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#31 森の異変


 街の東口を出て、走って数分。

 果物の森の林冠が見えた頃から現れた、嫌に甘ったるい香りを乗せた冷気に嫌な予感を覚えつつ、スクイラーの巣である森に続く、あの果樹園に辿りついた。



 四日ぶりに訪れた果樹園は、平穏の跡形もない、酷い有り様だった。


 「ああぁ、……果物が…………。葉も散ってる、常緑樹なのに……最後に見てからたった数日しか経ってないぞ、……なんで? なんでこんなことに……」


 ラフェムは悲愴の表情で独言し、絶望の足取りで一本の樹木に寄り添う。



 かつて、オレンジ色のきのみをたわわに実らせていたあの木だ。


 だが今、その面影は無い。


 その大きかった樹冠は、大半の葉が散った事で極端に痩せ細り、所々角張った枝が露出していた。


 実は全て落下し、殆どが破裂し、流出した甘い汁が大地を泥に変え、生臭さを混じえた芳香を放っている。

 落果してしまった実を全て足し合わせたら、ジュース何リットル分になるんだろ? 勿体無いな……。



 謎の被害に遭った木は、この一本だけではない。


 ……全部、全部なのだ。


 見渡す限り、生死の境に追いやられみすぼらしくなってしまった木で埋め尽くされている。全部の葉が枯れてしまっただとか、半分ほど葉を残しているだとか、多少の個体差はあれど、一本足りとも元々の姿を保てているものは存在しなかった。


 なんでだろう、人為的な嫌がらせ? でもこの世界にそんな人間はいなさそう。それに、こんな大々的な犯行バレないはずがない。そんな技術もなさそうだし。

 じゃあ病気かな…………? それとも、他に要因が……。


 森の奥の方から、風が吹く。

 葉を奪われた木々は囁かない。何というか、三途の川とか墓場にでも来てしまったかの如く、不気味な雰囲気だった。



 ラフェムは、庶民の飲み物の元となるきのみを恵んでくれる、馴染み深い木々の荒れ果てように、酷く心を痛めたのだろう。暗い表情で、根本を覆う無数の実の残骸を傍観しながらとぼとぼと奥へ進む。



 何十本もの痩せた木を過ぎて、少し拓けた場所に出た。



 真っ赤な林檎のような実を枝先から垂らすのが特徴的な、枝垂れ桜や柳の様なタイプの樹木、プルーアが密集する地帯だ。


 悲しいかな、プルーアの木々も憐れに変貌してしまっていた。


 自然の暖簾のような、下へとしなっていた緑の枝葉は、付けていた葉がほぼ落ちてしまい、暖簾とは掛け離れた針金のような姿になってしまっていた。

 その枝も、所々朽ち落ちて、木全体の幅が一回り、いや、結構小さくなってしまっている。


 先程の黄色の実が全滅に対し、こっちの落果の割合は五分五分。しかし、かろうじて枝に付いたままのその大きな水風船は、どれもこれもパックリと、深く裂けていた。


 いつからこんなことになってしまったのだろうか。何が罪の無い樹木をここまで痛めつけたのだろうか。知る術はない。


 俺達は、原因を知るべく、この更に奥を目指して歩き続けた。



 無残な果樹園を抜け、つかぬまの草原を歩き、また新たな森の前に辿り着いた。


 牧場を囲むのに使われる、杭のような木製の柵に、一つの立て看板。

 この先スクイラーの住処。注意。

 そう書かれている。


 ラフェムは柵を、躊躇いもせず、ひょいと華麗に跳び越えた。どうやら、立入禁止という訳では無いらしい。俺も柵を越え、更に奥を目指し歩き始めた。




 この森は、果樹園と違い、人の出入りが少ないらしい。

 木陰に入ると同時に、足元は湿り気のある腐葉土に変わった。一応、人ひとりが普通に歩ける程の一本道が伐採によってつくられてはいるが、踏み固められておらず、若干柔らかい。

 しかも、闊達自在に根差したツタやら下草やらが、足を引っ掛けようと道に乗り出している。

 転けないように気をつけなければ。


 日の殆どは、家よりも高い木々の陽葉に吸われて、林床まで届いていない。


 鬱蒼とした青臭い森を、俺達はひたすらに進んだ。


 ……こっちの樹木は、現時点で特にこれといった異常は見られない。



 「寒いな……」


 ふとラフェムが腕をさすりながら、嫌そうに呟いた。


 言われてみれば、異様に寒い。それも、奥に進むにつれ、どんどん気温が下がっているような気がする。

 森の中とはいえ、夏あるまじき冷たさだ。


 ビリジワンの夜は凍死する程に寒いけど、今でもこんなに気温が低いこの場所は、夜になったらどうなってしまうのだろう。



 ……答えはすぐに、現実が教えてくれた。


 ジャラザクッ。落としてしまったせんべいを踏んだような、敷き詰められた砂利の上を歩いたような、そんな音がラフェムの足元から鳴る。

 彼は驚いて足を止め、しゃがんだ。


 彼の背でよく見えていなかった少し先の光景は、どうも明るかった。陽が入っているようだ、森の終わりか?


 「し……霜柱」


 「え? 何だって?」


 「霜柱がある……」


 その声は明らかに動揺していた。

 彼は立ち上がり、俺と向き合い手の内の何かを見せてくる。

 キラキラ輝く透明の、細長い四角の塊……。

 これは、マジモンの霜柱だ。


 触ろうとしたが、その前に彼の手の熱で溶けてしまった。


 「な、なんで夏なのに霜柱が出来るんだ!? どういうことだ!?」


 ラフェムは手を振るって水となった氷を振り落とすと、大地を覆う霜柱を無かったことにしようとでもしているのか、足踏みしてバキバキ破壊しながら俺に聞く。


 「そ、そんなの俺に聞かれても困るよ……。もう森の外だろ!? 早く出て真相を確かめようぜ!!」



 俺の言葉に、焦っていた筈のラフェムの顔が、恐怖に曇る。


 気不味そうに、彼は言った。


 「…………あそこの明るいところ、本当は森の終わりじゃないんだ……。僕の記憶が合ってれば、まだ、もう少しだけ……続いてる筈なんだよね……」


 ラフェムは、重い足取りで歩き始める。


 森の終わりじゃないのに明るいってどういうことだ……?



 もやもやしたまま明るみに近付いて、ようやくここが何故光が入るのかがわかった。



 霜柱が陽で溶けた事でぬかるんだ道の両側面。

 先程まで生き生きと蔓延っていた下草達は、皆茶色に染まって、枯死している。


 そして、聳える木々はその葉を全て落とし、丸裸になっていた。

 恐る恐る、幹に手を添える。冬の日に晒された公園の木とそっくりだ、ひんやりとしている。


 遮る葉が消えたから、ここは明るいのだ。……緑が真冬のような寒さに負けたから、変貌してしまったのだ。



 というか、陽が当たっているというのに、ここは冬より寒い。夜の事など、想像もつかない。

 先から、凍える風がびゅうびゅうと絶えず吹いてくる。今までは草木が緩和してくれていたのだろう。葉の無くなってしまったここでは直で風が当たってくるから、いきなり耐えられないほど寒く感じるのだろう。寒い、冷たい、鼻が痛い、耳も痛い!



 ああ、スクイラーが、果樹園に居たのも、ビリジワンの街にやってきたのも、この異常な寒さから逃れる為だったんだ…………。



 「なんでこんなことになってるって、もっと早く気付けなかったんだ…………。お、奥に行くぞ。冷気の出処を、原因の正体を掴むんだ…………」


 彼の声は、凍えからか、それとも恐怖からか、それとも罪悪感からか、元気なく震えている。


 俺達は、森の最果てを目指し、滑ることなど考えもせず、水気にぬめる土の道を駆け抜けた。




 数十秒全力で冷気に逆らい、ようやく辿り着いた、本当の森の終わり。


 森の終わりは、大地の終わりでもあった。


 土は剥げ、まっさらで平たい、黒い岩盤が広がっている。その先で、山のような洞窟が一つ、ポツンと立っていた。あの洞窟以外、空を隠すものは何もない。青い空と、黒い平面が、くっきりと分かれている。



 ……とても寒い。背を夏の陽気が照らしてくれているけれど、気休めにさえならないほどに寒い。冬の体育も冬の脱衣所も、全部お遊びレベルにしてしまうほどに寒い。雪とか氷点下のプールに全裸で突っ込んだってレベルよりは多分マシだが……マシなところで、耐えられるかというと、耐え難い。



 岩盤には、凍った水溜りがポツポツとあった。

 降った雨が貯まり、この異常で凍り付いて、溶かされる事なく今日の日まで残ったようだ。表面が太陽に照らされて輝き、そこがダイヤモンドやクオーツみたいに白く見えるので、なんだか巨大な黒い母岩にへばり付いた宝石みたいになっている。


 しっかし、今この場所は、一体何度なんだ……?



 このだだっ広い平面に、唯一見える洞穴から、この氷のような風が噴射されているようで、その方角から轟々と低い音が鳴り響いていた。


 「あの洞窟は?」


 「あれは塩黒岩窟。あの洞穴は塩がこびりついててな、酷い雨続きとかでアトゥールやラスリィで塩が造れなかった際に、あそこで塩を削り取って使うことがあるんだよ。あそこは本当に塩しかないから、冷気なんか発生する要素無いんだけど……明らかに原因は洞窟だよな……」


 「……よし、見に行こう」


 俺は、あの洞窟で起こっている事を知るべく、勇ましく一歩を踏み出した。


 …………だが、ラフェムは付いてこなかった。


 振り向く。彼は両腕を組み、背を丸めて震えている。


 「…………今日はもう駄目だ。ただでさえこんなに寒いんだ、中はもっと強烈なはず、夏着で飛び込んでもおそらく何も出来ないぞ……」



 彼はハクションと、大きなくしゃみをして、鼻をすする。

 寒さを凌ぎたいのか、ちょこちょこと洞窟から逃げるように後退り、背をいつも以上に丸め、風に当たる皮膚の面積を小さくした。



 「それに最近は街が冷えるのも異様に早くなっている、ここなんかもう今にでも耐えられないほどに寒くなり始めるかもしれない。今すぐ帰らないと、本当に凍え死ぬぞ。一旦引こう。それで明日の朝、万全を期した状態で調べよう、な?」



 …………まあ、正論だ。


 「……わかった。今日のところは街に戻ろう」


 俺達は踵を返し、目の前の元凶を後にした。


────────────


 「きのみが全滅!? スクイラー問題で森に近付かなかった間、そんなことに……?」


 「そういえば、夜のビリジワンも大通り凍ってたわよねぇ? 向こうでは、それより酷いことが起きてるのね。それで、スクイラーは逃げてきたのねぇん……しばらく居させてあげましょうか。一応警戒はするけれど……。……あたし、皆にスクイラーの事情を話してくるわ。じゃ、見張り隊はこれにて解散ということで、さよならん」


 「……フン……」


 街に戻り、スクイラーを見張っていた三人に、この目と肌で知った事を簡潔に伝えた。


 籠は、いない間に戻してくれたらしい。クアは紙袋と干物を抱え、俺たちの話に目を丸くしていた。


 エイポンは、屋根を占領するリスもどきに怯える人や野次馬へ説明しに行き、ネルトはなんかどっか行った。



 …………しかし、アトゥールからビリジワン、ビリジワンから果樹園、森の果てからここまでと、長い距離を走るのは、流石のこの体でも堪えた。



 あがってしまった息と心拍が治るまで、当分動きたくない。壁に寄りかかって、肺の空気の入れ替えに勤しんだ。


 そんな俺達を気に掛けてくれたのか、彼女はにっこり笑うと、寄り掛かっていた店を指差した。


 「二人共、疲れてるならこの店で座って休みましょ。奢るわよ」


 壁から離れ、見上げてみる。屋根と窓の狭間に取り付けられた看板に、喫茶店山紫と書かれている。


 看板の下の大きな窓に近付いて、内装を見る。向こうには、ダークブラウンで統一された、小洒落た空間が広がっていた。大人のバーみたいな落ち着いた雰囲気が漂っている。

 …………うーん、高そー。


 「えぇ、悪いよ」

 ヘラヘラ笑って、遠回しに断ろうとするラフェム。

 クアはムッとして、彼の腕を掴むと、壁から引き剥がした。


 「悪いとか悪くないとかいいから、入りなさーい!」


 「え、ちょっと、痛いって!」


 クアは、くるっとラフェムを店の入り口に向かせると、ぐいぐい背を押した。

 押されるラフェムに俺も押され、俺達二人は強制的に見知らぬカフェに入店させられたのであった……。

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