#5 森で優雅?な果物狩り
「おお、凄い……」
葉脈巡る蒼を繁らせた木々を見上げ、その豪壮な生命力に圧倒されて思わず嘆声が漏れた。
ビリジワン街の東口。説明によれば、俺が昨日街に入ったあの入り口の正反対の出入り口、つまり目覚めた海と丘とは逆方向。
そこから街を出て、二又に別れた獣道の左側をなぞる様に走って数分。
獣道はどんどん狭まり、やがて辺りが枯れ草と古葉に隠れた茶色の土と芝の斑模様になると共に、無限にオレンジ色の粒を実らせた木が、これまた無数に生えた森が現れた。
どこを見回してもオレンジの水玉が浮かんでいる。その様は、まるで果樹園だ。
依頼で採ってくるよう指定された果物はこれではなく、この森の奥の方に存在する別種らしい。
ラフェムが言うに、握り拳ほどの大きな赤い果実。
それじゃあ、もっと先へ進もう。薫風にそよぐ翡翠の枝葉を眺めながら、その場所を目指して、根によって作られた粗い起伏を通り抜けた。
その途中、ラフェムが、通り道に落果していた一粒の橙をつまんで、俺に見せる。
「この橙色の豆のような木の実は、水をパンパンに貯め込んでるんだ。潰すと甘い黄色の汁が勢いよく飛び散るから踏まないように気を付けろよ。服についたら落とすのが面倒なんだ、なんせ原液は染色に使われるぐらいだからな。あの汁の他の使い道は……水で薄めてジュースにしたりとか」
「はえー、そうなんですか。飲み物なら朝食に飲んだかもしれません、爽やかでとても美味しかったです」
「飲んだのか、クアのやつ良いだろ? 庶民的でありこの大陸名物の飲み物で、薄め方がそれぞれ違うから場所によって味が変わるんだ。あっ、ほら依頼の果物の木! あれがプルーアだ」
水玉の森から、拓けた土壌に自分たちの何倍もある巨大な木がポツポツと生える景観に変わった。
彼が指差す目前の木は、リンゴのような真紅の艶と、プルーンのような丸みを帯びた、不思議な実を枝がしなるほど、うどんげの如くたわわに吊り下げている。
早速、依頼の品を集めることにする。
照りつける真夏の熱射を避けるため、木陰に入ったのだが、その時プルーアが登頂部にかすった。
実の高さは、丁度俺と同じぐらいのようだ。少し横にずれて、空いている空間に頭を入れ、足元に籠を置いた。
「むむ」
その様子を見ていたラフェムは、張り合うように、ずっと猫背のままだった背筋を、ピンと真っ直ぐに伸ばした。
全身の筋肉を洩れなく張らせ、プルプルと震える彼の努力も虚しく、僅かながら木の実には届かない。ヘコんだのか、口をへの字にまげ元の姿に縮んでしまった。
小さいと思っていた彼の背が、自分とそれほど変わらなかったことを知って、少々驚いた。
……で、どうやってこれ取るんだ?
宙に浮く宝石を持て余していると、それに気付いたラフェムが俺に声をかけた。
「……採取の方法。僕の手を見てくれ。こうやって片手で茎をつまんで、もう片方でプルーアをねじると、ほら、上手くもげるんだ。やってみなよ」
「わ、わかりました」
恐る恐る触れたプルーアは、熟れたブドウやスモモのようにみずみずしく柔らかい。
ラフェムの真似をしてみると、いとも容易く実は枝から離れた。
傷まないように、ゆっくり優しく、足元の籠に入れる。
そして、またもう一つプルーアをもぎ、また籠へ。その作業を何度も繰り返す。
屈む度、籠の中から良い香りが漂う。果物特有の薄すぎず、それでいてくどくない自然な甘い匂い、とても旨そうだ。
この破裂しそうなほど豊満に果汁を孕んだ実に、今にでもかぶりつきたい。
香りはそれほど魅力的なものだった。
だが、そんなことをするわけにはいかない。だって今は仕事中だもの。プルーアに恋慕の想いを馳せながら、黙々ともぎ続けた。
実自体が大きいのもあって、すぐに籠の底は見えなくなった。
思ってたよりもずっと早く、それも昼のうちに終わらせることが出来そうだ。
しかし、上をずっと見上げる作業なもので、慣れてないのもあり、首が次第に痛くなってきた。
少し休みたいが、真面目な顔をして集中している彼を邪魔するのも気まずいし、どうしようか……。
「なあ、ちょっとだけ休憩しないか……」
なんて、迷っているうちに、ラフェムの方が先に疲れ切った苦笑いでそう言った。
辛いのは彼も同じだったようだ、意気投合して、根本で休むことにした。
二人が横一列に並んでも、まだ余裕のある太い幹に寄りかかる。
小風に揺れて葉同士が擦れるさざ波のような音に癒されていると、ラフェムがつっついてきた。何だろうと横を見ると、一個のプルーアを渡される。
「食べなよ」
「プルーア……良いんですか?」
「ああ、良いよ」
おお……抑えていた欲望のまま、その豊満にかじりついた。
柔らかな皮にこれでもかと閉じ込められていた甘い果汁が、洪水のように口の中に雪崩れ込む。
夏の日差しに焼かれて渇いた喉に、たっぷり甘味が染み渡る。
味はリンゴとモモを、食感はスモモとブドウを足して半分で割ったような感じだ。
真ん中に一粒、大きな種があるようだ。
それを噛まないように気を付けながら、ひと口ひと口、ゆっくりと堪能する。
ラフェムも隣で、美味しそうにプルーアをかじっていた。
とうとう皮まで夢中で食べ尽くした俺は、満足して一足先に作業に戻ろうとした。
だがその時。何かが足元で動いた。
「ギュギュギュイ」
ポメラニアンとか、ダックスフンドとかほどの大きさの、水色の毛むくじゃらがいつの間にかそこにいる。
見た目はリスに似ていて、本来耳のある部分に、朱色の堅そうな角が二本ずつ生えている。
手足には、角と同じ質感の爪が凶悪に伸びきっていた。
「ギュギュ」
リスもどきは、機械音のような声を鳴らし、鳩のように首を奇妙に動かして、俺達の周りを確かめている。
あっ、こちらを見上げた獣と目があってしまった。
真っ赤な目は、俺を捉え続けている。
うわあ、鳴き声も動きも見た目も可愛くないなぁ。こいつなんなんだろう。
「ラフェムさん、この獣って。」
「獣? ……なっ!! そいつは! すぐに離れろ! 咬まれるぞ!」
俺の声を遮ってそう叫ぶと同時に、彼は大地を蹴り、前に向かって高く跳び上がった。
籠の近くで華麗に前転受け身を取り、その回転の勢いを利用し半円を描いてこちらへ振り返る。
まるでプロの運動選手のような動きに感激したのだが、そんなことに気を取られている暇はなかった。足に激痛が走る。
もう噛まれた!
「このイタズラスクイラーめ! しっし、どこかに行け!」
ラフェムがアンダースローで繰り出したファイアボールは、その豪速球にも関わらず、俺の足に噛みついてぶら下がっていた獣の横腹に命中する。
ドン、と鈍い音がリスの胴から鳴ると同時に、奴は弾けた火の粉と共に、二メートルほど吹き飛ばされた。
獣が倒れている隙に、傷みを堪えてラフェムの側に逃げた。
「だ、大丈夫か……?」
確認してみると、長裾のズボンはちょっとよれただけで破れてはいないのだが、その下の肉は既に青あざになってしまっている。見るだけで痛々しい。
それを見た彼は、酷く狼狽えた。
「あ、足が…………僕のせいだ、僕だけ逃げたから……すまない……」
酷く悲しそうに顔を歪ませ、どうしようどうしようと俺の痣を見つめている。
逆に、何だかこっちが罪悪感湧いてきた。
「い、いや、すぐに反応できなかった俺が悪いんです。傷は平気です、だからそんな気にしないでください、それよりもあの動物は一体なんなんですか?」
正直噛まれた部分は奴が離れた現在でも、物凄く響くように痛み、とても平気ではなかったのだが、得体の知れない動物の前で、そしてこんなにも動転する彼の前で弱音を吐くわけにはいかなかった。
我慢して笑って見せたが、きっと彼はそんなことはお見通しだっただろう。
煮え切らない表情で俺の強がりを受け止めると、動物の説明をし始めた。
「あれは害獣の〝イタズラスクイラー〟。人間に危害を与えることを好む面倒な奴だ。しかしこの果物の森には、普通はいないはずなんだが……」
吹き飛ばされて倒れたままだったイタズラスクイラーという名の水色リスもどきは、立ち上がって、微妙に焦げた体をブルブル振った。
振り終えると、明らかに攻撃されたことに怒り心頭で、こちらを向き、「ギュルルル」と唸って睨み付けてくる。
ラフェムも、奴を睨み返した。その瞳の奥には、激高の猛火が宿されていた。
彼は猫背を正して立ち上がり、ただ目の前の敵だけを視界に入れ、ゆっくりと鉄のように重い足取りで歩みはじめる。
彼の栗色の髪は、すきま風に煽られるろうそくのように、不安定に揺らいだ。
「ショーセ、籠の方を頼む。もし壊されたら色々と面倒で堪らない。……エン ジャロフラミア」
詠唱する彼の右腕の周りに、発光する赤い魔方陣が浮かび上がった。
同時に、彼のコートの赤いラインが共鳴するように輝く。あれはどういう仕組みや理屈なのだろう。
魔方陣は、紙が燃えるように内側から朱色の炎へと変わり、やがて火の輪となる。
続いて火の輪は腕を軸に高速回転し、その勢いで輪は千切れ、複数の塊と化した。
ラフェムは火の玉を従えた手を、勢い良くスクイラーの方へ突き出す。
弾はそれぞれに意志があるかのように、不規則な曲線を描きながら目標に向かって発射された。
火球は、空気を割き、唸りながら進む。
獣は咄嗟に走り、直撃を逃れようとするが、炎はしっかりカーブして対象を追尾した。
火とリスの、決死の鬼ごっこ。
相手の全力疾走よりも、こちらの追跡弾の方が若干だが速い。
勝負は決まったのかに思えた。が、リスもどきは突然百八十度振り返ると、迫り来る炎と睨み合った。
一体どういうつもりなのだろう。そう思っていると、なんと奴は自分から弾へと突っ込んでいくではないか。
爆発音と煙が、花火のように立て続けに上がる。
何が起こっているのだ!? 目を凝らすと、奴は急に曲がれない癖があるのを利用し、巧みに弾同士をぶつけて相殺させていた。
全ての炎を潰し終えた獣は煙の中から飛び出し、何事もなかったかのようにすまし顔でこちらを眺める。
イタズラ好きとあって、狡猾な頭脳を持ち合わせているようだ。
ラフェムは続けて反対の腕で同じ様に火の弾を作り出し発射するが、それも難なく同じ手順でかわされてしまった。
「ギュギュギュ~イ」
「ぐぐ……」
リスは尻尾を腰ごと大きく横に振り、馬鹿にするような鳴き声で挑発する。
ラフェムの手は、悔しそうに固く握り締められ、わなわなと震えていた。
かなり面倒な敵のようだが、今のところ何の魔法も力もない俺には、戦い続けるラフェムを見守り、勝利を祈ることしか出来なかった。
祈ることしか……
いや、何か出来ることがあるかもしれない。
見えぬ記憶の奥底に、自分には何も出来ないと諦めて、後悔した事があった過去が疼いている。
どの場面でどんなことをしなかったのか、それは全く思い出せないが、このまま見るだけ祈るだけなのがもどかしくなってきた。
……。
そうだ、本。
結局一度も中身を確認していなかったのだが、もしかしたら役に立つ物が挟まっていたり、書かれていたりするかもしれない。
異世界転生だぞ、そんぐらいあるよな?
急いで鞄から取り出して、表紙を開いた。
そこにはなんと、そこにはなんと……!
「白紙じゃねーか! おい嘘だろ、一文も書いてない無いのか!? なんも挟まってないのか!? ううわあふざけてるのかよ!!」
素で声が出てしまった。
何の変鉄もない、それどころか推定全てのページが白紙の、落丁本ですらない紙の塊だったのだ。
何だよこれは、あの立派で高価そうな表紙は、ただの見せかけの飾りだったのかよ?
万年筆、消ゴム、もはやただの厚くて重いノート、この戦闘、いや生きるにおいて役に立つ物も力もない。
一体全体どう手助けしろと、どう生きろというのだろう。
あまりの待遇に、勝手に溢れそうになる涙を堪えるのが精一杯だった。
ふとラフェムの目線がこちらに向いているのに気付いた。
いきなり今までの敬語とはかけ離れた汚い口調で大声で叫べば、そりゃあこっちぐらい見るだろう。
……いやぁ……気まずいなぁ。
「あっ!」
「うわっ! リス来た!」
スクイラーは、突如妙な空気の中をお構いなしに突っ切って、俺の腹部に飛びついてきた。
ビビるこちらを伺うリスの顔は、いやらしい下衆な笑いを浮かべているように見える。
全体的に弱そうな俺から倒そうとしているのだろうか。
足でさえ悶絶したくなる程の痛みなのに、腹の肉を噛まれたら堪ったものじゃない。どうにか引き離そうと体を揺らしてみるが、その程度で当然剥がれるわけがない。
ラフェムが焦りの形相でこちらに向かって駆ける。そこからの魔法では、俺を巻き込んでしまうからだろう。
だが、もう間に合わない。奴は見せつけるように、鋭い牙を生やした顎を大きく開けた。
完全にリスは、俺を弱虫でなにも出来ない人間だと判断しているのだろう、その事は、弁解のしようもない紛れのない事実だ。
だが、頭の良いリスも、この本を手にした理由まではわからなかったのだろう。
ラフェムの為に、お前を倒す手助けをしたいと願ったからだ。
勇気は俺を動かした。この時点で、もはや俺は恐怖に尻込み震えるだけで全く手を出さない臆病者ではない。
「うおおおおおおッ! 本アタック!」
一か八かに賭けて、本を持つ両手を高く挙げ、重さのままに獣の脳天目掛けて降り下ろした。




