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#23 蒼海望む港街 アトゥール

挿絵(By みてみん)



 丘を降る風と、海から吹く風が拮抗する、いわば空気の河口。



 入り口の左端に立て掛けられた、縦書きでATWURと彫られ、その溝に藍色の染色が施されている看板。材質は木ではなく、若干青みがかった白色の石だ。


 天が薄れ、淡い暖色が混ざり始めた頃、ようやく隣町アトゥールに辿り着いたのだった。



 一旦歩みを止め、入り口の境すぐにあった少々朽ちた横長のベンチに腰掛ける。

 町に入る前に、ちょこっと一休み。

 滴る汗を拭い、まだ冷たい水筒の水を一気に飲み干した。


 数分ほど経って、疲労も柔いだところでカスィーはのっそり立ち上がった。

 その動作は非常にゆっくりだったけれど、足の高さの合わぬ椅子は重量の変化に傾きガタリと音を立て、まだ座る俺たちを揺らす。


 「私の家、もう少し先なのよ。悪いけれど、お願いしますね」


 彼女は、申し訳無さそうに眉を下げ、頭も小さく下げて改まって言う。

 俺たちも腰を上げ、いつでも歩けるように体勢を整えた。


 「ええ、勿論」


 「本当にありがとう、助かるわ。さあ、行きましょうか」


 女神の微笑みを呈した後、先頭に立った。俺たちはその後ろにつき、見知らぬ土地へ、彼女にとってはホームグラウンドの土地へ、第一歩を踏み出した。


 足元は黄土から、看板と同じ材質のタイルに変わる。



 ビリジワンは真っ直ぐ続く大通りと、そこに集うレンガ造りの家々という街の形態だった。


 ここは、同じ様に出入り口に繋がる大通りはあるものの、そこに沿ってなんのディティールも無い石造りの四角が、十軒程ずつ道を挟んで建ち並んでいる。そして、すぐ先が蛇腹ストローのような鈍角になっていて、奥が望めない。


 丘の上から見た感じ、この町はもっともっと広いはず。


 ああ、早くアトゥールの全貌を目に焼き付けたい。土地にじらされながら、四角の間を進んでいく。




 奥に進むにつれ、さざなみの木霊、憚る塩の香りがハッキリと感じ取れる様になってきた。

 もうすぐそこに海は居るようだ。



 夕陽に照らされ橙に染まる壁に突き当たり、右折。



 曲がってすぐ、俺の目に飛び込んだのは、輝く夕陽と海であった。




 先程の道の半分程の距離で床は消え、巨大な海原が一部分を覗かせている。


 その突き当りに、もう一度、今度は左折する曲がり角があった。

 同じ様に、角の先の世界はここからでは認識できない。



 いつの間にか、風もさざ波も止んでいる。


 停まったかのように静かな世界。沈む夕日だけが、星は動いているということを証明していた。



 ……ああ、次に曲がった先には……。


 不思議と夢心地になった。高揚していく気持ちを人知れず秘め、目を眩ます逆光を防ごうと足元のタイルを眺めながら、穏やかな夕の色に染められた凪を進む。



 角を曲がることで、光源の位置が目よりも若干後ろにずれた。


 初めてのアトゥールを、いざ刮目してやろうと、意気揚々、顔を上げる。



 俺の瞳孔に入り込むは、ビリジワンとはまた違った、新鮮な雰囲気の活気ある巨大な街であった。



 緩やかな凸のカーブを描く沿岸に作られた大通り。

 その左側には無数の白く四角い石の建物が。右側には桟橋と、何隻か漁船と空を浮かべた巨大な鏡の水平線が存在する。


 建物は、ここに来るまでに見た素朴な四角から打って変わり、人々を楽しませようと表に芸術的な模様やデザインがあしらわれていた。


 そして幾人が其々の趣向を凝らし、魚や海のモチーフを添えた立て看板が、数軒の入り口の側にある。


 もう帰ってしまったのか人の気配が無いが、魚屋、開きが吊るされた干物屋と、違いがわからない燻製屋、あとお土産屋……沢山店が並んでいた。ビリジワンと同じく、この大通りに接する場所は商店街らしい。


 店達の後ろには、四角くの建物が自由気ままな方角を向いて密集していた。土地が坂になっているようで、奥に行くごとに標高が上がっていく。

 例えるなら、明度の少し低いギリシャに似てる。



 「あっ、ママ!」


 突如、店と店の間、路地から、高い子供の声がこちらに向かって発せられた。


 その音の方角を見ると、魚の刺繍が右胸につけられた藍色のシャツの、淡いターコイズの髪をした男の子が、パタパタと足音を立ててこちらに向かってきた。

 そして、その勢いのまま、カスィーに跳び付いた。


 「あらあら、ルシエ」


 彼女は笑顔で、その俺の身長の半分弱しかない幼子を抱き締め、よしよしと頭を撫でる。

 彼は汗をかいていたので、短髪が鶏冠のように立ってしまった。




 ……ママ?



 !



 な!? え? ??



 ? ? ? 子持ち!???


 !?



 即婚者??!


 「おかえり、カスィー」


 衝撃に脳がオーバーヒートした俺へ、追い打ちをかけるように、子が出てきたのと同じ路地から、萌黄色の髪をした、なんともひ弱そうな男が、紙飛行機を片手に現れた。


 羽織っていた魔法白外套には、今まで出会った人物の誰にも無かった、水色のラインと渦のようなシンボルが描かれている。


 「パパ足遅いーー! はやく! はやく!」


 ルシエと呼ばれた彼は、カスィーの胸から飛び出すと、のろのろなよなよ歩く男に文句を垂れながら、急かすように足周りをぐるぐる周り出した。


 男は息子のわがままに苦笑いしながら、牛歩を牛走にギアをあげて、男にしては長い髪を揺らしながら近付いてくる。

 俺たちの前にやっと辿り着くと、真っ先にペコリと一礼した。



 「どうやら、あなた達が妻を助けてくれたようですね。どうもありがとうございます」


 まさに善人の権化な朗らかな笑顔で、感謝の言葉を伝えた。

 あー、あー、うん……。


 夫は一人だけ何故か落ち込んでいる俺を不思議そうに眺めてから、とことこ妻の側に寄っていった。

 そして、籠を指差して「今度は私が運びます」と、彼女から荷物を受け取り背負う。



 子供は落ち着きなくそわそわと、俺達の顔を交互に見たあと、ラフェムに抱えられた蜥蜴の死体に近付いた。


 「これ、ぼくにも分けてくれる?」


 何故か俺を見て、そう聞いた。……血は怖くないのか……。

 ラフェムに聞けよと思ったけど……子供にとっては、眠そうで寡黙で猫背の少年は、怖いお兄さんに見えているのかも。


 はて、どう答えればいいのかな。無意識にすがろうと思ったのか、子供から目を逸らし、ラフェムを見た。

 ラフェムも何故か俺の方に顔を向けており、目が合ってしまって、お互い一瞬硬直した。


 彼は二回瞬きすると柔軟を取り戻し、そう、そう、と言ってるかのように顔を縦に振り始めたので、了解して俺は再び小さな彼の方角に立ち返った。


 「そ、そうだよ」


 ギクシャクした震え声の返答を得た子供は、目をキラキラと輝かせると、揚げ物してるときの油のように、突然元気良く飛び跳ねる。


 「わーい、肉、肉、肉ーーぅ!」


 歓声をあげ、無邪気に踊る。

 そんな息子を、夫婦は愛おしそうに看守っていた。



 凪は終わり、周囲の空気が海へと吸い込まれ始めた。

 空は鮮やかな七色に、太陽は真紅の赤に塗り潰されていく。



 ラフェムは少々怪訝そうに、ビリジワンのある方角の丘を眺めていた。



 「冷えるのが速い……夏なのに。まるで巨大な氷が何処かに置かれてるような……」


 言われてみれば、夏にしては温度が低く過ぎる。


 まだ夕暮れで、地面はまだ確かな熱が残っているのに、海に戻る風は違和感を覚えるほど冷やされている。



 「ビリジワンでの異常な夜間の寒さはその身を持ってご存知でしょう。街の外はもっと酷いのよ、先程の街と街を繋ぐ道なんて、今の服装じゃあとても耐えられない。御礼といっては難ですけど……そちらの都合が良いなら、今日は私達の家に泊まっていきませんか?」


 カスィーからの提案に、俺達二人は、目を皿のように円くして、顔を合わせた。


 「え、良いんですか? じゃあ……泊まらせて貰います」


 おどおどした受け答えに、カスィーは、決まりね。と満面の笑みで返すと、小道へと足を向けた。


 「さあ、寒くなる前に帰りましょうか」



────────


 人二人分程度の間しかない入り組んだ狭い路地裏を、カスィー、カスィーの夫、息子、俺、ラフェムの順で縦に並んで進む。

 暖色の光と、それが建物に遮られて産まれた角ばった青い影。

 白い画用紙そっくりな壁に映し出されるそれは、まるで絵画であった。



 覗く空とか、足元のいびつな石タイルだとか、日陰でも根強く息づくなんの変哲もない雑草だとか、この世界の人にとっては物珍しくもない物を眺めて楽しんでいると、ルシエがこっちに振り向いた。


 「後ろ歩きは危ないぞ」


 「そう? じゃあラグンキャンス歩きする」


 知らない名詞を出すと、後ろ歩きから、カニ歩きに変えた。

 ラグンキャンスってカニの事か?

 というか、そういう問題じゃないのだが……。


 彼は顔だけこちらに見上げて、転ばないか心配でドキドキしている俺などお構い無しに、ニコニコ笑って話し始めた。


 「お兄さんの名前は?」


 「俺ぇ? 俺はショウセ ライタ」


 「僕はラフェム・フレイマー、宜しく」


 ラフェムが手を振ったらしい。カスィーそっくりな煌めく青い目を見開き、嬉しそうに後ろに向かって手をパタパタ振り返した。


 「ヨーセとラヘム、宜しくね! ぼく、ルシエ・ロキシア。えっと、四才! トカゲ、ラヘムが狩ったの?」


 「いや、殆どショーセが頑張ってくれた」


 「ま、まあ……ね」



 ノイズのように、レプトフィールの不屈の眼光が脳裏を掠っていって身が竦んだ。恐怖と呵責の歪みが顔に出てしまいそうな気がした。


 だが、もし出てしまった暁には、何故そんな顔をしたの? と好奇心旺盛な年頃の彼に質問責めされてしまうだろう。

 それは嫌だった。無理矢理口角を上げて隠そうと試みた。


 客観的に見ればかなり不自然な笑顔だっただろうが、出会ったばかりの子供は、偽りを見抜けなかったようだ。



 「ぼく、トカゲのお肉好き! 二人は?」


 「僕も好きだよ。ショーセも旨そうに食べてたし好きなんじゃないかな」



 子供らしく突然、平然と、当然のように話題が変わった。


 まあ、俺としては辛苦の思いがバレて、冷酷に深掘りされるよりも好都合だし、別に良い。



 その後も一生懸命、カニ歩きのままちぐはぐ話すルシエ。


 少々鬱陶しいとは思いつつも、それを吹き飛ばすほどのあどけない笑顔と、頑張る様子を微笑ましく思いながら、細い迷路を歩き続けた。

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