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#27 よみきかせ


 …………。


 …………………………。


 ……本当にそのまま風呂場で寝ちまうとは。


 そろそろ出ようよ、とラフェムに叩き起こされ、ようやく自分が惰眠に堕ちていたことを自覚する。


 ルシエは隣で、起きたくないと、目を瞑ったまま不機嫌な子犬のように、うー、と唸り声をあげていた。


 どうもラフェムはたった一人起きたまま、俺ら二人が溺れないように見張ってくれていたらしい。面目無い。



 重い腰を上げ、湯船からあがる。


 まだ眠気を飛ばせず眠い眠いとぐずるルシエを二人がかりで拭き、服を着せてやった。


 歯ブラシも済ませ、脱衣所から出る。

 するとルシエは亡霊のようにふらふら体を大きく揺らして、来た方角とは正反対に曲がり、独りで奥の部屋へ入っていってしまった。


 僅かに見えたドアの向こうには、淡い橙に照らされるキングサイズのベッドが見えた。どうやらあそこが彼ら家族の寝室らしい。



 ……行ってしまったものは仕方がない。俺達だけでリビングに戻ることにした。



 「僕も、もう寝たいなぁ……」


 あくびを一つして、濡れたことでいつもよりは控えめのはねっ毛を弄りながら、危なっかしい千鳥足でそう呟く。


 同感、俺ももう限界だ。視界が分裂したりぼやけたりして、歩いているという行為に対しての感覚が無くなってきている。



 転がり落ちそうな脅威の階段と、行きより長くなったような気がする廊下を乗り越え、からがらリビングに辿り着けた。


 扉を開けると、机は敷布団二つ替わっていた。



 追いやられた机の側にあるソファで寛いでいたカスィーが、俺らの顔を見るなり立ち上がり、あらあらと微笑みかける。


 「どうやらルシエは先に寝ちゃったのね。二人も、もう眠いなら寝ちゃっても良いのよ」


 回り込んで裏を取ると、背を軽く押して布団へと誘う。

 俺達は従順に、布団に体を投げ出した。


 ふんわりと毛布が頬に触れる。暖かくて、柔らかくて、いい匂い。



 ああ、気持ち良い…………。


 「たくさん頑張ったんだから、同じぐらい休みなさいね。おやすみなさい、ラフェム、ショーセ」



 …………おやすみなさい。


────────────────────


 …………。


 ここは?




 何も見えぬ闇。


 どこまでも、見えぬ平床だけが続く世界。


 ああ。


 ……思い出した。



 アイツ……不愉快な赤い揺らめきと遭遇してしまった、あの悪夢と同じ場所だ。


 クソッ、どうしてこんな夢をまた見なきゃいけないんだよ。


 ただでさえ、この世界に来て三日目の同じ悪夢から、後にも先にも夢は何にも見ていないのに……。面白い夢を見せてくれよ。



 夢だとわかっているのだから、目を醒ますのを試みれば良い気がしたが、どうも気が乗らない。

 何だか、無理にここから逃れようとしてしまうと、ラフェムの隣では無い場所に飛ばされるような気がして、不安がざわめくのだ……。



 ……しかし……ここは本当に夢なのだろうか?

 こんなに夢ってしっかり思考できて、明確な物だったっけ……。

 さっきの微睡みの何十倍も頭冴えてるんだけど…………。

 まあ、いいか。


 アイツもいないし、暇だしで、取り敢えず歩いてみようかな? なんて思って足を上げた時だった。



 ただならぬ存在感が、俺の後ろからオーラを放つ。


 猛者が所持のに相応しい、肌が痛くなるようなビリビリとした敵意と、心情を掻き乱し逃げ出すのを推してくるような不安感。



 「ううお!? だだだ、誰だッ!?」



 跳び上がって体を翻し、威圧と向かい合った。


 ほぼ反射で体を戦闘体制に構え、そこにいる何かの正体を見極めるべく、睨むように目を細め、窺う。


 ぼんやりとした鬼火のような赤が、離れた所で煌々と輝いているのが見えた。


 ……赤は赤でも、アイツの赤じゃない。

 癪に障らないし、むしろ安らぐ。ラフェムの虹彩と……炎と同じ、彩美の赤色だ。


 もしかして……。


 「なあ…………ラフェム、か?」


 恐る恐る聞いてみた。


 だが、揺らぎは何も語らない。じっとこちらを見据えているようだった。


 「ラフェムじゃないのか?」


 俺の震え声を完全に無視。揺らぎはただただ沈黙を貫く。


 俺の答えが正しいか間違っているかを一寸足りとも教えてくれない。


 ……言葉がそもそも届いていないのだろうか?


 もう一度、今度は叫んでみて……反応が無かったら諦め……あっ…………!


 赤は、幽霊のように、暗黒にふわりと溶けて消えてしまった。




 ……一体全体、何だったんだ……?



────────────────────


 「英雄………………で、……でした。竜が……」


 途切れ途切れに、たわやかな語りかけが耳に入る。


 徐々に視神経と脳の繋がりが復帰し、完全に声が聴き取れ理解できるほどになったと同時に、意識が現世へ甦った。


 真っ暗だった視界が、薄明かりに染まっていく。


 ああ、もう朝か。


 うつ伏せだった体を起こし、鉛のまぶたを持ち上げた。


 「貴方が私の足となるのならば、私も貴方の目になろう。虹の麓を目指そう」


 輪郭の無いソファーの中央に、ぼんやりと滲んだ女性のシルエットが見える。


 ルシエに絵本を読み聞かせてあげてるのだろう。


 ほのぼのするなぁ、何の本を読んでるんだろう?


 目を掻き、改めてその方角を確認する。


 …………。


 ……。

 ……!?


 俺の眠気は、驚愕によって霧散した。


 一気に冴えた眼に映る、カスィーとその膝に乗って絵本に入り込むルシエが驚きの原因ではない。


 「ラフェム、おま…………」


 彼が、大胆にカスィーの左側にべったりくっついているのが、大大大問題なのだ!



 ……くううっ、ハレンチだな!


 俺から放たれし恨めしい気配に勘付いたようで、空想の世界から、ふとこっちに目を向けた。


 「え!? シ、ショーセ!」


 やっと俺が起きた事を理解したようだ。

 リラックスしきっていたその身を一瞬で硬直させ、起立と命令されたかのように立ち上がった。


 カスィーは一度読み聞かせを中断し、狼狽える少年をまるで我が子の様に、クスクス笑いながら慈母の瞳で見守っている。


 ルシエは、すっかり浸かっていた物語から突然現実に投げられて不満そうな顔色を浮かべつつ、何故ラフェムがあたふたしているのかがわからないため、不思議そうに首を捻っていた。



 「おき、起きたのか? 起きてたのか? よ、よう……」


 「お、おはよう」


 「……う、わぁ……」


 べったりくっつく行為より、それを俺に見られるのが恥ずかしいのか……?


 みるみる真っ赤に燃え上がる顔、コロコロと移る忙しない視線。



 何だかこっちまで恥ずかしくなってくる。



 「いいい、いや! これは、その、違うからな! 僕はあの、甘えたかったとか……じゃ、あ! あー……」


 ラフェムは、はぐらかそうとして、逆に口を滑らせ説明してしまう。


 言い訳はぶつ切りに終了。頬はますます紅潮し、周囲に同じ色の火の粉が漏れ始めた。


 あまりの慌てっぷりがもう清々しい。

 俺は何も返せず、呆然の苦笑を浮かべるだけだった。


 パチパチと、焚き火のような弾ける音がかすかに鼓膜を揺らす。


 あの火の粉から発せられてるものだろうか。誰も言葉を紡がぬ沈黙の中で、一際目立っていた。


 それが余計に彼の羞恥を盛り上げてしまう。





 彼は朱を隠すかのように首をもたげる。



 肩を非常にゆっくり限界まで上げて、溜め息のように、肺に詰め込んだ空気を深く長く吐いた。



 それを数回続けると、火は鳴りを潜める。



 再び上がった彼の顔は、まだ真っ赤だったけれど、何かを決意した凛々しい瞳が輝いていた。


 どすん!

 腹を括ったように粗暴にソファーに腰を下ろすと、ちらりと横目でカスィーを確認。




 ……………………。



 ……そして、また体を寄り添わせた。


 「ねえ、続き読んで…………」


 聴いたこともない甘え声で、催促。

 なんと諦めたのだった。


 ……えぇ…………。


 ………………。


 …………。


 まあ、甘えたいよな。



 陶然の表情は、母を想う子供のそれだ。

 カスィーに抱く感情がまるっきり俺と違う。


 今まであんな姿を見せるどころか、想像さえ出来なかったが……それは弱音を吐いてはいけない、辛苦を悟られてはいけないと、たった一人残された彼の意地から、ひた隠されていただけだったのだろう。


 本当は、ずっと、こうやって家族に囲まれ、一緒に過ごしたかったんだろうな…………。



 …………取り敢えず、ラフェムの至福を妨害しないよう振る舞うか。


 でも何しようかな? ここ人の家だし……。



 「ショーセもボケっと座ってないで一緒にお話聞きましょう? まだ右が空いてるわ、ほら」



 えっ!?


 ……!?


 カスィーは、突然俺を誘った。びっくりして布団から吹っ飛んだ。


 待ってくれよ!


 ラフェムは愛慕だけど、俺は恋慕なんだよ! わかってて言ってるの!?


 ……なんて真実を告げることも出来ず……今度は俺が紅潮の波に襲われる。


 「いや、いいです!!」


 へっぴり腰で後ずさりながら、大きく腕を振るって、結構です、のジェスチャーを大袈裟にやってみせる。


 腹を触った時の反応を忘れたのか知らないが、遠慮しないでよ等と言いながら、平然と微笑むカスィー。


 俺の心情を分かっていながら、来れば? とお返しとばかりに、ニヤニヤするラフェム。



 ……今の俺の顔、一応笑ってるつもりだけど絶対引き攣ってるだろうなぁ。



 よし、奥の手だ、トイレに閉じこも……



 「なんでー? ヨーセも一緒に読もーよ!」


 あああああああああああルシエーーーーッ!!!!


 母の脇の隙間に手を通すと、昨日の様にバシバシとソファーを叩き始めた!


 トイレに行ったとしても愚直に優しい帰りを彼は待つだろうし、背けば無垢な心に深い傷を負わすだろう。



 俺の運命は固定されてしまった……。



 やむなし!


 観念し、カスィーの隣に座った。



 すぐに鼻を掠める、石鹸の香り。


 俺も同じ風呂入ったから、全く同じ匂いのはずなんだけど、彼女から漂うことで、全く別の、上級な物になってしまっている。


 「それじゃあ、まずはショーセの為にこれまでのあらすじ、教えてあげるわね」


 次に感じるは彼女の熱、そして息遣い。


 ああヤバイ、物語に集中出来ない。心の準備、まだ不完全なのに、あらすじどんどん進んでるよ。


 胸がドキドキする、抑えらんない。

 なんだろう、語彙が無くなった。

 もういいや。


 …………。


 さて、十分ぐらいだろうか……。



 物語は終わりを迎え、厚い絵本は閉じられた。


 なんか、途中から恋を忘れて、物語に入り込んでしまっていた。


 俺もまだまだ幼児って事か……。



 絵本の内容は、生まれつき色が感じられず、濃淡の違いも見えにくい青いドラゴンと、怪我をし前の様に歩けなくなってしまった光魔法使いの人間が出会い、お互いの出来る事を合わせて、虹の麓にあるという、不治の病をも治す薬草を探す旅をするというものだった。


 でも、結局、薬草なんか存在しなかった。

 色の見えないドラゴンを馬鹿にしようと、他の意地悪なドラゴンが吹き込んだ嘘であったこと。虹の化身が、二人が虚像の薬草を探している事を知らずにひらかした知恵から判明したのである。


 が、草よりも大事なものを見つけた。

 ……それは唯一無二の友情だった…………。

 身を焦がすほど望んでいた世界の鮮やかな風景を望む事も、濃厚で幸福な旅を得ることも出来た二人は、その経験を大切に、前を向いて生き続けるのであった。



 …………という、児童書にしては割と重い設定だが、ストーリーは至って普通の本であった。


 しかし……これ、千年ぐらい前の実話って、ほんとかぁ?


 「おーい、皆〜」


 物語が完結すると、タイミング良く、ロエチロの朝食が出来た事を伝える声が、向こうのダイニングから聞こえてきた。


 俺もカスィーもラフェムもルシエも、空腹を思い出したかのように、隣の部屋に勢い良く飛び込んで、一瞬でそれぞれ昨日と同じ場所に着いた。


 並べられた皿の上には、卵焼きに、レプトフィールのバラ肉焼き、あとサラダと豆。

 見た目も芳香も極上だ。


 「よし! それじゃあ……」



 「いただきまーす!!」

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