#47 心穿つは非情な刃鱗
龍の胸が灼熱の赤に染まった。
空を突くようにもたげてた首が、キャノンのように胴ごと横へと倒れる。手に当たる部分を大地につき、亀のような盤石の姿勢を取った。
ラフェムは、展開していた炎を全て消し去った。
氷の竜と対峙したときのように、魂である炎を上回る火力で焼かれたら危険であるからと同時に、使える力を全部討伐に注ぎ込むためだろう。
足元の炎海と共に、幻想のようにふわふわと漂っていた火の粉が消えた。
だが、ラフェムの管轄を超えてしまった炎と、龍が無責任に吹いた火焔が背景で揺らぎ、そこから出た煤や煙、そして熱がこの場に絶えず流れ込んでいて、お世辞でも視界は良くなったとは言えない。
こんな不芳の中でも、龍の舌の奥の深淵が、竈の内のようにぼわっと紅く光ったのが、はっきりと見えた。
妖しくも美しい光。ふらふらっと蛾のように惹かれてしまう光を知覚した次の瞬間!
目も眩む灼熱が、川の決壊のように奥から吹き出してきた!
だが、あんな見え見えの予備動作と攻撃にやられるほど、俺たちは馬鹿ではない。
発光と発射の刹那、俺たちは龍の脇腹へとすり抜けていた。
火炎放射は光の如く、俺たちのいない空間の、熱気で霞む果てまで延びて焼き尽くす。
……凄い熱だ。離れているのに、まるで炙られてるかのように熱い。
長い直線というものは、とても恐ろしい。
発射口が少し動くだけでも、長さと共に動く距離と移動スピードは大きくなる。
もし後退していたら、飯にマヨネーズをかけるぐらい適当で意味のない動きでさえ、引っかかっただけでお陀仏の一線が捉えきれないスピードで四方八方から迫り来る、ヤバイ攻撃足り得たはずだ。
だが、近付いてしまえば長さなど意味がない。
しかも、要塞のように構える必要のあるほどの威力なら、易々と横や後ろへの方向転換は出来ないだろう。
加えてこれだけビームが長ければ、懐に潜り込んだ敵を殺そうと安易に動かすだけで、四肢を焼いたり足元を壊したりと自滅する危険性がある。
つまり、この場所は穴場の安全地帯でありながら、絶好の攻撃チャンスを生み出す空間でもある。
地を蹴り、空へと跳ぶ。
俺は白銀の剣を、ラフェムは揺らぐ赤のレイピアを、全身全霊と落下エネルギーを込めて、がら空きの背へと振り下ろした。
ガキン! と鈍い金属音が鳴り響いた。
外して地面に衝突したのか? いや、そうではない。確実に龍の背には直撃していた。粉塵のように細かい光が、火花のように剣と触れた場所から少しだけ吹き出す。
密度の詰まった硬い岩石でも斬ったかのように、奴の皮膚は刃を一切受け付けず、パワーをそのまま押し返してきたのだ。
こんなの聞いてない!
手の骨と柄に掌の肉が潰された激痛に、思わず剣を手放しそうになる。剣と腕が一体化しているラフェムは、痛みに眉を寄せ唇を噛みつつも、冷静にレイピアを解除し左腕の自由を確保して、骨折を回避した。
生物とは到底思えない、岩よりも硬い皮膚に面食う俺たちに、龍は応酬を食らわそうと、火を吹いたまま下肢に力を込めて、床から前足を離しゆらりと動き出した。
龍が振り向き火をこちらに持ってくる速度よりも速く、後ろに回り込んでもう一度斬りつける。
やはり剣は肌の上を滑り、掠り傷一つもつけられない。
尻尾と放射から逃れるため、すぐにどちらも届かぬ死角へと飛び込んで、もう一度攻撃を試みる。そして、同じ結果を残す。
剣が駄目ならと、魔法も駆使した。雷に、水に、風。ラフェムは何種類もの火炎の弾を何十も作り出して撃つ。
だが、どれも効いていない!
空を飛ぶ蚊を殺そうと、グーパンで戦ってるのと同じぐらい、虚しくて、意味がない! こんなの沼に釘だぞ!
龍は懸命なのか間抜けなのか、俺たちを真っ二つにすべく、炎をスポットライトやレーザービームのように複雑に回転させて、退路を塞ぎ、進路も塞ぐ。
その隙間を避ける俺たち、それを捕らえようとする第三の鋼腕。
さながら龍と俺のダンスパーティーだ。
大地へと当てられたスポットライトは、耳を塞ぎたくなるような巨大な雑音を鳴らして海を蒸発させた。
だが、被害はさっきの見せしめよりも、物に炎が触れる面積が少ないぶん比例して少なくなっている。
ラフェムが近くに逃げたのは、こういった理由もあったのだろうか。
体が小さいぶん、小回りは俺たちの方が効く。だから手足を出せない龍は格好の的で、避けまくって攻撃し放題。
この状況、通常なら凄い優位のはずなのだが……硬すぎて全くダメージを与えられないんじゃあ、逆に不利だ! もう沼に釘を打とうとして、指をハンマーで殴ってるもんだ!
皮膚はあまりの熱さに痺れて痛くなってきたし、いくら基礎能力の底上げがなされているこの星の体でも、本気の攻撃を何度も続けながら飛び回っていれば疲労が溜まる。
「こざかしいぞ、人間風情が!」
息が切れたのかそれともようやく無理だと気付いたのか、火炎放射を止めて癇癪声をあげた。
即死一髪から解放されたのはありがたいが、ノックバックという枷の消えた龍の近くにいるのは危険だ。急いで背中を蹴って跳躍し、龍が何をしても反応出来る程度の間合いを取った。
龍は、確かに強いのだが、戦いのセンスが優れているという訳ではなさそうだ。
今までその強さでゴリ押してきていたのが伝わってくる。
先の手を考えていれば、人を集める要因となる炎魔法の誇示はしなかっただろうし、火炎放射で仕留めようとぐるぐる踊ることもしなかっただろう。
龍はそれを反省したのか知らないが、首を捻り、目だけで空を見る。どう倒すかでも考えているのだろうか?
ラフェムが魔法を撃った。当然はたかれて消えた。
「…………ところでさぁ、赤い君、どっかで会ったことあるなぁ〜〜と思ってたのよお」
突然、龍は呑気に語り出す。
……俺の経験上、自分の欲望通りにいかない時に、急にその対象へ話題を振ってくる場合の話は、ろくなものじゃない。
相手をするなと忠告しようと思ったが、それより前に「知らん」と、ラフェムが興味なさげに会話を斬り捨てた。
その時。龍の両翼が後ろの森のように炎上した。
肩から、人間でいう親指の部分までが炎に包まれ、それより本体から離れて伸びる他の指……翼を支える骨部分や皮膜は燃えていない。
燃えているというより、纏っているというのが正しいかもしれない。ラフェムがいつも使うレイピアのように、炎が腕を包んでいる。
「その魔法は、その魔法は……」
彼の目の色が一転した。どうも、あの炎に何かを感じ取ったらしい。
俺にはさっきのビーム炎も含めて、全部同じ物のようにしか見えないが……。
……腕は、ただ燃えているのではない。
自我を持った生き物のように、炎という不定形はうねうねと流動し、何かの有形へと変わっていく。
うねりは次第に収まり、腕を覆う巨大な双剣が完成した。
まるで、彼のレイピアの、形違い……。
「ああ、この技を持っていた奴にそっくりだったなぁ!」
ラフェムが震え出す。生気はなく、呼吸のリズムは崩れて。まるでおばけでもみたかのようだ。
…………いや、彼が見たのは、おばけよりも怖くて、恐ろしくて、冷たい……。
「なんだっけえ、アイツらはたしか……俺を殺すとかほざいてたっけかぁ……?」
両親の死だ…………。
龍の蛮行を止めるべく、旅に出てそのまま消息不明となっていた二人の、最悪な結末。
覚悟も理解もしていただろうが、していたからといって受け入れられるわけではない。
ラフェムの目が泳ぐ。唇を噛み、その強さに皮膚が裂け、血が滲む。
「いや、違ったか? まあ食っちまったから、そうだったかもう聞けねえな!」
龍の、我慢しきれず漏らしたような、心の底から悦を感じたニヤケ顔。
この嗤いは、侮辱して苦しむさまを見て喜んでいるだけではなさそうだ、嫌な予感がした。
「ラフェム!!!」
既に意識もなく動いていた俺は、友の背を両手で突き飛ばしていた。
不意な衝撃に、呆気なく海へと倒れるラフェム。
同時に見えた、龍の得意気な顔と、力一杯にフリスビーを投げるように振るわれた手型の尻尾。
瞬きする隙も無く、俺の方へ伸びていた銀の軌跡と空を裂く低音。
「うがっ、ぐ……が……」
体を巡る、雷のような激痛。
視神経が断裂したかのように暗黒に染まった視界。
足の裏が大地から離れ、頭の中身を揺さぶられる感覚から、軽く二周半は空中で回ったのだろう。
何も見えないまま、木の幹に叩きつけられて、ようやく俺は止まることができた。
ズルズルと重力に引っ張られて、ようやく地面に足がつく。
しばらくして、現実の景色がぼんやりと戻ってきた。
胸に突き刺さる、銀の鱗。
スコップの頭のように平べったくて、先の尖った三角形……。水色の竜の声を奪った凶器と同じ物。
……奴は、ラフェムの両親の死を利用し、尻尾の鱗を弾丸のように飛ばして、虚を突き瀕死にするつもりだったのだ。
……本当に、本当に卑怯な奴だな……軽蔑に値するよ……。
……しかし、当たりどころが悪すぎるだろ…………。
どこを狙って飛ばしたのか知らねえけど、庇って飛び込んで刺さったとこが胸は……運がない。
傷口から血のように吹き出す緑の光に、目が眩んだ。
…………うう、鼓膜は衝撃で破裂したのか?
さざ波もない冷たい海の底へ引き摺り込まれたように、音の感覚が消えてしまっていることに今気が付いた。
燃える木々、海に膝を折って浸したまま、こちらを振り返って青ざめているラフェム、なんでかわからないが翼を振って焦っているドラゴン。
喧騒な世界と、しじまの世界の齟齬に違和感しかない……。
足先から、どんどん自分の物では無くなっていくように感覚が消える。
……まだ龍との戦闘は終わっていないんだ、ここで倒れてなるものか……。木に手を付き、なんとしてでも立ち続けようと試みるが……とうとう自分を支える力も失って、手ごと滑り落ち、鳥籠のように楕円へ広がる根の上へと、俺の体は勝手に横たわってしまった。
ここ……ろなしか、世界が歪んでみえる。
遅くなっているようにも……みえる。
歪んでいるし、霞んでいるし、白黒にも見えるし……。
あ……そういえば……俺はいつから……呼吸してないんだっけ……?
痛くて、痛くて……肺が動かねえんだよなぁ……。正直、空気を吸えたところで……心臓は……ちゃんと……送ってくれてるわけじゃあ……無さそうだよなぁ……。
はは、俺、もう……。
「ふざけるなあああああああ!!」
何も聞こえないはずの耳が、怒号を鮮明に聞き取った。
独り痛みに耽って、どんどん酔夢の空想へと遠のいていた俺の意識を、現世へと一気に呼び戻す激昂にまみれた声。
無音に突然響く、彼らしくない叫びに驚いてそっちを見ようとしたが、もう首はほとんど曲がらない。
眼球を限界まで横へ向け、どうにか視界にラフェムを入れる。
我が友から、邪悪な黒い靄が漏れていたのを見て、更に驚愕した。
……驚けたのも、一瞬。睡魔のような何かが、いきなり俺の全てを支配した。
意識が次の瞬間にも消えてしまいそうな、猛烈な清明の損失。
今寝たら……死んじまう。
そう思って、動かぬ体に必死で命令するが、指先一つももう動かない。まぶたも……どんどん降りてきた。
おい、ラフェム……戦うつもりなのか?
その禍々しい魔法は……。
うう、駄目だ、ラフェ ム……
君 は 逃げろ…… 怒り に任せちゃ 駄、目 だ……
せめ て 君だ けは
こん……なの、かてる……わけ……ない……
たのむ、 俺はいい から…… にげ てく れ……




