#30 街の異変
「……結局、レプトフィールどころか何もいなかったな」
「大量発生してるって言うから、あと数匹ぐらい居そうだなと思ったんだがなぁ。僕らの運が良かったのか、それとも悪かったのか」
背の荷物も無に等しく走る事ができ、また敵意とのエンカウントもなかった事もあり、昨日の半分以上の時間で、ビリジワンの建物集う赤茶色の街並みが、緑の中に聳えるのを肉眼で確認出来る程の場所まで進んでいた。
このまま走り続けていれば、あと五分強で着くだろう。
しっかし、夏にしては風が涼しいし、それも邪魔しない程度に程よく向かってくるから、気持ちいいな。
体力が底上げされてるから、疲れたとか休憩したいとかといった妨げが頭に浮かんでくる事も無い。
走っていてこんなに楽しいと思ったのは初めてだ。
このまま、ノーストップで走り続けていたい…………。
「何かいるぞ!」
ラフェムが突然覇気迫る小声で俺にそう伝え、人差し指をピンと張り、右を指した。
示された方角、繁る草の中。
確かに、何かが潜んでいると思われる、不自然な蠢く膨らみを見つけた。
このまま無視したら、後ろから不意打ちを食らうことも無くはない。
草むらに留まる者の正体を見定めるべく、俺達は足を止めようと試みた。
ダッシュの勢いはそう易易と収まる訳もなく、慣性によって大地を滑った。
土に混じる堅牢な砂利が、足底に轢き摺り潰され、轟音をあげる。軽い砂埃は俺達の足元を隠すように舞い上がり、そしてすぐに絶えぬ風に掻き消された。
目を見張る。
正体不明は、俺達の出した音に警戒して動かなくなってしまった。
ラフェムは出来るだけ首を伸ばし、どうにか隠された動物の体を覗こうとする。
……だが、全身すっぽり長い葉に覆い隠されていて、正体を同定するヒントの一つも見えない。
彼は固唾を飲むと、神妙な面持ちで、恐る恐る草むらに入っていった。
慎重に、出来る限り草が擦れ合ったり踏み付けられ軋む音を抑えるように、カタツムリよりも遅く、ゆっくりと対象の側に寄る。
彼の歩みは、完全に他の草のさざめきと同化してわからない。
……あと三歩か五歩か?
ガサッ!!
突如、草を掻き分けた大きな音が鳴った。
鳴らしたのはラフェムではない、そこにいる何かだ。
ダックスフンドのような、モップのような、剛毛が垂れ下がった大きな水色の尻尾が一本、草むらから突き出ている。
この尻尾は見たことがある。
「やっぱりこいつか……」
ラフェムの確信を無視して、水色の獣はうさぎの如く跳ね上がった。
俺達の身長を優に越える跳躍力。その獣は宙を舞い、道の中央へと華麗に着地する。
ようやく、葉に隠されていた全貌が、曝け出された。
水色の体毛、白い腹。
本来耳があるべき場所に赤い角が二本ずつ生えた、巨大なリス。
果樹園で遭遇した、あのイタズラスクイラーだ。人間にちょっかいという名の危害を出すのを好む、野卑な獣。
もしかしたら、あの時のように噛んでくるかもしれない。苦い痛みの記憶が呼び覚まされ、咄嗟に身構えた。
だが、低劣で卑劣な栗鼠は、俺を凝望した後、興味なさそうに背を向けて、走り出したのだった。
……だが、その方角は。
「なんでスクイラーがここにいるんだ!? クソッ、街に入られる前に止めなくては……ショーセ、追いかけるぞ!」
草むらに一人取り残されたラフェムは、明らかな焦燥を露わにして、急いで道に戻りながら怒号にも似た困惑の声でそう言うと、リス目掛けて走り出した。
俺も、すぐに彼と獣の背を追いかけた。
うう……。
……速い。
野生動物なだけあって、全力で走っても距離が縮まない。
ギリギリ見失わない距離を保つのが精一杯だ。
「なあ、スクイラーが街に入ってくるの、そんなに不味いのか?」
「ああ、ドラゴンみたいな奴だからな。」
「ドラゴンみたいな……? 何処が?」
「性格だよ、誰かに嫌がらせすることが好きで、それに罪悪感が無い所とかな……。……昔、ビリジワンにスクイラーが現れてな。奴等は、普段縄張り意識が強くて、あの森から出てこないんだ。でも珍しく一匹街に姿を見せたもんだから、何だろうなと思ってたら……街を荒らして逃げたんだ、勿論わざとな。だから今回も……」
「……そりゃ酷いな。なんとしても防がなきゃな」
……この世界のドラコン、あまり良く思われていないんだな。
俺はドラコンっていうのは、高尚で知能が卓越して賢者のような、偉大な生物って格好良いイメージがあったけれど……こっちの世界では、将棋駒のモデル元の飛竜地竜、絵本の翼竜みたいな人間と協力関係にあったドラコンは例外として、低俗で凶暴な愚者という悪いイメージなんだ。なんだかギャップを感じた。
閑話休題。
スクイラーがそれほどまでに危険な生物だなんて、果物狩りの時は思ってさえなかった。
なんとしてでも、お引き取り願わなければ。
逃げるリスは、本来帰るべき森へと続く道と、街の入り口の二又に差し掛かる。
迷いもなく、左に曲がった!
こいつ、平然と街に入りやがった!
「待て!」
追跡する俺達も、すぐに街へと入る。
だが、踏み入れた瞬間、ただならぬ違和感に襲われた。
「な、何なんだよ、これ!?」
俺とラフェムの驚愕がハモる。
……じつに一日ぶりのビリジワン。
追っかけていたリスの事などすっ飛んで、俺達は足を止め、立ち尽くしてしまった。
そこで目にした光景は、異様を越すものであったから。
……好奇心の野次馬だったり、狼狽える街人が、点々と固まって商店街の屋根を見上げている。
その人々の困惑の雑踏に、ほとばしる電気の音、流れる水の音、燃え盛る炎の音が入り混じる。
「なんでスクイラーが、こんなに一杯街にいるんだ!?」
大通りに面する屋根の上を、無数のスクイラーが陣取っていたのだ。
老若男女、いやメスオスなんかの違いわからないけど、まだ生まれたばかりと思われる小さなスクイラーに、老いて毛並みや肌が荒れているのまで、幅広くいる。
赤茶色の煉瓦が覆い尽くされて、元々水色の毛皮を素材にした屋根だったかのようだ。
時折、まだ占領されてない奥側の屋根から、雷、水、炎、炎、水といったようにランダムで、波のような魔法が飛んできては、群れにぶつかる。だが、いくらそれが向かってきても、リス共は平然と、図々しく、一歩も動きやしない。
俺たちは、そんな攻防を見ながら、大通りを進む。
魔法の波の開始地点の、向かいの建物に、見覚えのある三人が、水色にされた屋根を眺めながら、困った顔をして壁に寄りかかっていた。
「何が起きた?」
ラフェムは、三人の方へ向かいながら、尋ねる。
そのうち一人は、即座に彼の方へ目線を変えると、壁から背を離し、猛烈なスピードで寄ってきた。
「きゃー! ラフェム!? とショーセ! もう、どこ行ってたのよ!」
青のラインが入ったコート。水色の腰まである長い髪、透き通る海のような蒼いつり目、ラフェムを見ると黄色い悲鳴をあげる彼女は……クアだ。
「ラフェムちゃん、ショーセちゃん、おかえりなさぁい」
もう一人、壁から離れると、ゆっくり巨体を揺らしながら、こちらに向かってきた。
野太い声、赤い髪と目。ビビットピンクのエプロンの下に、ラフェムと同じコートが見える彼……じゃなくて彼女は、武器屋のエイポン。
そして、俺らの事など知らぬ存ぜぬで口をへの字にして壁に寄り掛かったままの、黄色いラインのコートの金髪、夕焼けオレンジの虹彩の奴、あいつはネルトだ。
「ただいま。依頼の後、アトゥールでちょっと夜を越させて貰ったんだ。ところで、あれは?」
「……朝ね、急になだれ込んで来たの。理由はわからないけど、どうせ良からぬ事企んでるんだわ!」
クアは腕を組み、もどかしそうに屋根を見る。
「だからあたしたちねぇ、どうにか出て行って貰おうと、ああやって魔法で脅してみてるんだけど……てんで駄目なのよぉ。反応してもくれないわぁ、生意気ねぇ。ほら」
エイポンは炎の波を発現し、群れに突っ込ませてみせる。
炎はスクイラーに衝突して弾けるが、一匹足りとも動かすことは出来なかった。消波ブロックと、それにぶつかる海の潮みたいだ……。
……だが、なんでこんなに沢山のスクイラーがわざわざ屋根の上で黙ってるのだろう?
彼女らが言うように、悪事を働く為に潮時まで待機してるだけかもしれない。
でも、何か他にも理由があるかも。
……群れの中には、幼子や老体まで混ざっている。まるで、森に住んでいる奴等全員でここに集まってるみたいじゃないか。
仮に悪戯しに来たとして、悪戯の後に逃げ遅れる可能性のあるやつを、普通連れてくるか?
縄張り意識が強いのに、縄張りの森から全個体が同意して、わざわざここにやって来るか?
「……なんでネルト、そんなふてくされてんのよ」
「は? 腐ってねーし。どう見てもぴちぴち新鮮の二枚目なんだけど。つーかあんな馬鹿、オレ見たくないんだけど。あんな二人、どうにも出来ないんだからどっか連れてけよ、集中途切れるんだけど」
「ち、ちょっと! 今ラフェムの事馬鹿って言ったでしょ! 引っ叩くわよ!」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い! 馬鹿は馬鹿だよーだ! バーカバーカバーカ!」
「なんだと……?」
「いやぁん、緊急事態なのに仲間割れしないでよぉ……」
え、えぇ……? なんか変な言い争い始まったんだけど……。
それより、騒ぎに気を取られ断ち切られた推理を、落ち着いて再開する。
さて……。
狡猾な奴等が、返り討ちに合うかもしれない弱き者を連れてくるわけがない、だから悪戯目的では無いとして、森を全員が同意して離れられるってことは……。
……もしかしたら、スクイラー達の住む地域に何かあったのかもしれない。
それで、ここに退避してるのかも!
言わなきゃ。
「ラフェ……ちょちょちょ待って!」
彼は火花を散らし、今にもネルトに殴りかかろうといきんでいた。
向こうもこっちにガン飛ばして帯電してるし、まさに一触即発じゃん!
本当に何してんの!? 不味いよ! 喧嘩なんかしないでよ!
気を逸らすべく、俺はラフェムの肩を揺さぶり、名前を呼んだ。
彼は顔だけこちらに向ける。その目つき、強張った口角、顰められた眉、すべてが、今ラフェムは最高に不機嫌であるという事を表している。
「何、端的に」
怒り心頭の語気で、素っ気ない返答をされてしまったが、そんなのに負ける俺ではない。
俺は自分の考えをしっかりと、しかしながら短く簡単に伝えた。
「……なるほど……森に異変……か」
一通り俺の意見を聞いた彼は、憤怒の形相を若干和らげ、顎に手を添え屋根を見上げた。
青空に溶け込む群れは、石の如く寡黙と鎮座を貫いている。
「よし、ショーセ、見に行くか。クアとエイポン、籠とスクイラーの見張り頼むよ」
「はいはーい!」
クアは俺達が降ろすまでもなく、素早い手付きで籠を外し、重ねて抱きかかえた。
さも可愛いテディベアを貰った幼い子みたいに、朗らかにニコニコしてる。やっぱ本当に石貰っても喜びそう。
ラフェムは腰に付けた干物の紐をほどいて、籠に投げ入れた。中に入っていた紙袋とぶつかって、カランカランと乾いた音が鳴った。
「いってらっしゃーい!」
「気をつけるのよぉ!」
二人の彼女の熱い声援と白銀の太陽を背に、俺達は道を引き返し、果樹園の奥を目指して歩き始めたのだった。
投稿が一日遅れてしまったので、二話投稿致しました。




