#35 決戦!凍てつかせし獣竜
黒岩の洞窟、その果ての大広間。
月夜には勝るが白昼には負ける、そんな薄明かりの元で、人間の何倍もの大きさを誇る巨大な竜と、ちっぽけな俺たち二人は、言葉を交わすこともなく、ただ静かに睨み合っていた。
炎を操る熱い男と、憶測だが風を操る冷たい獣。
この二者に、唯一共通しているのは、眼光に宿す殺意だけだ。
今まで繰り広げてきた勝負など、ままごとレベルに変えてしまう、凄絶な殺し合いの火蓋が、まさにこの瞬間、切られようとしていた。
俺たちは、獣竜へと向かってゆっくりと重心を傾け、片足に力を溜めに溜める。
悟られぬよう、じっくり、ゆっくりと。
竜は、こちらの出方を疑っているのか、じっと虎の目で見据えていた。
「今だ、行くぞッ!」
沈黙の睨み合いを切り裂く様に放たれし、炎の号令。
その掛け声に合わせ、俺は屈強な大地を蹴った。
弾丸のように飛び出す二つの躰。
一歩一歩を、床を抉る勢いで蹴り出し、猛スピードに更なるスピードを重ね、一気に距離を詰める。
「喉を狙うぞ!」
「オッケー!」
阿吽の呼吸で、宙へ跳ぶ。
赤褐色のたてがみに覆われた、ドラゴンの喉笛はもう目前だ。
毛に覆い隠された首を討ち取るべく、俺は白銀の剣を、ラフェムは烈火の剣を、渾身の力で振り被った。
ドラゴンは、迫り来る二人の人間を恐れはしなかった。
むしろ、鼻で笑って……
「ぐ、が……っ!?」
重い一撃が、横腹を抉る。
巨体からは想像も出来ない、機敏な薙ぎ払い。
目に見えぬ程の素早さで、斜め上へと振り上げられた右前足に、俺たちは纏めて打ち上げられる。
「うぅ……ッ! ゲホ、ゲホ……」
痛みに閉じた目を開ける間もなく、俺は壁に貼り付けられた。
叩き付けられた事自体は、厚着のお陰で和らげられたのだが……背負っていた硬い鞘が、俺の背骨に食い込んだ。
背骨がすっぽ抜けるかと思うぐらいの激痛に、思わずむせる。
……あ!? やばい! 落ちる!
状況というのは、止まってるものではない、常に進んでいるのだ。壁から剥がれ落ち、真下へと体が吸い寄せられる。
壁に叩き付けられた次は、重力で床に叩き付けられる…………と思いきや、ラフェムが空から降ってきて、俺を追い越した。
そして、武器のレイピアを消し飛ばし、優しく両手で俺を掴んで、そのまま米俵のように抱えると、そのまま着陸。…………た、助かったぁ……。
彼はすぐさま俺を下ろすと、心配そうに眉をひそめながら、背をはたく。
塩か岩のクズか、小さな硬い粒が落ち、サラサラとせせらぎのように鳴った。
「大丈夫か?」
「ごめんごめん、平気。それよりもドラゴン……どうする? 今までのようには行かないようだぜ」
こんなの大丈夫だ、決死の争いの序盤に過ぎぬのだ。この程度で狼狽えてなんかいられない。
「やはり一筋縄ではいかな……なっ!? 危ないッ!」
突然ラフェムが叫び、両腕をドラゴンの方向へ突き出した。
即座に、俺たち二人の何倍もある、巨大な炎の壁が目の前に展開された。
何かを受け止めたのだろう、すぐに強烈な衝撃と爆音が巻き上がる。
盾から、ギリギリと刃物が競り合うような悲鳴があがった。
ぶつかってきた何かは、止められてもなお勢いが衰えない。厚い炎を無理やり穿き、そのまま俺達を殺そうとしているかのようだ。
盾を生み出した彼は、猛風にも揺らがぬ大樹の如く、深く腰を落とし微動だにせず踏ん張っていた。
謎の攻撃から身を守る以外の感情も思考も、全て削ぎ落としたような、鬼気迫る表情。
口は固く噤まれ、鋭い烈火の瞳は、盾越しの攻撃だけを見つめている。
……今まで、彼がこれ程まで真剣な姿を見せたことがあるだろうか?
否、無い。
黙然な獣竜が、如何に異色で恐ろしい力を持つか……不本意ながら、はっきりと思い知らされた。
ラフェムの口元がわずかに強ばった。
共鳴するように炎は、ますます赤く、強く燃え盛る。
擦れ合う金属音から打って変わり、油で揚げたような轟音が響き始めた。
ジュワジュワという響きと共に、凄まじい熱気が盾を回り込んできて、冷やされていた肌身を焼く。
しばらくして、その音と風が消えると、彼の構えと表情が少し緩んだ。
どうやら、攻撃を止めきったらしい。
「……氷だ」
声も出せぬほどに熱心に炎を広げていたラフェムが、ようやく口を開き、そう呟いた。
「氷?」
「そうだ」
彼は張っていた腕の力を完全に抜いた。盾はそれを合図に、燃え尽きた紙のように、空へ溶けるように消える。
先程まで、俺らにぶつかってこようとしてきていた筈の何かは、ひらけた視界の何処にさえも無かった。
「君は見てなかったかもしれないが……君を心配していた隙を狙って、奴は弾を撃ってきた」
寒そうに腕を擦りつつ、焔の目でドラゴンの動向を監視しながら彼は言う。
竜は、こちらへ進んでくることはなく、それどころか胴を床に付け、犬でいう伏せの体制になった。
顔だけこちらに向けているが、「お前らなんかに負けるわけがないだろう」とでも言ってるような、軽侮の顔だ。
その態度にかすかに腹が立ったようで、彼の眉がピクッと痙攣した。
「透明の岩のような弾……。咄嗟に防いだけど、とても冷たかった……。魔法なのか、そういう器官が備え付いてるのかはわからないが、とにかくあのドラゴンは、氷を操っている」
言葉の途中、横槍として発射された、数個の輝く投げナイフ。
卑怯な手に、ラフェムは動じることなく、バスケットボールぐらいの火炎弾を、ナイフと同じ数だけ迎え撃った。
完璧なエイムで、炎魔法は透明のナイフを飲み込んだ。
ナイフはたちまちその姿形を残さぬ液体となり、床へと落ちた。
「元々の水は、あの六本の角の中に入ってるやつを使ってるようだぞ。さっき氷礫を出してきたときに、瓶をひっくり返したみたいに中で泡があがってたからな。今まで出してきた氷の量に対して、角の水が全然減ってないのと、さっきの泡が溜まってないのが不思議だが……」
ラフェムが敢えて目前ギリギリで相殺したナイフの成れの果てを、しゃがんで観察してみる。変哲の無い、透明の水だった。
「……あの角を壊せれば、勝算があるってことか?」
「ま、そうなるな。重点的に狙うぞ。……刺されたり、凍死する前にな!」
俺と彼の間に、再び撃ち込まれた氷塊。
すかさず玉の進行方向に垂直になるよう跳んで、直撃を避けた。
しかし砲弾のような巨大な玉は、大地に着弾するや否や、その勢いでバラバラに砕け散り、無数の鋭い礫となって、まだ宙に浮いている俺たちへ向無差別に襲い掛かってきた!
榴弾かよ? 頭の切れる奴め!
半ば反射で体を丸め、四肢を盾にし、なるべくダメージを減らそうと試みる。
細かな刃が体に当たる度、バチバチと、漏電するケーブルのように、緑の火花が散った。
ハリケーンのような、一瞬で猛烈な礫が過ぎ去った後、すぐに姿勢を直し、着地する。
咄嗟の事で目に掛かってしまった前髪を払っていると、丁度、火を纏って散弾を溶かし負傷を防いだ彼の着地が見えた。
……散弾のお陰で、彼と離れてしまった。
バラバラなのは危険だ。
彼のそばに戻ろうと思って、一歩踏み出すが…………二歩目は無かった。
丸太のような氷柱が飛んで来て、俺の足の先を掠めてきたからだ!
当たり損ねた弾は、そのまま奥の壁へと衝突し、けたたましい音をあげた。それが生み出した風圧に押されたすぐ後に。
……俺の一歩があと少し大きければ、俺の足は粉砕骨折していただろう。
あんなの、体に直撃したらトラックよりヤバイだろ……いくら魔法で強靭になってるとはいえ、即死じゃないか……!? 第二の人生もバラバラ死とか、絶対嫌だ……。
怯える俺に慈悲もなく、今度は無数の鋭尖が、ガトリング並の量とスピードで、胴を狙って撃ち出された!
あんなの当たったら堪らない! 俺は全力疾走、死ぬ物狂いで駆け出した。
堪る攻撃、少しぐらい出してくれよ……!
足を止めたが最後、全身蜂の巣になるだろうってぐらい怒涛の氷牙が、逃げる俺の背を追う。
間断無く発射され続ける、弾丸のあまりの密度に、軌跡は一匹の輝く大蛇のようになっていた。
外れた弾は、この空洞のどこかにぶつかって粉々になる。その破壊の轟音に鼓膜を劈かれる。その粉氷が熱を奪って冷えきる空気に肌を刺される。
耳が痛い、手の先や爪先も痛い。
今は走るしか無いのだが、このまま逃げ続けられるわけではない……どうにかならないかな……。
「クソッ!」
ラフェムが、煩わしそうに毒を吐いた。
彼も同じく、針の蛇に追われていた。
俺はまだ彼の様子を見る余裕があるが、向こうはそうではない。
氷の数は遥かに多く、精度も高い。
時折、進行方向を読まれ先に弾を置かれては、炎で相殺したり俊敏な反応で飛んだり潜り抜けたりと、ギリギリ躱している状態だ。僅かにでも集中が途切れれば、彼は即座にミンチになってしまうだろう!
バッグから本とペンを急いで取り出し、力強く書き殴った。
『エンジャロフラミア』
炎は無よりいでて、一直線に竜の顔面目掛けて飛んでいく。
まさか、本から火の玉が出るなんて、夢にも思わなかったのだろう。
反応出来なかったドラゴンは、トラックの前に飛び出した猫のように目を丸くして固まり、思い切り俺の炎魔法を浴びた。
顔を灼熱で覆われたことで怯み、コントロールを喪った氷のガトリングは、あらぬ方を向く。
「よくやったぞショーセ! 喰らいやがれ、このドラゴン風情が!」
ようやく逃走から解放されたラフェムが、しっぺ返しに何発もの火球を撃った。
ドラゴンは頭を振り、まとわりついていた火を払う。再び現れたその虎目は、完全な怒りに満たされていた。
そして、大きな翼を広げる…………。
キラキラと、砂のような光の流れが現れたかと思えば、即座に、それは獰猛な濁流へとランクアップ!
突如、吹雪が発生し、まるで護るかのようにドラゴンを包み込む!
ラフェムが出した、いくつものファイアボールは、皆そこへ衝突する。
緋色の塊たちは滝壺に飲まれるかのように風の中に吸い込まれ、例外なく掻き消えてしまった。
「な、な……なんだあれは!?」
「こんな能力を隠し持っていたのか……!? こ、これじゃ近付けないし、魔法攻撃も防がれるじゃないか!!」
逃げれば良かった。
そう後悔するのは、いつも手遅れになってから。
純白のベールのような無敵のバリアを纏った、昂ぶるドラゴンを前に、無力な俺たちは困惑し、絶望に満ちた嘆きをあげる。
……もう、ここでおしまいなのか?
…………まだ、一週間も経ってないのに、俺の人生……。
……でも、地球よりはマシだったし、悔いは…………。
「ぎゃ! つめた!」
ピチャリと足元から音がして、足首辺りに不愉快な感触がじわっと広がった。突然のことで、雰囲気も無視して叫んでしまった。
「うわ!? なに!? ……水が飛んだだけ!? 脅かすなよ!」
……ラフェムが、無意識に後退りしてしまい、それで水溜りを踏みつけてしまったみたいだ。
今は水跳ねの汚れなんか気にしている場合ではないのだが、思わず下を見てしまった。
……水溜りというよりは、雨の日の坂道みたいだ。
壁や出口を覆うように山積みになった氷の残骸が、少々溶け始めているようで、何筋もの水が、川のようにこっちまで伸びていた。
「真ん中から塩取ってたから、ここ平らじゃないんだよ……それであそこの氷の水が流れてきたって訳だな……どうでもいいか」
「……そうか…………」
中央がへこんでいる。
本当にどうでもいい新情報を貰い………………
……どうでもいい……?
……………………本当にそうか……?
これが利用出来るって事は……。
「ラフェム、ちょっと耳貸してくれ……。頼みがあるんだ
「何だ?」
「氷を溶かしてくれないか?」
「……何故だ?」
「……あの竜に聴こえていたら失敗してしまう……だから今は言えないけど……とにかく水が必要なんだ……水さえあれば、上手くやるから」
一か八かの作戦を思い付き、協力を仰ぐことにした。
肝心な部分を秘密にされ、ラフェムは怪訝な顔して首を捻る。
……まあ、彼のことだ、よくわかっていなくても、手伝ってくれるさ。
咄嗟の閃き。
もしかしたら失敗するかもしれない、もしかしたら効かないかもしれない…………。
十割を保証することは出来ない。
しかし、一パーセントでも、この状況を打破出来る可能性があるのなら……。
ボカンと、質の悪い太鼓を殴ったような低い音が響き渡る。
タイミングが良いのか悪いのか。ドラゴンは話し合う俺達を引き裂こうと、また砲弾を撃ってきたのだ。
さっきのように、また床にぶつかったら粉々に飛び散ってくるだろう。だが二度も同じ手を喰らうものか。
今のうちに出来るだけ離れてしまえばいい……そう思って、走ろうと身体を傾けたのだが、ラフェムは「待て」と言うように黙って手を出し、俺の逃走を制止した。
そしてすぐ、出していた手を天高く振り上げる。
すると、地から噴火のように真っ赤な火柱が噴き上がった。
勢いよく突き上げられた砲弾は、ドラコンの身長よりも高く、宙へと浮きあがる。
赤い塔は花火のように、辺りを己と同じ鮮やかな緋色に染め上げて、そして儚く溶けていく。
弾が着地する前に、指揮者の様に腕を振り、玉の方角へ手の平を突き出す。
すると、火炎が竜の火吹きのように、ゴォと空気を唸らせながら放射された。
赤い帯はあっという間に硬質な透明を包んでしまう。包括した氷を液体へと変え終わると、これまた溶け消えた。
落ちゆく水。その向こう側のドラゴンの、酷く腹を立たせている表情が、グニャグニャとネジ曲がって透けていた。
ラフェムの火力なら、蒸発させることも容易いのだが……。
「何を狙ってるのかさっぱりわからないけど……、まあショーセの思惑だ、乗ってみるのも悪くないかもな……。レプトフィールの時みたいに成功させてくれよ?」
そう言うと、不敵な笑みを浮かべながらウインクして、竜の気を引く為に駆け出していった。
?
あれ…………。
魔法、詠唱してなかったな……?
いや、ずっと前から詠唱してなかったのかも……。でも、そんなこと考える状況じゃない。
勇猛に突っ込んでいったラフェムを援護しつつ、俺も氷を溶かしていかないと。




