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#37 一難去ってまた一難

 「この怪我は…………?」



 恐る恐る、俺達二人は横たわる巨体へと近付いた。



 人なんか丸呑みに出来そうな大きな頭。側に寄って、その大きさを改めて実感する。

 そこに付いているはずの、美麗でありながら恐怖を胸に抱かせるあの虎目は、水色のまぶたに隠されている。



 眉間によったしわ、曲がった口角……腹の傷か、感電によるものか、激痛に身を蝕まれ苦しんでいるのが否が応でも伝わる歪んだ表情が、酷く自責の念を沸かせた。



 大男の慟哭のような風の音が、宙を舞う。

 竜が臥せた事で、絶えなかった冷風はようやく止み、本来の夏の空気がどんどん天井の穴から入り込んできて辺りを温めていた。



 強風と寒さで麻痺していた嗅覚が復活してきて、まずキャッチしたのは、嫌な鉄の臭いだった。



 眠る竜の傷を避け、胸にそっと触れる。


 その肌は暖かく、ゆっくりと脈打っている。竜はただ気絶しているだけのようだ。


 ライオンにでも襲われたのかと思ってしまうような、皮が捲れ肉が剥き出しになった生々しい傷は、一応血液が凝固して塞がれてはいるものの、軽々しく触れれば激痛を与え、再び出血をさせてしまうだろう。



 「このドラゴンは、単に怪我をして、ここに逃げ込んで養生していただけなのか……?」



 「……で、でも、奴は僕らを殺そうと……」



 「元々、ラフェムが殺意剥き出しで攻撃したからじゃないのか…………? 倒しておいてなんだけど、これはちょっと……可哀想だよ……」



 「…………」



 ふと、小さな風の音に気がついた。

 腹から離れ竜のたてがみに近付き、まさぐってみた。



 しばらく藪を進むようにたてがみを掻き分ける。


 たてがみは血に濡れ、乾いてパリパリしていたり、乾き切っておらずベタついていたり……悍ましい状態だった。……根本を見て、彼の体毛が褐色ではなく白で、染まっていた部分は全て血によるものだったことを知った……。




 う、痛っ……。


 尖った何かが、俺の手にぶつかる。


 何故か微量の風も音も聞こえ始める。

 そこを目指し、ねばつく毛の塊を押し分けた。すぐに手を刺してきたそれは姿を現した。



 ……俺の全筋肉が縮こまったかのような感覚を覚えた。



 初めて見る、手のひら大の、スコップの頭みたいな物が、グッサリと喉笛に食い込んでいて、その隙間から冷たい息がピューと小さな音色を出して漏れていた…………。


 おそらく、この竜の怪獣のような手では抜くことはできない。

 抜けなければ治癒もままならない。自然回復なんて尚更だ。

 狙ったかのような楔、迂闊に取り払えば命の危機さえある。



 ラフェムも、俺の様子が心配になったのか、後ろから竜の首の傷を覗いて、銀の刃物を見た。

 「そんな……」と、悲痛の声をあげた彼の表情は、青白く、そして曇っていて……幽霊でも見たのかと言った感じだった。


 ……えぐい傷跡を見てしまったからというよりも、この物体の正体を知っていて、その記憶に関して怯えているような感じだ。




 痛さが伝わってくる血深泥、風が止まったことで周囲に滞空する生々しい臭み。


 なんて酷いことをしてしまったのだろう、罪悪と後悔が押し寄せる。


 こんな怪我をして、苦しんでいる最中に、二人の武装した人間が殺意の眼光を放って近付いてきたら、誰だって、誰だって…………。



 「……医者を呼んでやってくれないか」



 震えた声が、勝手に出る。



 ……俺が言わなくても、ラフェムは助けを呼びに行っていただろう。


 彼は言われてすぐに、迷い無く走り出した。……先程まで瀕死だったから、その足取りは重い。

 バシャバシャと、水溜りが一歩ごとに跳ねとんで靴や裾をびしょ濡れにしているが、全く気に留めず広間を駆けていく。




 出入り口に積まれていた氷は半分ほど溶けて無くなっていた。

 それをよじ登って越えた後、すぐに足音は聞こえなくなった。



 「ごめんな……ごめんな……」

 温度差が小さくなったことで風が止み、しんと静まり返った洞窟の中。

 少しでも楽になればと、偽善的だが竜の頭部を犬のように撫でた。



────────



 全力で往復してきたのだろう。

 息を切らして、後ろに色々な人間を引き連れ帰ってくると、彼は俺の横で膝をついてしまった。



 ビリジワンの受付嬢二人、包帯っぽい何かやらなんやらを無造作に詰め込んだ籠を背負うエイポン、見知らぬ紫の柄が入ったマジックコートを羽織ったおじさん……あと、カフェを経営していたあの紫陽花髪の少女もいた。


 「うぉ、ほんとにドラゴンだ」

 「早く治してあげないと」

 「人間用の医学が通じるかはわからないけど……全力を尽くしましょう」



 皆が続々竜を囲む中、カフェの少女は俺を見つけ、側へと近寄ってきた。




 「あ、あの……昨日は、どうもありがとうございました」



 「あ、ど、どうも……して、どうしてここへ……?」


 受付嬢とおじさんは治療係と仮定するとして、エイポンは普通に荷物運び……。


 街の小さなカフェを営む彼女が、何故この場に来たのかわからなかった。



 ……ただの野次馬なんじゃないか? そんな猜疑の心が胸に浮かぶ。彼女がそんな人間には思えないが、一応聞いてみた。


 ……普通に、俺の探りに気付いているのだろう。彼女は寂しそうに微笑むと、目線を俺から外した。



 「ボク、超魔法使いに生まれたので、故郷では人を助けるための医者になりなさい、って、ずっと言われてきたんですけど……。生まれ付きの魔法で、人生を縛られるのが嫌で、この街に逃げてきたんです…………」



 「でも、誰かが傷付いて苦しんでいるときに、そんなわがままで助けないなんて、最低だって思って……。この街には、超魔法使いがあのおじさましかいないみたいだし……。だから、少しでも役に立ちたいって思って来たのですが……やっぱ駄目だったかしら……?」



 「!? いや! 全然! そんなことないよ!! ドラゴンを楽にしてやってくれ……彼を傷付けた俺が頼んでいいことじゃないけど…………。野次馬かと思って……ごめん、本当にごめんなさい……」



 疑った己を引っ叩きたい衝動に駆られた。彼女にあんな顔をさせてしまって、凄く申し訳ない気持ちになった。


 なんとか彼女に気の利く言葉を掛けてやりたかった。

 だけれども思い付くよりも前に、おじさんの「嬢ちゃんも手伝ってくれ」という声で、俺達の会話は終わりを迎えてしまった。


 彼女は元気に返事すると、竜を囲む輪へと加わっていった。



 「はぁーっ……はぁ……、助かるかな、ドラゴン……。僕、聞きたいことが……あるんだよ……」


 ずっとしゃがんでいたラフェムが、ようやく立ち上がった。

 しかしまだ肩で息をしているし、膝はガクガク笑っている。


 「助かるといいんだけど……。医療の素人には何もわからない……待つしかない……」


 俺たちはぼんやりと、身の内に渦巻く後ろめたい気持ちをぐっと抑えながら、手当を受ける竜を見守っていた。



────────


 竜は、丁度声帯の所を刺されたらしい。


 彼が勝負のどの状況でさえ声を上げなかったのは無口だった訳ではなく、声帯を掻っ切られたがため、音を発せなかったと言う訳だ……。



 引き抜いた鱗を見て、大人は口々に「人食いの竜」のものに似ていると不安げに漏らしていた。


 それを聞いたカフェの少女は、人食いの竜を知らないようで首を傾げた、一方ラフェムは顔を顰めて俯いていた。





 ……人食いの竜は、かつてラフェムの両親が、命を懸けて討伐しようとしていたドラゴンの事であった。




 エイポンが口を滑らせその事を漏らし、それを切っ掛けにラフェムがあからさまに不機嫌になってしまったがため話題が変わり、詳細までは知れなかった。



 ともかく、この氷の獣竜は人食竜に襲われたおそれがある……今知れるのはそれだけであった。



 もし人食竜による怪我の場合は……この竜は故意に声を奪われ、死にはしないが暫くの間もがき苦しむ傷を与えられたという事になるらしい。

 あいつは、一般のドラゴンと争って負けるほど、やわではないから。

 その気になれば、お遊び感覚で同族さえも殺せるから。

 あいつは、命をそうやって苦しめるのが大好きだから、だって……。




 一応、今までの異常気象の根源を発見し、解決しようとしたことは褒めてくれた。

 けど……怖い目にあった竜を、何も知らぬまま襲い殺そうとした事は、人間と竜の軋轢を産まぬためにも、竜の今後の為にも……ちゃんと向かい合って謝ったほうが良い。

 そうエイポンに示唆された。




 ……言われなくても、当然そうするつもりだ。




 胴の傷、声帯と気道の損傷以外、悪いところは無かったらしい。

 措置を済ませた人々は、ついでにラフェムの腹部も治療して、竜の容態を気に留めながらも、元の居場所へと帰って行った。


 俺と、ラフェムと、万が一の場合に備えたエイポンの三人は、この場に残って竜の目覚めを待つ。



 傷を隠すよう丁寧に貼られた純白の布。

 首に、息が漏れないようにぐるぐると何重にも巻かれた包帯。

 治療に使った薬と草の香りが漂う岩の中、竜は気絶で痛みから解放された為か、今は穏やかな顔をして、すやすやと眠っている。



 天の穴から覗く空は赤に染まり、オレンジ、緑、紺と姿を移り変えていき、やがて真っ黒になった。


 星明り如きでは、十分な明かりを賄うことは不可能だ。


 エイポンが優しい炎を、俺達と竜の間の空にポッと浮かべた。


 ……しっかし、暑い。

 着ていた上着はとっくのとうに全部脱いでいたが、それでも暑い。ついに我慢の限界で、コートを脱いだ。



 初めての夏らしい夜だ。

 どこに隠れていたのだろうか? 不思議な虫の音が、遥か遠く……森から幽かに聴こえてくる。

 鈴虫でもコオロギでも無い声だが、聞き惚れてしまうほどに美しい。

 海のさざ波、虫の合唱、穏やかな風……本当の夏に耳を傾けていると、大きな物音が、安らぎの音を突如遮った。



 竜が目を覚まし、顔を上げたのだ。


 すぐ患部の違和感に気付き、また俺達の存在にも気付く。



 天敵が目の前で座っているのだ、威嚇するように扁平な尾を高く上げ、牙を剥き出しにし、風を吹きだした。


 ……構うものか。ようやく彼が起きたのだ、言いたいことを全て告げなくてはならない。



 「ドラゴンさん、あの、その、ごめんなさい……」



 すぐに竜の前へと出て、土下座する。



 やはり怒っているのだろうか……追い払おうとしているかのような冷たい逆風は更に強まるが、ここで食い下がらず逃げるのは、誠意が足りていない証拠だ。



 「事情も知らず、一方的に悪者だと決めつけて、あなたの命を奪おうとしてしまった事、本当に後悔しています……。怖がらせて、傷付けて、ごめんなさい」




 ……風が弱まった。


 やはり戦いや人食竜によるダメージが大きくて、力がろくに奮えないのだろうか……。



 ドス、ドスと、重い地響きが近付いてきた。


 目前でそれが止むと、コツンと、なにかが俺の頭を小突く。

 そして、なにかに体勢を変えさせられる。竜が犬のように、鼻先を下から潜り込ませ、俺の頭を上げさせたのだ。彼は俺を起こし終わると、ペロリと顔を舐めた。

 よだれから血の臭いがした。

 竜は一歩後ろへ下がると、ぴすぴすと鼻を鳴らし、申し訳無さそうに首をもたげる。


 彼も彼で、こっちを殺そうとしたことを申し訳無いと思っているのだろうか……?


 「そんな、ドラゴンが、こんな親身な態度を取るわけが……」


 ラフェムが、信じられなさそうに呟いた。

 彼は、恐らく近付いたドラゴンが俺を踏み潰すと睨んでいたのだろう。すぐにでも魔法で追い払えるよう手に炎を宿しているのだが、エイポンに手首を捕まれ邪魔されている。



 ラフェムの戸惑いを聞いたドラゴンは、彼に向かってフン! と鼻を鳴らし、睨みつけた。そりゃそうだ。



 「……ラフェムちゃん、いくらドラゴンが憎くても、そんな偏見持っちゃ駄目よ」


 エイポンはまるで母親の様に、ふくれる少年を真剣に諭す。


 叱られてしまった彼は、口をへの字に噤んで、斜め下を眺めて考え込んだ。


 数秒して、竜にこれまでの無礼を端的に謝った。


 誠意のイマイチ篭っていないぶっきらぼうな謝罪に、竜は不服を顕にし、ジトっと彼を睨み続けている。



 ラフェムを庇うように、補足するように、エイポンが「ごめんなさいねぇ。ラフェムちゃん、昔ドラゴンに両親を奪われているのよぉ……」なんて説明したのだが、竜はそんな事など知らぬ存ぜぬと言った感じで、二人の炎使いを睨んだままだ。


 エイポンは戯言を紡ぐのを止め、気不味そうにウフフと笑う。

 ラフェムは、居心地悪そうに眉を顰め目を下へ背けた。



 ……俯いたことである事を思い出したようだ、胸ポケットを漁りはじめる。




 彼の服の中から、一枚の、先程喉から摘出した三角の平べったい銀が現れた。



 炎に照らされ、怪しく鈍く、凶器は輝く。


 その光が竜の目に焼き付くと、瞳孔はまん丸に開き、表情も一瞬で怯えに変わったが、ラフェムはそれを気に咎める事も無く、淡々と問い始めた。



 「聞きたいことがあったんだ。これは、僕の親を奪ったドラゴンの鱗に凄く似ているんだが。……お前を襲ったのは……腕が翼の、黒いドラゴン……なのか?」



 怨みを秘めた、少年の無慈悲な審問。

 竜は鱗の姿を捉えると、何かトラウマが甦ったらしく、縮こまって、キュウキュウ鼻で鳴き始めた。


 そして俺の影に隠れる。アレが自分の視界に入る一切の事を、自分を襲った凶悪な生物について触れる事を、竜は拒絶しているようだ。


 明らかな怯えを目の当たりにした彼は、遠慮することなく、それどころか食い入って捲し立てた。



 「教えてくれ、教えてくれよ……。僕の父さんが、母さんが帰ってこないのは、それっきり忌まわしき竜が姿を見せないのは、ずっと相打ちしたからだと……思ってたのに……願ってたのに……。あの化け物は……生きてるのか……?」


 ラフェムは俺の隣までゆっくりと歩んでくる。ドラゴンは、その倍の距離後退った。

 振り絞るように少年は問い、ドラゴンは出せぬ声の代わりに、必死にクンクン泣いて、その尋問を掻き消そうとする。



 ……互いに不憫で、胸が痛くなってきた。


 ……まるでいたいけな子犬を虐めているみたいだし、少年だって苦しみを圧し殺して述べ続けても、良い結果どころか何かさえも得られない。



 「……やめようぜ、ラフェム。ドラゴン、酷く怖がってる。そもそも話せないんだしさ、どうしようもないよ」


 「だ、だがあの忌まわしき竜が……もしかしたらこいつは何かを……」


 恨む仇の気配を前に、負けん気の少年は当然、引き下がってくれない。


 彼自身も、答えを得ることは出来ないとは心の奥底ではわかっているのだろう。

 その揺らぐ目は、まるで駄々をこねる子供のよう……突然竜が喋りだして、答えを、できれば「そんなドラゴンには襲われていない」と言ってくれるとか、ありもしない都合の良い奇跡が訪れてくれると、盲信し縋っている風に見えた。


 少年は言葉としての意味がない、唸りと否定を繰り返したのち、黙まって俯いた。

 ぼんやりと虚無を眺め、鱗を持っていた手をおろした。


 やっと諦めてくれたか……?

 そう思ったのもつかの間……彼は一歩を踏み出した。

 盲目の老牛のように、道を塞ぐ俺にぶつかっても尚、体を押し付け、竜へ寄ろうとする。


 「おい! やめろって!」


 「どうして止める……!? 知りたいだけなんだよ……。ドラゴンが生きてたとしたら……またあの地獄が始まってしまうんだ、だから……」


 「う、う……」


 髪の奥。覗く彼の真紅の目が放つ眼光は、憎そうに握りしめられた鱗にだけ注がれていた。


 竜の喉に刺さるほど鋭利な鱗は潰れる事は無く、逆に少年の手のひらに食い込んで今にも皮を裂こうとしている。


 そして傷を拒絶する魔法の赤が、本来裂けるべき鱗との接触面から血のように吹き上がって、暗い洞窟に慣れた目を眩ませてきた。


 俺は必死に踏ん張って、侵攻を妨げる。

 彼は亡霊のように、俺という障害物に目もくれず、避けることも無く、突破しようと押してくる。



 彼の無意識の躊躇がどんどん薄れていくのを感じた。

 押し退けようとする力が、どんどん増幅しているのだ。



 二人共、気の毒で仕方がなくて……ドラゴンを守る為彼を戒める言葉を吐く事も、彼の為に逆らわず嫌がる竜の元へ通す事も出来なかった。



 俺には決断力がなかった。

 部外者の俺には、何か正しいか量れなかった。


 俺は黙って、二者を遮る壁という現状維持に励むしかない……。


 どちらの味方にもなれない……。



 どうしようなんて苛まれてる間に、急に、俺に伸し掛かる力が消えた。


 エイポンが、ラフェムの肩を掴んだのだ。


 「は、離せよ!」


 不意に邪魔をされ、肩を固定する手を振り払おうとする。


 だが、流石は筋肉隆々の大人。振り解くどころか、肩から串を通されたみたいに少年の体はビクともしない。


 彼女は力尽くで彼を振り向かせると、真剣な表情で、錯乱に揺れる瞳を射竦める。


 「ラフェムちゃん、やめなさい……。あたしだってあのドラゴンのこと、死ぬほど憎いわよ。でも、話したがらないし話せない、苦しめられたこの子をまた苦しめるなんて、あいつとやってることが同じじゃない」



 「…………なんで? なんでだよ! なんで!!? ただ知りたいだけなのに……アイツなのかそうじゃないのか、それだけで構わないのに……」


 「でも…………あのドラゴンは喋れないでしょう? ……」



 ブオオオと、冷たい強風が、二人の泣きそうな声を掻き消した。



 声無き竜の雄叫びだ。



 ドラゴンはその青い巨体を、強靭な後ろ足で持ち上げて、馬のように立った。


 肌色の飛膜を一切のシワ無く張らせ、前足は胸の前に畳み、爪を合わせてVマークを作る。

 尻尾を股の下から潜らせ前に持ってくると、それを蛇のように揺り動かす。


 そして、出ないはずの声が、世界を嘲笑うかのような蔑みが、実体を持って聞こえてくるような邪悪な笑いを浮かべた。



 まるで、別種の風貌だ。



 この物真似こそが……言葉による疎通の出来ないドラゴンなりの……同じ被害者であるかもしれない二人のために、勇気と根気を振り絞った、精一杯のメッセージであった。

 


 彼のラフェムもエイポンも、釘付けにされたように、絶望の形相で聳え立つ巨体を見上げていた。



 …………先程まで倒れていた彼の体力はまだ回復していない。傷も一切癒えていない。


 すぐに竜の作っていた悍ましい笑顔が苦痛に歪むと、それを合図に砂の楼閣の如く、下から溶けるように崩れ落ちた。



 もう体重を支えることも困難なようで、胸も腹も大地に接して、ゼーゼー息を吐いている。


 「教えてくれて、ありがとな」



 俺は竜に近付き、マズルというべきか、目と鼻の間を優しく撫でてやった。


 自分を苦痛の淵へ突き落とした、思い出すのも恐ろしい竜の真似を、同じ被害者かもしれない、しかし仮にも自分を殺そうと迫ってきた人間の為に、力を振り絞って演じてくれたのは、称賛に価すべきことであり、感謝すべきことだ。


 竜はフンスと不機嫌な鼻息を吹くが、満更でもない様子だ。




 一方、炎使い達は……その場に立ち尽くしたまま、震えた声で呟いていた…………。


 「人喰いの飛龍……。あの姿は、間違いなく、人喰龍……」

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