#52 愚直とツンデレと辛苦の事実
「はいは〜い! 食事の時間ですよ!」
片手につき二枚の、いくつかの茶碗が乗せられたお盆を器用に指先で支えて、合計四セットの食事を医者は持ってきた。
なんともハラハラする持ち方に、最初壁の影からその姿を見せたときは身の毛がよだった。
そんな心配に勘付くことも無く、医者は平然と、まるでこれが普通であるかのようにその食事を部屋中央の机へ置いていく。……見るからに不安定そうな盆の心配をしているのは、俺と詩歌だけだったから、本当に普通のことなのだろう。
そして、ラフェムの傍に寄り添うクアをちらりと見やり、次に俺の傍で気不味そうにしている詩歌に目を移すと、にんまりして、そそくさと出口へと向かっていった。
「二人の邪魔をする訳には行きませんしね、うふふふ」
そういうと、さっさと戻っていってしまった。
もうそういう関係ではないとだと否定するのも面倒で、何も言わなかった……。
クアは、嬉しそうな足取りで机の方まで歩いていくと、机の下に収納されていた背もたれの無い木の丸椅子を引っ張り出し、そこに一人分のお盆を乗っけると、ラフェムのところまでそれを抱えるよう持っていった。
コツコツと、木同士がぶつかるこもったものと粥かすり潰した芋か、そういった類の粘り気のあるものが混じった音が少しの間した後。
「はい、あーん!」
どうやら、クアはラフェムに食べさせてやるらしい。きっと彼の口に、食べやすいように潰した料理をのっけたスプーンを差し出したようだ。
素直に食べればいいものを、ラフェムは気に食わないのか、ふんすと鼻を鳴らした。
「やめてくれクア、食事ぐらい、一人でも出来る……」
「ちょっと、手邪魔よ! そんな傷まみれの指で、物なんか持てないでしょ! そもそも起き上がれないじゃないのよ!」
「持てるし!」
「ふーっ」
「うぎっ! 痛い! ちょっ、やめろ! 息を吹きかけるな!」
「ほら、風でも痛いなら食器なんか尚更よ、観念なさい、あーん!」
「……むむむ、ぼ、ぼ、僕は、ただ仕方なく! こうしてるだけ……だからな……!」
お似合いカップルのいちゃいちゃに思わず苦笑いしながら、俺はベッドを降りようとした。
ラフェムは血まみれ傷まみれの、立つことさえ禁止された重傷だが、俺はただ胸を強打しただけだ。飯を食うぐらい朝飯前だ。晩飯だけど。
そう思って立ったのに、何故か詩歌がクアと同じように、飯をこっちに持ってきてしまった。
「なんで立つのよ、病人なんだから寝てなさいよ」
ムスッとした顔で、素っ気なく彼女は言う。
多分、クアの様子を見て、自分も同じ事をしたほうがいいと判断したのだろう。だが、俺にその配慮は不要だ。
「いや、そんな大した怪我してないし、自分で食べれるから……」
「い、いいから座りなさいよ……! 十分大した怪我でしょ、さっき大声で叫んだのはどこの誰よ! 机に胸ぶつけて絶叫して死なれたら困るのよ!」
「うーん……」
言い返せなくて、大人しくベッドに座ってしまった。でも、机にぶつかっても悶絶するだけで死なないと思う。
詩歌は、見様見真似で食べ物を潰し始めた。
そんな咀嚼と嚥下が辛いって訳じゃないからやって貰わなくていいんだけど、もたつきながらも一生懸命やってくれているのを見ていると、どうしても言い出せなかった。
そして彼女はスプーンで、不均等な欠片が混じる豆のペーストを掬うと、俺に向かって、ぶっきら棒にスプーンを突き出した。
目は合わせたくないみたいで俺じゃなくて右の方を見ているし、口はへの字で閉ざしたまま。表情もなんか不機嫌そうだ。
これはもしかして、逃げたことに責任と罪悪を感じていて、償いたいから、嫌々やっているのでは……。
そうだとしたら、こんなこと強いさせるなんてしたくない……。だって、異性に食べさせてあげるだなんて、カップル同士でやることじゃん。そこの熱々二人組みたいに……。
「なあ、そんなに嫌なら……やっぱ俺自分で食うから、君は君の分を食べてなよ…………」
彼女を想って、そう言ってあげたのだが、逆にショックを受けたようで、驚愕して目を丸くしながら僅かに背を引いたのち、眉尻を下げた。
「だ、誰が嫌だなんて言ったのよ!?」
まさか反発されるなんて夢にも思ってなかったので、俺も吃驚してしまった。
「えっ!? だって……色々雑だし……なんか嫌そうな顔して喋んないし」
「ううう、悪かったわね! あまり料理してこなかったから、加減がわからないのよ!」
「豆の話じゃなくて……その、スプーンの差し出し方……」
「元々こういうガサツで無愛想な性格なの! あと喋らないってなによ!? あの子みたいにあーんって言ってほしい訳!?」
「わお、ショーセったら大胆な人」
「恥ずかしがってるのかぁ〜〜?」
ベタベタしていた二人が、急に野次になる。
一言だけ発すると、ニヤケ顔でこっちを凝視してきた。
違う! ねだってるわけじゃない!
あと、恥ずかしがってるのはラフェムだろ!! クアの親切を頑固に突っぱねようとしたり、ぎこちなく「しょうがないから〜」って言い訳したの誰だよ!
もう、なんだよ! おちょくるなよ……。
ほら……恥ずかしくなってきたじゃん…………。
恋人なんかじゃないのに、なんか……なんか……こう、意識しちゃうじゃあないか。非モテを勘違いさせるのは罪だぞ。
ああ、もう何でもいい、早く完食してこの屈辱の刑を終わらせたい……。
「さ、さっさと食わせてくれよ……」
「……あーん」
「あーんはいらない……」
────────
栄養満点の豆に、この世界の二人によれば今が旬らしい、野菜と果物たちで作られた濃すぎず薄すぎず、丁度いい味付けのおかず。旨い物で腹を満たした俺たちは、ベッドの上で寝転がっていた。
クアと詩歌は、机で自分の食事を黙々と食している。
さっきまで、クアはラフェムを元気付けようとしているのか、それとも恋人のように食べさせてあげられることが嬉しかったのか、はたまたその両方かで明るかったし、詩歌は冷淡でありつつも俺がどうか頻繁に気に掛けてくれていたっていうのに、終わった途端こんな重苦しい雰囲気になってしまうなんて。
……とは言っても、そうだよな。
かつて猛威を振るった、災害とも呼べるドラゴン人食いの龍の復活。マングローブの焼失。俺は、ラフェムは、人食龍に命を奪われかけた。
こんな状況じゃあ、浮かれる方が異常なんだ。
誰も彼もが黙然としたままの冷たい部屋。
彼女たちが食事を終えた時。ようやくこの沈黙は破られた。
「僕は……奇跡に縋っていた」
破ったのは、ラフェムの吐露だった。
彼は淡々と、しかしながら胸に秘めていた複雑な感情を語気の強さに示して、語る。
「もしかしたら、僕の父さん母さんはただ帰ってこれないだけで生きているのかもしれないと、ずっと信じてしまっていた……」
「自覚はしてたさ、自分が夢のような奇跡に縋っているなんてことは、とっくの昔から。それでも、やっぱり無意識にそう思ってしまっていた。だって、死んだ姿を見ていないから…………」
彼は、一旦黙り込み、深呼吸を始めた。
その呼吸は不安定で、今にも泣き出しそうだった。必死に自分の感情を鎮めようとしているのだろう。
静かな部屋に響く悲しい音。
部屋にいる者は皆、時が彼を宥めるまで、じっと口を閉ざしたまま真剣に待った。
やがて、ラフェムは覚悟を決めたようだ。
乱れた息はゆっくりと落ち着いていき、最後に、ふう。と、自分の内から負の想いを追い出すかのように息を吐いた。
そして、話を再開する。
「でも、やっぱり……死んでしまったんだ。憧憬は、尊敬は、家族は」
「…………どうしてそんなことがわかるの? ただ人食龍が出てきただけじゃない、証拠を……見せられたの?」
クアは言う。不安と、認めたくない辛苦が顔に表れていた。きっと彼女も、彼と同じ望みに身を寄せていたのだろう。
ラフェムは、迷いなく直ぐに、彼女の問いに答える。
「僕の姿を見て、見たことがあると言った。食った奴に似てると言った。それだけなら、僕はただ陥れる為の痴れ言だとしか思わなかったはずだ。だけど、アイツは、人食龍は、母の炎剣を腕に宿したんだ」
「ラフェムが使っていたのを見て、真似しただけの可能性は?」
「あれは、母の魔法だったんだ! あの炎は、母の魂そのものだった!!」
血を吐くように、彼は言った。
力を込めたせいで、彼の体に激痛が走ったらしい。小さく唸り、ゆっくりと寝返りを打った。
「あの剣は、あの形状と色と魂の気、そして温もりを感じる力は、僕の母さんにだけにしか再現出来ないんだ……。サラも僕も、剣に憧れた。結局剣を使いこなせるようになったのはサラだけで、今の僕はただ譲り受けただけに過ぎないけど……あの剣を目と心に焼き付けたことは事実だ、間違えることなど、断じてない……」
ラフェムは、一度口を閉じる。
そして次の言葉のために胸一杯息を吸うと、また話し出した。
「さて……何で母の魂を、敵である龍が使いこなしていたのだろう?」
「……龍は、母を食べたと言った。あとな、何故かショーセを、死ぬ前に食べなければと焦っていたんだ。肉を食いたいだけなら、死んでからでも構わないはずだろう? ……なあ……もう、わかるよな」
「命を失ったら、普通なら魂も消えてしまうはずよ」
「ま、まさか……」
「あの化け物は……」
「そうさ。人食い龍は、人を食べている訳じゃあなかった……魂! 魂を食べて自分の中に集めていたんだ! あれほどまでの暴虐な力を持ち、多様の魔法を操ることが可能なのは、今まで喰らった幾多の魂の力を利用しているんだ!」




