#44 瑠璃の海を渡る村 ラピスラスリィ
砂浜という蛹の皮を突き破ったかのように、大地から生える壁のような灰色の岩盤が、地平線の向こうまで延々と聳えている。
その俺の身長の二倍はある壁のような岩盤の上には、見慣れぬ木や草が茂ってジャングルのようになっている。
あの岩盤はラグンキャンスという恐らくカニの一種が隙間を住処にしていて、近付くと襲いかかってくる可能性があるらしい。また、上の森も獣の住居ということで、無益な争いを避けるべく、岩盤からなるべく離れた波打ち際に沿って歩いていた。
乳母猫車は足を取られしまうから、もはや意味がない。
ラフェムは荷物を、俺は彼の後ろについて、お荷物になってしまった車をそれぞれ抱えて進んでいる。
砂は細かく、足が沈む。柔らかいものを踏んづけているみたいで、ちょっと気持ちいい。
足元には、キラキラと玉虫色に輝く貝殻が無造作に転がっている。昨日ルシエから貰ったのと同じ種だろう。あの子達は、ここを遊び場の一つにしているのだろうか。
何十分も岩盤と海に挟まれた浜を歩き続けていると、とある町が見えてきた。
限りなく海面に近い、今にも沈んでしまいそうな大地に、簡素な民家が集まる町が。
「あれがラスリィだ」
ビリジワンやアトゥールと比べると明らかに小さい。町というより……あれは村だ。
それはともかく、ここにクアのご両親が住んでいるんだな。
しばらく歩いていると、大きな木の板が砂の上に敷かれていた。
ラフェムは、それの上に乗る。恐らく、砂の上でも歩きやすいように誰かが敷いてくれた物だろう。俺も、便乗して板に乗る。
何かの残骸だろうか、色褪せひび割れた模様がそれぞれの板に描かれている。まあ、そんなことは二の次。村を目指して、桟橋のように続く道に従って歩き続けた。
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ビリジワンが中世ヨーロッパ風、アトゥールがギリシャだとしたら、ここは……どこになるんだろう? パッと出てこない。
簡素な民家に、地上に打ち上げるようにして置かれているヨットがちらほらと見当たる、海辺の村。言っちゃ悪いが、地球温暖化で真っ先に沈みそうな村だ。洪水でも台風でも駄目そう。
海外っていったら、ヨーロッパの華麗な写真しか見ないから、全然わからない……。トウキョウがそれどころじゃなかったから、仕方ないのだが……。
でも、嫌いじゃない。むしろ好きだ。
ワクワクするよな、こういう土地。楽しいだけじゃ暮らすのは無理そうだけど、それがいいのだ。
長く平たな木の板を砂に刺し、それを何枚も繰り返してぐるっと囲んで作った四角や丸に、屋根として剥いだ樹木の皮を藁葺き屋根のように乗せて作られた、先住民風の家が、点々と浜の上に置かれたように立っている。
三匹の子豚に出てくる、藁の家の材料を木製にしただけかのような造りの、簡素でひ弱な家。
ラフェムはキョロキョロと見回して、クアの両親の家を探していた。
「家の場所教えてもらったり、知ってたりしないのか?」
「この町で、住居が変わるなんて当たり前だから、聞いたところで焼け石に水なのさ……」
「何で?」
「季節や天気で住める範囲が変わるからな……今は海の底に沈んでる陸もあれば、今度波に飲まれる地域もある……。だから、大人しく聞くことにするぜ」
「あ、やっぱ飲まれるんだ……」
民家を観察してみたが、表札などは無いし、窓もない、外に目印となるものさえない。ラフェムは探すのは到底無理だと素直に諦めて、ある民家のドアを優しく叩いた。
こんなにも手柔にしたってのに、ドアは軋んで割れちゃうよとでもいいたげに、小さな悲鳴をあげる。
ラフェムが叩いたのは周りの家よりも、壁にあしらっている模様が豪華な家。
周りはどれも似たような家なのに、明らかにこの一軒だけ異様だ。ということは、村長の家なのだろうか。
ノックしてから一分足らずで、一人の少年が家から出てきた。
「どうも、オイラだよ! オイラを呼んだってことは、フォレンジに行くのかい?」
俺たちよりちょっとばかし幼い、小学五年か六年の少年だ。雰囲気に荘厳さは感じられず、むしろラフで村長などの偉い人には到底見えない。
彼は息子とか孫だろうか。それとも、模様はただの趣味……?
半裸で、下はダボダボのパンツ。
まだ幼いはずなのに丸みのない引き締まった体には、筋肉の流れが見える。
男児向け漫画の主人公に張り合えるぐらい、つんつんとしていてボリューミーな萌黄色の髪は、後頭部のところが平面になっている。
……確実にこの子は寝てましたね……。
やはり、この地で暮らすにはこのぐらいの速さで眠気を飛ばさないと危険なのだろうか。鈍感だったら知らぬ間に海の底にいざなわれて、次の日起きたら天国でした……なんてのも無くはなさそうだし。
ラフェムは、気さくな彼に畏まっておじぎをすると、要件を話し始めた。
「僕たちは、エイオータさんのところに荷物を届けに来ました。でも、居場所がわからないのです。教えて貰えますか」
「エイオータ……! 水魔法供給者の夫婦だね! わかったわかった、オイラ案内するよ!」
少年は裸足のまま飛び出すと、床に敷かれたボードなんか気にもせず、ぬかるんだり乾いたりして進みにくい砂地を、忍者のように華麗に駆け抜けた。
は、速すぎ!
呆気にとられ、ついその場で固まってしまった。
少年はしばらく不思議そうにこっちを眺めた後、「あっ! やっちゃった!」みたいな顔をして、足を止めた。
ここの村人は、皆あれぐらい足が速いのだろうか……。
なんて、しょうもない疑問は胸に押し込んで、申し訳なさそうに待っている彼の元を目指し、俺たちは板の上を全力で疾走した。
────────
「おお! ラフェムくん! よく来たね!」
「お久しぶりです、クアのお父さんに、お母さん……」
青い髪の大人二人組は、目に涙を浮かべ、感極まった顔でラフェムを抱擁していた。まるで、家族がバラバラにされてしまってから数年後、奇跡によって再会できた実の親と子のように。
彼らこそが、エイオータ夫妻。
見てすぐに、クアの両親だと理解できるほどに、雰囲気、容姿、振る舞いが似ていた。
クアが大袈裟なのは、父の遺伝か……。……でも、なんでロネちゃんはあんなビビリなんだ……母親は、物静かって感じだが、それは怖がりとはまた違うし。
クア両親も、オイラくんと同じように裸足で砂浜の上に立っている。
ズボンと腕の裾は短く、コートは逆にヒーローのマントのように長い。
それを、法被のように羽織っていて、シャツ等は着ていない。父はコートを脱いだら半裸だし、母はサラシのみになる。この地域に特化した衣装というわけか。
ラフェムは抱き締められてまんざらではなかった様子だが、俺とオイラくんがいる前で見栄を張りたかったのか恥ずかしかったのか、「もうそんな歳じゃないから」と冷たく言いつつ、優しく二人の手を元の場所へと押し返した。
「それで、今日はどうしたんだい? まさか結婚のご挨拶?」
「……は!? ち、違います! 急に何ですか! 冗談はやめてください! 僕が荷物を届けに来るってこと、知っているでしょう!」
「わははっ!」
クアの父は豪快に笑いながら、ラフェムが半端押し付けるように渡してきた風呂敷を受け取った。
母は、そんな二人につい笑みをこぼす。
そして、同じく笑みを浮かべていた、見慣れぬ俺に目をやると、まじまじと顔を見てきた。
彼女達を一言で言い表すと、クアは豪快、妹のロネは臆病、彼女は……健気って感じだ。今にも散ってしまいそうな可憐な花が連想される。
護ってあげたい、そんな本能が刺激される。
可愛いぜ。なんか、毎度同じことを思っている気がするが……。
うーん、愛されたいのかな……。まあ、モテなかったし、現在進行形だし……。
「ショーセくん……よね? 手紙に書かれていたラフェムくんのお友達。初めまして、クアの母です。ねぇ二人とも、良かったら、今日は私たちにビリジワンのお話、聞かせてもらって良いかしら? 疲れているだろうから、私達の家に一日泊まって行きなさいな」
「俺は大丈夫ですよ。ラフェムは?」
「……まあ……いいですけど?」
腕を組んで、如何にも仕方なく……みたいな態度でラフェムは承諾した。だが、その顔は照れ臭さを隠しきれていない。
クアの前では首尾一貫、興味ないみたいな顔出来てるのに……。
「それじゃあ、夜になったらそちらに伺います。それまでは……二人でこの辺りを探索してます」
「ええ、ショーセくんは初めて、ラフェムくんは久々ものね、楽しんでくると良いわ。私たちは、早速この部品で修理を始めるとするわ。あ、車預かっておくわね」
「オイラも修理手伝うよ!」
「じゃあ、また夜に……」
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未知の島がかすかに見える穏やかな海。
その海に背を向ければ、塩の洞窟があったあの岩場が見える、砂浜の透けるビーチが見える。村の果てには、マングローブ林。
美しい砂と海と木や草に恵まれた細長い島。まるで、漫画とかに出てくるリゾート地ではない南の島へとバカンスに来たようだ。
ビリジワン、アトゥールとはまた違った景色を見て周れて、気分上々だ。
昼も過ぎて、まだ青色ではあるが夕方へと姿を変えつつある空の下。
海望む無人の岩場に腰掛けて、ラフェムが昔の記憶を辿って見つけたココナッツもどきを剣の柄で叩く。
くすんだ黄色の殻が真っ二つに割れると、透明の果汁が溢れ出し、純白な実が露わになった。
たっぷりしっとり水分の含まれた艷やかな果実は、太陽の光でてらてらと輝いている。解放された淡いあまやかな匂いが、鼻をくすぐった。
喉も乾いたし、腹も減っている。
スイカを食べるのと同じように、豪快に、遠慮なしに、その白い肌へかぶりついた。
「平和だなぁ」
「そうだな……ずっとこのままなら、どんなにいいことか」
網のように広がる泡、ある程度の距離にいくと途端に底が見えなくなる透明な浅瀬。
波は砂浜に乗り揚げ、そして戻っていく。
ちょうど親指ほどの大きさの、海老ような生き物が、そのそばにいた。数匹いるそれは、波に翻弄されたり、濡れて色濃くなった砂浜を掘ったりしている。
空でうつろう雲も、小さな生き物も、一期一会の波の形も、見ているだけで楽しかった。
のんびりとほのぼのとした時間をあるがままに享受して、齧っていたきのみの中身を食い尽くし、腹も喉も心も満足したその時。
空に、光る何かが見えた。
空の藍色よりも蒼く輝く流れ星だった。
星は、この島に向かっているようだ。
目を奪われるほどに美しく、しかしながら見ていると何故か深い悲しみが胸の中に湧いてきて、目を背けたくなる流星。
流れ星でさえ珍しいのに、こんなにも距離が近いだなんて一生に一度見れるかどうかだ。ラフェムにも見せてやりたいと声を掛けようとしたのだが、既に彼はそれに釘付けになっていた。
美しいその光に、怯えた顔をして。
「何故だ!? 嘘だろッ!?」
彼はまだ食べていたきのみを放り投げ、一目散に流れ星に向かって走り出した。
流れ星は、マングローブに向かって…………そして消えた。
流れ星って、隕石だよな?
あの様子じゃマングローブに落ちたはずなのに……なんの振動も、音さえも感じない。
一体あれは何なんだ? ラフェムは何に怯えたのだ?
突然の足元の砂も忘れて、無我夢中で走る友。
俺は湧き出る不安を無理矢理圧し殺して、今は何も考えずその背を必死になって追いかけた。




