#51 ビターリユニオン
「あああああっ……ぐ、ぐぐぐ……うああっ……」
「ラフェム! 落ち着けって! 動くと余計に痛くなるぞ!」
「う、うう……ぐっ……? ……あれ、ショーセ?」
「そうだ、俺はここにいる!」
全身の痛みに苦しみ、眼を潰してしまいそうなほどに、皺を寄せ強く閉じていたまぶた。俺の声が届くと、ようやく緩み、微かな隙間から朦朧とした紅の虹彩が見えた。
視線は、見えていないのかぼんやりと無を彷徨っている。
もう一度声を掛けてやると、ハッと気づいたように目に生気が戻り、しっかりと俺の姿を捉えた。
「ショーセ?」
荒ぶっていた呼吸が平常へと近付き、顔に浮かんでいた辛苦は、消えるとまではいかないが和らいでいく。
「ああ、ショーセ……生きているのか……? 心臓に……鱗が刺さったのに……」
「どうも運が良くてな。入れてた銅貨が盾になってくれて、胸には到達しなかったんだ。ダメージは受けたけど」
「そう……なのか。よかった……本当に、よかった……僕は、てっきり…………」
彼は最後の不吉な言葉をぐっと飲み込むと、目を潤ませ、腕を広げるようにこちらへ向けた。
重手を負い、面影も無いほどに弱っているのもあり、まるで抱っこをせがむ、いたいけな子どものように見えて……。
俺はすぐにラフェムを抱き締めてやった。
焦げ臭さの混じった血の臭いが鼻をつく。
「ごめん、ごめんなさい……僕が油断しなければ……」
「なんでラフェムが謝るんだ……。不可抗力だよ、あんな化物……。君が悪い事なんて何もない。俺こそ……一緒に戦えなかった。弱すぎたんだ……ごめんな……」
いつもの強さをめっきり失った手が、俺の背を押して、離れていかないよう引き寄せる。
肌に感じるこの温かさ、とくとくとリズムを刻む脈、胴のゆったりした膨張と縮小。
ああ、生きてるんだ。
でも……今にも消えてしまいそう。
心配や不安が解けた安堵と、喪失の恐怖が一気に襲ってきて、そんなつもりはなかったのに勝手に涙が込み上げてきた。
……俺が気絶してた時も、彼は同じような不安に囚われてしまっていたのだろうか?
そうだったのなら……ちょっと嬉しいかも。
心配して貰える事なんて、無かったから……。
なんだか、胸の辺りがじんわりと暖かくなってきた。
起きてくれて、本当に良かった。
君がいなくなってしまったら、俺…………。
…………。
……暖かいというか、熱いというか。
まるで皮膚の下に電気が這ってるような刺激。
……あ、これ……暖かいじゃない!
痛みじゃん!
「あああああああああああああ!!!!!」
ほぼ同時に、お互い同極を押し付けた磁石のように反発しあう。
そして野郎二人の絶叫が、狭い部屋に響き渡った。
俺たちはとんだ馬鹿だ。怪我をしているのに抱擁なんかしたらこうなるわ。
もう感動どころじゃねえ。
「大丈夫!?」
「どうしましたか!?」
何事かと、詩歌と連れてこられた医者が、ドタバタ足音たててやってきた。
詩歌は、俺の側に駆け寄って、少しでも和らげようと背をさする。
医者は、ベッドから落ちるなんて一体何があったのかと、迫るような声で聞いてくる。
…………は、恥ずかしい。
「いや、そんな大したことじゃな……いててて。……怪我のこと忘れて自分で降りました……それだけです、別に激痛で悶えて落ちたとかじゃないです、自業自得……」
「え、えぇ……。まあ、仕方ないですよね。友人が無事、目を覚ましたのですから」
医者はすぐに、ラフェムがいるベッドの目の前で這い蹲っている俺を、飼い猫を退かすのと同じように軽々と抱えあげ、そっと元のベッドへと乗せた。
そしてすぐに俺の視界から外れて、ラフェムの容態を確認しにいった。
「あの、先生……。ラフェムは大丈夫なんですか? 一応起きたけれど……」
「僕は平気。そんなことより、森の火事はどうなったんですか?」
「火事なら、アトゥールの人にも応援に来てもらって消火活動中だ、随分経ったしそろそろ収まっているだろう。あと、君の怪我はそんなことじゃすまされないよ、全然平気じゃないです。この症状は自然回復に任せるしかないから、傷口が閉じるまで起きちゃ駄目ですからね」
「……憚り」
「行けません、したいのなら呼んでくださいね。それとも今します?」
「しません」
「それじゃあ、安静にしててくださいね。もう少ししたら食事持ってきますから」
ぱさりと軽い音がした。
恐らくラフェムに布か何か被せたのだろう。
まあ、女の子がいるのに全裸は駄目だ。
さっきは壁に向き合ってたから良かったが、今は恐らく仰向けだからな。戻ってきてから詩歌ずっとラフェムから目を逸らせてたし。
医者は、もう一度「絶対安静にしていてください」と念押しして、また部屋から去った。
遠退く足音が消えた直後。
ラフェムは、弱々しいというのに、語気の強さを錯覚してしまうぐらい、不機嫌そうな声で問い始めた。
「なんで……女がそこにいるのだ? お前はショーセの手を振り払って一目散に逃げた。お前みたいな奴は初め……いや、二回……どうでもいい。なんの目的でここに来た?」
まあ……そうだろう。
最初に見つけたときからラフェムは不信感を抱いていて、しかも俺らを見捨てて逃げた。辛辣な態度も当然だ。
「ご、ごめんなさい、私……」
「まあまあ、ラフェム、落ち着いて。彼女は俺たちを助けてくれたんだ」
見るも無残な程にボロボロの少年から罪を責められ、彼女は動揺し声が震えていた。それを庇うように、そして俺が都合よく彼女の設定を作るため、彼女の声を遮った。
「彼女は気になって戻ってきてくれたんだ。それで、倒れてた俺たちを見つけて森の中から運んでくれたんだよ」
「それは……嘘じゃないのか?」
「ああ。来てくれなきゃマジでくたばってたかもな、俺たち……。信じられないなら、他の人に聞いてみたらいいんじゃないか? 何人かは彼女が俺たちを引き摺って来たのを見てるはずだ、周りの人まで嘘は付かないだろう」
「そうか……一番傷付く筈のショーセもこの通りだし、本当なんだろうな。……強く当たってすまなかった。ところで、どこから来たんだ?」
「あ、彼女は記憶喪失なんだってさ。わあ! 俺とそっくりだね!!
名前ぐらいしか自分のことは思い出せないみたいだよ」
ラフェムは、ふーんとつまらなそうに相槌した。
「……じゃあ、名前は?」
「…………詩歌……神原、です」
「シーカ・カンゲン?」
「シーカって、呼んでください」
「そうか……」
ラフェムは話を終わらせてしまった。
体が痛いのもあるだろうが、それより、どうにも関心が無いようだった。
彼女が助けてくれた事には感謝はすれど、彼女を知りたい、打ち解け合いたいという気持ちは今のところ持ってないみたいだ。
しょうがないか、人間第一印象。一度下された評価を覆すのは難しいな……。
彼女も、その社会からあぶれた境遇から、話すことは得意ではないらしい。困ったように口をつぐみ、俺に助けてくれと言いたげな目線を送ってくる。
……でも俺も、話すの得意じゃないんだよなぁ。
「まあ、ラフェムはその傷じゃ声出すのものもかなりキツイんじゃないか? 飯くるまで休んでようぜ」
「ああ」
「……シーカも、どっか椅子にでも座ってなよ」
「う、うん、そうさせてもらうわ……」
ということで、俺も休むか。
そう思って、目を瞑ろうとした瞬間だった。
バタバタと、また凄い足音がこちらへと近付いてくる。
煩いなぁ、何だ? 食事を運んでいるような足音じゃないが。
「ラフェム! ショーセ!! 無事なのっ!?」
新たな女性が俺と彼の名を叫びながら部屋に入ってきた。
廊下より以前から走ってきたらしく、息を切らしている。
……この声は知っている。
「クア……?」
困惑したラフェムの声が、正解を言い当てた。
ビリジワンで宿屋を経営しているクアだ。そもそも、クアのお願いで俺たちは浜辺の町ラスリィへやってきた。
なのに。なぜ彼女が俺たちのピンチを知っていて、ここにいるのだろう?
ビリジワンからラスリィは、一日じゃ、ましてや俺たちが気絶し目覚めるまでの僅かな間じゃ、やってこれるわけないのに。
「僕は平気だよ。この通り傷まみれだし、起きちゃ駄目って言われたけど……それよりなんでここに?」
「手紙……両親から手紙が来て……」
呼吸が邪魔して上手く喋れないようだ。
寝返りをうって、クアの方を見た。入り口の壁に手を突き、一秒でも早く息を鎮めようと俯いている。
確かに、その手には手紙が握られていた。
無造作に強く握り締めて、ちり紙のようにクシャクシャになっている。その汚さが、彼女の混乱と不安、そして慌てっぷりを示していた。
「すぐ行かなきゃって……イチかバチかで……ドラゴンに……頼んだのよ……。ラフェムが、ショーセが、森が大変だって……そしたら、乗せてくれたの……。燃えているの、塩黒岩窟の崖からからでも見えたわ。……それでラスリィに来て、さっきまで消火活動手伝ってたの。ワタシ、水使いだから……」
「じゃあ、森の火は消えたのか?」
「ええ、完全に鎮火したわ。下が海だから、延焼範囲にしてはすぐに消すことができた」
「それは……良かった……」
クアは、ヨロヨロとおぼつかない足取りでラフェムの元へと歩みだした。まるで彼女が病人みたいだ。
……しかし、あのドラゴンが助けてくれるとは。
負傷を知らずに死闘を繰り広げたんだ、てっきり憎まれてるもんだと思ったし、クアに至っては初見の人間、厚かましいと思うはずなのに……。
人食龍が関わっているからだろうか、炎上が見えていたからだろうか、何にしても案外良い人……じゃなくて良い竜なんだな。余計に罪悪感が沸いてくるなぁ。
クアが俺の視界から外れてすぐに、とことこと、随分ゆっくりとした足音が聞こえてきた。
冷たい薬の匂いとは正反対の、温かないい匂いが先回りしてきて、ふわりと漂ってくる。
ご飯だ! 医者が料理を持ってきたのだろう!
美味しそうな香りに、お腹が空いている事にようやく気付かされて、涎が勝手に溢れてくる。
…………うう! 足音に焦らされるなんて!
早く来てくれと願いながら、動けぬその身を恨みつつじっと我慢し、医者の登場を待ちわびた…………。




