#38 フレイマー
…………やれやれ。
せっかく異常気象を解決できたというのに、新たな問題が浮き上がってしまうとは……。
ぼんやりと、今まで過ごしてきた濃厚な数日間と、これからの未来を思い浮かべながら、闇に溶ける草の絨毯を踏みしめる。
太陽が姿を隠し、月が地からいでし頃。
暫く様子見し、ドラゴンの容態がまあ良くなった事を確認した俺達三人は、街へと戻ることにしたのだった。
もう辺りは真っ暗闇だ。
灯りとして、エイポンの鬼火が周囲を彷徨き、照らしてはくれているんだけど、それでも時々、足元の雑草や石につまづいて転けそうになる。
岩場はデコボコなだけでマシだった。
次の森は根とかもあって引っ掛かるから最悪だった。
今いる草原は、まあマシよりの中間だ。
疲れているからだろうか? ラフェムなんか特に顕著に引っ掛かる。一回ガチでずっこけて土まみれになったし。
ああ、早く帰って寝たいな。
……というか、暑いな。
寒いのも嫌だけど、暑いのも良いものじゃねえなぁ……。
ラフェム達は、疲れに加え憎む何かが生存している真実を知ってしまったショックもあり、誰とも会話しようとしなかった。
亡霊のように、静かに無心に歩き続け、ようやく街に辿り着く。
やっと街についた! これで休めるぞ。
汗の滲んだ額を手の甲で拭っていると、入り口すぐの街灯の下に、クアが居ることに気がついた。
ラフェムも気付いたようで、小さく手を振るが、向こうは気付いていないようだ。
俯き、似つかわしくない不安げな雰囲気を纏っている。
ぼんやりしているのか、一向にこちらの存在に気が付かない彼女に向かって、ラフェムは声を掛けた。
「クア……。夜だぞ? スクイラーをそんな夜中まで見張らなくても……」
「…………あ! ラフェム!!! ショーセ!!! 良かったぁ……」
彼女は、ラフェムの呆れ声を掻き消し、こっちに飛んでくると俺とラフェムを纏めて、思い切り抱擁した。
そして、すぐ恥ずかしそうに離れると、プンプン怒り出した。
逆光で顔の色は今一わからないが、体の動作がオーバーリアクションってぐらい怒りを示してる。
「もう、馬鹿っ! 心配で待ってたのよっ!! ボロボロで、お腹から血を出して帰ってきて、どうしたのか聞く暇もくれずに医者連れてまた行っちゃうんだもの!! ショーセに何かあったのかと思って、でも野次馬は悪いと思って、帰りをずっと待ってたのよ!! なのに!! スクイラーの見張りって何よ! そもそも、見張りだったら上向いてるでしょーーがっ!!」
癇癪起こし子供のように駄々を踏む彼女。
キラリと、頭部の一部が輝いたのが見えた。
あれは……アトゥールで買ってきた土産、バレッタだ。
もう付けてるのか、早いな。
というか、俺の心配もしてくれたのか。ラフェムの事しか考えてないと思ってたけど、ちょいと嬉しいかも。
「ごめんごめん、いやぁ……寒さの元凶のドラゴンが居て。倒したんだけど、ちょいと看過できない怪我を負っててさ……」
「えっ!? ドラゴンがいたの? しかも戦った!?!?」
「……ま、話すと長くなるから……今日は勘弁してくれ、なっ? よかったらさ、明日起きたらすぐギルドに向かわなきゃいけないんだけど、一緒に来ないか?」
ラフェムは、元気なクアを見たことで立ち直ったらしく、ちょっぴり笑ってそういった。
……立ち直ったといっても、本当に、ほんの少しだけだ。
彼女は、ラフェムに恋するだけあって、彼が重い疲労と不安を抱いているのを察したのだろう。
素直に、「じゃあ明日の朝ね」とだけ答え、速やかにここから去ろうとした。
……街の奥側へ振り向いた彼女は、前には進まず、後退る。
そして、屋根の上を見上げた。
一体何かと思いきや。
まるでそういう巨大な生き物みたいに、一箇所に固まっているスクイラーの群れが、もぞもぞと蠢いていた。
何かしでかそうとしているのだろうか?
疑い、目を見張る。
暫く蠢いた後。
一匹。零れ落ちるかのように屋根から飛び降りた。
そして、その後を追って、リスが滝の如く飛び降り始めた!
最初の一匹は、着地してすぐに、モップのような尻尾を高くあげながら駆け、俺の股ぐらを通り抜けた。
そして、道を覆い尽くす無数の水色の毛皮が、その軌跡を追い、俺たちの足を器用に避けつつ、街の外へと流れ始める。
着地の時や走る時に、爪がレンガの床に当たっているのだろう。カラカラザーザーと音を鳴らす。
音も色も迫力も、まるで川だ。
ほんの数秒で、怒涛の波は過ぎ去った。
振り返る。
既に彼らは闇夜に消えていた。
寒くなくなったから、街に避難する必要が無くなって、居るべき場所へと戻ったのだろう。
ふう、害が無くて良かったぜ……。
改めて、一人で帰ろうとするクアに、ラフェムは声を掛ける。一緒に帰ろうという提案だ。
彼から貰えれば何でも嬉しい彼女は、当然この言葉に喜んで甘えた。
俺たち四人は、久しぶりの普通の夜道を、牛のようにゆっくり進んで、それぞれの家へと帰ったのだった。
で、一夜明けた朝。
ラフェムはクアと一緒に、ギルドへと赴いて、他の街に向けて龍に関する情報提供とか注意喚起とか、色々忙しくやってるらしい。
俺はエイポンと一緒に、またドラゴンのとこまで行って食事と包帯の交換やってきて、昼飯をその辺の店で済まし、武器屋へとやって来た。
今日はラフェムが作業を終えるまで、エイポンのとこで暇つぶしすることになっているのだ。
数日前に訪れた、鉄の臭いと炭の香りが混ざり合う四角い店の、薄暗い廊下の奥の更に奥へと彼女は俺を案内する。
ピンクの家具とぬいぐるみで彩られた、可愛らしい住宅スペースへと辿り着くと、「お茶入れてくるわ、適当にしててねん」なんて言いながら、彼女は俺が部屋に入ったのを見届けると踵を返し、姿を消した。
まるで、初めて俺をここへ招待した態度ではない、なんというか、旧来の友をいつも通り家に呼んだかのような振る舞いで、少し困る。
…………いくら彼女がそういう態度で接してきても、俺は他人、招かれた客人。
大人しく、部屋の中央にあるちゃぶ台の側で、キリッと正座して待っていようかな。
…………と考えたのも束の間。
棚の上に飾られている、写真……というか写真と錯覚してしまうかのような精密な人物画に、俺の好奇心が刺激されてしまった。
結構年数が立っていて、色は褪せてるし紙は劣化してるしで、ここからじゃよく見えない。
誰が描いてあるんだろう。
気になる……。
…………まだエイポンは戻ってはこないだろう、よし。
立ち上がって、恐る恐る写真へと近付き、目を凝らした。
……初々しい、高校生ぐらいの歳っぽい三人が、緊張からか不自然に姿勢良くして並んで立っているイラストだ。
…………誰だろう。
一人はわかる。多分エイポン。
ガッチリした男の体で、髪には可愛らしいピン留め。炎の中心の揺らぎみたいなイエロー混じりの、赤くて長い、結われた髪。膝には、片手に収まるくらいの小さなトカゲのぬいぐるみを抱えている。
……この部屋の奥にあるベッドに、同じぬいぐるみがある。
写真と同じように、月日の経過を感じさせる薄汚れがついてるぬいぐるみが。
…………でも、横の二人は誰だろう?
この額縁の中の、赤髪の二人。
エイポンの赤とはまた違った、赤。
髪が長く、うねりの癖が強くて、一本重力に逆らって房が跳ねてる女の人と、眉がちょっぴり太くて、髪はストレートだが、つむじから一本の房が何故かカールを描いてる男の人。
…………よく見れば、二人共ラフェムに似てる。
まさか…………。
「フレイマンちゃんとフォマンダよ」
「うわああ!!!!」
「きゃあああっ!? 何!? ちょっと! 急に叫ばないでよ! お茶こぼすかと思ったわ!!」
「戻ってくるの早いですね!? ああ、びっくりした……」
写真を覗き見てた背徳感と、不意に声をかけられた驚きで、尻尾を踏まれた猫のように飛び上がってしまった。うー、心臓止まるかと思ったわ……。
あー、そういえば、ラフェムは氷を物凄いスピードで溶かしてたな……。
水を熱湯にするのはそれより簡単だろう。湯を沸かす手間無い分、お茶入れるの速いんだ……。
つーか、結局客人らしく座って待ってたフリが出来なかったぜ…………。
……それより、この写真の人、フレイマンとフォマンダっていうのか……。
彼女は俺の悲鳴に相当驚いたようで、「やだもうーやめてよねぇ」とか、ぶつくさ言いながら、渋い顔で、湯気が登る湯呑をちゃぶ台に並べた。
並べ終えるとこちらに来て、眺めていた写真立てを、繊細な硝子細工を扱うように優しく、そっと手に取ると、ちゃぶ台まで持っていって、腰を下ろす。
「ほらほら、遠慮せず座りなさいね」
……俺も、ちゃぶ台に戻ることにした。
彼女は、荒ぶる息と胸が収まるまで、じっと写真を見つめ沈黙していた。
そして、呼吸がいつもの状態に回復したのを見計らい、ゆっくりと口を開く。
「フレちゃんは、ラフェムの父親よ。フォマンダは母親。ほら、ね? そっくりでしょう?」
写真を、向かい合って座る俺達のどちらからでも見れるよう立て、二人をそれぞれ指指して説明すると、彼女は頬杖を突き、まなこを閉ざした。
「フレちゃんは、本当に優しくて格好いい漢だった。ふふ……今でもフレちゃんを巡ってフォマンダと争ってた青春は、まぶたの裏へ鮮明に映し出せる…………」
「えっ……と…………ラフェムのお母さんとは恋敵だったんですか?」
「ええ、…………そうね、もう本当に昔の話………………」
────────
フレイマン、フォマンダ、そしてエイポンは、物心付いた頃からすでに仲が良かった。
赤ん坊からの幼馴染であった。
三人はずっとずっと仲良しで、そりゃ喧嘩もしたけれど、最高の三人組だったという。
でも、成長するに連れて、フォマンダとエイポンに不思議な感情が心の中に孕んでいった。
それは恋だった。
ある日、二人はそのことを知り、友達からライバルとなった。
フレイマンを振り向かせるのは私だと、料理、スポーツ、狩り、木の実集め……凄絶な対決をしたらしい。
それで……なんやなんやで、彼はフォマンダを選んだという。
敗れ破れたエイポンは、気不味さから不仲や疎遠になると思いきや……フレイマンは、今まで通り、昔からの親友として接してきてくれた。
フォマンダも、最初こそどうすれば良いのかわからずギクシャクしていたが、夫となった彼を見て、またいつも通り、そして良きライバルとして仲良くしてくれた。
……実は、フレイマー夫妻が、かの龍を討伐しに行く前……。
「もしかしたら、生きて帰ることは出来ないかもしれない。もし、帰れなかったら……娘と息子、この二人が自立できるまで、どうか私達の代わりに親になって欲しい」
そう頼まれたのだと言う。
三人は愛を乗り越えて、子供を託せられる程の信頼と仲を築いていたのだった。
三人は、幼馴染で、親友で、恋敵で、家族……。
かつての物語を聞いていて、無意識に、羨望の念が湧いていた。
俺には…………いや、いい。
俺の過去なんかわからない、場違いだ。
……なんて、自分のネガティブな気持ちから目を逸らそうと意識しているうちに。
彼女は、今の昔話で語りたい気持ちが抑えられなくなってしまったようで、フレイマーが如何に素敵かをベラベラ、酔っぱらいのように駄弁り始めた。
「本当ね、フレイマンちゃんったら格好良くて可愛くて美しくて逞しくてぇ〜! ラフェムちゃん、すっごいそっくりなのよねぇ」
「は、はぇー……。じゃあラフェムの事も好きだったりするんですか……?」
「やあねえー! もちろん子供としては好きよん? でも、アタシが恋愛として好きなのはフレイマン。これはずっと変わらないんだから! フレイマンはねぇかっこよくて………………で……!! ……素敵……なの、……最高……」
彼女はいつまでもいつまでも、フレイマンが如何にフレイマンでクールでイケメンで素晴らしいかを語り続ける。
俺は男、好きなのは女。
男の良さを語られても共感しにくく気不味いのだが、彼女は止まらない。
本当に好きな人を嬉しそうに話すのをぶった切るのは、でっかいドラゴンに挑むより勇気がいる。
…………弾の一向に切れないマシンガントークに相槌うつのも疲れてきて、若干困ってきた時。
訪問者という救世主がやってきた。
「すみません、エイポンいますか」
「はいは〜い、ここにいるわよん、今行くわね」
入り口が申し訳無さそうにゆっくり開かれる音と、男の声。
エイポンは、機敏よく立ち上がり、訪れた誰かの対応をしに、部屋から去っていった。
ふう……運が良かった。
でもなんだか、今の訪問者の声聞いたことあるな……。うーん、誰だっけ?




