#65 熾烈は過ぎて


「ワタシはまだ、戦える……」


 大地に蹲い、全身で息をするボロボロの少女。

 長い青髪は乱れ、コートは土まみれ。変にめくれたままの袖から、擦り傷まみれの腕が覗く。



 満身創痍のクアの前で、ラフェムは頬に滲む血を拭いながら、ただ直立していた。



「諦めてくれよ……」


「絶対嫌、死んでも嫌」


 一向に牙を仕舞わず、喰らいつき続ける彼女に困り果て、ため息をつくとデコに手を当て首を傾げる。

 クアに比べたら、ラフェムの方が汚れていない。実力差が暗に示されていた。


 彼女自身も、彼自身も、この勝敗が反転することはないなんて、本当はわかっているのだろう。だからこそクアは立ち上がろうとしているし、ラフェムは諦めてほしいと願っている。

 旅のパーティまで組んでいた友人だけあって、負けず嫌いで意地を張り、頑なに抗おうとするのは、クアもネルトもラフェムもそっくりだ。

 したたかと言うべきか、しつこいと言うべきか……。


 ネルトは俺から離れ、今にも倒れそうな千鳥足でクアの側に行く。そしてしゃがみ、目線の高さを合わせると説得を始めた。



「クア、やめよう……。オレたちは負けたんだから」


「嫌よ……! まだ戦えるんだから……!」


「そんな体じゃあもう歩けないだろう!」


「邪魔! 触らないで! 何があろうと、龍殺しの旅になんか出させない……!」


 クアは、制止を試みて肩に添えられたネルトの手を、煩わしそうに振り払うと、地につけた腕に力を込め、四肢を震わせ立ち上がった。


 もう、真っ直ぐ立つことさえままならないその風貌、例えるならまさにゾンビ。すぐにでも倒れてしまいそうだ。


 魔法を練って、腕に水のサーベルを纏う。が、半分以上が欠け落ちている。果たしてこれを剣と呼んでいいのだろうか。



 蹌踉めきながら、一歩、一歩とラフェムに近付く。


 彼女は残っている力を振り絞り、腕を振り上げる…………。



「クアちゃん、やめなさい」



 太い声が、クア達の後ろ……街の方角から響いた。


 全員驚き、すぐに振り向く。

 この声は……。


 背高で、体の凛々しい……女の人。

 武器屋の主、そしてラフェムの義親であるエイポンであった。


 まさかの登場に、一番動揺したのはラフェムだ。今にも逃げ出したそうに後退る。


「何故ここに……」


「そりゃあんな激しくどんぱちしてれば、バレるに決まっているでしょうに。街まで聞こえてたわよぉ?」


 彼女は、やれやれと呆れをオーバーに演じる。


「僕らそんなに煩かったのか? ああ、気が付かなかった……」


 無自覚系主人公みたいな台詞を吐くと、頭を抱え溜息をついた。

 こっそり旅に出ようとしていたのに、親しい人に全部バレちゃったな。おじゃんじゃん。


 まあ、俺としては旅に出たことを知ってくれる相手が、こうして居てくれる方が嬉しいのだが。

 というか、彼女たちは俺たちが何も言わず蒸発したら、血眼で地の果まで探してきそうだから、こうして先に見つかってむしろ良かったのかもしれない……。



「エイポンさん……。なんか言ってやってよ。エイポンさんだって、ラフェムがいなくなるの嫌でしょ……? お願い、ワタシは勝てなかったけど、エイポンさんなら……」



 クアは、標的をラフェムからエイポンに移した。


 纏った魔法を解除すると、よろよろ体を引き摺って歩き、巨体に泣き付く。


 エイポンの大きく角ばった手が、傷まみれの少女の背にまわる。

 そして優しく、彼女の母のように、ぎゅっと抱きしめた。


「あたしは、止めない。ラフェムちゃんのやりたいことをさせてあげるわ。だって、可愛い息子ですもの……」


 少女も少年も、胸を小突かれたように吃驚する。


「なんで? 死んじゃう、かも、しれな……いの……に……?」


 クアが恐れているのは、想い人の死。

 未来を思い浮かべて、恐ろしくなったのだろう。

 そして、同じように喪失を恐れているはずのエイポンが、肯定してくれなかったショックもある。

 死と言う言葉を発した瞬間、決壊したようにわんわん泣きじゃくってしまった。



 いつも元気ハツラツな彼女の大泣きに、ラフェムも心が痛むみたいで。

 叱られた幼子のようにしょんぼり下目になって、申し訳なさそうに縮こまってしまった。


 エイポンはそんな二人に微笑みかける。そして胸の中の彼女をあやすように、頭を撫でた。微笑んでいるのに、酷く悲しんでいるように見えた。



「うんうん……辛いわよね……。でも、あたしはあの子の思いを否定して閉じ込めるほうが辛いのよ。それに、きっと今止められたとしても、目を離した隙に行ってしまうわ……」


 クアは言葉を発さない。

 友だから、理解できるのだろう。いや、最初からわかっていたのだろう。

 何を言っても、何をしても、すべて無駄だと。ラフェムは敵討ち以外の選択をしないことを。

 呻きと、乱暴な呼吸だけが、虚しく響き続ける。




「クア、ごめん……」


 自責の念が湧いたのか、ぽつりと謝る。


 彼女はそれを聞いた途端エイポンから離れ、涙でグシャグシャの顔のまま歩き出す。

 そして、ラフェムと向かい合った。

 肩を掴み、彼を揺さぶる。


「なら……ワタシも……ワタシも連れてってよ……!」


 悲痛の震えた叫び。

 ラフェムは拳を握り締め、ぐっと目を瞑ると、首を横に振る。


「……それは、出来ない」


「どうして……?」


「もし、この街に龍が、……災禍がやってきたら、誰が人々を護ってくれるんだ……? クア、僕は君の事を信用している。信用しているからこそ、ここに残っていて欲しいんだ。エイポンと、ネルトと、一緒に皆を守ってほしい」


 確かに、この三人まで街を離れてしまったら、一体誰が龍を防ぐのだろう。


 入れ違いや、出来れば起こらないでほしい「もしも」があった際……猛者が留守のこの地で書かれるシナリオは一つ。地獄だ。


 …………でも、この街で強い人ってネルトとクアしかいないのか?

 他にも、ラフェムより……は、まあいないだろうけど、何とか張り合える大人とか居そうなものだが。


 ……もっと深い理由もありそうだ。



 ラフェムは、肩に乗せられた手を降ろした。

 バランスを保てず、ふらりと倒れそうになる彼女。

 片手を彼女の腕に添え、支えてやる。


 そして深呼吸をすると、わざとらしい咳払いをした。



「それに……君を危険な目に合わせたくないんだ。僕が龍に挑む理由は、復讐と、平和と、街と人と、友だちや家族……。そして…………君の為なんだ」



 愛おしそうに、彼女を見つめ始めた。



 そして、暗い顔なんか似合わないよとでも言いたげに、彼女の濡れた頬に手を添える。


 驚き擡げた小さな顔が、またたく間に紅潮する。

 魔法のように、涙がピタリと止んだ。



「だって、僕は、君を」



「え! えぇ、え……?」



 真剣な面持ち、燃える赤の瞳に映るのはただ彼女だけ。

 彼女は突然のことに驚き、辺りを見回したりそわそわしていたが、やがて睡魔に襲われた子犬のように大人しくなった。


 静まり返った緑の丘、風が吹く。爽やかで柔らかな薫風が。


 ネルトは目を丸くしたまま、エイポンは口を手で隠して、石のように固まってしまう。


 詩歌は、恋愛に関して捻くれてるのか、やれやれと言いたそうな表情で、でもやはり気になるみたいで、横目に見ている。


 俺は……まさかラフェムがあんなこと言い始めるなんて思ってなくて、仰天して心拍が戦闘中のに戻っちまった。



 得も言われぬ雰囲気が漂っている。



「僕は…………えっと……」



 彼の目が泳ぎ始める。


 上下の唇が離れ、接し、また離れを無意味に繰り返す。

 何度も唾を飲み込み、咳払い。



 どうした?



「あー!!」



 情けない叫び声をあげ、彼女より顔を紅くすると、慌てて両手で顔を覆い隠してしまった。


 うわ、ダサ……!

 どうして、たった二文字を言えないのだ。あんな大胆な事をしておいて、何を今更……。



 しおらしく、恋い焦がれた言葉を待ち侘びていたクアは、キョトンとしていた。

 しばらくすると状況を理解できたようでその顔はたちまち綻び、彼女らしく笑い始める。


「何よ、期待させちゃってぇ〜!」


 コートの袖で、びしょ濡れのままだった顔をようやく拭くと、突然ラフェムをハグする。


 彼は慌てて引き離そうとするが、それより先に彼女が自分から離れた。

 役目を果たせず行き場を失い浮いたままの手を、クアは優しく握る。


「今言えないなら、約束して!」


 抱き締められ、手を握られ……ますます恥ずかしくなったのか、顔をもっと紅くしながらも、律儀に背筋をしゃんとする。



「旅から帰ってきたら……言いたかった言葉をちゃんと教えて!」


「あ、ああ!」


 なんて素晴らしい愚直な返事。

 こんなんもう相思相愛じゃん。なんで躊躇うんだ見せびらかしてるのか?


 クアは彼の赤目を、その奥に輝く炎の心魂を、愛でるようにじっと眺める。

「これで死ねなくなったわね? うふふ〜、約束……だからね?」

 なんて、冗談半分に笑いながら。

 その後、気合の限界か、それとも緊張の糸が切れたのか、ぺたりと座り込んだ。



 硬直が治癒したネルトは、二人の側によろよろと歩いていく。

 そして彼の背を叩き「この弱虫」と煽った。彼女は、前のように怒らず「ね!」と同調。

 ラフェムは言い返せず、頬を染めたまま口をへの字にして黙っていた。



「さ、ラフェムちゃん」

 保護者として、子どもたちのやりとりを見守っていた彼女は腰に手を当て、朗らかに切り出した。


「出発は明日にして、今日は休みなさい。疲れているでしょうし、ちゃんと必要なものを揃えたりしないとねぇ。それに……ちゃんと、旅立ちを見送りたいの、ね、お願い!」


 ラフェムは悪そうに後頭部を掻き、「いや、僕は……」と言ったところで一旦口をつぐむ。

 疲れ果てた俺たちを思い出したように眺め、続いて、同じく傷だらけの旧友を見る。


 二人は、黙って見つめ返している。声こそ出さないが、蒼の目からも、山吹の目からも、心情がありありと伝わってくる。


 ラフェムは穏やかに微笑む。

 復讐心とか決意とか……彼を縛めるようなそんな感情が、ちょっとだけ和らいだように見えた。


「そうしようか」


 クアの瞳が、海の水面のようにキラキラ輝く。


「わー! それなら皆、ワタシの家に来なさいよ!」


 手を高く上げ、全身で大喜び。いや全身じゃないか。下半身はもうくたびれて動かないみたいで、腰から上だけ超大喜び。


「じゃあ、早速行こうか」


 ラフェムは彼女の空いた脇の下に手を入れ、猫のように体を持ち上げ立たせると、おぶった。

 背負われた彼女は少々驚いて、照れと喜びのはにかみを見せる。そして、顔を背にくっつけて目を瞑った。


 告白とハグは駄目、おんぶはオッケー、よくわからん……。


 ネルトは、フラフラとエイポンの側に歩いていく。彼女は察し……だっこする。

 赤ん坊のように抱えられ、青年困惑。


「寄り掛からせてくれるだけでいいんだが……」


「遠慮しなくていいのよ〜?」


 あははと笑うと、腕を組み合う俺たちの方を見た。

 

「ショーセちゃんも、歩くの大変なんじゃない? おんぶしてあげるわよん」


 空いている片手で、彼女は手招く。


 おんぶか。

 俺も歩くの辛いんだよな、蹴られ殴られで、どこが痛いのかもうわからないぐらい、色んなところがじんじんしてる。


 エイポンが平気なら、身を委ねたい。

 男二人を片手ずつで支えるなんて、大変そうじゃないかと一瞬思ってしまったが、この世界の人は力が強いし、彼女は日頃剣を沢山纏めて運んでいるだろうから相当腕の力が強そうだ。現にネルトを片手で支えられているしな。

 このままじゃ、詩歌にも悪いし。


「じゃあ……」

「いえ、大丈夫です」


 何故か、詩歌が答えを遮った。


「私が支えますから」


「あら? でも疲れてるんじゃあ……」


「私はただ歌って応援していただけ……。ショーセに押し付けてしまったから、償いたいだけ」


「あら? そう」


 彼女は淡々と言うと、ゆっくり進み始めていたラフェムを追いかけるように歩き始めた。

 償いって……むしろ俺がするべきなんだが……。

 初めての戦いに酷使させちゃったんだもの。

 だから彼女はそんな気を負う必要ない。俺が申し訳なくなってくる……。


「なあ詩歌。俺、エイポンさんにおぶってもらうから大丈夫だよ……」


「なによ、私が嫌なの?」


「いや、違うよ。ただ君も疲れてるだろ? それに償いだなんて言ってるけど、そんな気にしなくていいから……」


「…………」


 彼女は眉を若干吊り上げるとそっぽを向いてしまった。

 不愉快だったのか? なんか俺ムカつかせるような事言った? 難しいな……。


「えっと、ごめん……」


「え、怒ってるわけじゃない……」


 彼女はちょっと申し訳なさそうに横目で俺を見ると、またそっぽを向いた。

 余計に難しくなった。しょうがないから、とりあえず黙っていよう。




 もう早朝は過ぎた。清々しい朝の銀色太陽が、俺らの街を照らしている。


 青々と繁る草原は、朝日を浴びようと背伸びして。


 そこで眠っていたバッタや見慣れぬ虫は、人間の行進に驚き慌てて逃げていく。



 戻ろう、街へ。帰ろう、街へ。



 ……今日が最後のビリジワン生活。


 次は、いつ……まず帰ってこれるだろうか。


 でも、今日はもうそんな不安、忘れてしまおう。

 悔いのない、旅立ちの日にしたいから。


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