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#57 亡き者に生者は何を思う


「なあ、お願いがあるんだけど……」


 果物を食べ終わり、もう少しだけ魔法の練習をしてから部屋に戻って、元の場所で腰を降ろして休んでいたとき。

 ラフェムが妙に改まった声で、部屋を覗き込むように顔だけ部屋に入れて、そう言った。


「どうした?」


「さっき話し合いが終わったんだけど、クアが看病してくれるらしいんだ。それで、四人もこの部屋にいたら……流石に狭すぎるだろ? だから……」


 彼は申し訳なさそうに首を下げる。


 元々、ここはラフェム一人の部屋。四人も暮らすなんて流石に限度外だ、狭すぎる。

 そもそもスペースを借りている立場だから、俺にどうこういう権利はない。だからその頼みを快く受け入れることにした。


「確かにな。じゃあ俺たちは居間で過ごすよ」


「いや、両親の部屋を使ってくれ。布団持っていくのも大変だろう? ずっと誰も使っていないから、塵とか埃があったらすまない……」


 確かに、あのぐるっと曲がる階段を、マットレスを持って通るのは骨が折れるだろう。だからといって運ばなければ、硬いフローリングの床で寝ることになる。それも苦痛だ。


 だが彼は、姉の部屋のネームプレートに触れようとしただけで、形相をガラッと変えて怒った人だ。そして、念を押すように部屋には入るなと言っていた。それはたった一週間ほど前の出来事だ。


 本当に部屋に入っても、そこで過ごしても大丈夫なのだろうか?

 もしかしたら、俺達に気を配って本心を押し殺して言っているのかもしれない……。


 直球に聞くわけにはいかないから、遠回しに確認してみる。



「魔法は大丈夫なのか? ドアノブに触れると大火傷するんだろ?」


「……え? あ、ああ。それなら解くよ、今。だから大丈夫。それより君の使ってる布団、親の物だからちゃんと持ってけよ。じゃないと、床で寝るより痛い目に合うよ」


 ……忘れてたのか? 一瞬彼の動作が止まった後、特になんの思いもなさそうに答えた。

 驚いた。あの迫真の声は初日だったから過度に緊張していただけか、それとも親の部屋に入ってもいいぐらいに俺のことを信頼してくれるようになったのか? 後者なら嬉しいんだが……。



「わかった。両親の部屋を使わせてもらうことにするよ」


 ラフェムはありがとうと微笑むと、覗き込むような形になっていた体制を直すため一度ドアの死角に消えた。


 一息置いて、よたよたと歩いて部屋へと入ってくると、そのまま俺と詩歌の間を突っ切り、布団の中へと潜っていく。


「悪いけど僕、疲れたし寝るよ。飯の時間になったら起こしてくれ」


 ゆっくりと瞼を降ろす。


「……姉の部屋と間違えるなよ? 場所はわかるか?」


 彼は突然、念を押すように、強めの語気で言った。

 ……まだ、姉に関しては触れられたくないみたいだ。


「覚えてるさ、向かいの壁側だろ? この隣の部屋……君のお姉さんの部屋と、ここの部屋の境にあるドアが入り口だ」


「そうだ、良かった」


 彼は口角を上げ、満足そうに笑うと何も喋らなくなった。


 ……彼をぐっすり休ませてやるためにも、すぐに移動するべきだろう……。






 …………ということで、使っていたマットレスを詩歌と二人がかりで引き摺って、ひっくり返ったネームプレートの掛けられた部屋の前へとやってきた。



 恐る恐る、一度も触れたことのないドアノブに指の腹を擦らせるように触れる。

 火傷しなかった。

 安心し、ドアノブをしっかりと握り直して、埃が舞わぬよう慎重に扉を開けた。



 開いていた窓から、風がシルク色のカーテンを靡かせて入ってくると、部屋の中をくるくると走り回り、そして俺の頬をふわりと撫でて去っていく。


 ずいぶんと質素で、綺麗な部屋がそこにあった。


 真っ先に目についたのは、まっすぐ先にある二つのベッド。自然な白の壁に背をくっつけて、仲睦まじく並んでいる。


 見る限り、この部屋にはあのベッドと、窓側の角にある写真がいくつか乗せてあるキャビネット、その隣に立て掛けてある箒と、くずかごしか置いてない。



 人が暮らしている気配は無いが、放置されて汚れた気配もない。そんな不思議な空気の中に、そっと足を踏み入れる。


 月日の経過を思わせる家具の色褪せはあるものの、足の裏が粉っぽくなったり、ホコリの玉が部屋の隅に転がっていたりはしない。


 思った以上に……掃除の必要が無いほどに綺麗だ。


 よく思えば、この家に来て、よごれが目につくことは一度もなかった。

 慌てて一日で片したような場合に残る角の塵や、乱雑な拭き跡も無いから、きちんと日頃から掃除をしていたのだろう。



 暇だったから?


 綺麗好きだったから?


 それとも……。

 家族が帰ってくると信じていたから……?



 扉を締め、マットレスをベッドへ戻した後。

 詩歌がキャビネットに近付き、写真を眺め始めた。

 俺も彼女の横に向かい、写真……もといとても上手い絵を見る。


「これは……絵?」

「ああ、この世界にはカメラがないらしい」


 彼女が見ているのは、エイポンの家にあったのと同じ、若いラフェム両親とエイポンの三人が、並んで笑っている古ぼけた写真だった。


 一度見た写真だから、あまり関心がなくすぐに他のものに視線を移したが……。



「この人は……」



 隣の写真に釘付けになってしまった。



 その一枚には、笑顔の五人がいた。



 先程見た写真より、後に作られたものと示すように、少しばかり歳を重ねたフレイマー夫妻とエイポンが、二人の幼い子に高さを合わせてしゃがんでいる。



 幼い子というのは、得意げに胸を張る、まだ卒園もしていない時代の小さなラフェムと…………腰に手を当て堂々と立つ、ラフェムにそっくりな女の子。


挿絵(By みてみん)



 ぴょこりと跳ねた、二房の髪。茜色で柔らかそうなのも全く同じ。

 違うところは、長い髪を後ろで結い、ポニーテールにしているところぐらいだろう。



 瓜二つの姿を見て、一瞬で彼女が彼の姉、サラであることを理解した。



 他の写真を見る。幼いラフェムと姉が笑い合ってるもの、夫婦二人やエイポンと三人の旅行写真……。


 描き手もそれぞれで違うのだろう。絵柄や癖に差異があるが、一つだけ全てに共通しているものがあった。


 偽りも屈託もない、太陽のような笑顔だ。


 家族全員仲が良く円満だった様子がひしひしと伝わってくる。

 本来、平穏な家族を見たら心が温かくなるのが普通だろう。


 でも、この笑顔は苦しい。


 こんなに仲がいいからこそ、死別という事実がますます悲しく、辛く感じてくる。


 

「ねえ、この人……あの人、ラフェムのお姉さんよね……? 見当たらないけど、どこにいるの?」


「……!」


 彼女は察しが良く、そして悪かった。

 ただ一つのふとした疑問を解消するためだけに発されたその言葉に、俺は胸を貫かれたかのような心地になった。


 刹那、話すか躊躇ったが、彼のためにも彼女のためにも、真実は話さねばならないと意を決す。

 ラフェムに聞こえぬように小さな声で、耳打ちする。



「姉も亡くなっている。何か恐ろしい者に殺されたようで……彼も話したがらないんだ」



「……殺……され……た? 嘘でしょ、そんな…………」


 軽率な問いに、重すぎる答えが返された彼女は動揺し、幽霊でもみたかのように顔を強張らせ、キャビネットから後退っていく。


 そしてベッドにぶつかり、尻もちをつくように上へ座ると、身を縮こませて俯いた。



 彼女の元へ移動する前に、再度写真を眺めた。


 どの写真立ても綺麗だった。


 どう足掻いても取り出せないような隅の隅に溜まった塵しか、汚れは目につかない。

 伏せたり、背くことは無かったのだろう。


 ……帰らぬ人と戻らぬ時間、それを強調するような空っぽの部屋と向き合った時、彼は何を思っていたのだろうか……。



 俺は、詩歌の隣までそっと歩いていって、隣に腰掛けた。

 マットレスが体重で軋み、彼女の身体が傾く。


「あの病院で話を聞いていたから知っているだろうけど、親もすでにあの黒い飛龍に殺されているんだ。だから、彼に家族の話は禁句だからな……」


「するわけないでしょ……人の傷を掘り返して踏み躙るなんて……」



 彼女は顔を上げ、掛かった髪を指で払って元に戻す。 

 潤んだ蒼玉の目は、過ぎた過去をじっと見据えている。


「こんなに重い過去を背負っているなんて、思ってもなかったわ……」


 彼女の独り言を最後に、互いに話すべきことが解らなくなって黙り込む。


 風に押されて軽やかになびく、白のカーテン。じわっと暑い夏の空気。不気味なほど安定を保ち続ける平穏な世界が、時間の流れを引き伸ばす。


 なんでもゲームや夢のように上手く行かないのが世の理だが、こんなに非道な現実があっていいものだろうか。


 過ぎてしまったことをとやかく考えても、絶対に変わる事はないのだが。微妙な重さの物を、ただ闇雲に水に沈めようとしている時のように、勝手に頭に浮かんできてしまう。




「……忘れていたけど、私たちも死別したのよね」


 突然、彼女は沈黙を破く。


 言われてようやく自覚した。

 トラックに轢かれて変わったのは、俺の人生だけではないことを。 



「地球に残した家族は、私のことどう思ってるのかしら? いなくなって助かる、なんて喜んでるかしら」



 自虐のように微笑むと、ベッドへ倒れるように寝転がった。



 何も返せなかった。



 俺も詩歌も、確実に、ラフェムの家族のような弔いはなされていないと断言できてしまうのが虚しい。



 だって、そんなに仲が良かったなら…………。


 地球に未練なく、新しい人生こそはと奮発なんかする訳がないだろ?



 彼女は、自分のことだけを話していたつもりだったのだろう。俺の顔を見ると、俺にも該当する話だったことを理解して、気不味そうに眉を潜めた。


「あ、あはは、変な話をしてごめんね。私って、てんで駄目ね、一瞬で言動が矛盾しちゃったわ。自分の傷をえぐり返して、あなたまで傷付けて、一体何がしたいのかしら……」


 笑ってはぐらかすと、急に髪を結うのに使っていたリボンをほどき、コートを脱ぎ出し、それらを畳んで床に放り投げた。


「……私も眠いわ。後で起こして貰っていいかしら。今起きていても、私は舌禍を紡ぐだけだし」


 そう言うと、返事を待たずに目を瞑ってしまった。




 少しの間……彼女が完全に眠りに落ちるまで、その場で見守ってから、忍び足で部屋を出た。


 ここにいたら、答えの無い「何故」や「きっと」を考え耽って暗い気持ちになるか、眠くなってしまって約束を果たせなくなるだろうから。


 下に居ると思われるクアのところにいって、手伝いをするのが、最善なんだろう。

 なんでも一人でやってしまえそうな彼女だが、もしかしたら猫の手も借りたいかもしれないし……俺が猫より役に立つかはともかく……。


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