#40 二度目のアトゥール
「ラヘム! ヨーセ!」
昼過ぎと夕方との合間辺りの熱い日射しが、灰色のタイルを照らす。
ここはアトゥールの港沿いの道路。
ボール遊びをしていた子供の集団から、聞き覚えのある声が上がった。
声の主は、持っていたボールを他の子供にパスして、とことことこっちへ走ってきた。
ターコイズ色の髪の、俺たちの腰ほどしか無い幼い男の子。この前、家に泊めてくれたカスィーさんの息子、ルシエだ。
「おー! 元気か?」
ラフェムは押していた荷物を横に退かしてから、その場にしゃがんで彼と目の高さを合わせる。
それを見てから、俺もその場でしゃがんだ。
俺たちの傍に着くなりルシエは、両手をそれぞれのポケットに突っ込み、何かを取り出すと、俺たちに差し出した。
「これ、さっき拾ったキラキラの貝! あげる!」
貝殻はどうにも脆いようで、力加減のまだ操れない小さな手のひらに押し潰され、フチがボロボロに欠けてしまっていた。
だが、貝は言う通り玉虫色で美しく、その周辺に散らばる粉は、虹色に輝いていてこれまた綺麗だ。
「ありがとう」
これ以上壊さぬよう、生きた蝶を掴むように優しくつまみ、ショルダーバッグのポケットに大事に仕舞った。
ラフェムは、受け取ってから仕舞う場所の無いことに気がつき少々まごついてから、取り敢えず胸ポケットに入れた。
「ところで、どうしてまたアトゥールに来たの?」
「ああ。ちょっとラスリィに荷物を届けないといけなくて」
ルシエは、キラッと目を輝かせる。貰った貝殻に負けぬぐらいに。
「お泊りする!?」
「いやいや、そんな頻繁にお邪魔するなんてのは図々しいじゃないか。今日は宿に泊まることにしてるんだ。まだ宿決めてないけど」
そっかー。と、幼子は肩を落とした。
まあルシエにはまだ人が泊まりに来るってのは、単なる楽しいイベントに過ぎないんだろう。
だが、彼の両親にとってはかなりの負担だ。プライベートでじっくり休めないっていうのはかなりキツイからな。成長すればいずれわかるだろう。
「そういえば、お母さんお父さんは?」
「今仕事! いつもはお父さんかお母さんが家にいるんだけど、今日は忙しいからどっちもいない!」
そういえば、母親は受付嬢で、父親は手紙屋さん……多分郵便配達員だったな。
忙しいのは……午前にラフェムが龍について色々やってたから、それの影響かな。
そういえば。集って遊んでいる子供たちの辺りを見てみると、保護者と思わしき人影が見当たらない。一応漁師さんや店の人が見守ってくれてはいるが。
トウキョウなんかで同じことをしたら、事案のメールが送られてくるか、全国ニュースが流れてきそうだ。優しい世界だからこそ、成せる事だな。
そんなこんなで話していると、ボール遊びをしている子どもたちが、ぞろぞろとこっちに歩いてきた。
ルシエと仲良く話している見知らぬ少年二人が気になったのだろうか?
子の群れは、ルシエの数歩後ろで足を止める。
得体が知れないからか、ちょっぴり不安を抱いているようで、皆へっぴり腰だ。
「ルシエ、この人たち誰?」
少しばかりふとましい子が、首を傾げてそう聞いた。
ルシエは、くるりとその場で半回転し、腕を大きく広げる。
「この前お母さんを助けてくれた、友だち!」
ルシエの元気な紹介で、子供たちの不安は一気に解けたようで、雨が止んで陽が差し始めた昼のようにみるみる明るくなる。
「どこ行くの?」
「ラスリィ。今日はもう遅いから宿に泊まるんだ。まだ決めてないけど」
「あっ! オレここから近い宿知ってるよ! エルレーゲの宿!」
集団の一人が天高く手をあげ、それではまだ足りないとピョンピョン跳ねて、存在をアピールしながら宿の名を言った。
子どもたちは輪になり、口々に「あのお姉さんのとこ?」とか「でかい道路のとこのか」など、その宿の事を述べ合い、情報の統括を終えると、この道路の奥の方を向くようにそれぞれ振り返った。
「ぼくたちが宿まで案内するよ! 着いてきて!」
「おっ、助かるなぁ!」
子どもたちは自信に溢れた面持ちで、俺たちの出発の準備が整ったことを確認すると、とことこと大通りの向こうへ歩き出した。
────────
いつの間に子が作っていた輪は崩れ、俺たちを取り囲むように前や後ろや横に付いて歩いていた。
最初に身を乗り出して宿の名を呼んだ子は胸を張って先陣を切り、ルシエは俺とラフェムの合間に入って楽しそうに俺たちが帰った後の話をしてくれている。
ラフェムの後ろには、ぽっちゃりしてる子が、ポケットに入れてたらしい魚のジャーキーを啄んで、隣の子に羨ましそうな目線をぶつけられている。
「そういえば、昨日の夜すごく暑かった!」
「暑かった!!」
「夏みたいだった!!」
ルシエが、思い出したかのように昨日の気温の事を口にする。周りの子も、異常気象が音沙汰もなく解決したのを不思議に思っていたようで、後に続いて喋り始めた。
どうやら、アトゥールの人はまだ何故寒かったのか、どうして急に普通へと戻ったのかを知らないようだ。
ラフェムはにやりと口角をあげ、得意げに胸を叩いた。
「ふふっ……実はな、僕とショーセで解決したんだぜ!」
子の注目が、一気に群れ中心の俺たちの方へ向く。
大人なら、まずは「ほんとか?」と猜疑の念を抱くだろうが、純粋な彼らの目にはそんな要素の一欠片も無い。黄金の太陽を見上げた時のように輝いた。
「ほんと!?」
「ああ! 怪我をしたドラゴンがいてな、そいつの傷から氷のような風が吹き出ていたんだ」
「ドラゴン!? 大丈夫だったの!?」
「……最初はちょっとお互い勘違いしてて、戦いになっちゃったけど……勝負には勝ったぜ!」
「ドラゴンと戦って勝った!? すごい! すごい!」
子供たちは興奮し、暴風レベルの声量で、拙い語彙の賛美を奏で、身振り手振りで感情を大胆に示す。
黄色い歓声に包まれると、まるで英雄になったようで、まんざらでもない。
ラフェムもまた気分が良いようで、少し頬を紅くしながら、得意満面に笑っていた。
ドラゴンとの戦いを、子どもたちは聞きたくて聞きたくて堪らないようで、俺たちとの幅を詰めた。
皆器用で、足は宿へと向かわせつつ、上半身や顔をこちらに向けて、昨日の全容を話してくれと急かしてくる。
ラフェムはますます気分を良くして、森に向かう前のところから話し始めた。
……俺の機転が勝敗を分けた訳だから、異常な魔法をバラす事になるんだけど、大丈夫なのかな………………。
────────
「あっ、ここがエルレーゲの宿だよ」
「……おっと、まだ途中だけど着いちゃったか……」
氷の蛇のような弾幕に追いかけられていた辺りまで話したところで、目的地に到着してしまった。
彼ら子どもたちでもわかりやすく、それでいて情景が鮮明に描けて、しかも冗長では無い語りに、いつの間にか俺まで聞き入ってしまっていた。
これから盛り上がっていく雰囲気を見せていたので、子どもたちはまだ聞きたいとぐずっている。
だが、ラフェムは申し訳なさそうに手を目鼻の先で合わせた。
「ごめんな! 僕たちこの通り戦って、すっごい疲れてて、しかも明日また歩かなきゃいけなくて…………な、ショーセ?」
「えっ? あ、おう……」
「ということで……物語の続きは、また今度会った時で良いかな……? これから手続きあるし……ほら、空ももう橙色だ……君たちも帰らないと」
言われて、太陽が海に沈もうとしている事に気が付いた。
足元から伸びる紺色の影は竹のように細長く、その影が指し示す方角は、既に夜の色へと変わっている。
……話に夢中で気付かなかった。
子どもたちは見るからに落ち込んだ態度を見せる、しかしながら意地汚く駄々をこね喰い付くことはしなかった。
ラフェムは、ちょっぴり気不味そうに微笑むと、押していた荷物を漁って、紙袋を二つ取り出した。
「案内してくれたお礼というか、中途半端な終わり方しちゃったお詫びというか……お菓子あげるよ」
片方の紙袋に手を入れ、ビスケットのような何かを取り出すと、子供たち一人ひとりに一枚ずつ手渡した。
「本当はプルーアとか、ビリジワンの果物持ってきたかったんだけど、寒さで駄目になっちゃったまんまだからさ……でもこれも美味しいよ」
……なんて単純なんだろう。
子どもたちは、その小さな手に、余る程の大きさのお菓子を一枚乗せられた瞬間、落ち込んでいたことを忘れてしまったかのようにたちまち笑顔になった。
その場で頬張る者、ポケットに仕舞うもの、持ちっぱなしの者。面白いほどに個性が分かれ、そのいじらしさに思わず口元が緩む。
「ルシエはこれも。先日家に泊めてくれたお礼さ。お父さんお母さんに渡しておいてくれ」
「わーい! ありがと!」
ラフェムは、普通の……とはいっても、ルシエにとっては胴を覆い隠せてしまう程の紙袋をそっと渡した。
この中身は、ビリジワンを出る前に色々な店に寄って買ってきたものだ。お礼の品は何がいいか、二人で迅速かつ丁寧に見定めながら決めた。
まずビリジワンといえば緑色。
近くの畑で取れた新鮮で上質な野菜や果物を集めた。そして街に多いらしい炎魔法使いが、それぞれ趣向を凝らした陶器や、鉄のアクセサリーも買ってきて、容量の許す限り入れた。精一杯の感謝が、そこには詰まっている。
パンパンに膨れて今にも破れそうな紙袋をルシエは大切に抱きかかえ、笑顔のままペコリと頭を下げた。
「それじゃ、宿に入るよ。また今度な!」
「ばいばーい! またね!」
宿の、他の家と変わらない普通の扉を開きながら、別れの言葉を紡ぐ。
子どもたちは、俺たちが中に入り終えるまで、ずっと手を振ってくれていた。
いいよな、俺もあんな弟が欲しいよ。
室内は、少し広い空間があって、クアの宿と同じように、奥の壁の左には二階への階段、右には奥の部屋に繋がるであろう通路がある。
……なんだか、賑やかな声が聞こえてくる。奥の部屋に人が集まっているようだ。
扉を閉じ、子供たちのいる外界と俺たちのいるこの場所が隔てられてから何秒か経った後、ラフェムが突如焦りを見せた。
……見せたというよりは、ずっと隠していて、やっと我慢が解かれて露出した感じだった。
「……どうした?」
「危なかった……ドラゴンの話をしたら、君の魔法のことも話すことになるってことすっかり忘れてて……どうにか話さずに済んだけど……」
「わ、忘れてたのか……あっ、誰か来る」
ひそひそと話していた俺たちの方に、奥の通路にかけられた暖簾の向こうから、一人の大人が姿を現し、歩いてきた。
凛とした歩み。背が高く、余計な脂肪を持たず引き締まっていて、とてもスタイルの良い体。灰色がかった明るい青の髪は、セミロングほどの長さで、適当にカットしたのか切り口はギザギザだ。
まさに姉御と呼ぶべきクールなその女性は、俺たちの前で足を止めた。ふわりと、良い香りが漂った。フレグランスとかそういうのではなく、料理の香り。
彼女は、エイポンと同じように、コートの上からエプロンを付けている。コートの線も、エプロンの色も、水色だ。以前の宿でも見たノートを脇に抱え、この世界での鉛筆の代替品と思われる、太い芯に布を巻いたペンのような物をクルクルと指先の上で回している。
「どうも。この辺りじゃ見ない顔だね。食事だろ? 暖簾の向こうに席があるから、そっち行って座ってくれ」
…………? あれ?
宿……だよな? 勘違いで食事処に連れてかれた……訳ではないよな、看板にちゃんと宿って彫ってあったし…………。
えっと……どういうこと?




