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#48 憤怒に溺れて


 「あ、ああ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……」


 今にも消えそうな震え声を漏らしながら、赤髪の少年は戦慄いていた。



 彼の目に映るのは、木の根にうつ伏せになってぐったりと横たわる緑髪の少年。



 胸には銀に光る刃物が突き刺さっていて、その患部から魂そのものである光の粒子が、無情にも美しく流れ出している。


 友だった者は、もう、喋らない。

 痛みに悶えるどころか、呼吸による胸の起伏さえ確認できない。



 彼は、ショーセは、ラフェムを庇ったが為に致命傷を受けてしまったのだ。



 昨日まで隣にいた友人の、自分の甘さに起因する死。漠然と信じていた希望を砕かれた両親の死という事実…………そしてなによりも、己の死よりも恐れていたことが、目の前で実存してしまったことに少年は錯乱し、敵がそこにいるという意識も、戦意も喪失して、ただ立ち尽くしていた。



 呆然とする少年、その頭に蘇るは過去の記憶。


 いくら逃げようとしても、逃げられない、そして逃げることは許されない、暗い記憶。


 彼と、昔ながらの友人だけが知る、災厄の記憶。

 注意を払っていれば起こり得なかった、最悪の記憶。



 自分を庇って死んだ、姉の身から吹き出た鮮明な紅い血と、目の潰れてしまいそうな閃光を放つ魂と、耳を裂く悲鳴と……。


 


 また、自分は…………。




 「おい! 旨そうな方が死んじまうじゃねえかよ! 邪魔だ退け! 早く食わせろ!!」



 尻尾の鱗で少年を撃った龍は悪気もなく焦り、腕に宿した炎を解除して、臥せる少年めがけて恐竜のように足音響かせ走り出す。



 心の底から、人のことなどどうでもいいと思っていなければ出てこない発言。



 おそらく少年の両親も同じように、餌として生きたまま弄ばれたに違いないだろう。



 その最低な言葉を耳にした少年の心から、恐怖と動揺はたちまち消えていった。



 「ふざけるな……」



 代わりに満たされるのは、闇の感情。


 父を殺し、母を殺し、友までをも奪った龍への憤怒。


 殺しをなんとも思わぬどころか、侮辱まで犯すその穢れた魂への憎悪。


 自分のせいで、再び人を喪った悲痛。



 抑えきれぬ昂ぶる思いに、彼の目から一粒の大きな涙がこぼれた。



 「ふざけるなあああああああ!!」



 強い覇気の込められた渾身の慟哭と共に、全身から限りなく赤に近い黒の、墨のような炎が吹き出す。


 咆哮は衝撃波となり、林の木々は不安げに葉を揺らし、海は怯えるように水面を狂わせた。



 すぐに暗い火は消えて、いつもの紅蓮の火がオーラの如き風貌で、四肢胴体に纏わりつき始める。


 「な、なんだ!?」


 今まさにショーセに、手を……いや、口を掛けようとしていたところの龍は、不意の圧に押され、後ろへと数歩下がることを強制されていた。



 初の自分を退ける魔法に、ようやく人食い龍は少しばかりたじろいだ。

 初めて覚えた危機感に戸惑い、空を飛ぶよう大きく飛躍し、後ろへと下がる。



 「僕の友だちを返せ……僕の父さんを! 母さんを! 皆を返せよ!!」



 ボロボロと零れる涙は、少年の体温で下に落ちる前に揮発していた。



 左腕を覆う、もはやレイピアの形を留めていない巨大な塊。

 心臓の位置に、荒ぶる紅の焔が宿る。これらは全て無意識の発現であり、そのことから彼が冷静さを失っていることを示していた。

 


 立ち止まって豹変の様子を窺う龍に、ラフェムはゆっくりと歩み寄る。



 左腕の肥大した武器を引き摺ると、海と触れた部分から白い煙が巻き上がった。

 熱気そのものである蒸気が、自分の体に吹き付けようとも怯まずに、追い詰めるようにじわじわと近付いていく。



 「…………許さない、赦さない、絶対に!」



 激昂、殺意、悪意、相手を傷付けようとする気持ちが強いほど、魔力も共鳴して強くなる。


 あまりの強さと心境の状態によって制御することができず、身を滅ぼすことが多い。


 昔、清瀬が読んだ本に書かれていた、この世界での魔法の特性。


 かつての文章をなぞる様に、一歩進む毎に少年の肌はコントロールできない自身の憎悪で焼け、裂けた部分から、血と魂の光がどろりと垂れてくる。その風貌は、まるで熱宿す溶岩そのものであった。

 ……だが、少年は痛みを感じていない。

 微塵にも気に留めず、歩み続けている。

 なぜならば……皮が裂け血が滴る事よりも、大切な人を三人も奪われた事の方が、自分のせいで友が死んだ事の方が、彼にとっては絶望であり、即ち苦痛であったから……。


 ラフェムの心は、今や龍を屠る決意で形成されていた。




 迫る熱気と殺気に疼いたのだろうか? 龍は宝石周りの古傷を翼で擦ってから、迫り来る殺意へと向かって威嚇するように、それでいながら挑発するように、喉の辺りがじんじんと響く低い音を混じらせた、龍らしい声で天に向かって咆哮する。



 「ちょっとばかし強くなったからって自惚れるんじゃあねえ! その程度でオレに勝てると思うな、浅ましいんだよ!!」



 規格外の強さを所持する龍に、尻尾を巻いて逃げるという畏れと保身の感情はない。むしろ、立場も弁えず自分に勝てると思って立ち向かってくる匹夫の勇を、無茶苦茶に潰してやりたいという感情があった。


 危険とは思うが、それが自分の死を招くとまでは、微塵とも思っていないのだ。



 龍は、怒号と共に翼を手刀のように水平方向へとぶん回した。

 ラフェムは、存在定まらぬ大剣で、その攻撃を迎え討つ。



 黒い光が両者の眼を眩ませるように、かち合う二つの凶器の狭間から迸発する。


 拮抗する剣尖、それは両者の力がそのまま押し返されていることを意味する。自身の込めた力の重みなど、自分自身が一番理解している。難なく打ち克てぬ事を思い知らせる一閃の交わりに、互いの顔が歪んだ。


 剣を引き、もう一度奮う。

 双剣は目的の敵のボディに到達することはなく、相手の剣の刃にぶつかり合う。

 もう一度、剣を振り直し、再び同じ結果を生む。

 黒光と、金属のけたたましい音が何度も何度も何度も繰り返される。



 戦い慣れているのはラフェムの方だ。

 小競り合いに見切りをつけて、空いている右手を死角から突き出し火球を何度も打ち出し、反動による間合い取りを兼ねた攻撃を龍に浴びせた。



 龍には、逆らう者と戦う経験は浅く、まんまとその攻撃を顔面に喰らった。

 頭部の頭髪のような煙が大きく揺らぎ、額に初めて傷を負わせる。



 「てめえ……!」


 傷とはいっても、少しばかり皮膚の表面が焦げたか煤で汚れた程度のもので、軽傷にすら入らない。


 だが、龍の逆鱗に触れるのには充分な要素だった。


 髪は全ての光を吸い尽くす影の黒へと変わり、怒髪天を衝くを再現するかのように立ち上がると、激しく震える。


 激昂に飲まれた龍は、言葉を発さずに、幾つもの魔法のブレスを捨て鉢になったかのように吐いた。


 雷、風、水、炎、光……。様々な特徴を孕んだ、魔法の光線が、意味のない軌道でラフェムに迫り来る。


 氷の竜と戦った時と同じく、弾幕の隙間を針で縫うようにして直撃を避ける。


 そして隙間を見つけては、炎球を応酬に発射して、全力で返報する。


 一寸先も見えぬ、魔法のラッシュに遮られた視界の中。




 彼が九個目の魔法を避けようとした瞬間。




 魔法を破るようにして鷹のような鋭い脚が飛び出してきて、少年の腰に蹴りを一発入れた。


 龍は、少年の炎はおろか、自身の放った魔法さえも構わず当たることで、無理やり道を作り出し、不意打ちを喰らわせたのだった。


 しかしながら、少年はこういった不意打ちさえも想定していた。

 魔法が突き破られた刹那、少しでもダメージを抑えるべく体制を変え、炎を挟んでクッションにしたことで致命傷から免れていた。


 それでも、中々の威力。

 軽い体は勢いよく吹き飛ばされ、大地へと叩きつけられる。

 跳ね上がった水しぶきが、元の海へと戻るのと同じタイミングで、すぐさま姿勢を整えた。しかし、その足は産み落とされたばかりの小鹿のように震え、背骨もバランスを取れず歪んでいる。

 魔法の暴走が生んだ無数の傷は、今の攻撃の衝撃で、ひび割れのように深くなっていた。ちょっとでも動けば今にも、風化した石造のように崩れ落ちてしまいそうであった。



 龍は、この機を逃さんと、翼に風の魔法を宿し、隕石の如くスピードで少年の目前へと降りる。そして宿す魔法を運びの風から武器の炎剣へと変えると大きく振りかぶった。もはや、この追撃を避ける力は少年には無い。




 「跪け! ここで絶望にまみれて死ぬがいい!」





 「……貴様のような邪悪に、僕の魂が砕けるかァ!」





 少年は歯を食い縛り、両手を前へ突き出すと、祈るときのように二つの掌を合わせるように強く握りしめた。



 右手はすぐさま左手のように火に包まれ、元々大きかった剣は更に巨大な武器となる。



 少年は、自身など顧みず、全力でその武器を横へと振るった。



 「うぐがあああああっ!!」


 剣は龍の胸、怪しく輝くハートの宝石へと直撃する。

 宝石には、プラスチックを針でこすったかのような微量の傷しか付かなかったが……その下の謎の古傷に剣の先が引っ掛かり、ぱっくりと閉じていたものを開かせて、一度も見ることのできなかった血を、初めて噴出させた。


 

 激痛に、龍は初めて手をつき、膝をついた。

 紅が、雨の日の屋根のように、傷の淵から垂れ落ちる。

 初めて、龍は自身にも死が存在することを思い知った。それは、そうそう経験のすることのない恐怖の感情へと変わり、怒りにまみれた龍の心を静めていく。いきり立っていた煙髪の色が、黒から寒色へと移り変わっていった。


 一方の少年も、自身の力に更に傷が深く、広くなり、鮮血が皮膚に沿って伝う速度が目に見えて早まっていた。

 最後の全力だったのだろう。消えることのなかったオーラのような火は鳴りを潜め、剣は風に吹かれたように千切れて消えた。


 「お前にも、赤い血が流れていたのだな」


 ラフェムは、己の能力に甘んじていたが故に覚悟していなかった激痛に、情けなく悶える龍に向かって嘲笑する。



 ……せめて、あの緑の魂を喰らえれば。


 龍はそう企んで、よろめきながらその方角を見るも、まるで進路を妨げるように赤い少年が、今にも崩れ落ちてしまいそうな傷まみれの体だというのに、まるで何もないかのようなすました勇敢な表情で立っていた。自分とは正反対に、凛々しくそこに立っていた。


 ……今この負傷している自分が、自分の命を投げ捨てるような真似になるとしても臆せず、この傷を負わせてきた相手に突っ込んで、無事に緑を喰える可能性はどのぐらいだろうか?

 もう、きっと異変に気付いた人も来る。

 人を喰らうのに時間もかかる。

 その確率は、暴慢な龍でも理解していた。




 「クソが……クソが……ッ……! やっぱりあのクソの……! もう一旦引くしかない……! 巣でまた静養かよ……クソがァッ!」


 黒き龍は、恨めしそうに語彙のない暴言を吐き捨てると、翼を大きく広げ、空へと舞い上がっていった。

 その影は、死にかけの蛾のようにふらふらと高く昇っていき、ビリジワンとは逆の、まだ見ぬ海の向こうの方へと消えていった。






 「やっと……退けられたか……」


 小さな掠れ声は、誰にも届かず森の中へと吸い込まれていった。


 騒々しい激闘は終わりを告げ、静寂とさえ思えてしまう火の音だけが世界に残る。

 


 「はは……これでも……敵わないのか……。ショーセ、今……そっちにいく……からな」



 友の伏せる木の元へと、上がらぬ足を引き摺って進む。


 絶えず四肢を伝う血は、莫大な煤灰の混入で薄汚れた海へと流れ落ち、ぼんやりとした牛歩の軌跡を描いていた。


 敵を喪い、感情も燃え尽きた少年を蝕むのは、忘れていた無数の痛み。

 本当ならば、動くのもままならない程の怪我だ。

 それでも少年は、微動だにしない友の方へと歩み続ける。

 友を連れて、ラスリィへと戻るために。



 ようやく友の前へと辿り着いたラフェムは、彼を抱えようと腰を下ろす。


 だが、少し重心が下がった瞬間。

 体は限界の限界へと到達してしまったようだ。突如、操り人形の糸が断裂したかのように、下半身に一切の力が入らなくなった。

 自重に潰れる建物のように、崩れるように勢いよく水へ尻もちをつき、水飛沫が胸辺りまで飛び散る。撥水性のコート、前髪にびちゃりと雫がつくが、それを払う手が出てこない。


 「ぐ、うっ……う、う……駄目だ、立て……ない……、こんな……ところで…………」


 少年は項垂れる。頭を支える力さえ、既にもう無いから。


 屈せず、不屈の闘志を示すように灯っていた目の光が消える。虚ろと化した目はもう空を見上げることは出来ず、穢れた海ばかりを眺めていた。


 やがて、世界を捉える気力も尽き、まぶたがゆっくりと劇場の幕のように降りてくる。


 先程まで体は心に無理矢理動かされていた。


 だから、今度は心が体に動かされる番だ。


 まだ寝る時ではないと念じていた心は眠りに落ちるように、無意識に鎮まっていく。



 意識がなくなるという意識も持てぬまま、ラフェムの記憶はここで途切れてしまったのだった。



 普通の日常の中で訪れたラピスラスリィの、なんの変哲もないはずだったマングローブ林。



 たった一匹の化物が、二人の運命を、人々の人生を捩じ曲げた。




 二人の少年が力尽きた世界には、ただ燃える音だけが響いている。




 ただ、炎の音だけが響いている……。

 




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