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#34 冷夏の正体、塩倉に鎮座する


 路地裏を抜け、大通りを抜ける。


 スクイラーたちは、昨日の夜を無事乗り越えられたようだ。


 出口付近の店舗の屋根で、身を寄り添い合って、じっと下の人間の様子を伺っていた。


 暖色のレンガの上は、水色の体毛を目立たせてしまっていて、道行く人々は皆、奴らを自然と見上げる。お互いに落ち着かないのだろう。目が合ったスクイラーも人間も、気不味そうに目を逸らす。



 ラフェムは、そんな獣の様子を見て大笑い。


 「ふははは、はははは! こんなに大人しいなんて、流星でも降るんじゃないのか!?」


 面白さを共有したいのか、爆笑しながら背をバンバン叩いてくるが、生憎一度しか遭遇していない俺には、あの様子が如何に笑えるかがいまいちわからない。


 ……でも、道行く人は皆、居心地悪そうな大人しいリス集団を見ては、微笑んだり、感心したり、逆に警戒したりしている。

 あの大人しさ、そうとう珍しいんだろうな……。


 ……俺を噛んだあのリスもどきも、この山の中にいるのだろうか。




 彼らに背を向け、街を抜け、長い草原を抜け、果樹園へ。



 あんなに穏やかだった緑の空間は見る影もない。

 昨日よりも更に枯死した茶色い葉が大地を覆い、そこを太陽の光が直接照らしていて、辺りには散乱した実から溢れた甘い匂いと、それらが発酵したツンとした臭いが充満していた。

 まるで死を運んでいるような重い氷の風は、絶えず奥から流れてくる。


 あまりの冷たさに、身体が震え上がった。その動作を見逃さなかったラフェムから、ダウンジャケットを一枚渡されたので、ありがたく羽織る。


 ……だが、陽射しは夏の物なので、黒い布が光を吸って熱を生み出してしまう。かなり暑いが、だからといって脱ぐと寒い。取り敢えず前を開けておいた。




 風に逆らい、俺たちは崖を目指して進む。



 実も葉も全て落ち、みすぼらしい姿になってしまったプルーアの森を超え、土も木も凍り、もはや生き物の住めない地に成り果てたスクイラーの住む森を超え、ようやく黒い岩盤の最果てへと辿り着いた。


 相変わらず洞窟からは、轟々と嵐のような突風が吹き出ている。


 「一体何が起こってるんだ? あの中で……」


 ここまでの道のりで、手持ちのアウターを全て着込み、完全にダルマと化したラフェムは、フードを深く被り、腕をガッチリ組んで困惑を口にした。


 ここにいると、どんどん体温が奪われてしまう。森の出口……風の通り道から少しずれ、周囲の様子を窺う。


 大地の歪に溜まったみなもは、この強風に煽られているにも拘わらず揺れていない。

 それもそのはず、水溜りはこの寒冷に晒されて、もれなく氷にされてしまったから。


 氷溜まり、皮膚、地表……全ての表面に、万物を焼かんとする太陽の輝きが注がれても、その熱はすぐに流れる冷気に浚われる。


 肌に伝わるのは、熱いでも冷たいでもない。痛いという情報だ。



 夏の下に造られた冬。


 不気味な現象を前にして、立ち竦む。

 まるで下半身を氷漬けにされたみたいだ……。



 あの洞窟の中には、塩の採掘場でしかないあの場所には、一体何が……?




 「……中入ったら即凍死……とかないよな? 気が引けるが……しょうがない、腹括って行くか……」



 彼は見るからに嫌そうな表情を浮かべつつも、先に進む決意を胸に秘めたようだ。洞穴へ向かって歩き出した。



 冷たい逆風を受けぬよう、最短距離から外れ、緩やかな弧を描いて入り口へと近付く。

 ……が、ラフェムはやはりその冷温に躊躇し、一旦足を止めた。


 何故か俺の顔色を窺ってから、洞窟の中の気配に耳を澄ます。


 ……当然聞こえるのは、風が岩に擦れる悲鳴と唸りのハーモニーだけ。


 「…………駄目だ、煩くて何もわからない……」


 「……百聞は一見にしかず……やっぱ入るしか無いみたいだぜ?」


 彼はまたこっちを見る。

 その顔は酷く歪んでいた。この冷気に突入するのが相当嫌らしい。


 「……入らなきゃ駄目か?」


 「…………原因さえわかれば、夜も寒くなくなるだろ。な、行こうぜ?」


 「…………わかったよ……」



 観念したのか、深いため息を一つ付き、渋々中へと入っていった。


 先頭はラフェム、その後ろに俺が付いて、でこぼこの一本道を進む。

 風が強過ぎて、壁伝いで無ければ押し戻されてしまいそうだ。粗い岩肌に腹をつけ、まるで断崖絶壁を歩くように慎重に進む。


 洞窟の中は、全く光が入り込まず一寸先も見えぬぐらい暗い。


 何が起こっているかわからない場所で、状況を把握出来ないのは不味いからと、ラフェムが宙に火を灯した。


 自分の頭部ほどある巨大な炎が、先頭のラフェムと、後ろの俺の合間で、邪魔にならぬように少し壁から離れて燃え盛っている。


 普通の炎なら、この風圧に掻き消されてしまうと思うのだが、ラフェムの魔法はまるで一つの草のように、根本から踏ん張っていた。




 結構歩いたが、気になることが増えた。

 ……なんか、手が砂にまみれたかのようにザラザラするんだ。


 洞窟だから、手にそういった物が付着するのは当たり前なんだけど……どうにも粒が細くて、棘みたいに刺さる。


 ずっと壁に触れてた右手をひっくり返して見る。掌には透明の硬い粉が付いていて、ラフェムの炎に照らされてキラキラと輝いていた。



 「なあ、なんか手にガラスの破片? みたいなのが付いてるんだけど……」



 ラフェムは立ち止まると顔だけこちらに向け、俺の右手を確認すると、何とも無かったかのように歩き出した。


 「舐めてみればわかるよ」


 「ええ、危なくないよな? 毒とか薬物とかじゃ……」


 「ヤ……? まあ大丈夫だって、今ここでふざけるようなことはしないよ。……そもそもふざけてたとしても、毒なんか危険なものこの状況で舐めさせないだろ」



 ……恐る恐る、親指の輝きを一舐めした。



 結晶のようなそれは、舌の湿りに触れるとたちまちその硬度を失い、消えた。



 そして、俺に一つの味刺激を与える……。



 「うぇ! しょっぱ!!」



 舌の水分が根こそぎ奪われていくような塩辛さに、思わず全身が縮こまった。


 驚く俺を、ラフェムは笑う。

 ふざけてるじゃないか!


 「まあ塩黒岩窟だからな。この洞窟内は壁も地面も天井も、どこもかしこも表面に塩がへばりついてるぜ。なんかよくわからんが、塩水が染み出してくるとか、浦風に運ばれた塩が付いたとか。で、これを岩から削いで使うんだ」



 「な、なるほど……奥に岩塩が埋まってるとかじゃないのか……」



 「まあね……あっ」



 彼は、少し歩くスピードを速めた。



 「……もうすぐ奥に着く。今の時間帯なら、確か上の穴から光が差し込んでるから明るいはずだ」


 灯されていた火が消し飛んだ。

 明かりが無くなって、一瞬何も見えなくなったが、すぐに先が道中よりもかすかに明るくなっていることに気が付く。

 彼の言う通り、一分も掛からず、細い道から広間へと出た。



 ちょっとしたブランコとかシーソーとかが設置してある公園ぐらいの面積はあるだろう。結構広い。


 まっすぐ行った突き当りの、かなり高い位置に、穴が一つポッカリと空いていて、ラフェムが言っていたように鮮明な青空がそこから覗く。

 そこからは、新たな空気がこの空間へと入ってきているようで、扇風機に顔を寄せている時みたいな、重い唸りが常に上がり続けていた。



 風圧は、壁に沿わなくても歩ける程度で通路よりはマシになっているが、その代わり、かなり冷えている。



 あの高い穴から風が入ってきて、今通ってきた道から出る……。一方通行の流れが出来ているな。


 もしかして、あの穴が問題なのだろうか。



 「ショーセも、あの穿孔が怪しいと思ってるよな、もう少し寄ろうぜ」


 ラフェムも、同じようにあそこを疑っているようだ。

 もう少し奥へと進もうとした。


 その時であった。


 穴の真下より奥……丁度影になっている場所。


 そこで、何かが蠢いた気配がした。



 「な!?」



 ……ここにいるのは、俺たち二人だけだと思い込んでいた。


 しかし、明らかに二人の他に何かがいた。

 先客の、誰かがいた。


 背を緊張の雷が駆ける。


 足を止め、暗がりに潜む正体に精神を集中させる。




 ………………やがて、闇から奴は現れた。


 ドシン、ドシンと、地面を揺るがせながら、ゆっくりと光の下へ。



 俺たちの何倍もの大きさもある、四本足の……


挿絵(By みてみん)


 「ドラゴンッ!!!」



 先程までの会話の声質から一転、憎悪に満たされた怒号が、俺の隣から上がる。



 姿を見せた奴は、四本足で、水色の蛇のような鱗を持っていた。


 その顔と躰は、狼のように凛々しく禍々しい。


 喉付近の錆色から、毛先に向かうにつれ白に変わる、ライオンのような雄々しい立派なたてがみ。

 そこから六本の透き通った氷のような角が飛び出ている。


 そして、その巨体に負けぬほど、まさにドラゴンといった感じの巨大な翼。飛膜は、顎から腹の皮膚と同じ肌色だ。


 尻尾は平たく、大きい。


 瞳は金茶色。虎の如く猛々しい視線を、静かにこちらに向けている。



 今まで会ってきたトカゲやリスなんか、比べ物にならない。


 百獣の王と言う名が相応しいその風貌から放たれる、今にも尾を巻いて逃げ出したくなるような重苦しいプレッシャーに、俺たちは既に囚われていた。



 や、やばい。こんなのに襲われたら殺される……。



 「に、逃げようぜ、ラフェム!」


 出口に向かい、一歩踏み出した時。

 隣に居た彼は、俺よりも二歩分、ドラコンの方へと近付いていた。



 「絶対に奴のせいだ! 殺す、殺す!」



 今まで一度たりとも聞いたことのなかった、明らかな殺意を剥き出しにした咆哮。


 彼から獰猛な気が放たれたのを肌で感じる。吹き荒れる風と同じように、圧で押し退けられた感覚がした。



 ……嘘だろ?

 振り返った時、彼はもう手の届かぬほどの先まで走って行ってしまっていた。



 「おい待てよラフェム! 死ぬ気かよ!? あんなでかいドラゴンに敵う訳が」


 「煩いッ!」



 俺の制止を振り払うように放たれた怒鳴り声。


 本気の憎悪に、俺は一瞬で理解した。


 彼が憎んでいたのは、姉を殺した化け物だけでは無かった。両親を殺したドラゴンもだったのだ。



 一直線に駆ける彼の左腕に、かのレイピアが巻き付く様に発現する。



 冷静さを失った心を現れす様に荒ぶるレイピア、まるで大剣みたいだ。

 彼は思い切り空へと飛び上がり、竜の脳天目掛けて剣を振り下ろした。



 先手必勝!? いきなり一発ぶち込めるのか!?




 ……いや! 突如、風……いや、嵐がドラゴンを護るように吹き荒れる!


 炎の刃は無に押し返され、ラフェムはトラックに轢かれたぐらいの猛烈な勢いでぶっ飛ばされた。

 砲弾と化したラフェムの矛先は、俺!


 「グえっ!」

 「が、うぐっ……」



 俺の腹、ラフェムの背と衝突。


 ぶつかってもなお、勢いは留まらず、俺も一緒にぶっ飛ばされた。



 ゴロゴロと、硬い黒岩に何度も体を叩き付けられる。


 かなり転がってから、ようやく止まった。



 「クソッ、冷た……。今、僕は何された!?」


 「ラフェム、お前風に飛ばされた! 今まるで龍を護るように風が……。なあ、やっぱりヤバイって!! 俺たち二人じゃどうしようもないよ! 応援を呼ぶ為にも……」


 逃げようぜ! そう言おうと思って、あの通路を指差した時であった。



 風が俺たちを掠めたかと思うと、巨大なクリスタルの様な何かが唯一の出口前に着弾。


 硬い地面に刺さりはせず、粉々に砕けたものの、それが瓦礫のように穴を塞いでしまった。



 そう、あのドラゴンが発射したのだ。


 ああ、どうにも逃がしてくれはしないらしい……。



 「案ずるなッ! 二人でも倒せるッ! そもそもあんな殺意、離れてる隙に、街に何をされるかわからないんだぞ、逃げ出せるか!」


 …………端から、逃げる選択肢というのは、俺には持たされて無かったらしい。



 …………やれやれ。

 こうなったら、腹を括るしかないか……。



 「わかったよ……二人であのドラゴンを倒そう!」


 「ああ、絶対に勝つぞ!」



 背を合わせ、それぞれの剣を構える。


 ……ラフェムの背は、ダウンジャケット越しだというのに、燃えるように熱かった。



 俺たち二人の、抗う意志を見たドラゴンの背後から、嵐が噴き出す。



 洞窟の凹凸に引っ掛かり、重苦しく轟轟と唸る風の音は、ドラゴンの殺意の咆哮を代理しているように感じた。


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