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#24 ロキシア一家と家族亡き者


 「二人共、あそこよ」


 路地を抜け、大通りよりは狭いけれど、五人余裕を持って並んで進める程の道に出る。


 カスィーは、道の向こう側……道路に沿って建つ家々の、青く染められた扉が左端にある一軒を指差した。


 その家には、水を巻き揚げる竜巻を背景にした、マグロ体型の魚の絵が描かれた石看板が立て掛けられている。

 他の家にも、世帯それぞれが書いたのだろうか? 一つ一つ違うデザインの看板が一枚、正面の何処かに立て掛けられていた。おそらく、表札と同じ役目を与えられているのだろう。



 道路を横切る途中、青いドアに、明るい茶色の木材の、ロキシアと丸字で彫られ、青い塗料で墨入れされた表札がぶら下がっているのがようやく見えた。


 彼女がドアに手を掛ける。

 扉の内側に付いていた、硝子の飾りが揺れて、シャランと、小さくて綺麗な音色が鳴った。


 至って普通の玄関は、橙に染まっている。

 見上げると、炎ではなく、オレンジ色を帯びた丸い光がぼんやりと、天井に取り付けられたコップの内で浮いていた。

 あれは、もしや、光魔法なのだろうか……。



 「さあさあ、入って頂戴」


 「お邪魔します」



 ラフェムと俺は声をハモらせ、家族の後に続いて靴を脱ぎ、家の中へ入っていった。



 玄関を上がるとすぐ右に、二階への螺旋階段がある。

 これも、石を削って作ったものだ。壁も白いし床も白い。まるでこの家は、巨大な正方形の石を削って造ったようだ。


 「トカゲ、持っていくよ」

 「外套は私が洗っておきます。居間で寛いでいてね」

 「ああ……ありがとうございます」


 夫はレプトフィールと紅に満たされた瓢箪を持って居間へ、妻は土や血にまみれた汚いコートを預かり二階へと姿を消した。



 階段の奥辺りから、水の飛び散る音が聴こえてくる。気になって覗いてみると、壁がめり込んで、丁度一人入れるほどのスペースになっていた。

 そこには洗面台が設置してあり、今ルシエが絶賛手洗い中だ。


 ふと、自分の掌を見た。

 トカゲの血飛沫や、それが擦れて伸びた跡が付着していて、しかも土か何かで掌を中心に、全体的に黒っぽく薄汚れている。

 うわあ、きたない。

 こんな手で壁とかに触れてしまったら、べったり指紋とか付いちゃうな。

 丁度ルシエが退いたので、俺も手を洗うことにした。



 蛇口から出てくる透き通った水は、俺の手を通過するとたちまちその美しさを失い、黒く穢れてしまう。

 ……これは石鹸を使わなければ駄目だな。


 右端に置いてある真新しい固形石鹸を使うのは少々気が引けるが、しょうがない。


 しばらく泡中で手をこすり続け、純白の気泡に汚れを擦り付けきったのを頃合いに、一気に流し落とした。

 白い洗面台に波紋を拡げる黒い泡と水は、排水管へと収束し渦を巻いて飲み込まれてゆく。

 この下水は何処に行くのだろうかなんて考えながら、備え付けのタオルで水気を拭き取った。


 廊下には、階段とこの手洗い場、果てのリビングへの入り口以外何も無かった。恐らくトイレや風呂、他の部屋は二階にあるのだろう。



 廊下の終わり、拓けた正方形の空間。

 床には菱型の青いカーペットが敷かれ、左には隅に、また別の緑の小さなマットが上乗せで敷かれていて、物のはみ出たおもちゃ箱が置いてある。右壁には、角をぴったり合わせて置かれた本棚が二つがある。

 そして壁がほぼ大人が腕を広げた程度の横幅で、天からすっぱりとくり抜かれていて、そこから覗く向こう側に、ダイニングが見えた。


 「ヨーセ! 隣座って!」

 俺と向き合う形で、若干斜めに置かれた三人掛けのパステルブルーのソファー。そのド真ん中に腰を下ろしていたルシエが、猫を呼ぶかの如く、空いている座席を左手で……部屋の奥側になっている方をバシバシ叩いていた。


 ありがたく、そこに座らせてもらうことにする。


 しばらくして、トカゲを持っていたがゆえに、手が全体的に血塗れだったラフェムが、少々疲れた様子で廊下から現れた。

 どうやらこびり付いたそれを落とすのに、かなり手こずったらしい。


 「ラヘムはここ座って!」


 ルシエは同じ様に、空いている右手の席をバシバシ叩いて彼を呼び寄せ、座らせた。



 二人の兄貴に挟まれた小さな子供は、上機嫌に鼻歌を奏でながら、海藻の様に揺れ始める。


 「ねーねー、何か面白い話、聞かせてー」



 ウゲーーッ!


 俺は咄嗟にラフェムの方を見た。

 急に凝視されるもんだから、彼は小声で「えっ、何?」と漏らし、目を丸くする。


 まだ在星五日目の俺に、面白い話などない! 話を振られては困る、頼むラフェム!

 俺は黙ったまま、ラフェムが話をしてやってくれというオーラを必死に放った。


 数秒の間の後、彼は腑に落ちたようで、驚愕の表情を和らげた。


 「うーん、そうだな……面白い話なぁ」


 彼は顎に手を添え、考え始めた。

 ……良かった、思いが通じたようだ。

 目を瞑り、若干天を仰ぐような形で唸る。何を話そうか、培った記憶の山から探しているようだ。


 そして、何か良い話を思い出したようで、ゆっくりと瞼を開いて、目線をルシエに合わせると、得意気な表情で話し始めた。


 「僕は、臓腑が鏡写し……まあ何だ、心臓が右にあるんだ」


 ……。

 え!?

 …………!??


 「初耳なんだけど……」


 困惑する俺に、ラフェムは困惑し返す。


 「話してなかったっけ……。あれぇ、話した気がするんだけど……」


 「話してないよ! 記憶力に自信はないけど、胸を張って断言するよ! えっ、じゃあ左利きっていうのはそういう理由?」


 「いや……関係ない、と思う……多分」


 …………昔々、彼の父親が酷い腹痛を引き起こし、お腹の中に穴が空いた! と大騒ぎした時。

 とある超魔法使いに身体を診て貰って、臓器の位置の違和感から明らかになったとか。

 これは珍しいと、ついでに姉、ラフェムを調べてみたら、同じ様に転位型だったという。

 ……肝心の腹痛は、結局のところ、腐った食物を、燃やせば何ら問題は無い、と高を括って食べてしまった事による、極めて普通の食あたりだったらしい。



 興味が湧いたのだろう。ルシエは目を輝かせ、ラフェムの過去に喰い付いた。


 「すごーい! 他には面白い話ある?」


 「凄くはなくて面白いだけだけど、昔に……」


 ラフェムは微笑むと、心の奥底に閉じ込めていた筈の、家族との想い出を話し始めた。



 畑の周りで遊んでいたら、肥料の糞尿に足を突っ込んでしまって、姉に笑い転げられた上にしばらくうんこ靴下と最悪のあだ名を付けられた事。

 魔法の練習で、あの的に上手く当てられずに癇癪起こして、今のお前は踊り狂うナメクジみたいだとか滅茶苦茶な喩えで怒られた事。

 姉と些細な肉を取り合って喧嘩して、次の日にはすっかり忘れて遊んた事……。


 やんちゃで負けん気の強い元気一杯の姉弟。

 少し抜けた熱血漢の父。

 楽天的で明るい母。


 あたかも昨日の出来事だったかのような鮮明さで、四人が繰り広げた日常の断片を懐かしみ、楽しみながら、語り続ける。


 しかし…………


 「……って訳で姉さんはな、炎のレイピア、を……」


 ある思い出話の終わり。彼は突然声を詰まらせた。


 次の言葉を述べようとしているのか、口を小さくもごもごさせるものの、音は出てこない。

 そのまま背を引くと、僅かに呼吸を荒げた。

 顔に怯えが浮かんで、赤の瞳が映す景色はルシエと俺から離れ、虚無へと移る。


 「んー?? ねー、どうしたの?」


 残酷なほど無邪気に、ルシエは物語の続きを求める。

 不味い、思い出していく内に、思い出さなくて良い事まで掘り起こしてしまったのか。 


 「すまない、…………えっと、えっと僕……僕の、家族は……ね……」


 楽しんでいる子を落胆させまいと、彼は拳を強く握り締め、悲痛を押し殺す。

 だが、ラフェムの赤目から一滴の涙が零れた時、彼の我慢の壁を感情の奔流が上回ってしまったのだった。


 「う、あ、ぁあああ、あああぁぁぁぁぁああああ…………」


 心から溢れた静かな叫びを上げ、彼は前額を膝にくっつける様に体を折り曲げて、その姿勢のまま泣き始めてしまった。


 「どうしたの!? ラヘムどうしたの!?」


 「ラ、ラフェム……」


 何が起こったか理解出来ず戸惑う子供。

 初めて見たラフェムの姿に、どうすればいいか解らず狼狽える俺。


 「あああああっ、うううっ……ごめ、ん……ごめんなさい……」


 彼は膝を抱え、しゃくりあがってしまって途切れ途切れになった震え声で謝る。

 この謝罪はルシエや俺に対してか、失ってしまった家族に対してか、はたまた両方かを確認する術は無かった。



 左側から、慌ただしい足音が近づいてくる。


 「なんだ!? どうした!?」


 キッチンでトカゲを捌いていたらしい。肉の生臭い香りと共に、ルシエの父親がダイニングから砲弾のように飛び出して来た。


 「うわああああああんパパぁぁぁぁぁああああ! ラヘムが泣いたああああああ!」


 「えっ!? 何!?」


 どうもルシエも悲しくなったらしく、一気に顔が歪む。

 ソファーから一目散に逃げ出して、大声をあげ、何がなんだかわからず呆然としている父親の足にコアラのように抱きついた。



 ラフェムが紡いだ物語を、二人が聴き入る団らんが、一気に髄まで震わす子供の慟哭と、罪悪感を抱かせる狼狽に覆われ、泣き喚き大会会場になってしまった。


 ……正直言って、俺も貰い泣きしそうだった。でも我慢する。


 父親に続き、階段を転がり落ちるように駆け降りて、カスィーも居間にやって来た。

 洗濯していたのだろう、手はビショビショで、水が指先から滴下している。


 項垂れた少年を見るなり、強張った焦りの表情は、慈母の憐憫に変わって、「まあ……」と息の混じった声を漏らし、一目散に彼の元へ駆け寄った。


 「あらあらあら。どうしたの? 大丈夫?」


 「何、でもな……いです……」


 「どう見ても何でもあるわよ」


 ルシエが居なくなって丁度空いた合間に彼女は座って、震える少年を宥める。


 彼女から、郷愁を湧かせる、優しいせっけんの香りが微かに漂った。




 …………俺は、ラフェムの事を友人であり、しかしながら憧憬の対象、寡黙で強靭な勇者だと思っていた。


 でも、彼はまだ十三歳前後。

 日本で言えば中学一かニ年生。

 まだ体も心も未熟で、親から離れるにはまだ早い子供である事を、そして本当は暗くなんかない、豊かな情緒を持った一人の子供である事を、ようやく知った。



 「本当に大丈夫……ただ、思、い出し、て…………大丈夫……。僕なんか放って置いていいから…………」


 二つに折れたままの彼は、泣き声混じりの籠もった声でそう告げる。

 それでも、カスィーは一人の母親として、泣く子から離れず、しかしその訳を問い正すこともせず、ただ静かに側に寄り添い続けた。


 「泣きたい時は泣いていいのよ、我慢しなくていいの」


 彼女はその一言だけ掛けると手の水を躊躇うことなく自分のシャツで拭いてから、呻く背中を優しくさすってやりはじめた。


 ラフェムは、言葉を発することなく、彼女に言われた通り静かに泣き続けた。


 対照的にえんえん大声で泣くルシエをあやしていた父親は、なにか思いついたようで、彼をおぶって、こっそりそそくさと壁の向こうに戻っていく。


 暫くして、壁を貫通して届いていたルシエの泣き声は、雨の止み上がりのように徐々に威力を落とし、そのまま消えた。



 カスィーのもう片方の手が乾く程の悠久なる時が流れ、やっと落ち着いてきたのか、荒ぶる呼吸の音も小さくなり、丸い背の上下も穏やかになってきた。


 彼はようやく体を起こす。

 瞼に溜まった涙を手の甲で切った。


 「もう大丈夫です、ありがとうございます…………」

 少し枯れた声で、彼は哀愁漂う笑顔を見せた。


 そこに、まだ気が済んでいない本心をひた隠すとか、心配かけないように平気を演じたとか、そういう偽りはなかった。


 涙のせいで鬱陶しく顔にへばりつく栗色のくせ毛を、両手で必死に掻き分けながら、見えてなかった周りを見渡し始める。彼の呼吸は、泣き疲れたせいか粗暴だ。


 「あの……ルシエはどこへ?」


 どうやら、ルシエが父親におんぶされて違う部屋へ行った事に気付かなかったようだ。


 「ルシエなら、ロエチロと一緒に台所に行ったわよ。あ、ロエチロって言うのは、夫の名前ね」


 彼女は、左側の壁と壁の隙間を指差した。


 丁度、俺達がダイニングの方角を向いたタイミングで、ロエチロが旨そうな肉料理の盛り付けられた皿を持って、壁からひょっこり現れた。


 「腕を奮いに奮ったレプトフィールの御馳走、完成したぞ!」


 「ラヘム、おいしいご飯食べて元気出してー!」


 ルシエは、父親の首に手を回し、自力で背にぶら下がっていた。笑う幼子の頬には、まだ涙の跡が残っている。


 垂涎を呼ぶ、蜥蜴とソースのよく焼けた重厚な香りが鼻を掠めた。横に座っていた二人は、釣られるようにふらりと立ち上がり、匂いの方向に歩き出す。

 俺の腹の虫もぐるるりと鳴いて、付いて行けと指図してきた。その音色に従順に、俺もダイニングへと移った。



 壁を超えたすぐそこに広がる、三人の日常を感じさせる三脚の椅子と、急遽用意したであろう大きさも色も違う二脚に挟まれた、温かい食卓。


 陶磁器の艷やかな平皿に盛られた、厚切りハムのような真ん丸のステーキに彩を添える緑と橙の野菜、小鉢にメダカ程の大きさをした魚の佃煮。それと茶碗に山を作る米替わりの豆。なんて旨そうなんだろう。


 俺達は、ロキシア一家と向き合うように席に着いた。


 左に座るラフェムは、涙のせいか、いつもに増して目を煌々とさせ、うっとりとトカゲの肉を眺める。


 「それじゃあ、夕飯にしようか。せーの!」


 いただきます!

 元気よく、五人は息ぴったりに手を合わせ、食物への感謝の言葉を唱えた。


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