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#19 チート魔法は転生特権


 さてはて一人になってから一時間弱、ラフェムが姉の眠る場所から帰ってきた。


 考え耽っているのか、俯いたまま部屋に入ると、大人しく利口に留守番しているはずの俺に労いの言葉を掛けようと顔を上げる。

 まだ目の前に起こった悲劇を知らぬ、哀憐を感じさせる健気な微笑みを浮かべて。

 帰宅したのだから、おかえりぐらい言うべきなのだけれど、ともかく声が出なかった。


 声を発しようとした彼の目に映った、どう見ても大人しいとも利口とも言えぬ大惨事。


 無数の紙が散乱する床の上に正座する居候……それはそれは、到底理解できるものでは無いだろう。


 みるみるうちに哀愁の笑みが消え、呆然と怯えが滲んでいる気のする無表情で部屋をしばらく見回した後、俺を見つめてこう言った。


 「なんだこれ、なんなんだこれ……」


 至極普通の反応だ。


 「ごめんなさい……」


 俺は深々と頭を下げる。

 ごめんなさいでは済まされない事の顛末について、説明を始める事にした。



────────



 「魔法の詠唱を書いたらその魔法が出てきた……? それで、炎魔法が発現して、机に燃え移ったからパニックで水魔法を出して、こうなった……と」


 ラフェムは半信半疑に俺の言葉に耳を傾ける。説明を大人しく全て聞き終えると、おもむろに本を拾った。


 一旦ラフェムから目を離し、惨事を見る。

 …………ああ、この部屋の片付けどうしようかな。


 床と机は大洪水のはずだ。紙もきっとびしょ濡れで使えなくなってるかもしれない。

 ラフェム、墓参りで疲れて帰ってきたはずなのに……酷いことしたな…………。


 散乱した床から視線をラフェムに戻すと、彼は顔をしかめながら、ページを捲っていた。


 「…………どこにも、何も書いてないぞ?」


 僅かな不服を匂わせた低い声で、そう言い放つ。


 書いてない? そんな訳が。インクで書いた文字が消えてなくなるか。

 本を返してもらって見てみる。



 そんな訳が……。そんな……。


 無い、無い、無い!



 俺は確かに、開いてすぐのページに『エン・ジャロフラミア』と綴ったはずなのだ。

 だのに、インクどころか、筆跡さえ残っていない。まるで今開いたばかりの新品のノートだ。


 「でも、確かに俺は書いたんだ、炎魔法の名を……」


 不気味な現象に動転し、僅かに体が仰け反った。そのまま倒れそうになり、体重を支えようと咄嗟に手を出す。


 カサリ。


 乾いた音が、耳に入る。


 ……無くなっていたのは、インクだけではなかった。


 あれほど水にまみれたはずの紙は、微塵の湿気もなくそこにある。


 そしてようやく気付く。


 水を被った俺も、あの水溜りに投げた布団も、滝のように水を垂らしていた机も、例外なく全く濡れていなかった事に。


 背骨に凍った鉄パイプを貫通させられたような気分だ。

 幽霊なんか比較にならないぐらい、とてつもなく恐ろしい。……事実を確かめるかのように、俺の体は勝手に声を張り上げていた。


 「でも確かに書いたんだ、書いたんだよ! エン・ジャロフラミアにスイ・ウォロハイドって! そして見たんだ、炎が、水が、机にぶつかって弾けたのを、そして飛び散ったそれが周りに被ったのを……。俺はこの目で見たんだ、夢でも、嘘でもない……」



 「………………。わかったよ、明日外で試そう。もう外は真っ暗だし、家の中だったら危険だろう。今日はこの散乱を片付けて、飯食って寝よう。だからもう落ち着いてくれ、あんまりそうやって気を病むぞ」


 「え……あ、おう……」


 ? ……なんだろう。

 ラフェムは既に俺のハチャメチャな言い分をすんなりと、猜疑することもほぼ無く受け入れた。まるで昔……似た出来事にでも遭遇したことがあるかのように……。


 彼はこの話をこれで完結にしたようで、立ち上がって黙々と散乱物を拾い始めた。

 胸に突っかかる違和感を抱えたまま、俺も舞い落ちた紙を集めることにした。



 掃除の途中で、埋もれた羽ペンとその台座、そして部屋の隅にまで転がっていたインクの瓶を見つけた。


 幸いな事に、折れたとかインクが漏れたとか、そういった不祥事は起こっていなかった。



 ……暫く掛かったが、ようやく部屋を元に戻すことが出来た。


────────


 夜飯は、クア手作りのスープ状のシチュー。


 墓参り帰りに、まだ飯を食べていないと何気なく呟いたら、どうぞどうぞとくれたらしい。

 有り難くいただき、至福の料理を味わって、風呂に入って、気絶したかのように寝た。



 ……どこか合間の時間に、多分ご飯を食べているときだけど、ラフェムは俺の心配を気にしてか、ある事実を伝えてくれた。



 「僕の家と家具は防炎加工してあるから、火のことはそんな気にしなくていいよ。なんせ炎の一家だからな」



──────────



 「いやあ、まさかまたこれを使う日が来るとはなぁ」


 太陽がやっと地平線から旅立った、まだ目も勝手に閉じてしまう早朝。

 影は長く、辺りは薄明に包まれている。


 寝足りないと不服を露見する瞼を、グリグリ擦って持ち上げながら、前を進むラフェムを追って、ビリジワン南の最果ての、朝露で湿る草原を歩いていた。


 「魔法練習石板出したの、何年ぶりかなぁ」


 人の背丈よりもう少しある、河原の石のような素材で出来た歪な四角形の石版を、ラフェムは頭の上に乗っけるように掲げて運びながら、懐古に浸っている。


 その板は、中央に若干色褪せた青い円、そこから広がる波紋のように等間隔で白い線が彫られている、つまりは的であった。

 下側には、板を自立させる為の丸太を削って作った杭が二本付いている。


 住宅街から離れたこと、周りに他の人間がいないことを確認すると、その板の自重に任せて、大地に突き刺し立てた。


 二回張り手を食らわせ、倒れないのを確認すると、すぐさま的から背いてスタスタと歩き出す。俺は隣で、訳もわからないまま付いていく。



 突如、ラフェムが身を翻した。



 遅れて振り向く。

 突き出された左腕から発射されたであろうバスケットボール程の火球は、草を屈させ、風を唸らせ、猪突猛進に往き、的のど真ん中に当たって、花火のように爆音を鳴らして炸裂した。


 …………なんて正確で、精強な魔法なのだろう。その腕前に眠気は醒め、恍惚と見入った。


 「いやぁ、まだ一人で便所にいけないぐらいの頃は、中々狙った所に当てられなくて癇癪をあげたものだけど。今じゃ余裕綽々だな」


 得意げに胸を張りながら、 更に三発、先程よりも二周り小さな球を、紙飛行機を飛ばすような軽い仕草で、今度は右手から撃ち出した。


 膨らむ軌道を描きながらも青い円に収束し、微妙な速度の差で、狂いのない三連符を奏でる。


 「さあ、的に向かって、昨日の時のように本に詠唱を書き記してみなよ。どんな事が起きるか試さなくちゃな?」


 「……ああ、わかった」


 『エン・ジャロフラミア』


 昨日爆風を引き起こし、部屋を焼失させんばかりに燃えていた……といっても本当は平気だったらしい炎を心の内に描いて、その文字を書く。


 筆先が本から離れた刹那。

 不思議と目を眩ませはしない、真っ赤な光を放つ火球が現れた。


 一瞬、スクイラーと戦ったあの日に見た、腕に巻き付いていたものにそっくりな赤の魔法陣が、俺の正面、本の数センチすぐ先、地面に垂直に浮かんで、ぼうっと消えた。


 火焔は愚直に進み、的の中央から上斜めに外れた所にぶつかって破裂した。

 おもむろに吹き付けた薫風に、千切れた炎は儚く掻き消された。


 『スイ・ウォロハイド』

 『ライ・サンドラグロム』

 この三つは想像に容易い。まあ実際に火も水も雷も見たことあるからなのだが。

 水魔法の詠唱では、消火に大活躍したあの水の塊が、雷魔法では電気の塊が、同じようにそれぞれ青と黄色の魔法陣から飛び出して、真っ直ぐ進んで的へと衝突した。


 …………真ん中には程遠い、滅茶苦茶な場所に。



 とんとん拍子で魔法を出せたので、全部使えるかと少し期待したのだが……。



 『フィ・ヴァンエント』

 「…………出ないや」


 「うーん、見たことないから出ないだけかもな。見たことない物を想像するってのは難しいから。きっとひと目見れば、使えるようになるかもな」


 風魔法が出ない。あと光魔法と、超魔法も発現しなかった。


 ラフェムの言うとおり、想像出来ないから出ないだけかもしれない。

 風は視覚出来ないし、光魔法と超魔法はそもそもまずどういったものなのかがわからない。

 ……いつか、見る機会は、そして使えるようになる時はあるだろうか。



 「なあ……魔法以外を出せたりしないのか?」


 ラフェムは六つの詠唱が綴られた本を覗き込みながら、疑問を呈した。


 試しに、名詞を思い付くままに書き並べた。


 テーブル、カットソー、筆に弓。


 名前を書くと、なんと三つの魔法と同じように、魔法陣を伴に、目の前の無から現れた。赤い椅子だとか、そうやって色を指定しなければ、基本的に緑の染色が施されている。


 他にも書いてみたけれど……家とかのようにスケールが巨大すぎるもの、スクイラーとかトカゲみたいな生物、パソコンとかスマホみたいな想像も出来ないぐらい複雑な物は出て来なかった。


 あと色々試して気付いたことは、この不思議な能力は、俺自身がこの本に、このペンで書かなければ発現しないこと。

 |オルエンドサエスフラール《全魔法》に憧れるラフェムに、ちょっと貸してやったのだが、うんともすんとも言わなかったのだ。



 そしてペンは、インクを吸わせたのは昨日のあれっきりだが全く掠れず、おおよそもうインクの補充がいらないこと。


 消しゴムは、俺の本に書かれたものなら、インクだろうが一発で消し去れる上、消費されないこと。

 本を一旦閉じると、どれほどに汚されたり文字を書き殴られていたとしても、全て無に帰し、白紙に戻ること。そして発現の元になった文字が消えると、物も消えてしまう事だ。



 「…………チイトか……」

 目の前で繰り広げられる常識破りの現実に、徐々に幸せな夢から醒めるように顔を曇らせていったラフェムは、本を睨みながら低い声で呟いた。


 …………じゃんけんのように、将棋のように、確かにその発音で。


 「チート?」


 「えっ、あっ、違う間違えたそんなこと言ってないよ、気にしないでくれ! それより、その魔法凄いな。いやあ、初めて見たよ! うん、うん、うん……あの、あのさ……」


 チートについて話すのを拒んだ胡散臭い持ち上げの後、彼は言葉を詰まらせ、足下に目線を向けた。


 「あのさ……」


 茜色のくせ毛を手櫛で整え直しながら、深呼吸する。

 朝の風に吹かれ、直した髪がまた崩れてしまうが、二度直すことはしなかった。


 まだ眠りから醒めていない世界。

 深刻そうな彼の表情で、冷たい空気が更に冷たく、静かな空気が更に静かに感じられた。


 「あのさ、君は絶対にそんなことはしない、と思うけど。星を壊すとか、そういう悪いことには絶対使わないでくれよな? その魔法は…………」


 決してふざけてはいない、真面目な語気。その裏に僅かな俺に対する怯えを抱いているように感じ取れた。


 ……。

 ……怖いよな、怖くなるよ。


 だって昔、普通じゃないやつが、ラフェムの肉親を殺したんだろ……?


 それにもしかしたら、ラフェムが目の前で見せつけられた、世界を狂わせ、破滅を創り出そうとする……姉を殺した化け物と、どこか似た部分があるのかもしれない。昨日すんなり奇天烈な説明を受け入れたのは、そういうことかもしれない。

 怯えても当然だ。



 ……俺がどうにかして、彼に平穏を取り戻して貰い、信用を得なければならない。


 ……声が震えないよう、息を詰まらせないよう。

 俺は一旦大きく息を吸う。


 青と緑の香りは、息苦しい灰色のビル林よりも、何倍も心に安らぎと勇気を与えてくれる。


 ああ、こんな世界を滅ぼす気なんて…………どうやったら抱くのだろうな?


 「なんだよ、その冗談! 俺がそんなことするわけ無いだろ。恥ずかしいけどさぁ〜、約束したじゃないか! この世界を護る! って。君を傷付けるような真似はしないよ、だってそもそも、友人だろ!?」


 心情を酌んで、あえておちゃらけたようにそう言ってのけた。


 「……だよな」


 彼は笑った。

 怯えの色は霧散して、友人を見る優しい目に戻っていた。


 「さて、じゃ、調べも終わったし、帰るか」


 「おう!」


 爽やかな初夏の風が俺達の間を吹き抜けて、賑わい始めた街へと向かっていく。

 後方に遍く草原は、穏やかな波を打ち、葉擦れがせせらぎのようにさらさらと響いていた。


 太陽は、もう随分上がり、辺りは明るくなっている。



 もう夏だな。

 これからもっと暑くなるのかな。

 ああ、この陽射しなら作物もよく育つだろな。

 夜の寒さが心配だけど。そうだ、調査も終わったことだし、今日は依頼でも受けようか。

 ………………。



 そんな他愛ない会話を交わしながら、二人で的を神輿の様に担いで、来た道を引き換えしたのであった。

今回は挿絵無しです

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