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#61 立ち塞がる雷雨


 「ここは……」


 弘遠の海、鏡映しの淡い空。


 芝が縁にまで続く崖に、一本の若い木がぽつんと立っている。


 潮と草の匂いと、海原と草原の波の音が混ざり合う空間に、涼しい風が穏やかに流れる。



 この場所は……この場所は……。


 俺が、新たな体で目覚めた場所。

 初めて目に映し出された、この世界…………。


 彼は驚く俺に気付かずに、木の側へと歩き続ける。



 あの時は気付かなかったが、木の陰に墓が立っていた……。


 墓石は質素で、墓石のような艶や高級感のあるものではなく、また加工されたような形ではなかった。ちょうどいいサイズに割れた、ザラザラとした質感の岩を元に、微調整と文字を加えただけ。墓というより石碑だ。


 膝辺りまでの高さしかないその岩に、姉……サラウォーマ・フレイマーという名が刻まれ、その上にトランプのスペードに似た意匠、チェスの王に使われていたのと同じ模様が彫られていた。


 既にかすみ草みたいな小さな花と豆の鞘が捧げ物として置いてある。昨日の夜にでも来たのだろうか?

 この花のチョイスはクアとネルトだと、ラフェムは言う。

 嫉妬しているのか、不貞腐れ声だった。

 花屋と墓参りに二人だけで行ったのが、そんなにも面白くないのか。旅に出るのを悟られない為とはいえ、追い出した癖に。



 ちょっぴり早く開いていた、とある小さな花屋で買った質素な花束。ずっと大事に……恰も赤ん坊のように抱えて持ってきたそれを、墓の前に優しく置いた。

 そしてしゃがむと日本と同じように、手を合わせて黙祷を捧げる。


 俺も後ろでしゃがみ、荷物を足の甲にのっけて、あいた掌同士をくっつけ瞼を閉じた。



 ……ラフェムのお姉さんは、天から弟を見守っていてくれているだろうか。


 もしそうなのだとしたら、これ以上悲しませないように……もし地で眠っているのであれば、静穏に眠り続けられるように、どうであれ、俺は如何なるときも彼の側で支えることを、そして世界を護ることを、ここに誓おう。


 誰一人欠けずに戻ってきてみせる……。


 その為には、強くならなければ。


 過多の魂を奪った龍を惑わす技を、卑劣な手を破る知識を、災禍を屠る力を……。





 皆が立ち上がった気配を察し、閉ざしていた目を開ける。


 真っ暗だった目に、蒼く色付いた朝空はあまりにも眩しすぎた。大地にある全てが影絵みたいな黒に塗り潰される。

 倒れてしまいそうなどぎついコントラストに眩んで、俯く。必然的に目に入る、色のない足元の草をぼんやり眺める。


 巨大な手に頭を掴まれて、揺さぶられているようにくらくらする。

 意識しなければまた目を閉じてしまいそうだが我慢して、何も見えない世界を眺め続ける。


 暗黒はじわりじわりと、インクがしみて広がるように、真ん中から元の色を取り戻した。


 いつもの見慣れた初々しい黄緑が見えるようになると目眩も回復したので、再び顔をあげた。

 



 ラフェムは、街の方向を睨んでいた。




 振り向くと……二つの人影。


 数十メートル後ろの芝の上、短髪の男と長髪の女の二人が、立ちはだかるように立っている。


 見覚えのありすぎる、二つの影。


 ラフェムはわざとらしくため息をつき、茜髪を乱暴に掻く。


「街からずっと後をつけてきて、何の用だ? 墓参りに来たのかと思いきや、もう来たあとじゃないか」


「あら? バレてたのね。ラフェムこそ、急にその二人を連れて墓参りなんて、どういうつもりかしらねぇ?」


「……クア、君には気付いてほしくなかったのだが。もう、わかってるようだし、答える必要は無いかな?」


「うふふ。アナタのことなんて、お見通しに決まってるじゃない?」


 彼女の青い髪が、風に吹かれ波浪のように荒ぶる。対照的に、サファイアの瞳は確固たる決意を宿し、一切の揺らぎを見せず、ラフェムだけを見据えていた。


 クアの隣には、腰に剣を携えたネルトが複雑そうな顔をして沈黙している。


 クアに優しいラフェムが、ラフェムを溺愛しているクアが、互いを敵のように睥睨する様を見るのは異様でしかなかった。


 空気はまるで氷の針、皮膚に刺さってピリッと痺れる。


「なあ、本当に……マジで出て行くのか? あの龍に挑みに行くのか?」


「そうだが?」


 沈黙を破り、戸惑う声で聞くネルトに、素っ気無く答える。


「ねえ、行かないでよ……ラフェムが居なくなったら、ワタシ……」


「たとえ泣きつかれようと、怒鳴られようと、僕のこの決意は曲がらない」


 会話を叩き斬るぶっきらぼうな返答に、彼と彼女はため息のような、悲嘆のような小さな一息を吐いた。



 突如二人の周りが輝いた。


 身体の内から溢れ出す電撃と水飛沫が、あっという間に宙を駆け巡り、そして粒に千切れて消えていく。

 遅れて、轟音で空気が震える。


 圧倒的な力の誇示。


 魔法白外套の紋章が、滾るマグマのように発光し、彼女らの周囲にはそれと同じ色の魔法が漏れ出す。電撃は特有の痺れる音が、水は炭酸の弾ける音が、耳をすませば聞こえてくる。


 流石ラフェムの友だけある。


 こんだけ離れているというのに、押し潰されてしまいそうな苦しい威圧感に、只者ではないことを自覚せざるを得なかった。


「通させはしないわ。どうしても行きたいのならば、ワタシたちを倒していきなさい!」


「三人でオレ達に勝てないような奴が、災禍に勝てるわけなどないからな。諦めさせてやる!」


 ネルトは電気の迸る剣を抜き、クアは脚を開き、腕を構えて、戦いに備えた姿勢へ変わった。


 ……これは、ラフェムの行動を待つ姿勢でもある。


 動物の威嚇。


 あれは争いを避ける合理的な手段。


 戦うということは、互いに負傷することである。

 負傷は誰だって嫌だ、痛いし苦しいし、それが原因で死んでしまうかもしれない。


 これほど強いのだと互いに見せつけ合い、弱い方は負けたと諦め、立ち去るのだ。


 だが、これは悪手だ。


 ラフェムが、強い者を見て、戦うのをやめようと考えるか?

 自分の怪我を省みるか?


 そんな性格だったら……。

 ドラゴンを倒しに行くなんて思わないだろう!?


 ………………そんなこと、皆がわかってることだよな。


 諦めてくれるかもしれない、そんなほんの少しの奇跡に縋って、その本気を見せたのだろう?


 でも、ゼロはどう足掻いてもゼロだ。

 


「おいおい、原っぱで戦うなんて、僕が不利じゃないか? 火事にならないように気を付けなければならないじゃないか」


 掌を空に向けて首を振る、やれやれといった呆れのオーバーリアクション。


 おどけているのに、その紅瞳は笑っていなかった。


 敵を見る目そのもの。何事も見逃さぬ、鷹のような尖い眼。


「有利不利を選ぶ権利は、アナタには無いわ。龍が真っ平らな更地で正々堂々戦ってくれるとお思い? わからないなら、旅なんかやめなさい」


「当然わかってるに決まってるだろう! ショーセ、シーカ、こんなとこで負けるわけないよなぁ?」


 ラフェムは荷物を木陰に投げ置き、獅子のように粛然且つ力強く、ゆっくりと雷雨へ向かって歩き出した。


「ああ、こんなところで諦めるようじゃ、男が廃れるぜ! 二人には悪いが、無理矢理でも通させてもらうぜ!」


「え、ちょっと……戦うって、私……!」


 詩歌にとって、初の戦闘だ。しかも、あまりにも突然の。

 当然、訳もわからず混乱し、その場に固まってしまう。


 茜炎の背は、待ってはくれない。だって、もう戦いは始まっているのだから。


 彼女の腕を掴む。強張っていた足から無駄な力が抜けていった。俺たちに行動を委ね、従うつもりなのだろう。

 わからないときは、それが一番いい。彼女を引っ張り、一歩後ろに付いて行った。



 一つ、また一つ、歩数を重ねるたびに、二人から放たれるオーラの濃度が強まっていく。


 ラフェムはなんともなさそうだが、俺は正直、怖気付いていた。詩歌なんか尚更だ、どんどんへっぴり腰になっている。


 まるで俺たちは小さな虫。


 軟弱なその身から、いつ臓腑をぶち撒くかわからない、そんなスレスレの圧に耐えている。


 だけど、ここで怯んだりしない。俺たちは抗うのだ。


 約束をしたから、戦うと決めたから。



 二人は、戦闘態勢を維持したまま、じっとこちらの出方を窺う。


 互いに剣を奮えば、刃同士がぶつかり合う程の近距離まで寄ると、彼は足を止めた。



 ラフェムが、こちらを一瞥する……。



 口唇の震えたその瞬間。



 轟音が耳を突き、過ぎた残像がラフェムのいた空間を貫いている。


 目を逸らしたその隙を狙って、ネルトは一歩踏み込み、雷纏う剣を振るったのだ。


 剣が切ったのは、ただただ空気のみ。


 ラフェムは、剣技の練習で戦ったときと同じ様に、不意打ちをしゃがんで躱していた。


 力を溜めた足で、押し付けられたバネのように立ち上がると同時に、その勢いを利用した回し蹴りを繰り出す。

 その重い一発は、空振りの重みに釣られて空いた脇腹へ。



 まんまとカウンターを喰らった男の足が、刹那宙へ浮く。

 一メートル程後ろへと引き摺られるが、流石止める意志を抱いているだけある、その体勢が大きく崩れることはなかった。


「ネルトを倒せ」


 ラフェムはそう言う。


 言葉を遮ろうと睨んだ水の剣を、炎の片手盾で受け止めながら。


 魔法の水は蒸発せず。


 それどころか炎の熱を奪わんと、細い刃は不定の形へと変わり、蛇のように盾を飲み込まんと広がった。


 助けるべきか?

 背負った剣に手を掛ける。


 だが、ラフェムは再び俺の方を見た。

 早く行けと、その目は叫んでいた。


 そうだよな。

 こんなところで、負けるわけがないよな。

 お前なら、朝飯前だろ?


 信じて、敢えて助けない。

 詩歌の腕を引っ張り、俺はネルトの懐目掛けて駆け出した。

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