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#28 水魔法の絵描きとレザー手袋

挿絵(By みてみん)


 「うふふ、二人共そこに座っていて貰って良いかしら?」


 食事を味わい、リビングのソファーで余韻に浸っていた頃……彼女に突然、そう頼まれた。


 見上げれば、水の入ったグラスやら、ハンドクリームの容器の様な丸いケースやら、筆とか紙とか……画材を、今にも零れ落ちそうな程胸一杯に抱いて目の前に立っている。


 ……そういえばギルドカード作った時、ラフェムが、アトゥールの受付嬢は絵が上手いのに、と言ってたな。

 カスィーは、アトゥール街の受付嬢。俺たちに動かないでほしいってことは……。


 「似顔絵でも書くんですか?」


 そう聞くと、カスィーはどうも驚いたようで、目を皿のようにした。


 「あら、そうよ。よく分かったわね。……良かったら私の絵を持ち帰って欲しいな、って思ってね、どう? 良いかしら……?」



 隣で、パンパンの腹を据えていたラフェムが、いいねぇ、と首を縦に振りながら賛同する。

 俺も、彼女の画力がどれほどのものか、一度刮目したいと思っていた。



 「むしろ俺達が描いて頂きたいと恐縮する側ですよ。是非お願いします」


 俺達が好意的な反応を見せると、カスィーは破顔一笑。

 その可愛らしくも艶美な笑顔に、脈の打ち方が本能の記憶から消滅した。いや、ほんとにやばいって、不意に殺されてしまうかもしれない。


 「あ、そうだわ。パジャマじゃなくて白外套の方が格好いいわよね? 脱衣所に用意してあるのだけど、どちらが良いかしら」


 「き、着替えさせてくださいっ、すぐ戻ってきます……ッ」


 すぐさまソファーから飛び降りて、恋の動悸がバレないうちに、さっさと部屋から逃げ、階段を駆け上がった。

 わかってるラフェムが、ニヤニヤしながら待ってくれよ〜、なんてほざいてたが、誰が待つか。


 階段なんか、転生後の体にゃ屁でもないのだが、今日は息が切れた。

 荒んだ呼吸を整えるべく、肺いっぱいに空気を詰めて、吐く、を何べんも繰り返しながら脱衣所へ入った。


 辿り着いた棚に、二つの塊として畳まれ並んだ昨日の服。

 どっちがどっちかわかりやすいように、一番上にコートが置かれている。ありがたい。緑の方に手を伸ばし、コートを奥へ避け、二番目に積まれていた衣服を掴んだ。


 一番最初に手に取った赤いシャツは、破かれた所に黄色の布が裏当てされていた。

 前から見ると、まるで稲光のようになっていてちょっと格好いい。


 次はパンツか……あ、逆。

 どっちも元はといえばラフェムのだから、別にそのまま履いてもいいけど、後でなんか拘りかなんかがあった場合に追及されたらやだな、入れ替えとこ。


 ガチャ


 真後ろで、金属の擦れ合う音が聞こえた。ドアノブの音だ、誰か入ってくる!

 おいおいおいカスィーか? 俺は半裸だぞ!

 咄嗟に体を百八十度回転させ、またぐらを、掴んだままの下着で隠す。



 僅かに空いた戸の隙間から覗いたのは、馴染みある赤いくせっ毛だった。


 「速えよ〜〜〜」

 「お、おう、ごめん」


 ラフェムがようやく追いついて、入ってきただけだった。

 ……その面はまだニヤけている。


 彼は着替えを確認すると、大胆に服を全て脱ぎ捨て、素っ裸になった。



 ……気を取り直し、パンツを履きズボンも履いて、最後に追いやっていたコートを引き摺り出し、広げる。


 あれほど付着した血や泥の跡などの汚れは、微塵の気配も無く、綺麗さっぱり落とされていた。

 まるで下ろしたてな純白に、少々の陶酔を覚える。


 コートをマントのように背に掛け、袖に腕を通す。

 夏の日には嬉しい、冷たくてなめらかな肌触り。布が動き擦れるたびに、ほんのり香る泡のさりげない匂い。気持ちがいい。



 緑のラインが縁を沿う襟を掴んで、ズレや皺を直した。

 ピシッと決まった白いコート。何だか心の草原に、涼風でも吹き抜けたような、清々しい気分だ。


 鏡もそこにあるし、一応変な寝癖とか無いか確認しておこう。


 ……うん、大丈夫。


 「僕も寝癖が無いか見とかないと」


 丁度ラフェムも着替え終わったようで、俺の横から、身を乗り出すように鏡へと顔を近付けた。


 飛び出る特徴的なアホ毛を、指でつんつん突っついてしならせると、満悦げに口角を緩ませる。


 「うん、おかしいところはないな。よし、じゃあ戻ろうか」


 ……元々寝癖みたいな髪型だけど、跳ねてるとか跳ねてないとかわかるのかな。

 ちょっと気になったが、その疑問は胸に仕舞っておき、リビングに戻ることとした。



 一階に戻ると、用意周到に画材を並べたカスィーが、カーペットの上にへたり込む様に座っていた。そういえば、いつの間にか布団が無くなっている。着替えに行った隙に片付けたんだな。客人なんだから畳んでおくべきだった……。



 彼女は、俺達の帰還に気付き、胴から上を捻ってこちらを向くと、おかえりなさいと微笑みながら手を振った。


 描くのが待ち切れなかったのだろうか? もう筆を持ってるし、表情は生き生きとして、綺麗な青い目は子供のように輝いている。


 ……が、俺の腹に気づくと、その光に翳りが差した。


 「そうだわ、同じ色の布を切らしてて……ごめんなさいね、嫌だったら、家に帰って替えちゃって良いからね?」


 「僕は全く気にしてないですよ」


 「お、俺もです、雷みたいで格好いいと思います。むしろ俺の方がこんな色々助けてもらって……うー、その……。ごめんなさい」


 「そうかしら? 嫌じゃないのね、良かったわ」


 どうやら裏当てで使った布のことを気にしていたようだ。心底申し訳なさそうに謝られてしまったが……おいおい……謝るのはこんなに親切にして貰っている俺の方だぜ……?

 謙遜なのか本気なのかわからないが、そんな腰を低くしなくても良くないか……?


 彼女は、俺たちが嫌がってないのにホッとしたようで、不安げだった表情を和らげた。

 そして、その弾みに何かを思い出したようで、今度は胸に目線を持ち上げる。


 「そうだわ、ところで衣嚢の左側……銅が入っていたけれど、取り忘れかしら?」


 ……ポケットの銅? ……ああ。


 「これは御守にしてるんです。」


 ……自分で入れてたこと忘れて、束の間考えてしまった。

 胸からちらりとその輝きを見せながら、初めて自分で得た報酬で……なんて経緯を説明する。


 話し終えると、彼女は本当の母のように、俺の行動を素晴らしいと褒めてくれた。

 ……ちょっと、いや、かなり嬉しかった。


 「それじゃ、そろそろ」


 「そうね」




 俺とラフェムはソファーへ、カスィーは床に座ったまま、それぞれ向き合った。


 「少しの間、辛抱してくださいね」


 彼女は、小さな小さなイーゼルを、自分の正面へ立てると、狂おしく穏やかな眼差しから一転、屠る獲物を選定する猛禽の眼光へと変わる。


 これは眼差しへの恐怖か? 実力を期待する昂揚か? 不思議な電撃が背中を遡った。


 ……へへ、似顔絵か。

 彼女が自分から描こうとするんだから、相当の自信を支える実力があるはずだ。


 さて、今からどれほどの筆捌きを見せてくれるのだろうか?

 

 彼女は、筆を天に向かって掲げる。


 これは……!?



 ……?

 クイックイッと拳を上下させてるが……。


 あ、何だ……。これただの袖まくりか。


 なんか凄い技でも見せてくれると勝手に思って、内心落胆してしま

 …………!?



 噴水のようにに舞い上がる、コップに満たされていた水。そして、それらは自我を持つ竜のように宙を踊り始めた。


 カスィーは丸い缶の蓋を次々と開け、並べた。


 赤、黄色、緑、青、白、黒。


 クリームのような絵の具が空気に晒される。

 彼女は、俺達と絵の具を交互に見比べた後、筆先で赤い絵の具を掬った。

 じっと何も描かれていない筈のキャンバスを注視し、迷い無く筆を振り下ろす。


 彼女は大振りに腕を動かして、白き紙を塗りたくる。

 その最中に、竜は千切れて分裂し、七つの球体となって、それぞれ一人ずつ缶の中に落ちた。

 皆一瞬で絵の具の沼から飛び上がり脱出するが、透明だった身は既に絵の具色に淀んでいた。……あぶれた一つは、寂しくカスィーのそばで浮いている。




 赤色を塗り終えたのだろうか? 紙を斬るように筆が払われた。


 それを待ちかねていたかのように、水玉が二つ、筆先に飛び込み纏わりつく。


 絵の具に染まりに行けなかった無色と、黄色に染まった二つ。

 先に透明の方が筆先を飲み込むと、その渦へと姿を変えた。


 途端に赤色へと変貌した水は、珠へと戻り、他の珠の元へ帰ってゆく。

 今度は黄色が筆と重なり、その色を分け与えたのだ。


 ……魔法の力で、筆洗と、色替えを一瞬で行うなんて!



 俺を驚かせる事象は、これで終わりではなかった。

 カスィーが目を細め、若干前のめりになると、それが合図かというように、玉々が紙の元へ集う。


 玉は、半分、半分と、どんどん分裂し続けて……最終的に無数の粒と化した。

 粒の大きさは……雨粒より小さく、霧よりも大きいぐらい。朝露に濡れた蜘蛛の糸のような……そのダイヤモンドのような水滴が、かろうじて水の粒だと確認出来る程の大きさだ。


 そして、粒たちは彼女を軸にして回りだし、巨大な渦へと変化した。


 その渦は、巧妙に、描き続ける彼女の腕を邪魔せぬよう確実に避けている。


 今の時点では、単なるパフォーマンスで、意味のある行動とは思えないが、一体、今から何が起きようとしているのだ?



 今、彼女が小さな深呼吸をしたのを、俺は見逃さなかった。


 まばたきを挟むと、彼女の蒼き目に宿る真摯は、ますます獰猛なものに変わり、渦を構成する粒達がキャンバスにその身を掠め始めた。


 かすかに響く、雨の弾ける様なリズミカルな音…………まさか、スティップリング、点描か!?



 ……点描とは、技法の一つ。

 細かな点の集まりで、一つの絵を描くのだ。

 色が混ざらないから、濁らない。

 綺麗な絵を魅せるため、古い古い、太古の時代に生まれた描き方なのだ。インクジェットも形は似ているな。

 

 でも、彼女は最初に、いや、今も筆を使って塗っている。もしかしたら、筆塗りと融合した新しい技法かもしれない。



 ああ、ああ、凄い! 姿勢や表情を変えないように勤しむのかなりきついぞ!

 どんな似顔絵が完成するのだろうか!?


 すぐにでも立ち上がって、カスィーの背中から顔を覗かせ、過程を眺めてみたいなぁ。


 筆を走らせる音、水がぶつかり合う音を楽しんで、じっくり待つことにしよう。


 「うん、完成」


 ……。


 は?


 え!?


 速くねえか!?



 一時間ぐらいは覚悟していたのだが……。

 あまりのスピードに仰天して、ラフェムと顔を見合わせた。


 彼女は自分の納得が行く作品を描けたようで、満足げにそして得意げに笑いながら、俺達に見せる為にキャンバスをひっくり返した。



 ポストカード程の横長用紙に、俺達の座っていた過去を、俺達の胴から上を、そのまま切り取って貼り付けたような……絵と信じるのも躊躇う作品が、そこにあった。



 しかも、同じ絵が二枚ある!


 「しゃ、写真だ……」


 「シャシン?」


 この世界にカメラは無い、だから写真もない!

 思わず漏らしてしまった俺の声を聞いた彼女は、未知の言葉を不思議そうに首を傾げて復唱した。

 不味い不味い不味い!


 「い、いや〜! 俺そんなこと言ってないですよ〜、きっと聞き間違いですね! 写実的だなぁ〜、あの、現実を写し取ったみたいだなぁ〜って……。その、ところで、点描かなって思ったんですけど、点で描かれたようには見えないですね……本当に鏡を見てるみたいで……」


 露骨に話題を転換し、これ以上の写真への尋問を回避した。


 だが、今度は点描に食い付かれてしまう。


 「点描ねぇ、かなり近いわ。水で打ち付けてるのはその通り点でね、でも、隙間無く塗りつぶしちゃうから、結局はただの筆で塗ったのと変わりなくなっちゃうのよね。それにしても点描を知ってるだなんて、凄いわね。絵描きを目指してるのかしら?」



 まあ、技法を知ってるから、そう思われても。


 ……!?


 何で、点描が別名スティップリングって事まで、俺は知ってるんだ?


 絵に興味なんて無かったら、そんなもの知らないと思うんだが……。


 まさか俺って、絵描き……を、目指して……。


 …………。


 絵描き……。



 ……思い出した。



 「……俺は、絵描きを諦めたんです……」



 ……暗い靄に隠されてよく見えないが、俺の深い記憶の底に、理想とかけ離れた我が絵を前に、塞ぎ込む自分と、その横で嘲笑う嫌な存在。その不鮮明な靄を、他人事のように俯瞰する。




 「俺は、アイツの様な画力も才も無くて……絵描きを諦めたんだ」




 答えの為に、そして自覚の為に、そう声に出す。話していてうら悲しくなる。


 俺は絵が下手だった。だから絵の筆はもう随分昔に折ったのだ。


 何で、何で劣化にしかならないんだ?


 どうして勝てないんだ?


 苦しかった。


 アイツさえいなければ、俺は…………。



 一瞬、自分の世界に入り込んでいた。


 知らずに落ちた一粒の涙の熱で、我に戻る。


 カスィーは、気の毒そうに眉を顰めていた。



 「ご、ごめんなさいね、嫌なこと思い出させちゃって……」


 「いや……カスィーさんは悪くないですよ……。絵、本当に上手ですね。大切にします」



 魔法の水と関係があるのか、絵は既に乾いていた。

 しれっとソファーの横に立て掛けられていた自分の鞄から、白紙の本を取り出して、その間に絵を挟もうとした。


 ……が、手が止まる。


 これ、挟んで絵が消えたり、そもそも紙が消滅したりしないだろうか……。

 この本、閉じたら勝手にインク消えるからなぁ……。


 「す、すみません……試したい事があるので、色を付けた紙切れ貸してください……」


 「いいわよ、はい」


 色水と化した筆洗に、軽く紙切れを浸し、乾かしたものを、最後のページに挟んで閉じた。

 鞄に仕舞い、数秒待って、取り出してみる。


 ……ああ、大丈夫だ。紙は消えてないし、色も落ちてない。


 ただの本に挟んだのと変わりはない。これなら安心して持ち帰れる……。


 改めて、写真のような絵を眺めた。


 平穏な表情でくつろぐ茜色のラフェム。ちょっとキメ顔の黒緑グラデーションの俺……清瀬。


 ああ、本当に、本当に、写真みたいだ。


 そこにいるもう一人の俺とラフェムは、本当に生きているみたい。

 何だか胸の辺りに、じんわりと熱が帯びた。


 重ねて、こんな素晴らしいものを描いてくれたカスィーに、深々と頭を下げ、お礼を述べる。


 帰ったら、額縁にでも入れて、大切に飾ろう。

 そんな事を思いながら、本を閉じた。


 「ああ、そうだわ。もう一つ、あげたいものがあるの」


 彼女はそう言って食堂の方へ行く。

 そして、カーキグリーンの手袋を持って帰ってきた。


 この色は……。


 「レプトフィールの皮の手袋よ。少し大きめに作ったの。撥魔法のおまけ付き! ……一双だけだし、肝心の撥魔法の使いどころは無いと思うけど……」


 一組の手袋の、右手を俺に、左手をラフェムに渡す。


 マットでなめらかな質感。落ち着いた色がお洒落で格好いい。冬場に大活躍かも。


 ラフェムも嬉しそうだ。

 クリスマスの明けた朝に、枕元にあったプレゼントを抱えて報告しに来たみたいな顔をして、装着した手をくるくる回して観察している。


 「絵に続き、こんな凄いのまで貰っちゃっても良いんですか?」


 恐る恐る、改めて確認すると、彼女は呆れたようにうふふと笑う。



 「ええ、元々はあなたが捕えた獲物ですから。裁縫は……ただやりたくなったからやっただけね」


 「本当に嬉しいです、ありがとう、ありがとうございます……」



 尽きぬ感謝の言葉を述べながら、トカゲの手袋と、疑似写真の挟まった本を、そっと鞄に仕舞った。


 ……こんなに尽くされちゃって、良いのかなー……? なんて、ちょっぴり罪悪の気持ちが湧いちゃったぜ。

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