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#60 姉弟裂きし惨禍の真相


「私も行く」


「でも、本当に死闘で……そんな旅行みたいなもんじゃない、あのドラゴンを殺しに行くんであって……」


「それでも、私は、逃げた現実を変えたいの」


 重い空気のダイニング。

 詩歌は向かいで、バイトの面接かのようにきっちり座って、真剣に俺たちを見つめている。

 その決意に、繕いがための偽りや、流されただけの虚勢は無かった。


 そもそも、彼女は俺たちがいなくなってしまったら、勝手もわからない星で一人で生きていく羽目となる。ついていく以外の選択肢など用意されていなかったのかもしれないが。



 隣のラフェムは、赤い癖っ毛を指先でくるくる巻き取るように弄りながら俯いていた。


 こんな陰鬱な雰囲気、全く彼らしくない。

 背を、強く、優しく、二度叩いた。


「俺はお前の友だぞ? 一人だけに辛い思いをさせるなんてまっぴら御免だぜ。俺たちの願い、素直に受け入れてくれよ」


「本当に、本当に正しいと思って、来ようとしているのか?」


「何度問おうとも、今の君が望む答えは出ないぞ。幸せは倍にして分け合い、苦悩は半分に分かち合う、それが友だちじゃないか。お前にだけ背負わせるものか、君だけを喪ってたまるものか!」



 彼の、触れ合っていた睫毛がようやく離れた。え? と言いたげな、おとぼけ顔で、目を丸くし、背を引き伸ばすようすは、まるで悪戯を怒られた猫みたい。


 ……恥ずかしそうに笑うな、やめてくれ。

 今ここで死んでしまいそうだ。



「……痛かったかな?」


「ああ、胸を掻きむしりたくなった。ショーセ、上に行こう。君らの分の荷物を用意しないとね。シーカはここで待っていてくれ」



 彼は「よいせ」とおじいさんみたいな掛け声を出しながらゆっくり立ち上がり、とことこ歩き出した。


 その足取りは、先程より少しだけだが軽そうだ。彼の重荷を少しは下ろすことが出来たのだろうか。彼の信じている義務を少しは疑わせることが出来たのだろうか。

 少しでも楽にしてあげられたのなら……友として、嬉しいのだが。




 ラフェムの部屋で、最低限必要な下着や着替えを引っ張り出し、新しい風呂敷に包んでいく。

 救急箱やナイフ、そういった必需品は既に集められていたから、すぐに準備は整った。


 ……この部屋もこの家も、今日で最後なのか。

 胸に熱いものがこみ上げてくる。たった一週間ほどしかいなかったのに、まるで生まれ育った実家かのような、強烈な別れへの拒絶が、しがみつきたいと願ってしまう寂しさが、どんどん湧いてくる。


 ……でも、行かなければ。


 心の内で住処に別れを告げ、一階へと戻ることにした。



 また、きっと……いや、絶対。この家へ帰ってきてみせる。


 ラフェムと詩歌の三人で、真の平和を謳歌しながらのんびり暮らすんだ。


 彼は死ぬ前提だけど……俺は生きる前提で旅に出る。

 災禍がなんだ。化け物がなんだ。


 願えば、きっと望みは……



「うわっ!?」


 突然、体がガクンと揺さぶられた。


 あまりにも急だったので、心拍数がガッと上がって息が苦しい。

 何事かと思ったが……どうやら腕を急に引っ張られたようだ。


 振り返ると、後ろについてきていた彼は、神妙な顔をして、獲物を逃さぬ鷹の脚のように俺の手首をがっしり掴んでいた。



「旅に出る前に、君に伝えたいことがある」



 緊張がぴりぴりと空気を伝って肌を刺す。

 体に魔力でも巡っているようで、茜髪や白袖が風に吹かれたようにふわりふわりと揺れている。


 如何にも重大な発表をするかのような真面目さに、思わずこっちも体を強張らせ息を呑んだ。



「君に嘘をついていたことを謝らねばならない」


 ……心臓が凍りついたかのような、冷たい痛みが胸に広がる。


 今、嘘と言ったのか? 俺に……嘘?


 全く思い当たる節がなかった。


 隠せるほど、彼が嘘をつけるような人間とも思えなかった。


 だからこそ怖い。どの事も、嘘と言えるということだから。


 まさか、俺と友だちだったのは嘘だったとか、言わないよな?


 まさか、あの昼休みみたいに俺を突き放すようなこと、しないよな!?


 まさか。 まさか。


 まさか……。



 彼の唇が微かに動く。

 言葉なんて知りたくない。覚悟なんか出来ていない。

 耳を塞ぎたい衝動が湧き上がるが……腕が動かない。腕どころじゃない、逃げ出す足も、遮る声を発する喉も、何もかもが凍っている……。


 申し訳なさそうに、彼は深々と頭を下げた。

 俺は、唯一動く瞼を、ぎゅっと閉じる……。


「姉さんの部屋に魔法なんか掛けてないんだ。ごめんなさい……」


 ……?


 え?

 掛かってなかったのかぁ。

 なんだ、なんだ。そんだけか。


 拍子抜けしてしまった。


 必要以上の怖れに煽られていたから、安心して足の力が抜けて、へたり込みそうになったが気合で耐える。無駄に高まりすぎた心拍で目が眩む。

 そんな自分がなんだかおかしく思えて、勝手に笑ってしまう。


「ど、どうした急に? 大丈夫か……?」


「ごめんごめん……何が嘘か見当つかなくて、変なこと考えちゃってて……ああ、そんなことか。そんなことか。よかった……」


「あ、ああ〜……ちょっと、伝える内容と真剣さが釣り合わなかったかなあ? すまない。…………すまない……」


 まあ、嘘も方便だ。

 死んだ家族を踏み荒らされたくないのは当然で、余所者の下劣な好奇心に穢されるのを防ぐために、そういった嘘を吐くぐらい、誰も咎めやしないだろう。

 真面目すぎるぜ。


「誰だってそういう嘘はつくものさ……そんなシリアスにならなくたっていいだろうに」



 彼は沈黙し、依然真剣に、俺を見ていた。



 そして突然、空いてる手で、彼の斜め後ろにあったドアノブを掴むと、瞬きの間もなく、躊躇いもなく、吹き飛ばすように、姉の部屋……開かずの扉を開く。



 ホコリと古臭い空気が待ってましたと言わんばかりに宙を舞い、吸ってしまう。

 喉と肺に、ベタベタと乾いた繊維がへばりつくもんだから、咳が止まらなくなってしまう。


 しばらくして、ホコリが落ち着く。

 俺も、ようやく普通に息が吸えるようになる。

 悶える姿に戸惑っていたラフェムも落ち着いて……同時に決意が固まったようだ。目を瞑り、肩を大きく釣り上げるほどに胸いっぱい空気を吸い込むと、肺中の全てを吐き出すように息を吐いた。そして、もう一度……時の止まった世界の空気で胸を満たす。


 大きな深呼吸を済ませた彼は、徐々に瞼を持ち上げる。澄んだ炎瞳が、ゆっくりと部屋の内部を映し始める。



「三年前の話をしよう。ずっと逃げてきた、三年前の」



 彼は俺を掴んだまま、部屋の中へと入っていった。



 色褪せた茜色主体の部屋。ラフェムのに似ていて、それでいてまた違った雰囲気を醸す部屋。



 中央まで引っ張られて、ようやく拘束を解いてもらえた。

 彼は懐かしそうに部屋を見回し、ゆっくり一回転すると気が済んだのか、ずんずんと彼は奥にある机へと歩いていく。


 追いかけて一歩進むたび、足の裏が粉っぽくなる。人が生活している部屋だったら、どんなに掃除をしなかったとしても、絶対にこうにはならない。どれだけ長い時間、誰も、彼も、この部屋に入らなかったのだろうか。



 部屋の突き当り、机には、二つの首飾りが置いてあった。

 床も、机上も、首飾りも、同じように塵が積もっている。


 それぞれ、三日月と太陽をモチーフにした、銀のペアネックレスだ。質がいいのか、こんなにも長い間放置されていたにも関わらず、変色や変形はしていない。


「太陽と月は、どんなに願おうと会えない。太陽は昼に、月は夜にしか空に居られないからだ」


 ラフェムは独り言のように言葉を紡ぎながら、太陽の方を手に取ると、息を吹きかけゴミを飛ばし、装着する。


「でも、二人は協力して、絶えずこの星に光を与え続けている」


 淡々と語りながら、机に残されていた月の方を取れと、目配せする。


 こういう小さなネックレスは好きだ。


 そっとつまみ上げ、シャツに手を潜り込ませ綺麗に拭き取ってから首にかけた。


「見えない絆で、二人は繋がり続けている。互いに補い合って、世界を護り、照らし続けている」


 彼は掌に小さな太陽を乗せると、窓の側に寄り、射し込むまだ淡い陽光に照らして、キラキラ反射させて遊び出す。



「なんて、サラは盛大に語ってたな。太陽がサラので、月が僕のだった。姉弟絆の証として、毎日ずっと付けていた。あの日までは」


 彼は外……この地ではない、どこか遠くを眺め、微笑んだ。

 酷くやるせない、寂しい笑顔だった。

 ある一つの雲が、ゆっくりちぎれて消えてしまった頃、すぐ横のベッドに埃が舞わぬよう静かに端座する。俺も、そっと隣に座る。




「僕の昔話……正直に話すから、聞いてくれ」



────────

 ……。

 三年前。

 もう三年前。

 たった三年前。


 僕たち……僕、クア、ネルト、姉のサラウォーマの四人は、強敵と対峙した。



 奴は突然現れた。

 街の中心に、まるで野草のように、何の因果もなく、姿を見せた。


 僕は大通りで奴に会って、体が縮むように竦んだよ。

 見た目こそ人間だったが、心は人間じゃあなかったからだ。何もかも思い通りにしようと企み、従わないのなら殺すだなんて、まるでドラゴンのような事をほざく奴だった。


 力も恐ろしいものだった。僕らのような魔法は持ってなかったが……代わりに片腕は鳥のような翼、片腕はそうだな、ラグンキャンスのような、虫みたいに節のある鋭い手を持っていた。

 空を自由に舞い、刃物のような羽根を撒き散らすんだ。


 何処で生きてきたんだろうな?

 よく生きてこられたな?

 こんな奴の噂は一度たりとも聞いたことがなかった。だから、街のみんなも、僕も、酷く困惑した。



 奴は、僕たちを支配しようとしていた。

 かつてこの世界を恐怖のドン底へ突き落とした災禍と全く同じく。



 奴を好きにさせてはならなかった。あの力を無闇矢鱈に振るえば死人が出る。放っておけば、僕らでは到底到達することの無いおかしな力で全て縛られる。



 未来のため、世界のため、その孤高な理想が為に消えた両親の魂のため。

 僕らは街を代表し、強大なる敵と戦った。



 炎、雷、水……嵐のように渦巻くどの魔法も、僕が言うのもなんだが、精鋭で洗礼なものだった。


 だって、その死闘以前、僕らは沢山旅をしていたんだもの。これから行くような重いものじゃなくて、子どもらしい突発的で無鉄砲な旅行だけどね。


 それに、全員、幼い頃から父さんや母さんのようになりたいと、高みにいる憧れを追いかけていた。

 魔法の強さは伊達じゃないと自負している。しかも僕らは昔から、もう記憶のない時代から仲が良くて、互いが互いの事をよく知っていたから、息のあった連携を当然のように行えた。


 だから、四人で力を合わせて、じりじりと街の外へ……この前君と手合わせした原っぱの方へ追いやれた。

 そして、渾身の力を振り絞って、なんとかギリギリ化け物を伏せることに成功したんだ。



 それでな。血塗れの化物はいうんだ。「悪かった、力の使い方がわからなかったんだ。気を引きたかっただけなんだ」って。



 ……。



 僕は馬鹿さ。



 彼と友だちになれるかもしれない、そう思って手を差し伸べようとしてしまったんだ。



 僕も、誰もかも、こんな力を持つ人間なんか見たことが無かった。

 だから、本当にわけが分からなくてこうなって、パニックを起こしていたのかもと、同情したんだよ。



 …………本当に、僕は馬鹿だ。



 サラは、僕より早く気付いて、僕に体当りして……そう、君が僕を人喰龍の不意打ちから守ろうとした時のようにね、僕をふっ飛ばしたんだ。


 振り向いたときには、もう……無数の刃が、花びらのように何本も何本も……心臓めがけて刺さっていた。



 とめどなく流れる真紅。

 小さい、不甲斐ない掌で必死に止めようとした。

 サラも、その肌を魔法で焼いて止血しようとしてたけど……駄目だったんだ。


 あまりにも、その傷は深すぎて、大きすぎた。


 サラは血を吐きながらいうんだ。かの邪悪を許してはならない……と。


 そして。

 僕にあのレイピアを継ぐと、何も喋らなくなった。


 僕の腕の中で、たった一人の姉の脈が消えていった。

 心が、魂が、命が、体から抜けていった。

 激痛に歪んだ顔のまま、動かなくなった。

 頭と腕が、大地に引っ張られぐったりと垂れ下がる。

 手に残る熱い血も、どんどん空気と同じ熱になってきて……。



 はは……。



 何が起きたんだろうな?



 気付けば、胸に魔法火傷を負った僕の足元で、虫の息の化け物が倒れていた。


 奴にはもう、悶え呻き苦しむ力もなかった。ただ涙を流していたんだ。



「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった」


 ……ってね。



────────



 ラフェムは両手に顔を埋めて啜り泣いていた。

 全貌を明かされた三年前は、陰鬱で、悲惨で、卑劣で。


 話したがらないのも当然だった。


 一人で旅に出ようとするのも歴然だった。


 自身の良心を踏み躙られて、しかも唯一隣に居た肉親の命を喪ったのだ。


 俺は何も言えなかった。なんて言えばいいのかわからなかった。



「それでな、化け物っていうのは……黒い……黒の……黒い、髪の…………」



 床と平行になっていた頭をほんの少し持ち上げると、顔から手をずり下ろすようにして離し、上目で俺の髪を見る。


 怯えと悲しみが、透き通る紅い目を蝕むように濁らせる。

 俺でない誰かに、呪いの眼差しを向けている。


 彼は再び、涙でぐしゃぐしゃの顔を、びちょびちょの手で掴むように覆って俯いた。



「やっぱり、話せない。僕も君もつらくなるだけだ」



 そういえば、少し前にネルトに言われたことがあった。化け物と姿は瓜二つだと。

 ……俺の事を気遣って言葉を詰まらせたのか?


 だが。この通り恐ろしい事実を俺は知っているのだ。


 そして、ラフェムはネルトの謝罪に居合わせてなかったから、その事を知らない。



 今更、俺にそっくりな奴だったなんて言われても、ショックも怯えも感じやしない。


 だって、外見がどんなに似ていようと、それは俺ではないのだから。俺を証明する魂は、化け物と違うのだから。



「俺はどんな事実であれ受け入れる。それに今後の為、その化け物がどんなものかを詳しく知りたいんだ。話してくれないか? 奴が何者か」



 彼は腹を潰すような姿勢から、猫背の着座へゆっくり変わると、つま先を見ながら自嘲した。



「はは、知らないからそう言えるんだ。そして、僕が覚悟できていないんだよ……この話は終わり。もう……、しな……い」


 振り絞ったような声、言葉の最後は震え、潰れた音でしかなくなる。

 彼は立ち上がり、視線で詩歌の元へと戻ろうと暗示すると、ふらふらと歩き出す。


 すぐ隣に置いていた、必需品一杯の風呂敷を持って彼の真後ろに引っ付く。あまりにも不安定で、倒れてしまいそうで不安だったから。




 …………改めて、彼の優しさを思い知った。


 姉を殺した憎い敵と瓜二つの、突然現れた俺を助けてくれたのだから。


 もしかしたら、俺の髪だけじゃなく外套まで真っ黒だったら……調子に乗った態度を見せていたら……ちょっと何かが違っていたら、復讐と称し、わからぬまま殺されてたのかもしれない。


 だが、逆にいえば多少面影があろうとも、差異を見い出せば、救いの手を差し伸べてくれるというのは、寛大以外の何でもない。


 矮小な俺だったら……目つきだけでもアイツとかにそっくりだったら、即同じものだと認識し、嫌悪し、逃亡するだろう。


 自分には持てない、羨望と尊敬の念を抱くべき優しさを、彼は持っている。



 ……でも、その優しさが姉を死なせる原因となってしまったなんて。この結果に今も尚苛み、悶え、心を傷付ける楔となってしまったなんて。



 世界は、なんて、なんで、こんな残酷な運命を歩ませるんだ……?



 一段降りるたびに肌の周りの空気が冷えていくような、危なっかしい千鳥足の階段下り。後ろで見届け終え、胸を撫で下ろした。

 ラフェムはリビングの手前で立ち止まり、詩歌を手招きする。


「さあ、もう墓に行こう。長い間留守にするから、その前に挨拶をしないとね……」


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