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#29 故郷の彼女にお土産を


 「泊めて頂けるどころか、晩、朝、昼の三食も頂いちゃって……本当に、ありがとうございました!」


 「いえいえ、助けていただいたお礼よ。それに、ルシエとも遊んでもらって、助かったわ」


 「ラヘム、ヨーセ! またアトールに来たら、遊んでね。あと、新しいお話聞かせてね!」


 太陽が己で登れる限界に辿り着くより、少し前の頃。


 とある白く四角い一軒家の玄関先で、俺達五人は円を作って、お礼を述べ合っていた。


 絵と手袋を頂いた後、どうせならと、昼飯まで御馳走になった後、潮時という事でロキシア家を出発し、ビリジワンに帰る事にしたのだ。


 急に泊まらせてくれて、そればかりか三食まで貰って、更にお土産まで貰っちゃって……感謝しても到底しきれない。



 天から輪を見下ろす太陽にも負けぬ、眩しい笑顔を絶やさずに、ルシエはまるで俺達を本当の兄や友達の様に慕いながら、いつかの再会の日の事を嬉々と話す。


 カスィー夫婦は、優しく微笑んで、まるで俺達を本当の子供のように、歩む道に困難の無い事を希い、勇気を湧かせる応援の言葉を掛けてくれた。



 胸の辺りと目頭が、じんわりと熱くなる。無償の優しさが、十三年トウキョウで過ごして荒んだ俺の心に沁みるから。


 穢も裏もない穏やかな土地で、温和な人情に包まれ生きる事が、こんなにも素晴らしいとは。

 …………異世界転生して良かったな……へへ。



 「じゃあ、そろそろお暇させていただきますね」


 ビリジワンギルドで借りた籠を、俺は一個、ラフェムはカスィーの分の二個背負って、とうとう輪から外れて帰路へと歩き始める。



 「それでは、良き日々に幸運を! さようなら!」


 「本当にありがとうございました、そちらこそ、不動の幸に恵まれ続けますように! また会いましょう!」


 「ありがとうございましたーーっ! ルシエ、またな!」


 「ヨーセ、またね!」


 ロキシアの三人は、俺達が彼らの姿が視界から消えるまで、ずっと笑って手を振ってくれた。


 俺たちも、渾身の笑顔で手を振り、精一杯感謝を示し続けた。そして、デコボコと歪んだ軒裏へと入る。

 かくして俺達とロキシアは、それぞれの人生へと戻ったのだった。



 街の外へと続く大通りを目指し、昨日通った道筋を思い出しながら、迷路のような道を行く。


 ここは、自分の背の数倍高い建物に囲まれているから陽が入らなくて、少しばかり湿り気があってひんやりしている。

 なので絶好の避暑場らしく、小学生程の子供が駆け回ったり、おじいさんが壁に寄りかかって涼んでいた。


 騒々しくはなく、それでいて賑やかな裏道。

 進む度、たった一日だけしか過ごしていないというのに、ロキシアたちと離れるのが名残惜しく、寂しく思う気持ちが強まっていってしまった。


 心細くなって、無性にラフェムと話したくなった。


 「な、なあ、この後は、まっすぐビリジワンまで歩き続けるのか?」


 「いや、その前に土産を買いたい。クア達にあげたいからね」


 彼は朗らかにそう答える。


 なんだか、いつもより明るい気がする。

 いや、実際明るいかも。

 いつもの猫背じゃなくて胸を張って、弾むような足取りだもの。


 何というか、今まで落とされていた影が無くなったというか、抱えていた良くない感情が薄まったというか。


 「今日のラフェム、いつもより元気に見えるよ。ロキシアさんで癒やされたのかな」


 「うん。それもあるけど」


 彼は一旦、言葉を切った。


 わざとらしく目線を足元のタイルに逸し、微妙に頬を染め、はにかみながら鼻を擦る。

 そして、彼は歩みを止めた。



 「……姉さんが…………夢に出てきてな」



 嘆息のような落ち着いた声だった。


 紅い目が微かに潤む。


 「僕が赦されたいからって勝手に生み出した幻影だって、初めは思ったさ。でも抱きしめられて、あの暖かさは本物だって……心で理解したんだ」


 空を奔放に流れる雲が、太陽を覆い隠した。


 元々薄暗い路地が、益々薄暗くなった。

 冷たい風が、俺と彼の間を貫いてゆく。



 「……僕は、死んだ姉さん、父さんと母さんに悪いって、ずっと悔恨に苛まされ苦しむ事を望み、普通で暮らす事を拒んでた。でも、これはただの僕の自己満足だった、誰の為でも無かったんだ……」



 呟くように懺悔を述べ、彼は意を決したのか、後ろを振り返り、空を見上げる。


 俺も追って振り向いて、同じ空を見た。


 通ってきた岐路の上。


 見事なほど鮮やかな紺碧に、巨大な入道雲が覆い尽くさんばかりに綿々と広がっている。

 すごく大きい。そして、とっても柔らかそうで、飛び込んだらふんわりと全てを包み込んでくれそうだ。



 何となく、左に顔を向けた。


 ……ラフェムは、今俺に見られていることには気付いていないようだ。


 決意を抱いた紅蓮の眼球は、ただ黙然と、そびえる白だけを映している。

 ゆっくりとまばたくたびに、その紅蓮は輝きを増した。



 「姉さん……いや。サラは、僕に教えてくれたんだ。僕が悲しんでいるとき、家族もまた悲しんでいた、僕が笑っているとき、家族もまた……」



 視線を雲から外し、俯いた。


 空気を読まない浦風が、にぶい赤の髪を乱し、靡かせ、表情を隠す。


 握りしめられた拳はわなわなと震え始め、肩はますます不自然に釣り上がった。


 入道雲は時を止められたかのように、そこにどっしり居続ける。

 風は途切れる事なくせせらぎの様にさらさらと、俺達の合間を流れ続ける。


 俺達の外側は、なんの変哲もない夏の一日のままなのに、どうにもそれが長く感じた。



 「こんな初歩的なこともわかっていなかっただなんて、本当に、僕は、馬鹿だったよ」



 ラフェムは、強い語気でそう言い切った。


 …………そして、ようやく顔をあげる。俺に目を合わせると、とびっきり、笑った。


 過去を断ち切り、未来に進もうとする意志が、輝きを放つ。


 

 太陽を遮っていた雲は、朝日が闇夜穿つかのように、徐々に千切れ薄まって、恵みの光がその間から祝福の様に射し込んだ。


 風に弄ばれた髪を、手櫛でゆっくりかき分け直しながら、ゆっくりと体をこちらに向け、相見える。


 「カスィーさんが、我慢しなくても良いって言ってくれたから、こんな……いや、この僕を子供として認めてくれたから…………。僕はフレイマーの子供であることから逃げるのを、殻に閉じ籠って苦しみ続けるのをやめられた。そして、サラはきっと向き合うこの日を、ずっと待っていてくれたんだと思う……」



 彼の目はもう潤んでいない。闇に翳る様子も無い。



 透き通る紅でちゃんと俺の存在を捉えて、己の変化を真剣に告げた。

 そして、深呼吸を一息置いてから、話の続きをはっきりと声にする。


 「……あの夜、偶然君と出会えなかったら、きっと僕は……ラフェム・フレイマーは、無残に腐敗し、死ぬだけだった。だって、こうして日の下を再び歩く事も、家族と向き合う切っ掛けも、確実に無かっただろうから……」


 彼はゆっくりと手のひらを広げ、俺の方に掲げた。


 「ありがとな、ショーセ」



 ……はは、なんだよ。


 俺だって、世間知らずの俺に優しくしてくれるお前と出会えていなければ、腐り果て、朽ちただろうよ。

 むしろ俺が…………。


 俺も手を持ち上げ、彼の手をしっかり握って、力強く、小さく揺さぶった。


 「こちらこそ、ありがとう。ラフェム……君に会えて、本当に良かった」


 俺よりも、ラフェムの方が体温が高いようで、ほんのりぬくもりを感じた。なんだか、懐かしかった。

 ……最後に、自分から他人に触れたのって、いつだっけな。


 「フフ、それじゃあ行こうぜ。また夜になって帰れなくなっちゃうからな! 土産! 土産!」


 彼は手を緩め友情の握手を解くと、すぐさま再び入道雲に背を向けて、海側を目指して駆け出した。


 その足取りは、禍の枷が外れたようで生き生きとしていて、今すぐにでも届かぬ先へと飛んで行ってしまいそうだ。


 「待ってくれよ〜!」


 緩やかな下り坂、足元に敷かれた不揃いのタイルで躓かないように気を付けながら、どんどん先に進んでしまう彼の後ろ姿を追いかけた。



────────────

挿絵(By みてみん)



 貝殻のアクセサリー、木製の船のミニチュア、海を模した硝子細工に、あと壁に干物……。


 趣多彩な土産商品に囲まれ、潮と魚の匂いが充満するとある小さなお土産屋で、俺たちはクア達にプレゼントする物を選んでいた。

 机の上に並べられた、量産品では無い、手作りの一点ものの商品たち。見ているだけで楽しくなってくるし、欲しくなってくる。



 小物たちをじっくり眺めていると、ふと、そよ風が部屋で踊った。


 踊り子の入ってきた方角に、目を向ける。

 開けっ放しの出入り口と、壁を直にくり抜いて造られたショーウィンドウから、蒼い大海原が見える。

 燦々と照る日差しを跳ね返して、海面はダイヤモンドのようにキラキラ輝いていた。

 遠くに、カヌーのような船が数隻浮かんでいるのも見える。波は比較的穏やかなようで、あまり揺れてはいない。あのカヌーに乗っているのは漁師だろうか? 帆もモーターも無いのにどうやって操っているんだろう。


 「なあ、ショーセ。どう思う?」


 ラフェムが俺の背をつついてきた。


 振り返ると、ラフェムが何かを目前にまで近付けて見せてくる。


 なんだこりゃ?


 あまりにも近過ぎて焦点が合わず、この物が青いということ以外さっぱりわからない。


 一旦借り、適度な位置に離して、その物体を改めて見た。


 雫を模した艷やかな蒼い石が、三つ並んだ何か。


 ギリギリ手のひらに乗るぐらいの大きさだ。真ん中に挟まれてる雫は、逆さになっている。

 その先に、幅は親指ほどの白いリボンが装飾され、重力で垂れていた。

 ひっくり返してみると、何かを挟む為の金具が付いている。


 うーん、見えてもわからない。


 「……これ、クリップ?」


 「そうそう、紙を挟んで〜……って違うよ! 髪飾りだよ、バレッタ! 紙じゃなくて、髪の毛を挟むの!」


 純粋な無知による回答に、ノリツッコミされてしまった。


 ……そうか、これ髪飾りなんだ。うーん。俺は女の子のお洒落とか、全く知らねえからなぁ……。


 商品を彼に返す。

 彼はそれを持ったまま窓へ近付くと、蒼いバレッタを窓から入り込む日に翳した。


 夏の太陽に照り付けられた宝石は、海面と同じように、キラキラと輝く。


 「クアに似合うだろうな。……と僕は思うが、ショーセはどう思う? クアは喜んでくれるかな」


 透過する青の光をうっとりと眺めながら、彼は聞く。


 ……ラフェムの姿が見えただけでキャーキャー黄色い悲鳴をあげるクアなら、何貰っても、なんならその辺の石でも、泣いて喜ぶと思うが……。


 ファッションに疎い俺には、これが似合うかどうかわからないが、彼女は水魔法使いだから、水を模したアクセサリーとの相性は悪くないだろう。


 「うーん、多分だけど、似合うんじゃないか? きっと喜ぶと思うよ」


 「だろ!? ま、クアなら何着けても似合うだろうね、なんたってクアだからね」


 彼はニヤリと口角をあげ、得意気に胸を張った。

 ……惚気か? バーカバーカ!


 ……しかし、ラフェムってクアのこと、ちゃんと考えてたんだな。


 あんまり彼女の話をしないし、あんな猛烈で熱愛の想いを直接向けられていても平然としているから、超鈍感か、はたまた恋としての興味を持って無いのかと思っていたが、どうやらそれは誤解だったようだ。


 「ロネちゃんには、こっちをあげようかな。エイポンはこの髪留め……っと。あと干物も持って帰るか」


 彼が手にしたのは、波を表した編み込みの青系カチューシャに、金魚のようにひらひらとしたヒレの魚モチーフの髪留め。

 そしてこの可愛らしいラインナップから明らかに浮いている、アジの開きのような干物が何枚も括られた紐だ。

 彼は四つの商品を持って店の奥にあるレジ台に向かい、陽気にうとうと寝ていたおじいちゃんを起こした。



 …………亀のようにのんびりとした会計が、やっとこさ済んだのだろう。

 また来てね、と、しゃがれた優しい声に送られながら、ラフェムが海と魚が描かれた紙袋を抱えて戻ってきた。干物は、腰のベルトに掛けている。


 ……さあ、いよいよビリジワンへ帰宅だ。


 「ありがとうございました」


 「……」


 店を出る時、感謝を述べるが返事がない。

 なんと、店番のおじいちゃんは、もう寝ていたのだ。


 やれやれと、呆れて笑いながら、俺達は土産屋を後にした。




 水が壁にぶつかる音、波打つ音、舞い上がった水が落ちる音……全てを包括した海の音。

 それに負けじと発せられる、威勢の良い魚屋の呼び込み。

 そして、買い物客の雑踏……。

 大通りには人と音が溢れている。


 「ショーセ、そういや君はどうだい、夢を見たりしたか?」


 「……いやー。あの悪夢以来、夢は見てないな」


 「そうか……。そうそう、もう本格的に夏が始まるからな、くれぐれも熱の魔にやられないように気を付けろよ」


 通りの果ての角を曲がり、もう一度曲がる。


 タイルと草原の境界と、緩やかな緑の登り坂が姿を現した。アトゥール街の最果てだ。


 行きにも通った場所だけど、真反対の視点から望むと、その姿が全く違って見えて、さも初めて訪れた未開の地だというように錯覚する。


 「今回も、もしかしたらレプトフィールや、人間に敵意を向ける動物がいるかもしれない。気を抜くなよ?」


 「ああ、いつでも咄嗟に戦える心意気はあるぜ。切ることにちょっと怖気づいてるかもしれないが……」


 「いや、今日は狩らないよ。会ったら上手く煙を巻く。ごたごた争って、日没に間に合わなくて凍えるのはごめんだからな!」


 翠丘の街を目指し、黄土色の広い一本獣道へと足を踏み入れる。その瞬間、風は逆転し、潮の香りが草の匂いへと変わった。


 ああ、ビリジワンを抱擁する香りだ。

 たった半日程度、別の街に居ただけなのに、薫風がとっても懐かしく思える。


 さあ、帰ろう。戻るべき場所へ。



 一面の葉緑に、飲み込まれそうな海と空。

 爽快な色彩の中を、俺たち二人は疲れも知らずに駆け抜けた。

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