#32 明日が為の休養
店に入った途端にほんのり薫る、炒られた香ばしい匂い。コーヒーではない。
……からっからに豆を炒ったような、ちょっと焦げっぽくて……いやそれって、この世界のコーヒーか?
わかんないけど、まあいい匂いだ。
洒落た扉の向こうには、広大で喧騒の絶えぬ道から打って変わって、落ち着いた色に統一された、静かでこじんまりとした空間が広がっていた。
天井を遍く、洗濯物のように吊るされた瓶。
ボトルネックに二つ孔を開け、そこに糸を通している。その数々の瓶の内は、真っ赤な炎で満たされていた。
部屋を曖昧な色に照らすそれは、温かさと安らぎをを演出してくれている。
「いらっしゃいませ」
カウンターの人影が動く。
アジサイみたいな青紫色の髪の女性だ。丁寧にグラスを拭く手を一旦止めると、微笑みながら会釈してくれた。
鮮やかで艷美なその髪と裏腹に、まだ垢抜けきれぬあどけない顔立ち。俺達とさほど変わらない歳では無かろうか。
彼女は経営者の娘か何かで、親と共に働いているのだろうか? そう思ったが、見回しても彼女以外の人はどこにも見当たらない。
……そして客もいない。昼過ぎだからだろうか……貸し切り状態だ。
「あそこにしましょ。ほらほら進んで」
クアに押されるがまま、俺達はカウンター席のど真ん中に座った。
……目の前に店員がいるし、俺には不似合いのカフェの中だしで、なんだか緊張する。
「注文決まったら教えてくださいね」
紫色の彼女は、台の下からメニューを取り出すと、一枚ずつ俺達に渡した。
可愛らしい手書きの文字だ。
ざっと目を通す。飲み物、ランチ、デザート……。……種類は一杯あるけど、アイスは無いみたいだ……。
金銭感覚がまだ掴めてないから、ここの食べ物が高いのか高くないのかいまいちわからない。
とりあえず左をチラ見。ラフェムもクアも、値段を見ても顔を顰めていない。どうやら普通みたいだ。
じゃあ、好きなのでも頼もうかな。
…………と思ったが、どれがなんの料理かわからない……。
トカゲ焼きと、シチューと、朝食一式は食べたことあるからわかるが、他がどうにもわからない。
燻ルモルス定食? ニサータスサラダ……? お手上げだ。
飲み物も、沢山種類があるけれど、プルーアジュース以外駄目だ。煎豆茶とかは想像つくけど、ファーブレムフィンとかルスサジュースとか、もう全然……。
うーん、ラフェムの注文に便乗……
「じゃあ、僕トカゲ焼きと煎豆茶お願いします」
「かしこまりました」
しようと思ったけど……。
いつもトカゲ食べてない?
ギルドで昼食べた時も食べてたし、昨日も食べたし、よく飽きないな……。
俺、ちょっと新しい料理も挑んでみたいんだよな。ラフェムと同じものを頼んでやり過ごすのは断念。じゃあクアと同じ料理を…………
「ワタシも同じのお願いします」
……は? マジで????
……………………。
未知なる味への探究と、人と話す恥ずかしさを、天秤に掛けてみた。
探究が清々しいほどまでに、皿をその重量で破壊し、大地にめり込んでしまった。
……。
…………しょうがない。
「あ、あ、あの……オススメの料理というか、あなたが一番得意なメニュー……えーと、何ですか……? それと、その料理に一番合う飲み物……」
ああ駄目だ、上手く喋れねえ。
心ではちゃんと話そうと腹括ってるのに、体が付いてきてくれない。滅茶苦茶不審者みたいな言動してしまった。自分の喉をぶん殴りたくなる。
でも、彼女は挙動不審な態度に引く事なく、それどころか、一番得意という言葉に、鮫のように食い付いた。
「得意な料理! プロンペロです! 一番のおすすめでもあります! ボクの故郷の料理なんですよ! 本当に美味しいですよ!」
な、なんじゃそら。
彼女は、転がり落ちんばかりにカウンターから身を乗り出し、アメジスト原石の如き目をギラギラ輝かせ、俺を捉える。
さっきまで、儚げなぐらい静かで大人しかった彼女は、別人にでもなったかのように、プロンペロについて熱く語り始めた。
「ボクたちファイブレッドの村人の魂と言っても差し支えない料理です! でも、島を越えちゃうと、どうしても認知度が……。現に、まだお店を開いてから一度も頼まれてないのですが……。でも、ただ知られてないだけです! 本当に美味しいんですよ! 良かったら食べませんか!?」
「え、じ、じゃあ、プロンペロ? をお、お願いします……。あと、それ、に、あう飲み物……を」
「やったー! かしこまりました! お待ちください」
圧倒的な熱弁に怯んで、ますます俺の声が不自然にぎこちなくなるが、彼女はそんなことどうでもいいみたいだ。
もう彼女は、頼まれた物を作る準備に取り掛かり始めていた。
「そんなに恐れる事、ないじゃあないか?」
俺の不自然な注文を、横で始終見届けたラフェムは、頬杖を付いて、顔だけをこちらに向けて苦笑する。
「お、俺だって治したいとは思うよ、思うけど……怖いし……」
「えぇ、どこがだ!? あの子に怖い要素ないだろ。そんな、巨大なドラゴンと対峙している訳でも無かろうに、どうしてそんなに怖がるんだ」
「……なんでかな……」
視線をラフェムから、紫の彼女に移す。
葉を炒ったりお茶を注いだり、そんな些細な動作に滲み出る淑やかさ、非常に穏やかで優しい面持ち。
俺が話し掛けても、殴ってきたり、罵倒したりする雰囲気ではない。
でも……それでも、人と話すのが怖い。
もしもがあるかもしれないし、何か悪い方に転がるかもしれない。
彼女が、見つめられている視線に気付いたようだ。
持っていた陶器のポットを置くと、不思議そうに眉を下げ、気不味そうに俺を見つめた。
不自然な程にしゃんとして、行き場の無い手を胸の前でゆっくりと擦ったり握ったり弄んで、俺に問う。
「……どうしました? そんなに暗い顔をして。具合でも悪いのですか? それともボク、罰の悪い事でもしましたか……?」
怒られた子犬のようにしょんぼりして、少し上目で俺を見つめる。
その困惑ようは、俺に多大な罪悪感を覚えさせた。
あまりにも可哀想で、誤解を解く為の言葉というか、言い訳を告げるべく口が勝手に走る。
「いや、何でもないです! ただちょっと考え耽ってただけです! えっと、俺が恥ずかしがり屋という事について…………ごめんなさい」
「あら!? そ、そうですか……。ボクの自意識過剰でしたね……えへ」
先程までのラフェムとの会話は、茶をこしらえるのに夢中で聞こえていなかったようだ。
彼女は照れ臭そうにはにかみながら、真っ白なコーヒーカップを三つ、後ろの棚から出した。
……改めてポットを手に取って、白へと注がれた中身は、二つは麦のような焦げ茶色。残り一つは……綺麗な紫色。
薄い湯気と共に、芳しい茶葉の香りが広がった。
「煎豆茶お二つと、ファーブレンティーです。おかわりは言っていただければ淹れますので、お気軽にどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「うふふ、ごゆっくり」
ラフェムの感謝を聞き届けると、彼女はにっこり微笑んで、厨房と思われる奥の部屋へと姿を消した。
淹れたてのお茶。
カップの側面に指を近付けるだけで、その熱気がじんじんと伝わってくる。
……早くこの紫を味わってみたいが、今の状態では火傷するだろう。
舌を焼かれては味などわからない。暫く置いて、飲める温度まで冷めるのを待とうかな。
二人も同じ考えのようで、現れては消える白い湯気をじっと眺めていた。
もくもくと、黙々と、立ち上がる雲のような湯気。
その元の、純白の陶器で揺蕩う、綺麗な紫色。まるでアメジストをチョコのように溶かした透明感と美麗さに、飲むのが惜しく感じる。
「あ、そうそう」
ラフェムがふと呟いた。
ガサガサと、乾いた軽い音が閑静なカフェに響き始める。
こちらには背を向けているので、彼の手元は隠れていて見えないが、恐らくあの紙袋を漁っているのだろう。
そして彼は、右手を肩の高さに掲げた。
その平には、先程アトゥールで買った、蒼いしずくのバレッタが乗せられている。
「ほら、綺麗だろ?」
優しくクアに問い掛けると、傷や指紋を宝石に付けないよう慎重につまんで、天にかざしてみせた。
半透明の青い水滴のような宝石の中へ、暖かな焔の輝きが入り込んで、一層キラキラと美しく煌く。
装飾のリボンは絹のように一点の穢もない純白で、薄く滑らかな曲線の先は、肌ではわからない微量な空気の流れに震えている。
「ええ、綺麗だわ。とっても素敵ね……」
いつもの、あの元気はつらつで強気な表情はすっかり鳴りを潜め、憧憬にも似た恍惚の眼差しで、微笑を浮かべながら慎ましく小さな海を見つめている。……可愛い。
彼は、紳士のように悠々と彼女の手を取ると、軽く握られていた拳を開かせた。
そして、華奢な手の腹に、そっとバレッタを乗せる。
「うん、アトゥールのお土産の髪飾りさ。……君に似合うと思って」
ほんの一瞬だけ、彼女は我を忘れて叫んだ。
「キャー!」の、キの、ほんとに子音の初めの息を吐いた所で、自分がカフェにいることを思い出し、慌てて空いている方の手で、口をめいいっぱい塞ぐ。
大袈裟だなと、ラフェムは笑った。
それが恥ずかしかったのか、彼の笑顔が良かったのか知らないが、クアは縮こまり、顔をほんのり桜色に染めた。
……羨ましいな、ああやって恋慕を抱いてくれる相手がいて。
クアは、慎重に、ひび割れている卵を扱うぐらい慎重に、慎重になりすぎて指先を細かく震わせながら、左の側頭部にバレッタを留めた。
「ど、どう?」
「素敵だ、似合ってるよ! ますます可愛くなったぞ。ハートで一番のべっぴんさんがますますべっぴんになってるなぁ、獅子にヒレって感じだな!」
彼は、キザでベッタベタに甘ったるい賛美を平然と言いのけた。
……ハートって何だ?
そのまんま心臓だとしたら文として成り立たないし……。大陸の名前かグループの名前か何かかな。
クアは顔を真っ赤にし、堪えきれず笑いながらラフェムの肩を軽く小突く。
「やあねぇ、ラフェムったら、アナタも大袈裟ね。でも……ありがと。あ、そうだわ、ねえねえ、昨日の事、色々教えて頂戴よ」
「いいよ。実は昨日、ほんとはショーセの剣術を実践できるような依頼を受けようと思って、それでギルドに………………………………」
二人は俺を置いてけぼりにして、楽しそうに惚気け始めた。
料理は、向こうから何か揚げてるような焼いてるような音が続いてるから、まだだろうし…………うーん、お茶の揺蕩うみなもでも見てようかな……。
……って思って何分か見てたけど、流石に飽きた。
料理に勤しむ彼女を見たり、楽しそうな二人の会話を聞いてみたり、色んなところに集中して、暇な時間をやり過ごそう。
「お待たせしました、トカゲお二つと、プロンペロです」
お茶から白い湯気が見えなくなってきた頃、ようやく待ち望んでいた料理がやってきた!
見慣れた厚切りハムみたいなトカゲの肉にとろりと濃いソースがかけられた皿、ラフェム達のと、……えー、おにぎりサイズの……紫色の……俺の、これ……?
「団子?」
「そうですね〜団子みたいなものです。ボクの故郷では、特産のねばり豆とか、紫豆を潰して、挽肉とかお野菜とかを混ぜたり包んで、旨味たっぷりの獣油で揚げるんです! それがプロンペロ。色は見慣れないと思いますが、美味しいですよ!」
紫キャベツとか紫芋とかと同じ色をした、楕円。
月見団子系のツヤツヤの団子ではなくて、ツクネとかミートボール系の団子だ。それが三個。
色にただならぬ拒否感を覚えているが……美味しいという彼女を信じよう。というか、不味い料理なんか店で出すわけないからな……。
「い、いただきます」
フォークの先端を、料理として出されたブツに触れさせる。ほんの少し力を入れると、団子は拒絶することなく、鋭利な爪を飲み込んだ。
球体は宙へと持ち上げられる。自重で崩壊する程に柔らかい訳でもなく、木のフォークを突っぱねたり折ったりする硬さでもない。
硬度は……まあ、普通のハンバーグ……だろうか。
目前まで塊を近付ける、匂いは悪くない。僅かに芳ばしい油と、デンプンの香りを感じる程度だ。
しかし、やっぱり紫すぎる。
彩度が彼女の髪と全く同じだもの。綺麗だけど、綺麗と美味しいは必ずしも結びついてるわけじゃあない。
……けど、しょうがないか。
頼んじまったのは俺だし。震える口唇の向こう側へ、勇猛果敢に押し込んだ。
無心で噛む……無心で……無…………ん?
「おいしい……!」
濃厚だがしつこすぎず、ベタつかない油の旨味。
噛む度に広がる、素材そのもののほのかな甘み、そしてなめらかな舌触り。
見た目からは想像もつかない、味わい深い豆団子に、最初の恐怖はどこかに吹っ飛んでしまった。
もっと飲み込んで、喉を通る度の至福を味わいたい! フォークを持つ手も顎も止まらない!
「おいしいでしょう?」
得意げに彼女は胸を張り、そこを叩いた。ポンと、小太鼓のように音がなる。
ラフェムとクアも、プロンペロが気になったようで、背を引き、不思議そうに皿を覗いていた。
空腹の犬みたいにまじまじと見てくるもんで、なんだか気不味いし、恥ずかしい。
しょうがないなぁ……。
「ほら、食べてみなよ。美味いぜ」
プロンペロを一つ、半分に切った。そしてその半月を二人にわけてやる。
二人共、半分の団子が突然投下された皿と同じぐらい目を丸くした後、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう! お礼といっちゃなんだけど、一枚どうぞ」
有無問わず、ラフェムは好物のトカゲの肉を気前良く、同じように俺の皿の中に入れると、すぐさま今俺があげた紫の団子を意気揚々頬張った。
…………嬉しそうだ、彼の口にも合ったみたい。
朗らかに味わうラフェムを眺めながら、紫のお茶、ファーブレンティーを飲む。
ほんの僅かな苦味が奥ゆかしい。スッキリした後味が喉を潤す。言われた通り、プロンペロと相性抜群だ。
温かなご飯、穏やかで小洒落た空間、優雅な一時は、お茶が尽きるまでまだまだ続く……。




