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#42 寿司の周りで回る不和

挿絵(By みてみん)


 「これは寿司ですか?」

 「はい」


 英語の教科書に出てくるような問答。

 うなだれる俺、左隣で気にも止めず料理を嗜む友人、不思議そうに戻る黄色い長髪の少女。


 一階の奥の部屋、近隣住民の集うレストランとなっているこの空間で、俺の心は複雑に満ちていた。



 久々の宿泊客で、村を英雄をねぎらうかのような勢いで、俺たちの座る木の長机にどんどん魚料理が運ばれてくる。


 その中の一皿が、俺の野望を打ち砕いた。


 寿司。


 寿司だ。

 何故ここに寿司がいる?



 例の米代わりの豆を粗く砕いたものを、乾いた海藻……海苔的なもので壁のようにぐるっと一周包み込み、上から蓋をするように、真っ赤で新鮮な四角い刺し身が乗っている。

 これは明らかに軍艦だ。



 「…………どうした? 生魚、嫌いなのか?」


 焼き魚をフォークで、化石発掘をするように綺麗に身だけを削ってはついばんでいたラフェムが、ようやく俺の何とも言い難い雰囲気に気付いて声をかけた。



 ……実はというと、生魚はあまり好きではない。

 だって、生モノってアニサキスみたいな寄生虫とか、良くない菌がいそうじゃないか。それに、血の味がするし生臭いし。


 刺し身とか寿司とかユッケとか、食べれないって訳じゃないんだけど、出来れば焼かれてるほうがいい。


 「まあ……うん、生ってあまり得意じゃなくて」


 と言う事で、半分嘘で半分本当の答えを返すと、ラフェムは自身の右手を寿司へ近付けた。


 そして、突如刺し身は紅蓮に包まれる。


 バチバチと脂は弾け、水分を失った魚は若干仰け反りながら縮む。


 良い香りが上昇気流で俺達の辺りへ広がった後、炎は風に吹かれるように消えると、真っ赤で透き通っていた刺し身は、いい具合に茶色の焦げ目がついた不透明の白色と化しており、刺し身ではなくなっていた。


 「また生魚出てきたら焼いてやるよ」


 彼は手を引っ込め、また魚を突くのに戻る。


 …………あーいいなぁ。

 炎魔法が使えるって便利だな。袋みたいな小さなゴミはすぐ燃やせるし、こうやってちゃちゃっと肉も焼ける。


 ……あれ?



 詠唱は?



 「いやあ、生モノ苦手って珍しいな。そういや血も飲まなかったもんなぁ」


 「………………今詠唱したか?」


 「…………え!?」



 そういえばドラゴンと闘っている時、彼は詠唱をせずに魔法を繰り出していた。そして今、平然と当たり前のように唱えず魚を焼いた。



 無詠唱は、とても強い魔法を持つ人間の特権だ。この世界に来て次の日に読んだ本に、確かにそう書いていた。



 「…………僕は、その、詠唱してなかったか? あれー?」


 何故だろう。明らかに彼は動揺していた。


 まるで無詠唱で魔法を扱えるのが知られると不味いことでもあるかのように。

 フォークを動かす手はピタリと止まり、魚に向いていた視線は俺、天井の隅、足元と定まらずせわしなく動く。


 暫く戸惑い続けた後、堪忍でもしたのか、重たい溜息をついて頭を抱える。


 そして、彼が話そうとした瞬間だった。



 「ラフェムさんは魔法支給者よ、無詠唱ぐらい出来るに決まってるじゃない!」



 突如、女の声が俺たちの間に入り込んだ。


 ラフェムは敵でも見るかのように、表情を強張らせ声の方向へ体を向けた。


 声の主は、ゆっくりとキッチン入り口からこちらへ、長い髪を揺らして歩いて来ている。


 そして彼女は、机の数歩手前で立ち止まり、微笑んだ。


 「君は誰だ?」


 「私はミルーレ・ルクス。……あなたと同じ魔法支給者です」


 彼女は自己紹介をすると、深々と礼をする。


 先程寿司を持ってきてそして不思議そうに去っていった、俺たちと同じ年頃の黄色髪の少女だ。

 オレンジ色の模様が描かれたコートを、淡い赤のワンピースの上から羽織っている。


 ミルーレは上半身を起こすと同時に、手を大きく広げる。


 綿毛のようなまあるくほわほわとした光が、手のひらからふわりと舞い上がった。ホタルの如く儚く、昼の木漏れ日の如く柔らかく……まるでアニメや動画のエフェクトだ。詠唱は一切していない。



 「街を救った勇者で、それに留まらず魔法供給者として人々を救い続けているあなたに憧れていました。ずっと引き篭もっていると聞いていて、会える日は無いと思っていたのに……こうして相見えられるだなんて!」


 街を救った……? 人々を救い続けてる……? 初耳だが……。

 供給者ってのもわからないし、無詠唱との繋がりも……。


 それよりも、勇者という言葉を出され、ラフェムが僅かに眉を顰めた。


 ……不味い予感がするぞ。


 俺はまだ三年前の話を彼自身から打ち明けられていない。クアに、それに至る信用を得られるまで待てと警告されているから、聞き出すこともしていない。


 幼子の前で気を抜いてしまったのか、家族がまだ皆生存していた時代の話を始めた時は、最終的に耐えきれず泣き崩れてしまった。




 彼に過ぎ去りし日を思い出させる事は、どの過去であろうとも憚れるべき事だ。

 姉を失った過去も、誰にも傷付けられず平和だった過去も、全て控えるべきなのだ……。



 …………英雄や勇者が、勇気ある者として認められるのに必要なものは何か?


 それは栄光ある過去だ。


 産まれて、何もしていない人間が勇者や英雄と呼ばれるのは、まず無いだろう?

 ……例外として、ゲームとかで予言とかラスボスを倒せとか、結果的に勇者となる行いを、絶対に逃げられぬ宿命として背負った場合にも言われる時はあるが……。



 彼女が彼を勇者と呼ぶその理由が何であれ、それは過去に抵触する。

 彼が不穏を顔に示した時点で、勇者という単語は地雷ワード。


 つまり、これ以上二人を話させるのはヤバい……。


 話題を逸らさねば。何を言おうか考えようとした時。ラフェムが話し始めてしまう。



 「……僕は勇者ではない、崇められる立場の者じゃない」


 「あらあら、謙遜なさらないでください。逆境にも負けず、世界を壊そうとしたあの化け物を倒したのは紛れもない、ラフェムさんじゃないですか。街を護り、人々を救ったあなたが勇者でなければ、誰を勇ましき者と呼」


 「煩いッ!」

 「え!?」



 怒鳴り声と同時にあがった爆音が、彼女の言葉を打ち切らせた。




 ラフェムが、立ち上がってすぐ握り拳で殴るように机を叩き付けたのだ。


 机で密集していた皿が左右に揺れ、他の皿とぶつかって耳を塞ぎたくなる不和音を鳴らす。


 無関係の色んな人間が、それぞれで繰り広げていた雑談も爆音で打ち切られ、和気あいあいとしていた食堂は一瞬で静まりかえる。


 冷たい空気の中、ラフェムから漏れる憤怒の火の粉が、竹を燃やした時のような破裂音を発していた。


 彼が声を荒げて怒ったのを見たのは、ネルトが俺を危険因子と見做して殺そうとした時と、ドラゴンが街に悪さをしていると思った時だ。

 だが、今回はその二つよりも怒りの感情が何倍にも強い。


 化け物……ラフェムの姉を殺した奴。三年前に、身を呈してラフェムを守ったから、彼女は死んだ。……これは一番触れちゃいけない話題じゃないか?


 彼は机に押し付けていた拳を引っ込め、ゆっくりと右手を彼女の方へ、魔法を放つときのように向けた。



 「あまりペラペラと人の過去を穿るような真似をするな、不愉快だ!」



 「あ、あの、あの…………、そんな……。その、えっと、ごめんなさい、私、そんなつもりじゃ……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ミルーレは、どうやら本当に悪気はなく単純にラフェムの功績を褒め称えているつもりだったらしい。


 ラフェムにとっては、姉を奪われた戦いの結果である勇者という言葉も、その時間も、事実も、全て迂闊に触れるべきではない話題であった。



 彼女は何も知らなかったのだ。



 逃げることも歯向かうことも出来ず、彼女はその場で動転する。


 天井に灯された丸い光が、切れかけた電光灯のように明るくなったり暗くなったり、ブンブンと小さな低音を鳴らしながら点滅し始めた。

 彼女の魔法で作られた照明のようで、彼女の心が不安定に陥っている証明であった。


 周りの人間も、どうすれば助け舟を出せるか、どうしたら不穏を解消できるかわからないようで、こっちに目線を向けつつも、怖がって固まったままだった。



 ……俺も、どうしたらいいのかわからない。

 怒号に内心怯えて、ちょっと縮まり冷や汗垂らすことしか出来ない。




 誰一人解決法を見出だせず、永遠にこの地獄が続くのかと錯覚してしまったその時。


 屈強な男が、キッチンから姿を現した。


 …………エルレーゲの夫、ネロンだ。


 全身を覆っていたマントは脱いだらしく、如何にも親父といった感じの、半袖の白いシャツ姿になっていた。

 ……見える腕は、両腕ともにえげつない傷痕が螺旋を描いていた。顔と同じように、巨獣に引っ掛かれ抉られたような痕だ。


 ラフェムは、その傷に見覚えがあるらしい。

 電車を待っている目の前で、飛び込み自殺に遭遇してしまった人のように、顔に恐怖が浮かんだのち、床へ目を逸し歯を食い縛った。


 拒絶にも近い少年の反応を見ても、男は動じることはなく、ふらりふらりと歩いてミルーレの横へ歩いてくると、パニックを起こしている彼女の脳天をコツンと小突く。


 そして彼女をキッチンへと帰るように誘導し避難させ終えると、深々と頭を下げたのだった。


 「…………フレイマーさん……。……ルクスの無礼を赦してくれないか。ただ君に憧れていたが故の発言なのだ」


 ……喋ったぞ。

 さっき話しかけてもうんともすんとも返してくれなかった彼が喋った。


 ラフェムもこれには驚いたようで、背けていた目を咄嗟にあげて、呆気に取られた表情で、彼の一つしかない目を見た。


 「憧れ……だって?」


 「そうだ……。これはオレの我儘だが……。どうか、君の功績を讃える者に否定をしないでくれないか。苦しいだろうが……君も、君の家族も、オレたちを救ってくれたのには変わり無いのだ、命を救ってくれた純粋な感謝を受ける価値は、君にはあるのだ……」


 「……………………。…………ああ、皆さん申し訳ない、せっかくの夕飯の楽しい時間を壊してしまって……」


 少年は願いから逃走する。

 応えず、思い出したかのようにその場で四方を向いてはペコリと頭を下げ、傍観する人々に謝罪を始めた。


 そして一通り謝り終え着席すると、お茶の満たされた硝子のコップに手を伸ばし、ひっくり返すように飲んだ。


 さっきの衝撃で、まだ一口も付けておらず満たされたままだった容器からは中身が少々こぼれてしまっていて、側やそこに付着していた雫が、重力に身を委ね、ポタポタと彼の服へと落ちた。


 息もつかず一滴も残さず、空っぽにすると、彼はゆっくりと机の上へとそれを戻す。技術の問題で、底か机が完璧な平らでないからか、置かれたコップはグラグラとその場で揺れた。



 …………違う、どちらのせいでもない。


 彼の手が震えているからだ。



 もう飲み物は飲んでいないのに、ボロボロと、コートに透き通った雫が落ちる。



 「…………僕には、僕にはまだ、全てに向き合う覚悟がないんです……。お願いだから、過去の話はしないでください……僕は勇者じゃない、僕には…………」



 顔を両手で抑え、俯き震える。

 涙を飲むことはできなかったようだ。


 指の隙間から、涙が漏れ出して手を濡らす。嗚咽が静まり返った部屋に響き、乱れた炎が彼の周囲を取り巻く。




 ……そうとう参っていたんだと思う。

 

 逃避から脱却し、未来へ進む決意を抱いた少年を、あの龍の気配が踏み躙った後なんだ。

 不安定な状態で、触れたくない心の深部に触れられたら……。




 ……。

 俺には何も出来ない。

 ……いや、今は何もしないのが彼の為だろう。


 どうすることも出来ず肩を落として去るネロンの背を横目に、すっかり冷めてしまった焼寿司を手に取って、口の中へと放り込んだ。



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