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#36 炎氷銀河と塩の影


 氷を溶かし続ける……明確な目標と打破の光を知った彼の動きは、更に磨きが掛かっていた。


 壁、竜の撃った氷や風……利用できるものは全て利用して、天空を舞う大鷹の如く、広い洞穴の中を少年は飛び回る。



 ドラコンだって負けてはいない。左脇腹を見せる形の伏せを崩しはせず、無数の氷の槍、銃弾、吹雪、ナイフ……パターンなど見つけられぬ無数の弾幕を、空間一杯に張り巡らせている。



 ……よしよし、氷を溶かした後にやろうとしている事は、まだ感付かれて居ないようだ。




 レベルの高いドンパチの中、俺は拙い火球で援護する。

 ……炎魔法以外にも、物や他の魔法も出せることを隠しながら。

 ラフェムが詰められぬよう、彼の逃げ道を確保したり、不意打ちを打ち消したり。

 これが役に立っているのかどうかは怪しいところだが。




 彼らの衝突の轟音に耳が慣れた頃。


 竜の六角の水嵩が、若干だが下がってきた。

 水は、動くと足裏に付いてきて跳ねる、雨の日の鬱陶しい地面程度には貯まってきた。だが、これではまだ足りない。


 あの竜が伏せるのを躊躇うほどの、俺達の靴底が浸るぐらいの、そんな水溜りになる程度には水がいるんだ……。




 無口な竜の心を表すような唸る風。


 寡黙な男の魂を示すようなざわめく焔。


 陽光の遮られた薄暗い石の中。



 争いは、どんどん激化していく。



 散らばった水の宝石は、赤の煌めきを取り込んで乱反射し、ますます輝かせて、本来無色のはずのその身を幻想的な七色に染める。



 空に舞うは、変幻自在にうねる氷礫と吹雪の虹色の軌跡。

 まるで、西洋竜と守護する東洋竜の二体と戦っているみたいだ。






 もう、視界は二人の輪郭を捉えられないほど、荒れ狂う冷気と熱気と風で霞んでいた。


 両者の攻撃速度は増し、より複雑な螺旋やカーブを描いては互いに打ち消し合う。


 弾同士が正面衝突して弾け、液体が大地に注がれ、炎魔法と竜の能力が空気を押し出して流れていき……。


 バトルテンポの急上昇によって、地を這うようなものから、針に刺されたような金切りまで、全ての音色が混ざり合い、視界の悪さも相まってもう何がどうなっているのかわからなくなってきた。



 双の猛者が意識するのは、もはや対立する猛者のみ。



 もうドラコンは俺に向って不意打ちはしてこないし、もしされたとしたら、ラフェムは反応が刹那遅れるだろう。



 ついて行けない俺は、床に嵩む水を確認しつつ、固唾を呑んで見守るしか出来る事が無くなっていた。




 降り注ぐ不安定な雨、虹色の銀河と星雲、それを鏡映しにする水溜り。



 幻想にすっかり気を取られ、ラフェムの動きがおかしくなっていることに、今更気付いた。



 いつから片鱗を見せていたのだろう、どうにもおかしい。


 あんなに元気だったのに、動きが鈍くなっているような……まるで疲れているようだが、あのラフェムが飛び回ることに疲れたりするだろうか……。



 ……もう水は充分だ。


 これ以上戦わせ続けるのは危険だ、次に移行する為にも、彼を呼び寄せよう。



 そう思って息を吸う、それが声として吐き出される前に、ラフェムは想定外の形で戻ってきてしまった。




 打ち負けたのだ。



 舞い散るダウンジャケットの白い羽根。

 飛び散る紅の光。


 ラフェムが負けるはずがないと無意識に慢心していた俺の網膜に、残酷な白と赤が焼き付いた。

 



 彼は氷の銃弾に胴を穿たれ、大地へ流星の如く落ちてくる。

 咄嗟に両手を掲げ、その身を受け止めた。


 あまりの勢いに俺の力では止め切れず、尻もちをついてしまい、ばしゃりと水飛沫があがる。


 ズボンは若干の撥水性があるとはいえ、この量の中に落ちてしまっては、もはや撥水能など虚無。


 布を透過してきた氷溶け水は、鳥肌が立つほど冷たかった。



 「畜生、油断した……」



 ラフェムは、湖に腰を浸したまま、厚い上着を貫き腹部に留まる氷柱を、震える手で引っこ抜こうとする。

 しかし、どうにも力が入らぬようで、手の中でツルツル滑ってしまっていた。


 代わりに俺が取ってやろうとした。

 のだが…………偶然触れた彼の手は、死人のように冷たかった。



 彼の手は灯火のように暖かったのを知っているから、尚更嘘のように思えて、真実を確かめるように手を握ってみたのだが、間違いなく凍ったような体温だ。


 「暖かいな……」


 「この冷風に晒されてる俺の体温なんか、お世辞にも温かいなんて言えないはずなのに……なんでこんな冷たいんだよ……?」


 「そりゃ、炎をあんな多量の氷にぶつければなぁ……」



 苦笑すると、刺さったままの氷を抜こうとまた手を滑らせ始めた。



 ……炎使いなのに寒がりだなと思っていたが、炎使いだからこそ寒がりだったんだ。


 魂の具現だから、冷やされてしまえば魂も熱を奪われてしまうんだ。


 互角だと勝手に思っていたが……魔法でない氷を使う竜と、魔法の炎を使う人間の戦いは、圧倒的に魔法が不利だったんだ……。


 ただ綺麗だと突っ立って、光と宝石の舞を眺めている間にも、彼の体力はじわじわと……。

 偏見と無知で、彼を苦しめてしまった…………。



 太い氷針を抜いてやる。

 重ね着していたダウンジャケットのみぞおち辺りに、握り拳ほどの孔が空いてしまった。中に詰まっている羽根が、破れた場所から身を乗り出している。どれも皆、弱々しい薄れた炎を纏っていた。


 ラフェム自体は、幸い浅い刺し傷程度のダメージしか負っていなかった。

 だが、この世界の人間が血を流すのを見るのは、これが初めてだ。


 トカゲと同じように、傷口からは赤の光とモヤが僅かに血と共に溢れ出している。

 半端ではない闘志を燃やす彼に、血を流させるほど威力、地球の人間なら、ドーナツになっていただろう……。




 彼は、ふぅ、と疲れたような吐息を漏らしながら、ゆらりと立ち上がった。

 そして、寒そうに腕を組み、弱気な猫背になってカタカタ震え始めた。


 向き合った彼の目は、未だ闘志が宿っているものの、表情は明らかに病に伏す前の人間のそれだった。

 もう、彼は戦えそうにない。


 「ラフェム、本当に大丈夫かよ……?」



 「あ、ああ……まあ……僕は、負けるわけにはいかないから……それで、水はもう……足りるんだな……?」



 「うん、ありがとう、すまない…………」



 ヒュウヒュウと、風邪の時に喉から鳴りそうな小さな音が聞こえ、竜の方を注視する。



 ……攻撃の前兆かと思ったのだが、どうやら違うようだ。


 大きく速い胸の上下が、褐色のたてがみの上から見えている。奴は、必死に足りない酸素を取り込もうとしていたのだった。


 ドラゴンも、嵐を起こし続けていたので一応は疲れている様子だ。

 囲うように暴れ吹いて、竜本体を守護していた風は薄れ、立派なたてがみが水に浸かっていても、嫌がって立ち上がることさえもしていない。



 ……好都合だ。ラフェムは限界、竜は疲労していて、水は満たされている。今こそが、最初で最後のチャンスか。



 ……失敗できない、後戻りできないこの状況に、寒いはずなのに汗が滲み出る。


 失敗への恐怖なんかに負けてはいけない。胸の内で、己を鼓舞する為、何度も声をかける。

 俺なら出来る。

 …………大丈夫、充分環境は整った。

 絶対に上手くやれる。生き残って、ビリジワンに帰るのだ。


 絶対に、成功させる。




 『パラシュート』


 本にその六文字を書く。


 ふわりと目の前に、大きな緑の布袋が現れた。


 横幅は俺の身長の三倍か四倍か、もしくはその中間ほど。パラシュートにしては小さいが……恐らく、俺が作る事の出来る物の大きさの上限なのだろう。


 だが、それでも充分だ。


 急いで手を通し、身に着けた。


 ラフェムは、巨大な布を唐突に出した事がどうにも理解出来なかったようで、僅かに吹く風に持ち上げられ、俺の脳天でふわふわ浮くクラゲのようなパラシュートを、目を丸くして見つめていた。


 「なんだこれは……」


 「それどころじゃない、俺の足にしっかり掴まれよ!」


 「え?! 足!?」



 『フィ・ヴァンエント』

 『フィ・ヴァンエント』

 『フィ・ヴァンエント』



 ルシエが湯船で語ってくれた夢を、彼が見せてくれた不思議な魔法の風を、心の中で色鮮やかに思い描いて、天を仰ぎながら三度風魔法の詠唱を書き殴り、本を掲げた。



 ……賭けだった。

 本の性能を試したときに、風魔法は使う事が出来なかった。

 もし、単に風魔法を見たことも触れたことも無かったから出せなかったのだとすれば……ルシエに出会って風魔法を知った今ならば、出せるようになっているのかもしれない。



 予測は当たっていた。

 水色の魔法陣が展開され、パラシュートの内側に、三つの風の塊が突撃した。



 刹那、俺の背は力強く引っ張られ、足は水に満たされた大地から引き離された。


 同時に、足首を雪に鷲掴まれたような感覚がする。無事、ラフェムも空へ付いてこれたようだ。



 人二人の重量が掛けられても、風の勢いは止まず、俺達の身は一瞬で空高く翔び上がった。



 「なるほど……。このまま飛んであの空の穴から外へ逃げるって訳か……! ……ま、まあ、僕たち二人じゃ力不足だったしな、仕方ないよな、僕たちの負けだ……さあ、今度は後ろに風魔法を……」



 感心し、かたや落胆し言うラフェム。


 未知の魔法に戸惑いつつも、どんどん高度が上がる二人を連れたパラシュートを、逃さまい、すぐにでも墜落させようと、息を荒げたまま氷の砲弾を作り始めるドラコン。





 俺の狙いは…………。




 「逃げはしねえ。そして俺達は勝つ」




 『ライ・サンドラグロム』


 『ライ・サンドラグロム』


 『ライ・サンドラグロム』



 再び三回、今度は雷魔法の名を書き殴った。



 「な、な、何してるんだショーセ!? お前見てただろ! 空から撃ったって、風で掻き消されるぞ!!」



 ドラゴンは、球を生成するのを一旦取り止め、得意げに嵐を身に纏う。

 このまま龍の脳天目指して行けば、最初のラフェムの魔法のように、風に飲み込まれて電気は消滅するだろう。



 ああ、彼の言う通り、この攻撃は、弾かれてしまう……。



 ああ、悲しいなぁ……。



 ドラゴンを狙っていたら消えちゃうよなぁ。でも、俺は…………。



 轟く黄金の閃光は、竜なんてそっちのけで、水溜りの中へと堕ちた。


 「外した!? ……いや、違う!? 雷が地面全体に……!?」



 バチバチと、痺れる轟音が、風の音を上書きする。

 一瞬で、そのまばゆい光は水全面に拡がって、黒い大地を眩い白に包み込む。




 ……。

 ……この場所は、塩が豊富なんだろ? それも、壁やらに付着してるんだよな。

 つまり地を這った水には、たんまり塩分が含まれている。


 塩とか、そういう不純物が入っている水ってのは、電気を通しやすいんだ。


 多分俺ぐらいの歳なら、学校で習っている当たり前の知識だ。


 奴は魔法ばかりに気を取られて、足元を疎かにしすぎた。


 ずぶ濡れの足で、電気よりも速く、感電しない場所に逃げられるか?

 そんなの無理だね。足踏ん張って風の盾を展開していたんだもの。



 風魔法を調整し宙にプカプカ浮き続け、巡る雷を眺める。




 何十秒かして、床の発光が収まった。




 あんな煩く吹き荒れ続けていた風は止み、海のさざなみが聞こえるほど静かになった。


 俺達は、ゆっくり地へと降りる。


 


 「は、ははは! よっしゃあ! 僕らの勝ちか! へへーんだ、ざまあみろドラゴンめ! …………あれ……?」


 ラフェムは心底嬉しそうに電撃を喰らった竜を小学生のように煽ったのだが…………竜の真の姿を捉えると、口は閉ざされ、その目の色は哀れみと後悔に染まった。




 伏せのポーズを取っていたあのドラゴンは、気絶して横に倒れている。




 ……ずっと隠していた右脇腹を…………謎の爪跡が痛々しく残る胴を晒して。



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