#20 アトゥールの受付嬢
情け無用の白光が街を照り付ける昼下がり。
暑さから逃げてきた人々が群れてもなお、レンガのおかげか誰かの魔法かでひんやりとしているギルドの片隅で、俺とラフェムは掲示板に貼り付けられた数多くの紙を吟味していた。
子供の落書き、誰かへのメッセージ、パーティの誘い……様々な掲示物の中から、依頼を探すものの……。
「果物の森でのスクイラーの群れ撃退依頼が出てる。群れってことは、やっぱりあの一匹だけじゃなかったんだな。……あの狭い場所で闘うなんて、俺らには無茶振りだよ」
「うーん……なんで奴らは元の縄張りを離れて、果物の森を占領してるんだろうな?」
一通り確認するが、どれもこれもあの果樹園でスクイラーを避けて果物を取ってくれとか、追い払ってくれというものしかない。
どうにも自分たちでは叶えることの出来ない要求ばかりで、がっくり肩を落とす。
だだっ広い草原でのトカゲ討伐辺りで、剣と魔法の実践をしようって、朝家に戻った後飯を食いながら意気揚々話し合い、暑い中真っ白に洗ったローブを羽織い、剣と鞄を背負ってウキウキ気分でギルドまで来たのに……気持ちも行動も全部空回りしてしまった。
怠さを跳ね返していた昂ぶりがめっきり冷めてしまって、ただでさえ暑い夏の気温が更に酷く、苦しく感じ始めた。
完全に沈鬱に飲まれ、もう帰ってだらけようと意気投合し、来た道を引き返した時だった。
見慣れない、深い群青色をしたショートヘアの女性が困り顔で、受付嬢と話していたのが、目に入った。
「その方は?」
ラフェムはふらりと進路を出口から彼女らの方へ変更し、受付嬢に問う。
二人は、こちらに気付いて振り向き、手を振った。
「あらこんにちは、ラフェム。彼女はアトゥールギルドの受付嬢、カスィーよ」
カスィーと呼ばれたその女性は、その真夏の吸い込まれそうな蒼空の髪を掻き分けながら一礼し、妖美に微笑んだ。
俺よりも圧倒的に高い背、コートの上からでもわかる、スラッと引き締まったボディーの色気、それでいてボーイッシュな風貌、子供の俺にはとてもとても刺激的すぎて、心が奪われそうだ。
「どうも初めまして。貴方が、かの炎魔法使いのラフェムね。……それと、隣の友達は?」
彼女の声は、静かで透き通って、それでいて悠々として、とても耳障りがよい。
その様は、のどかな森に湧き出た清水が集って出来た上流の川音のようだ。
上品で大人らしい声にうっとり聴き惚れる俺を他所に、こんな魅力的な女性に惹かれる事もなくラフェムは淡々と話を続ける。
「彼は友人であり同居人であるショーセ。最近この街に来たんです。ところでお困りの様子でしたが、何かありましたか?」
「ええ、実は……ビリジワンでの用が済んだので、アトゥールへ帰ろうとしたのだけれど……」
彼女は、食物の買い出しとちょっとした調査で、ビリジワンに数日前から滞在していた。
昨日でやっと全てやり終わった為、今から隣町へと帰ろうとしたのだが……荷物を乗せたリヤカーの車輪が、運悪く割れて壊れてしまう。
車輪は、日本のようにタイヤが至るそこらに山積みで売ってるわけでは無く、オーダーがあってからその車に合わせて木を削ったり等加工して作るので、すぐには直らないらしい。
今日中にアトゥールに帰りたいけれど、荷物は一人で運べる量では無く、どうにか助けを求めギルドに赴いた……という事らしい。
……アトゥールかぁ。
その名前を聞いたのは、ネルトに剣先を向けられたあの日だから……二日ぶりか。
名前以外何も知らぬ街。どんな街なのだろう。
ここのようにレンガで造られた暖かい色の街なのだろうか、それともイエロクのように古の色を残した町だろうか、はたまたガラッと変わってアジアのような街?
「僕たちで良ければ、一緒にアトゥールまで運びますよ。丁度暇だったもので、なあ、ショーセ?」
夢想中に突然話を振られ、すぐさま反応できず二回ほどの脈打ちの間を開けた後、咄嗟にうんうんと首を縦に振った。
……。
……!?
えっ、あ、行くのか?
アトゥールに……今から? まあ暇だから良いけど……。
「あら! 頼もしいわね。じゃあお願いしようかしら」
彼女は口に手を当て、聖母のように笑った。その甘美な仕草に、俺は再び夢想へと誘われてしまったのだった。
────────
良かったらと持たせてくれた、ひょうたんのような植物の実で作られた水筒を腰に下げ、初めての依頼の時に利用したあの籠を背負い、ギルドから陽射しの中へと出発した。
彼女の案内に従って暫く大通りを歩いて行くと、ひしゃげてしまった隻輪のリヤカーが脇にあった。
多分片方のタイヤが壊れた後、無理矢理引っ張っていこうとして、当然耐えきれず潰されてしまった……ようだ。
車の上には、スーパーのビニール程度の大きさをした持ち手付きの籠に、一杯の根菜やら果物やらが入れられた物が数個と、衣服と焼き印字された質素な木箱、その半分ぐらいの大きさの木箱に、お土産と思われる、ギルドカードにも描かれていた双葉を模したマークが片面に印押された紙袋が数個、それと割れた車輪が一つ積まれている。
さっそく三人それぞれ同じ重さになるよう荷物を分け、それぞれの籠に納めた。
全ての積荷が無くなって、ポツンと残された壊れた台車。
流石にこれを隣街まで持っていくのは無理があるだろう。荷物を退かしてようやくわかったが、大の大人が三人座れるほどの大きいのだ。
「そういえば、これはどうするんですか?」
「ああ、店でもう修理のお願いしたから平気よ。直ったら、運んできてくれるらしいの」
彼女は真横の店を指差した。
看板にはタンスの絵と、木材屋という文字が書かれている。
窓越しに中を覗いてみると、タンスや机、棚に木製のハンガーなどが置かれ、隅には何本かの太い丸太が立て掛けられていた。
なるほど、ここは木の加工が出来る店なんだな。タイヤぐらい難でもないだろう。
「それじゃあ、行きましょうか」
彼女は壊れた車を、猫かの如く優しく労るように撫でてから、太陽に背を向けると、大通りの混雑の中へと飛び込んで行った。
赤茶のレンガで成り立つ建物が建ち並ぶ街から、東口のアーチ看板の下をくぐり抜け一歩進むだけで、そこは拓けた終わりなきエメラルドグリーンの草原へと遷り変わる。
むさ苦しい蒸れ蒸れの人混みの海をようやく抜けた俺達に、遮られる事の無くなった涼風が、ふわりと一つ、通っていった。
「アトゥールはこっちだよ。一本道だから迷う心配はない」
ラフェムが、二叉の獣道の、右側を手振りで示した。左はこの前訪れた例の森だ。
三人で一列横に並んでも、まだまだ余裕のある幅の大きな大きな獣道。
恐らく、他の街からビリジワンへと足を運ぶ、今までの無数の旅人や買い物客が知らぬ間に作った道だろう。
微妙にボコボコと歪んでいる剥げて黄土色の大地は、昨日の雨と道行く人のせいか、すっかり強靭に固まり、ところどころ小さくひび割れていた。
その様は……小学校のグラウンド、といった感じか。と言っても実のところ、グラウンドの実物は見たことない。殆どの学校は、俺のところも含め例外なくゴムだったから、これは人伝いの曖昧なイメージでしかないのだが。
閑話休題、隣街を目指し、足並み揃えて歩き出した。
しかし、こんな踏み固められた道にも、図太い生命力の持ち主であるイネ科とかロゼットを持つ雑草は、元気に点々と生えている。
……まあ、コンクリートでさえ突き破るんだ、硬い土なんか屁でも無いだろうな。
意識しなければ、雑草はただの雑草なのだけど、目を凝らして観察すれば、どれもこれも一切見たことのない草だとわかる。
そして種類も東京なんかより豊富だ。
根付く緑を眺めながら、時折手を扇代わりに顔の近くで仰いだり、滴る汗を拭いながら、アトゥールを目指し蛇行する自然の道に沿ってひたすらに歩んでいく。
初対面である大人のお姉さんに、寡黙のラフェム、口下手な俺。
当然会話は産まれず、ここで交わされるのは誰かが漏らした暑いとか眩しいとか独り言の呟きか、数回キャッチボール出来るぐらいのしがない世間話ぐらいであった。
傍から見れば、つまらなそうだと思われるだろう。
しかし。
猫背のラフェムに真っ直ぐなカスィー、俺達の前に伸びる影、時々遥か彼方に舞う小さな鳥や傍を飛ぶ虫、海原の様に果てまで続く雑草に、何処までも透き通る真っ青な空。
ただそこに、皆、存在感を放つわけでもなく素朴に質素に存在する。
そう、ただそれだけなのに、心は何故か生き生きしていて、喜びに沸き立ち躍っていた。何だか妙な気分であった。
今もまあまだ子供だけど、もっと若い頃に戻ったかのように思えた。
無知な楽観を持ち、無謀な好奇心をエンジンに何処までも歩き続けることが出来た、あの頃に。
……いや、俺がつまらなく成長してしまったのではなく、単に世間によって足を奪われていただけかもしれない。どの束縛からも自由になれた今、普通に帰されただけなのかもしれない。
でも、それでもいい。
今の俺は、前世の何よりも幸せである、それだけでもう良かった。
ラフェムも、カスィーも、つまらないといった態度は微塵も匂わせない。同じく、ただ周囲を感じ、その喜びを享受しているようだった。
「見えたぞ、あれがアトゥールだ」
暫く歩き続けた頃。
ラフェムは歩みを止めると、俺の肩をポンと叩き、前方に望む街を指差した。
物を落としたとしてもすぐに手が届かなくなる程に転がりはしない、非常に緩やかな下り坂の丘陵。その麓に一つ、建物の集う白の街が海沿いにあった。
目を凝らすと、煌々と太陽の光を映す蒼い海と港には、数隻のカヌーみたいな、帆のない船が浮かんでいるのが確認できる。
「うふふ、素敵な街でしょう? さあ、あともう少しよ。頑張りましょう」
彼女は腰に掛けた水筒を手に取り、口元へと運んだ。
陶器のように白く滑らかな首筋が、嚥下の低い音を伴って心臓のように一定のリズムで鼓動する。
何だか俺も喉が渇いてきて、つられるように水を飲んだ。植物の青臭さが鼻に付くが、氷でも入ってるんじゃないかと思うほどに冷たい水は、火照った身に沁み込んでとても旨かった。
ひと息ついたし、さて、進むか。
一歩を踏み出しそうとしたが、ただならぬ違和感にその足を浮かせたまま二人の様子を伺った。
ラフェムもカスィーも、左を凝視している。
その視線の先の草むらが、ガサガサと震えているのにやっと気付いた。
足を動かす前にあった場所へと戻して、あれは何? そう問おうとした時だった。
くすんだ緑色をした大きな蜥蜴が、草の中からこちらへ飛び掛かってきたのだった!




