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#25 埋まらぬ深淵に癒やしを


 ラフェムは真っ先に、目の前の丸型ステーキをフォークで串刺しにすると、狼のように豪快に齧り付いた。


 大きな一口を噛み取ると、数分前まで泣いていたとは思えない、幸福に満ちた顔へ表情と変わっていった。


 こんなラフェムの正面に座る少年は、正反対に暗く、申し訳なさそうに俯いていた。


 食欲が無いのか、重そうに腕を動かし、嚥下も辛そうだ。


 時折顔をあげ、恍惚と好物を頬張る赤い少年の顔色を窺っている。


 赤の少年は肉に魅入られ、子供の苦悩に気付かない。


 ラフェムに教えてやるべきなのだが、オーバーなほど嬉しそうに美味を享受している所に水を差す勇気が中々湧かず、行動に移せなかった。


 驚異のスピードでトカゲの肉が減っていく。ちゃんと噛んでいるのだろうか、喉に詰まらせるのでは無かろうか、ハラハラしながら彼を見続けていると、啄むように、フォークで豆を数個刺しては口に放り込んでいたルシエが、とうとう口を開いた。


 「あの…………ごめんねラヘム。ぼく、何も知らなくて……」

 

 夢中で咀嚼していたラフェムは、夢から醒めて、きょとんとする。


 ようやく異変を察知して、一旦口の中のものを飲み込み、左手に持ったままの肉が刺さったままのフォークを置いた。


 「僕こそ急に……すまない」


 改まって、髪が食事に垂れない程度に軽く頭を下げた。


 だが、ルシエは未だその小さな胸に悔悟を抱えているのか、表情は暗く、視線も低い。


 「えっと、あの、僕は気にしてないからさ、なあ君、そんなヘコまなくても……」


 「で、でも…………」


 ラフェムは焦燥混じりに言うが、相も変わらず。参ったようで顎を引き、腕を組んで、若干の上目で彼を見つめた。


 「んー……。なんて言えば……」


 隣にいる俺が辛うじて聞き取れるほどの、小さな唸りを漏らし、気の毒そうにの顔を曇らせた。


 どうも、ルシエは本当にラフェムが平気だと、気にしていないという確信が持てていないようだ。


 「そうだな……」


 暫時の思案の後。

 腕を解くと、再び肉の刺さったままのフォークを手に持って、屈託の無い笑みを見せる。


 「しかし、君の父さんは料理が上手いな! このトカゲの尻尾焼き……肉の旨味ってのを絶妙な火加減で最大に引き出して、調味がそれを抜群に盛り立てる! すっごく美味しい! 何個でも食べれるよ」


 ルシエは父への称賛を聞くと、たちまち顔の翳りを吹き飛ばして、得意気に張った胸をポンと叩く。


 「そう!? 美味しいでしょ、ねえ僕のパパ凄いでしょ、凄いでしょ!」


 さも、自分が褒められたかのように生き生きと喜ぶ様を見るに、さっきまで彼に被さっていた罪の意識は、呆気なく晴れたようだ。


 ……心ともなく、好ましくない淀んだ感情をスッパリ切り替え……いや、忘れる? ことのできるルシエの事を、羨ましいと思ってしまった。



 罪悪の枷が外れた小さな子は、ガツガツと御馳走を喰らい、ラフェムは再び蜥蜴肉を堪能し始めた。


 時折、カスィーが家に居なかった時にあった事を、そしてカスィーがビリジワンに居た時の出来事を、ロキシア家族がお互いに語る。


 「いない間、パパと一緒に料理を手伝った」だとか、「作物は今のところ例年通り元気に育っていた」とか、「ビリジワンの夜はアトゥールと同じ様に寒かった」とか…………。



 あっという間に、皿は空になった。


 貴方達は客人だからと、夫婦は俺達が謙遜する暇も与えず、さっさと皿を片付けてしまった。


 のどかな時間も終わり、心身共に料理を満喫し尽くした俺は、悪いなぁとちょっと思いながら、満腹をさする。



 ん?

 指先が引っ掛かるような、ふとした違和感を感じた。

 自分の腹部へ目を向けてみると、シャツが見事に破けている。

 右上から左下に向かって一線。長さ二十五センチ程度の、わりと大きな裂け目だ。

 そうだ、レプトフィールにやられたんだ、身体の方は無傷だったから、すっかり忘れてた。



 …………これ、ラフェムの服なんだよなぁ、どうしよう……。



 「そういえば、お腹のところ、引っ掻かれて破けちゃってるわね」


 いつの間にか俺の後ろに立っていたカスィーが、耳元で囁いた。妖艶な不意打ちに、背骨を電撃が駆け登る。


 「ヒェ」

 「うーん、このぐらいだと、布当てないと駄目かしら」


 つい、小さな悲鳴が漏れてしまった。多分、彼女の言葉にすぐ掻き消されたから、聞こえてはない……はず。

 彼女は、指で割れ目の縁をなぞって大きさを確かめているだけなのだが、突然に、その華奢な手で腹をまさぐられちゃあくすぐったいし、あと…………、とにかく不味いだろ。


 勝手に高鳴っちまう胸を悟られないよう、心の中だけでも必死に抑えるイメージを沸かせてみる。

 多分効力は無いだろうが、やらずにはいられなかった。


 「そうだわ、ショーセとラフェムとルシエ、三人で、今お風呂入って貰えないかしら? 外套洗濯のついでに、他の服の洗濯と、補修終わらせたいから。お願いしてもいい?」


 「いいですよ」


 な、なんでラフェムが答えるんだよ……と言うか、こいつ滅茶苦茶こっちガン見して、ニヤニヤしてる…………。


 彼女は俺の胴から艶かしく手を離す。

 だが、依然として美麗な顔はすぐ近くにあり続ける。


 「うふふ、子供だと思っていたけれど、もう立派な男の子なのね」


 息を吹きかけるように、母では無く女として、甘美な声で耳打ちする。

 その意味深な言葉に仰天して振り向いたが、彼女は既に背を向け、平然とした態度で部屋から出て行ってしまった。


 ラフェムは立ち上がり、壁から乗り出すようにして、カスィーが廊下へと姿を消したのを確認すると、また俺の方角を向いて、堪えきれなかったのか笑い始めた。


 「君、耳まで真っ赤だぞ。全然隠せてない」


 「え!?」


 「ふはっ、へへへっ、そんなベタベタ顔触ったって、色はわからないだろ! さあさあ、風呂に行こう。おいで、ルシエ! っははは!」


 ……嘘だろ? そんなにわかりやすく表れてたのか……? うっわぁ恥ずかしい……。


 向かいに座っていたルシエは、その小体には甚だ不釣り合いな椅子から飛び降りると、ラフェムの足元に駆け寄る。羞恥に固まる俺をじっと見上げ、困ったように切り出した。


 「ヨーセはママが好きなの? でも、ママはパパが好きなの、あとパパはママが好きだから、取っちゃ駄目だよ?」


 深刻な面持ち。本気で心配しているようだ。ラフェムの爆笑に拍車をかける。


 「ふへへへはっ、心配しなくてもっ、大丈夫だって、大丈夫だって! ふへっ……。二人共純粋すぎるよ!」


 こんなに笑うのか、ラフェムって。

 初めて見たけど、なんだか妙に違和感を感じなかったし、素直にこれがニュートラルって感じがした。



 あっ!

 台所の壁からロエチロが怨めしそうにこっち見てる!

 「妻は渡さんぞ」とでも言っているかのような嫉妬の表情!

 怖いよ!


 「んん〜惚れちゃった感じ?」


 ラフェムは漂う怨念に気付いて無いようだ、肘で俺の肩をツンツン突っつきながら茶化してくる。


 「カスィーさんが綺麗だったから、ちょっと……いやもういいよ! 早く風呂入ろう! はい! はい行こーう! ルシエ、案内してね!」


 俺はさっさと立ち上がり、二人を押し出すようにして、隣の部屋へと退避した。



──────────────────


 風呂場はやはり二階にあった。玄関近くの螺旋階段を上がって、すぐ右だ。


 脱衣所は、ラフェムの家より広い。

 河原の石の色をした洗面台の隣に、同じく河原石色の謎の大きな箱が置いてある。

 気になって中を覗いてみると、臼のように内部が凹んでおり、そこに貯められた水の中に俺達のコートがたゆたっていた。

 これが例の魔法の洗濯機だろう。


 着替えは既に棚の中に用意されていた。

 ロエチロのパジャマだろうか、俺達にはちょっと大きい気もするが、この世帯に俺達ぐらいの年代は居ないから仕方ない。


 「ぼく、いちばーん!」

 「む……」

 ルシエが、脱皮の如く服を一辺に脱ぎ捨てた。

 一番という言葉に、ラフェムは顔を微かに顰める。そして、張り合うように彼も脱皮したのだった。

 なんていう負けず嫌いなんだ、その清々しさに感心さえ覚える。



 が、直ぐ様飛び込んできた違和感に、彼の全裸に目を見張った。


 「な、なんだ? その胸の傷痕……」


 挿絵(By みてみん)


 心臓の辺りから右上に向かって、手のひら程の大きな痕が、彼の胸の皮膚にある。

 白い身体をキャンバスにして、なびく炎の姿をそのまま写したような痛々しい痕。


 ラフェムは、俺が何に驚いているのかわからなかったようで、怪訝な表情を浮かべてから、自分の胸部を確認して、思い出したように理解した。


 「ああ、ただの魔法火傷だよ。こんなの普通は数日で治るんだけど……」


 己の患部を蔑みの目で見つめながら、効き手でさする。

 眉間にはしわが寄り、口角が僅かに張っている。彼がこの傷に関して快く思っていないということは一目瞭然だ。


 「一体何が……」


 「罪だよ」


 追及を遮るように、そして自虐のように、彼はそう言い放った。


 また、顔に不穏な影が罹る。


 「元はと言えば、姉さんが死ななきゃいけなかったのは僕のせいだ。赦される筈がない、だからこの傷も消えない」


 俺が横入りする隙も無く、己を戒めるように続ける。


 この魔法火傷とやらの発生原因と治癒が、あたかもこの世の常識であるかのような前提の振る舞いから、まず何故こういった傷が出来るのかを推測しないといけないのだが……如何せん俺の拙い思考回路は処理に追い付かず、どんどん頭の中がこんがらがってしまう。


 「ま、待ってくれ、おおお落ち着いてくれ、わからない! まず、そんな大きな怪我、命に関わるよな、ラフェム、大丈夫だったのか!? そんなグロい傷はどういう理由で、どうやって……」


 慌てて飛び出た質問責めに、ラフェムはたじろたいだ。口をそっとつぐみ、俯く。


 しまった……。

 そう思うも、後悔は先には立ってくれない。

 残酷にやり直しさせてくれない時は、刻一刻と気不味さだけを置いて過ぎてゆく。


 初めて彼の家に来たときの家族を問うたあの日と、ネルトに姉の名を出されたあの昼と、思い出してしまった先程と……彼が過去に苛まれている最中に見せる強い決意と弱い嘆きが入り交じる物悲しげな瞳が、何も無い床に向けられている。



 俺はなんてことを、なんでそんなことを……。



 …………謝らなきゃ。


 「あの、ラフェム」

 「ごめん……やめよう、この話。心配してくれてるのは嬉しいけど、やっぱり思い出すのはまだ辛いんだ。……ごめんな、ルシエ。さあ、入ろうか。君も早く脱ぎなよ」


 俺が謝るよりも先に、諦念の笑みを見せると、彼は踵を返し、風呂場に逃げ出した。


 初めて彼の家に訪れた時よりも、彼の悲痛は穏やかではあったが、それでも比べたらの話だ。

 全く悪気は無かったのだけれど、酷い事をしてしまったという悔恨が心を刺す。


ついさっき、彼は苦しんだばかりなのに……また……。

 もっと言動には気を付けなければ……。



 …………しかし、あれも三年前の化け物にやられたものなんだろうか。

 でも、どうやったらあんな版画のように模様のようなハッキリとした傷が残るのだろう。


 いつか教えてくれるだろか、彼の家族に降り掛かった災いと共に…………。

木曜日投稿できませんでした、申し訳ありません

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