#53 見舞いの力
「…………勝てるわけないわな。こっちは一つの魂しかないのに、沢山の魂の力を持ってちゃあ……。どうすればいいんだろう」
彼は、自虐のように笑う。
酷く悲しそうな声だった。
恨む龍に復讐することなど夢のまた夢であること、奴の気分で世界など容易く傾くであろうこと、これから奴が人を喰らい始めそれにより更に手に負えなくなるだろう事、全てにやるせなさを感じているようだった。
……負けん気が強い彼が諦めるのも、仕方が無いことだろう。
俺も、どうしたら奴に勝てるかなんか思い付かない……。
ドラゴンに剣を振るったときの異常な感覚は、まだ手のひらが覚えている。
無敵で最強、まさにチートなその存在が死ぬ姿なんて、想像するさえ出来なかった。
……そういや、何で俺たち生きてるんだろ?
余裕が出来た今、やっとその事を省みる。
詩歌が言っている通りなら、俺たちは気絶していた。そこにドラゴンは居なかったらしいが……。俺を食べようと焦ってたぐらいなのに、なんでみすみす逃してるんだ?
「なあ、ラフェム。俺が意識を失ってる合間……何があったんだ? その、魂がいっぱいあって強い奴、何で俺たちを食べずにどっか行ったんだ? どこ行ったんだ?」
「ああ、それは……僕の魔法暴走で火傷の痕が剥がれたみたいで……。自分の血でビビったのか、巣に帰るとか言って逃げてったよ……」
「な、な、な、なんだって!? 火傷って胸の古傷のことか? あの龍に一発報いて逃げ帰らせたのか!? やば! 凄いなラフェム!」
「……でも、かなわなかった。僕の命を削った全力でも、それしか傷を負わせられなかったって事だよ……」
「な〜に悲観してるんだよ、ラフェム! あの化け物に傷を負わせたって滅茶苦茶凄い、未来に希望を持てちゃう凄さだぜ!? だって、今より強くなればアイツを倒せるかもしれないって事だろ!? 傷を負わせたってのは、討伐は不可能ではないって証明じゃないか!!」
「そ、そうか……?」
「それに火傷って……俺、あの古傷何で出来たのかわからなくて、ただぶつけたのかな〜ぐらいにしか思ってなかったけど……炎ならもしかして、あの怪我を負わせたのは君の……両親……なんじゃないか?」
「…………」
何か思い当たる節があったのだろうか? それとも龍本人から告げられたのだろうか……。彼は一旦黙ってしまった。
そして、再びラフェムが語ろうとしたとき。
またバタベタと、廊下を誰かが裸足で走ってくる音が邪魔をする。
この病院……大きさは診察所だけど、どうであれ「病院では静かにしましょう」って貼り紙をした方がいいと思う。
「ラフェムくん!!」
「あ、エイオータさん」
大人なのに大人気無く、今にも泣きそうな顔で入ってきたのは、クアの両親だった。
消火活動でかなり火元の近くにいたのか、四肢は煤まみれで、白いコートが灰色になってしまっていた。
「う、う、う! うわああああああん!! 動いてる! 生きてる! よかった!!」
「ラフェムちゃーーん!!」
「ち、ちょっと! 母さん、父さん! やめてよもう……皆がいるのに……恥ずかしい……」
まるでラフェムが我が子であるかのように、二人は揃って大泣きしながら喜ぶと、彼のベッドの前へと駆け寄った。
実の娘であるクアは、顔を真っ赤に染めてまるで椅子と一体化するかのように縮こまる。
大人二人の歓喜の声の中。かすかにペタペタと、また誰かの足音がこちらに向かって来ているのに気がついた。
「二人共大丈夫か? オイラ見舞い持ってきた!」
廊下の陰から現れたのは、エイオータ夫妻の家まで案内してくれた、萌黄色の髪のオイラくんだ。
彼は、バスケットを持ってきていた。その中には、フルーツがぎゅうぎゅう詰めにされていた。
「皆を代表してオイラが持ってきた! 色々な人が、二人共元気になるようにって願いを込めた、おいしいおいしい果物だよ〜!」
彼は、フルーツが傷まぬよう、物音もたたぬほど優しく、机の上に籠を置いた。
「二人は、この中で今食べたいものある? オイラが今切ってあげるよ!」
「……じゃあ、僕は今その中で一番熟れてて、柔らかくて、美味しそうなので頼むよ。ここからじゃ籠の中身が見えないし、見えたところで選ぶ元気無いから……」
「俺は何でもいいや」
「了解っと!」
オイラくんは、籠の中から野球ボールのような緑の球を取り出した。明らかに硬そうなそれを、本当にボールのように空へと投げた。
くるくると宙を舞うボール。最高点へと達すると、何か見えない棒で叩かれたかのように不自然な加速をして、すっぽり彼の手へと戻る。
そして、少年はカプセルトイを開けるかのように、ボールの上下を掴んで捻った。
……じわりと、液が中央から滲み出す。
少年は、すぐに上側を持っていた手をひっくり返した。
二つの半球の中には、ピンク色の液体が満たされていた。ミキサーで溶いたゼリーのように、少しばかりとろみがある。
……綺麗な切り口。
さっき投げた時に本当に目に見えない刃物で切ったのか?
それに、とろみがあるといっても、さすがにひっくり返す前に上側の中身は重力でこぼれ落ちてしまいそうだが、何故一滴も落ちなかったのだろう。
オイラ少年は、二つの半球をクアに渡す。
受け取ったクアは、その中身を零さぬよう慎重に歩いていき、ラフェムに飲ませてやった。
少年は、次に黄色いリンゴのような果物を手に取った。
そして、また宙へと投げる。仕組みを知ろうと、俺はリンゴに目を凝らした。
昇ると落ちるの境。果物が静止する僅かな時間。
空間を歪ませる、緑色の刃が見えた。これは鎌鼬だ。
わかった! 彼は、風魔法使いだ!
切られて、いくつものサイコロのようになったリンゴは、少年の胸の下辺りで、ふわりと浮いた。
「どうやってるんだ?」
「これ? 風魔法! 上昇気流を作ってるんだよ。浮かせるなんてまるで超魔法みたいでしょ!」
彼は解答を告げると、さっきの晩飯の食後のデザートが入っていた皿を手に取った。
サイコロたちは、皿の中へと吸い込まれるように入っていく。全ての欠片が収まると、彼は俺に皿を渡した。
さっそく一欠片齧ってみた。梨の味がする林檎だった。……その場合、これはどっちになるんだろう。梨みたいな林檎なのか、林檎みたいな梨なのか……。
────────
あの後、エイオータ夫妻とオイラくんは俺たちの回復を祈願して家へと帰り、クアと詩歌は医者に案内され、彼女らは別の部屋で寝ることとなった。
医者が、俺たちが寝ている間異常がないかを見張って、その間彼女たちはちゃんと休めるよう配慮したらしい。
うん、そこまで張り詰めていると、彼女達まで入院する羽目になりそうだからな……特にクアは。
豆電球のような柔らかな光が、天井に浮いている。
薄暗い中、医者にガン見されていると、気になって寝れないんじゃないかと密かに心配していたが、激闘の後もあってかすぐに眠ってしまった。
起きたとき、あまりの安眠さに逆に恥ずかしくなった。
夢は見なかったが、よく寝れたから気分は爽快だ。
まぶたを開けると、昼の強い光が差し込む部屋で、既に彼女たちは医者とともに椅子に座ってぼんやりしていた。
「おはよう……ございます。いや、こんにちはかな……」
「やあ、調子はどうだい?」
「触れるとまだ痛いけど……かなり良くなったと思います」
「僕もかなり治ったぞっ!」
突然、ラフェムが声を張り上げ、ベッドから飛び降りた。
まず怪我の心配をした。あんな傷まみれ、簡単には塞がらない。……と思っていたのに、彼が言う通り、傷は全てカサブタのようになって閉ざされていた。
そして下半身の心配をしたが、ちゃんと掛け布団を、バスタオルのように腰に巻き付けている。寝起きでちゃんと覚えてたってことは、多分……大丈夫なんだろう。
医者は彼の突飛な行動に驚いて立ち上がったが、平気そうな彼を見て、もごもごと口を動かした後、何も言わずに彼の側へと歩き始めた。
恐らく今飲み込んだ言葉は、「起きては駄目です」とかそういった注意だ、えらく速い治癒に、その言葉を吐く必要性が無くなっていたのだろう。
何故かやる気満々のラフェムに、医者は部屋の隅から下着を取り出し、渡す。ラフェムはいそいそとそれを履いた。
「良かった、ラフェム、本当に良かった……」
「心臓を貫かれたりしなきゃ、僕は何遍でも立ち上がるさ! あははは!」
……やけにテンションが高い。まさかあまりの痛さにドーパミン出過ぎてハイになってるとかじゃないよな? 昨日はあんなの勝てないってうじうじしてたのにマジでどうしたんだろ……。
彼は下半身の危険を予防し終えると、部屋の右側にある窓の方へと近付いて、窓に張り付くように外を見始めた。
何を探しているのだろう。俺も気になって、彼の後ろから覗くように外を見た。
森の火事の影響もなく、あの恐怖の影もなく。平穏なリゾート地の一面を切り取ったかのように美しく、心が晴れ晴れする景色だ。
「ドラゴン……氷のドラゴンはまだ居るのか? もう帰ってしまったのか?」
ラフェムは、窓の外を見たまま、クアに問う。
すると、彼女の返事よりも先に、あの水色のドラゴンが下からすすすと現れて、その大きな顔で窓の景色を覆い隠した。
どうも、ずっと家に寄りかかるように密着していたみたいだ。ちょっとびっくりした
「あっ、いたいた」
竜は、とても心配そうに顔を顰めていた。表情筋がとても豊かだ、本当に犬みたい。
彼も、あの人食……いや、魂喰龍に肉を裂かれ、声を奪われた身。同じ被害者……被害竜? として、心が痛むのだろう。
ふと、竜が俺の方を見た。
元気なことを示してやろうと手を振ってやると、暗かった顔がパっと明るくなって、嬉しそうに笑って引っ込んでいった。マジで犬みたい、可愛い。
ラフェムは彼の姿を確認でき満足したようで、よしよしと頷き窓から離れると、医者の元へと近付いていった。
「僕、ビリジワンに帰ります!」
……。
は!?
ヤブから棒に、なんてことを言い出すのだろうか!?
ああ! ドラゴンを探していたのは、妙にハイテンションだったのは、これか!
塞がったとはいえ、その傷は大丈夫とは到底言えるものではない。ふとした拍子にまたヒビが入って、悶絶するのなんか目に見えてる。
医者は勿論駄目だと言うはずだ!
言うと、思ったのに……。
医者は、ニッコリと笑って、「いいですよ」と、帰宅を許した!
もう数日ここで休息して身を癒すと思っていた俺は、当然驚いてしまった。というか、クアもえっ、と困惑の声を漏らしていたし、詩歌は唖然としていた。
「え、え、いいんですか!? 明らかに不味そうですけども……! ラフェム、ちょっと自分を疎かにしちゃうんです! 本当は強がってるだけで全身痛いかも……死んじゃうかもしれない……!」
クアが、三人を代表して医者に不服を訴える。だが、医者は気の抜けるような笑みを浮かべると、「大丈夫です」とハッキリ告げた。
「怪我を、特に魔法火傷を癒やすのは、八百万の薬でも医師でもありません、心です。やりたいことをやるのが、一番の治療。……でも、無茶はしないでくださいね? その怪我のまま強い魔法を使うとか、激しい運動をするとか……」
一般人よりも病や怪我に精通している医師がそういうのだから、そうなのだろう! ……とは、やっぱりならない、医師の目を離れるってのはちょっと不安だ……。
でも。やっぱり彼のやりたいことをやらせてあげるのが一番の治療法なのは嘘じゃない、ホントのホントの誠だと思う。今までの知見がそう言っている。
……万が一の場合は、確かビリジワンにも医師はいたよな。おじさん? だっけ。カフェの子が言ってた。その人がいるしな……。
「わかってますって! まあすぐに治りますよ! 治らないといけないんだ!」
それに、彼を穏便な方法で止めることはもはや不可能だろう。
もう、帰る気満々だ。傷が開かぬようにゆっくりと動き回って、自分のコートや俺の荷物を探しているのだから……。




