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#58 静寂な月夜の下


「こ、こんなでいいかな……」

「うん、上出来ね! 今度はエイポンの麺切り、手伝ってくれるかな」


 木のまな板に散乱した、いびつな四角に切り分けられた根野菜を見て、クアは優しく微笑みながら次の命令を下す。


 母親のように微笑まれたのが、逆に辛い。

 家事をやってこなかったのをおおっぴらに露出されているみたいで恥ずかしい。


 こんな下手くそなブロック、見てられない! 綺麗な四角で埋め尽くされているボウルの中へ入れて隠してしまえ。


 ……不器用なのに焦ってやったからボトボトと零してしまい、ますます恥ずかしくなった。




 俺は今、クアとエイポンの三人で料理をしていた。

 とはいっても、俺の行為がクッキングであるかと言ったら、違うと思う。自分に出来そうな事を、彼女たちに見出してもらって、せこせこやっているだけなのだから。



 献立は、野菜を崩れるまで煮込んだスープに、細い麺を入れたものにする予定になっている。

 つまりはラーメンみたいなうどんだ。



 ここの世界では、麺が繋がったまま売られているから、各自で好みの長さに切る必要がある。今、エイポンがダイニングテーブルで鼻歌を奏でながらやっている。


 手伝うために近づくが、もう既に終えていたようで、麺をザルにヒョイヒョイと投げ入れていた。

 まさに山盛りだ、麺の山はまるでモンブランだ。……モンブランも山じゃないか。しっかし、ザル自体が給食の盆ぐらいあるのにこんなに盛られるなんて。上で寝てる二人と、ここにいる三人の合計五人分にしては、多すぎる気がする。

 恐らく庭のドラゴンの分が入っているのだろう。そもそもドラゴンはうどん食べれるのか……? 残されたらどうするんだろう……。


「ふんふん~……うん? どうしたのショーセちゃん」

 麺を回収し終えてからようやく、異様な山を注視していた俺の気配に気付いたらしく、優しく問いかけながら彼女が振り向いた。


「あの、何か手伝えることは……」

「じゃあ、これ軽く洗っておいてくれないかしら? このままだと粉で大変なことになるわ!」


 聞くと彼女はすぐに、微笑みながら麺の乗ったザルを俺に渡した。

 確かに、また板とその下に敷かれた布も、包丁も彼女の手も白粉で染められている。持っている手も、既に粉っぽい。


「あははっ! あの時は大惨事だったわね!」


 クアが突然笑い出す。釣られたのか、エイポンも酷かったわねぇとクスクス笑う。



 俺だけはその惨劇を見た訳でないから、少しばかり困惑し、仲間外れにされたような孤独感を感じたが、同時にこうして何の滞りも無く円滑に料理を作る彼女らにも、失敗をする時期があったのだと知り、僅かな安心も感じた。





 洗って、煮て、よそって……。

 ……そんなこんなで、ラーメンうどんは完成した。


 ドラゴンにあげてくれと渡された、金魚鉢のような大きい丼ぶりを持って、外に出る。




 野外はもう真っ暗で、星の海が天に広がっている。


 浮いている白い月を、そういえばちゃんと見たことがなかった。

 夜はあまり外に出なかったし、出ていたとしても凍った煉瓦の床とか、足に引っ掛かりそうな草とか、地面ばかり見ていたから。


 焦点を合わせ、じっと眺める。


 模様……クレーターの形が地球のものと全く違う。知っている星座もない。そりゃあ異世界なのだからそうだろう。逆にもし同じだとしたら、この世界が何なのか苛む羽目になる。

 もう少し模様を観察しようと思ったが、あまりにも明るいから目がくらんでしまった。

 視界が黒い円に覆われ眩暈がする。顔を伏せ、光を拒んで瞼を固く閉じて、元に戻るまで。立ち尽くした。



 数十秒しようやく網膜から影が消えた。模様のことは一旦置いておき、閑静な草むらを進み、家の後ろに回る。

 昼と同じ場所に、彼はいた。

 犬のように丸まって眠っていたのだが、俺の気配に気が付いたのだろう。瞼がゆっくりと開き、隠されていた虎目石が星明かりで鋭く輝く。

 ゆっくりと首を擡げると、頭を大きく横に振って、縦横無尽に顔を覆っていたたてがみをどかした。


 そっと、彼のソバに器を置く。



 やはり、料理というものを見たことは無いのだろう。

 訝しげに、薄く湯気の漂う水面を睨んでいた。この様子では、明日までにらめっこし続けるだろう。

 未知のものを食べ物といわれても、すんなり受け入れられないのは仕方のないことだろう。安全であることを示すために、指先で一本だけ麺を掬い、その場で食べてみせる。


「これは麺。うどんって言う料理で……今作ったから、温かいうちに食べてくれ」


 ドラゴンは信用してくれたのか、恐る恐るスープに鼻先を寄せる。

 その瞬間、風味豊かな優しい匂いが鼻腔に満たされたのだろう。

 顔から不穏な影は瞬く間に消え去り、大きな舌をスープに突っ込むと、器用に丸めてレンゲのようにして掬う。そのまま一口、口内に含んだ。

 どうやらお気に召したらしい。顔をほころばせると、あまり顎を上下させずにドラゴンらしく飲み込んだ。そして、また舌を器に突っ込む。


「おいしいかな……?」


 竜は俺の言葉なんか聞いちゃいない。うどんに釘付けになって、ただひたすらに料理を貪っていた。

 いや、どんなに話しかけたところで、彼の声は戻っていないからそもそもうんともすんとも言えないが……。

 待て、すんは言うな。あとピスと、フンと……。理屈はいいや。

 でも、返事出来ないぐらい、がっついて食べるぐらい喜んでくれるのはやっぱり嬉しい。胸がほっこりするぜ。


 俺も、うどんを早く食べなければならない。ドラゴンをじっと愛でていては麺が伸び、冷めてしまう。

 後でおかわり持ってくるからと首を撫でてやりながら伝えると、ドラゴンは一旦器から顔を離す。そして、感謝の言葉の代わりか、笑顔でおでこを俺の胴にぐりぐりと押し付けると、また器に顔を突っ込んだ。






 家へ戻り二階へと上がると、詩歌が寝ぼけまなこをこすりながら、無をぼーっと眺めながらラフェムの部屋の前で立っていた。


 髪を結びなおしているのだが、乱雑で毛がリボンに巻き込まれて四方八方に飛び出している。きれいに整えてられいたおかっぱの毛先もバラバラだ。

 礼儀作法もわからぬ世で、知らぬ人に囲まれるのが怖くて部屋に入れないのだろうか?


 彼女の傍に寄ると、どうやら今存在に気が付いたらしく小さな悲鳴をあげ背を強張らせる。そして、慌てて頭を下げた。

「ごめんなさい、全然気が付かなかった……。あの、寝ちゃってごめんなさい……。あなたが怪我人なのに……私が手伝うべきだったわ……」

「ああ、俺を待ってたのか。大丈夫だよ。俺がやりたかったからやっただけだし、傷ももう治ってるみたいだし、君も慣れてなくて疲れていただろうし……」


 再度彼女は謝罪すると、部屋の扉を開けた。


 和気あいあいとした穏やかな空気が広がっていて、そこでクアはべっとりラフェムに寄り添って食べさせてやっていた。


「おかえり、ショーセ!」


 クアがこちらを向いてにっこり笑うと、明るい声で迎えいれる。


 ラフェムも、詩歌のように寝起きでぼんやりしていたのだろう。

 今の声で、俺がいること認識したようで驚いたように振り向くと、あたかも何もなかったかのような平然な顔で、密着していた彼女から一拳分、横に逃げた。

 やっぱ仲いいな、今更そんな振舞いしてもごまかせないぞ。


 今までマットレスがあったところに、小さなちゃぶ台が用意されていて、輪になるようにうどんが並べられている。


「あなたたちのは、そこの二つよ」

「ありがとうございます、いただきます!」


 壁を背もたれにして、のんびり麺を啜っていたエイポンが、ベッド……熱い二人と向きあう形で置かれた二つの皿に目線を向け、教えてくれた。


 さっきからいい匂いに包まれ続け、ドラゴンの夢中な様子も見てしまったから、お腹がペコペコだ!


 すぐに座り、手を合わせ、フォークを器に突っ込んだ。



 淡い色のスープに浸かった、白い麺をくるくると巻き付け引き上げる。


 ゆでる前からは想像もつかない、艶と弾力のある麺。見ているだけでよだれが出てくる。


 はやる気持ちを必死に抑え、汁が飛び散らないよう慎重に口へ運ぶ。

 うどんに、野菜や出汁に使ったアトゥールやラスリィの魚から滲みだした沢山のうま味が絡みついている。もちもちした触感も、噛んでいて楽しいし更に深い味が染み出してきて旨い。


 後を追ってそろそろと食べ始めた詩歌も、おいしいと静かに呟き、微笑んだ。





 あんなにあった麺は、いつの間にか無くなって。


 心配は杞憂だったなと思いながら、空っぽの器たちを詩歌も加わった四人で分担して洗い終えたあと、家へ帰るエイポンを見送った。


 寝る支度も終え、いつもより早くベッドに寝転ぶ。

 灯りも、ラフェムの負担になってしまうからな。ほんの些細な事でも、あの痛々しい傷が癒えるまではなるべく楽をさせてあげたい。


 先程もう寝ると伝えたから、すぐに天井の火が消えた。

 電気を消すのと同等に一瞬で世界が闇に堕ちるから、暫く黒だけが見えていたが、そのうち暗さに順応して、内外を分ける壁や靡くカーテン、自身の組んだ足やらが見えるようになってきた。


 冷夏を断ち切った反動で蒸し暑い夜、少しでも熱を追い出そうとして全開の窓。

 星明かりがベールのように差している。


 改めて、夜空を眺める。

 夜空を深い紺に漂う無数の輝き。トウキョウの空じゃあ絶対に拝むことなど叶わない美しい濃淡が、宇宙が限りなく広い空間であることを知らしめる。

 

 あの光のどれかが、太陽だったりするのだろうか。あの星雲のいずれかが、住んでいた星を含んだ銀河だったりするのだろうか。俺たちの残した人間たちが、同じ星を見つめていたりするのだろうか。

 不思議な心地に包まれながら眺めていると、詩歌がやおら寄ってきた。


 そっと俺の腹部に乗るようにして、窓に近付き空を眺める。

 ……距離が近い。恋人じゃあない限り、異性が入ることは無い距離に彼女がいる。というか、胸が大きいから当たりそうだ……。


 気不味いし恥ずかしいから、どいてほしいことを匂わせようとするものの、彼女のため息に先手を取られた。


「トウキョウに、こんな夜景を見れる場所は無かった」


 詩歌は、寂しそうに呟くと静かに振り向く。

 ストレートの短い髪、そして滑らかな肌が、星の光を跳ね返して闇夜に輪郭を浮かび上がらせる。その様子はとても艷やかで、同年代のやさぐれた少女であることを、刹那の間忘れてしまった。


 澄んだ青い目は、固まる俺をじっと見据えた後に、再び星と向き合った。


「全部を得ようとして、何もかも……地球でも見られたはずのこの景色さえも失ってしまうだなんてね。かつての人が欲しがっていた幸せとは、一体なんだったのかしら?」



 ぼんやりと、概念的にしか地球のことを覚えていない俺でさえ、この皮肉に共感して笑ってしまう。


 その後、彼女は何も紡がず星を見ていた。俺も一緒に、色とりどりの光を眺める。


 ひとしきり見終わると、満足したようで瞳を閉じた。深く深呼吸しながら綺麗な風景に感動した余韻を味わって、僅かに口角を持ち上げる。


「じゃあ私は寝る。おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 彼女はゆっくりと背を起こし、転がるようにベッドの端へと戻っていった。


 俺も、眠ることにしよう。

 瞼を閉じ、目から入る情報をシャットダウンする。

 すると、耳の感覚が澄まされて、聞いたことのない虫が、どこか遠くで鳴いていることに気付く。



 透き通った音色を奏でる演奏家、どこの草むらに潜んでいるのだろう。


 


 この音色も。まだ脳裏に焼き付いたまま離れない星も。今まで駆け回った広い世界も。すべてがこの世界があの世界よりも優れている証明だ。


 ……もう、俺たちに無価値の贄を演じさせられる楔は刺さっていない。


 すべてを明かされ奪われた世界からは既に去った。


 壊された、人知を超えた秩序に後悔しながら無意味な足掻きをしなくてもいいんだ。


 空を眩ます地上の光もない。うるさくて臭い排気音もない。


 この世界は、本当に美しい。


 この世界なら。この穏やかな星でなら。

 俺たちは幸せに生きていられる。


 ああ。この平和が、いつまでも続けばいいのに。



 ああ。

 あのドラゴンが、あの災禍がいなければ……。



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