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#50 二人目の転生者

 「私は、夜……外出中にトラックに轢かれて死んだ。そして、神がこの世界へと転生させてくれたの」




 シリアスな顔をしてそう言う彼女に、思わず俺は笑ってしまった。





 医者や、この世界の人の誰もが、声の聞こえる場所に居ないかを神原に確認してもらい、安全だと判断した俺は、彼女にここに来るまで何があったかを正直に話すよう言った。

 彼女はやはりちゃんと罪悪感を感じてはいるようで、拒否することなく素直に応じた。


 だが、その第一声が「トラックで死んだ、神が転生させてくれた」である……。



 笑わずにはいられなかった。

 いや、非常に不謹慎だし、最低で恥じるべきなのだが……。

 俺と全く同じって……そんなの笑っちゃうだろ。


 俺も、トラックでバラバラ死体になって、神に拾われてこの世界に呼ばれた。

 どういう奇跡だよ。トラックに轢かれて異世界転生はテンプレじゃなくて真実だったのか。この世界はトラック被害者の会会場かーい。

 当然、俺が笑う理由を彼女は知らない。

 不機嫌そうに眉を顰め、見下すように俺を見る。


 「なんで笑うのよ……!」


 「悪い、俺もトラックで轢かれて死んで、この世界に来たんだ。やばくね?」


 「……あら、そうなの? 道路交通法見直されるといいわね」


 「え……冷た……」


 彼女は、そんなに面白くなかったらしい。

 口角は上がることはなく、つんとした顔で、流れるように、転生したその続き……俺たちを見捨てた後、そして前世を語り始めた。



──────────



 かつて、彼女は絶望の中にいた。


 詩歌に、トウキョウでの居場所はどこにもなかった。


 まだ生きていた彼女は、中学という世界から爪弾かれていた。

 自分が真摯に歌に向き合った時や、意見を述べた時に、誰かがわざと見せびらかすように後ろ指を指していたから、弁えず調子に乗っていたのが原因かもしれないと、彼女は自虐のように笑った。


 いつの日もいつの日も、学校の日も、そうでない日も。


 誰かが指を指す。影で叩き、それを見せびらかす。

 こういったものは、偽善の正義感だとか、反応の報酬を求めてエスカレートする。

 精神的なものだったそれは、次第に物質的なものとなり、最後には直接的なものとなる。


 彼女は何をされたか、詳しくは語らなかった。その濁した様子こそが、彼女が何をされてきたかを物語っていた。


 独りぼっちが、悪意の攻撃が事実であったことは、彼女の振る舞いを見れば理解できた。滲み出る意欲を喪ったかのような冷たい態度に、まるで自身が人でいてはいけないと錯覚しているかのような卑屈な物言い。

 かつての俺と……思い出せない誰かを鏡に映して見ているようであった。


 終わりはなくループするような、邪悪が纏わりつく毎日。

 疲れ果てた彼女は「指を指されるのは歌のせいだ」と大好きだった歌から逃げ、本当は歌いたかった自分の本心から逃げ、やがて「私が苦しむのは、何もできないのは世界のせいだ」と、全てから逃げたのだった。




 変哲もなく繰り返す、普通のある夜。

 帰属する居場所もなく、夢見る未来もなく、それを革命させる意思もなく、夜よりも暗い現実に疲れ、虚ろとしたまま歩いているのが運の尽きだった。


 トラックが迫って来ていることも気付かぬまま、横断歩道を渡ってしまったのだ。



 「つまらない終わりだったけど、つまらない人生なんか続いてもなおさら仕方がない。歌一つさえ不自由な世界なんて」



 自分の死にさえ興味を持てず、薄れる意識に縋ろうともせず、従順に終焉を受け入れたその時。彼女は神と出会ったという。


 果てまで純白の大理石と柱が続く黄金の間に突然飛ばされ、彼女の人生を哀れんだ彼は「異世界転生」というチャンスを与えた。

 神に言われた通り、自分の望む世界を、渇望する理想を胸に描き、目覚めたのはラピスラスリィの森の中。



 この世界に来て、初めて見たのは馴れ馴れしい俺と、逆にとげとげしいラフェム。

 その後に、かのドラゴン。


 「死ぬだなんて、嫌だ!」

 この場所が神の言う通りの世界なのだとしたら、やっと狭苦しい世界から逃げ出せたという希望を生まれて数分立たずで壊されることを恐れた彼女は、差し伸べられた手を振り払って逃げ出した。

 所詮は出会ってすぐの他人なのだから。助ける義理なんて無いのだから。

 どうせ、彼らも私を利用し、囮として見捨てて逃げる予定だったのだから。

 そう心で言い訳しながら、浅瀬を振り返ることもなく、出来るだけドラゴンから離れられるように走った。


 熱線が見えようとも、燃える木々を目にしようとも、必死に。


 …………無意識に握り締めていた、あの細長い針のような棒の装飾が手に食い込んで痛みを感じるまで。


 ……あの棒は、タクト。タクトとは、オーケストラで指揮者が振るう、あのスティックの事らしい。

 彼女が、かつて逃げた音楽……歌が、この世界に来たことで手のひらに帰ってきていたのだ。



 「私は、何度逃げるのだろうか。いつまで、逃げ続けるのだろうか。本当に、あの原因のせいで私はこの結果になったのだろうか」



 痛みを契機に、彼女に新たな不安が過った。

 その不安は足を凍り付かせ、彼女を危険な森の中に繋ぐ。





 …………本当は、理解していた。逃げることを辞めたがっていたことを。


 しかし、自分はその望みからさえも逃げていた。



 このままで本当に良いのだろうか。


 きっとこの先、これよりも酷い逃避に駆られる状況には出会わないだろう。いや、逆に一番マシかもしれない。どうであれ、今ここで逃げ出してしまったのなら……また歌を手にしたとしてもまた逃げてしまうかもしれない。そして、自分勝手に人を決めつけ見捨てて逃げた罪悪と、無事か確かめたい不安が、今まで持っていた怖いという感情とは全く違う恐ろしさが、辺りの火の手のように現れて、たちまち心を覆い尽くした。



 森がめらめらと燃えている音が聞こえる。

 今にも飲むぞと脅してくるかのような、熱気と光が背後から手を伸ばす。

 怖い。怖い。怖い。


 …………でも、もう終わりにしたかった。逃げ続けるだけの人生を。



 「戻ろう、立ち向かうんだ」

 そう決心すると、迷いなく踵を返し、今まで来た道を戻っていったのである。



 森は、自分の先程見た森とは、まるで別の場所の様だった。

 癒やしの緑は全て煽動の赤へと塗り潰され、木が炭となって消えていく臭いが周囲を覆う。先ほど遭遇した場所がどこか、見当もつかない。

 熱に歪み、煙で朧になる視界。人の気配は全く無い。

 彼女は、唯一知っている俺の名を、血を吐く勢いで叫びながら、火の海を無我夢中で駆け回った。


 ドラゴンだけが出てくるかもしれない。

 まだ死闘を繰り広げていて、入る隙も無いかもしれない。

 もうさっきの二人はズタズタになって、四肢五臓六腑とともに海に浮かんでるかもしれない……。

 返事の戻らない轟音の中で、数々の屈託が彼女を煽る。まるでかつてのクラスメイトのように、かつての世界の悪意のように。

 それでも彼女は、一度も足を止めずに俺とラフェムを探し続けた。

 煤を被り、熱を浴び、逃げていれば付かなかった怪我と汚れが増えていくのも躊躇わずに。




 …………そして、ようやく見付けたのは倒れる俺たち二人だった。

 血濡れで座り込むラフェム、その目の前で木の根に打ち上げられたようにうつ伏せになっている俺。 


 何も考えず急いで駆け寄り、意識のない俺たち二人と肩を組み、渾身の力で引き摺って、再び自分の来た道を、まだ焼けていない場所を目指し必死に助けを呼びながら戻っていったのだという。




 「そして、森の異変に気付いてやってきた村の人々と合流、唯一の病院に三人無事……じゃないけど辿り着けたの」


 これで終わりだと暗示するように、彼女は真剣に向けていた目線をゆっくりと下におろし、何もない床と見つめ合った。


 「そうか……君がいなかったら俺たちは……。ありがとう、冷たい態度を取ってごめん……。俺は君の事、偏狭な目で見てしまっていた……」


 「感謝される筋合い、私にはない……。私はただ自分が助かりたくて逃げて、後悔するからって戻ってきた自分本位の最低な奴なのよ。逆に、私のせいで二人が……」


 「……そんな卑屈にならなくていい。もう、君を蔑んで嗤う人は……いないんだから……」


 悪意に曝され続けたらどうなってしまうかなんて、俺自身が知っていた。俺自身がその姿そのものだったから。

 そういった過去があったのなら、もう俺に彼女を責める資格は無い。

 それに、結果として命を助けて貰ったんだ、彼女はもはや恩人だ。


 「この世界には、優しい人しかいない。すこしピリピリしてる人もいるがな……そう、そこで寝てるラフェムとか。でもそんな人だって清らかな魂を持っているんだ、誰かを否定して悦に入るような奴は決していない。ドラゴンも、アイツはやばかったが悪くないやつも知ってるし……」


 「……本当に、そうかしら?」


 「もし嘘だとしたら、きっと俺はあのドラゴンに立ち向かおうだなんて思わなかっただろうね」


 彼女は、やはり猜疑を捨てられぬようで、決して喜んではいない、むしろ悲しそうに複雑そうな顔をして、俺から目を離し俯いた。


 そして、その動作の最中に、何かが目についたのか、すぐにハッと顔を上げる。


 「う……ぐ……ぐぐぐ……がっ……!」


 「ラフェム!!」


 地を這うような唸り声。


 ラフェムが起きたのだ!


 目が覚めたことにより、彼の脳に全身の激痛が伝わり始めたのだろう。

 苦しそうに唸り続け、先ほどまで今にも止まってしまい様なほどに静かだった呼吸は急変し、窒息した人間が空気を求めるかのように激しく、不規則なものに変わる。

 今にも絶命してしまいそうな悶絶に、俺の心拍数は一気に跳ね上がった。


 「詩歌は医者を呼んでくれ!!」


 「は、はい!」


 「ラフェム!! しっかりしろ大丈夫か!? 落ち着け、落ち着くんだ!!」


 彼女は、慌てふためいて部屋から出ていく。

 俺もパニクって、苦しむ彼の元へとベッドから飛び出したのだった……。




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