#13 冷静なる熱情の炎
三人で食卓を囲んで朝飯を平らげた後、俺たちはホワイトローブ一式に着替た。
クアは持ち物を全て詰め込んだ鞄を掛け、俺は何故か剣を背負わされる。
彼女を送ったあと、剣を使う用事があるから持っていけだと。
支度が済んだ俺たちは、早速出発することにした。
……しかし、剣を使う用事だなんて何があるんだ? 考えもつかない。
閉ざされたレンガの空間から一歩踏み出せば、そこには今日も鮮やかな一面の青と、大きな白い入道雲が広がっている。
宿を目指し、俺たちは横並びで足を揃えて歩き出した。
大通りに続く、清々しいそよ風が運ぶ緑土の匂いを感じながら、レンガとレンガの隙間に生えた雑草や自分の影といった、さりげないものに目を移しながら歩く。
……隣の二人はというと、俺のことなんか忘れて、楽しそうに話している。
クアが一番右で、俺は左、ラフェムを挟む形で横に並んでいるのだが……彼を覗く彼女の顔が甘酸っぱい哀愁のある笑顔なんだ。
……ラフェムの方は、ちょっと微笑んでるだけで、その表情にこれといった特別感はないけど。
だから、ラフェムはともかく、彼女の邪魔をしては悪いと思って、俺は寡黙を貫いている。
「あ……」
最近の趣味だとか、ラフェムが外に出てない時の街の出来事だとか、遠くで仕事をしている両親から届いた手紙だとか、そういう他愛ない日常を話してた声とは、まるで正反対のもの悲しそうな声が響く。
足元に向けていた目線を上げると、大きな建物がすぐ目前に聳えている。いつの間にか、宿に到着してしまっていたのだ。
「またな、クア」
「え、ええ……」
彼女は見るからに憂鬱そうに、伏し目がちでとぼとぼ進んでいく。
入り口の扉を半分ほど開けたところで、何か思い立ったのか押すのを止める。
昨日のとはまた違う悲哀の面持ちで、ラフェムの方へと振り返った。
彼女の長髪が、遠心力でふわりと浮く。
美しい瞳は、天に負けないほど青く光輝いていた。
吹き抜ける絹のような薫風に、髪を弄ばれているのも厭わずに、じっとラフェムを見つめる。
「あ、あのね、ラフェム……ワタシ……」
何かを伝えようとしているが、喉に引っかかってしまっているようだ。
何度も固唾を飲んでは、言い直そうとするのだが、肝心の言葉はついてこない。
辛うじて発声される意味の無い言葉も、道を歩いていたときの明るさが潜み、彼女らしくない不安にまみれたか細い弱々しい音だ。
「ワタシ……その……」
胸に手を添え、彼の燃える赤の瞳をまっすぐ見据える。
しばらくして、辛そうにまぶたを固く閉じ、ため息を一つつくと、何事も無かったかのように、彼女らしい爽快な笑みに戻った。
「今度時間が出来たら、またお泊まりしても良いかしら?」
「……あ、ああ! うんうん、いつだって歓迎さ。今度はロネちゃんも連れてきてあげてくれよ」
「…………うふふ、嬉しい! それじゃあ、昨日はありがとね! また会いましょう!」
彼女は手を振ると、逃げるように扉の向こうへと行ってしまった。
ラフェムもまたすぐに、なにか蟠りを感じるとかそういう素振りもなく、平然と歩き出してしまう。……いや、ちょっと寂しそう?
宿がどんどん離れてしまう。
……クアが伝えたかったことは、もっと別の、大事な言葉だ。
俺にさえわかる。
何故、普段の豪快な振る舞いのままで言えなかったのだろう?
あんなにも分かりやすく、見る側がたじろぎ恥ずかしくなるぐらいに、炎にも勝る熱い好意を向けているのに。
ラフェムも彼女の事を嫌ってはいないし、むしろラブかライクかは置いて、確実に好意を抱いている。
「あなたが好きだ」
その五文字に怯えることなんて、無いはずなのに。
……無関係の俺がもやもやしてしまった。
憂鬱な気分のまま、街の西口から草原と出る。
彼の背を追って、緑のじゅうたんをひたすら歩き続けていると、人為的に作ったであろう、草の禿げた黄土の大地が現れた。
体育館程の広さの長方形の、丁寧にならされたグラウンドだ。
ラフェムはその中に入り、まだまだ先に進み続ける。
だいたい中心の辺りまで来ると、ラフェムは急に立ち止まり、ゆっくりとこちらを向いた。
……なんだろ?
いつもの猫背を急に伸ばして、小さく咳払いをし、妙に畏まる。
「今から、ショーセに剣の使い方を教える」
「…………剣……? ああ、用事ってそういう……」
……そういうわけで、俺はラフェムにまず基本の動作を教えてもらうことになった。
まずは基本の構えから。これは一応片手剣らしいので、利き手の右で掴み、左手は後ろに下げるなり、邪魔にならない位置で構えたりと、攻撃を受けないようにしつつもすぐに反応できるようにしておく。
次は護りの盾の構え。
刃を攻撃の向きと垂直になるようにして、左手を剣の腹に添え、裏側の腹で攻撃を受ける。
あとは攻撃と立ち回り。
引いた腕をバネのように勢いよく伸ばして攻撃する突き、相手の攻撃と共に動いてダメージを逸らす受け流し、ナックルガードによる打撃とガード。
水平切りに、剣の重さも乗るから一番強いけど、隙も多い降り下ろしとか……。
ともかく、色々教えてもらった。
一通り動いてみた後。
一旦剣を持つ腕から力を抜いて、ぎこちない激しい動きでよれた服を左手で直しながら、ふと思う。
俺はこういったものにも疎いからよくはわからないけど、地球と比べて人間の出せる力と過ごした歴史が全く違うし、剣の使い方や剣術も、また別物なのだろうか?
それとも同じなのだろうか。
握力も腕力も桁外れに強いから無茶な運用も出来そうだし、実際すでに習った動きの中には、地球では再現不可能なものもあるかもしれない。
……なんて色々考えるうちに、負の感情が蝕むようにやってきた。
……疎いから、疎いから、そればっかじゃないか?
俺が疎くない専門的な知識や技能は、一体何があるんだ。
自分には誇れるものなんか、ない……いや、文字を書き、文を作ることしかない。
しかし、何故か俺はこの世界の文字を書くことが一切出来ない。これでは、こんな特技なんかなんの役にも立たない。やはり無いと同じ。
ラノベで読んだ異世界転生といえば、発達した地球では当たり前とも思える知識をひけらかして、原始的な異世界で尊敬の眼差しを浴びれるのが常識。
だがここでは無理だろう。地球が機械と共に成長したように……この星は、魔法と共に成長してきたのだ!
文字も数もある、貨幣もある、郵便配達の手段もあるし、服や剣の既製品もある。
ああ、こんなことなら、前世でもっと様々な事を勉強しておくべきだったよ……。
別に努力も行動も無しで優越感に浸りたい訳ではない、いや少しばかりはあるけれど。
ただ……自分でなにか、居る世界にとって未知のものを作り出してみたい、そんな思いが俺にはあった。
俺だって、幼稚な作品しか作れなかったとはいえ、創作者だったのだ。
「おい」
ラフェムのいやに低い声で、ようやく俺は負の思考の滝壺から外れて、我に返る。
グラウンドの黄土色で占められている視界の上の方で、僅かに見える彼の足から、仁王立ちの体勢をとっていることが読み取れた。
……練習中にボーッとしてたから、怒ったのだろうか?
神経が凍ってしまったかのような血の気の引きを感じながら、俯いていた顔を急いで上げた。
「急に沈んだ顔をして、どうしたんだ? もしかしてつまらないとか、もう知ってたとか……」
ラフェムの表情は、怒りとはかけ離れた、哀感混じりの困り顔だった。
てっきり叱られると思っていたから、想像と違う彼の様子にびっくりした。
……そういえば、魔法の事に自信を持っていたり、スクイラーの挑発に反応したりと、かなり戦闘に自信があるような振る舞いをしていたな。
ラフェムには、戦いに関しては、譲れない強いこだわりがあるようだ。
だから、教授中だったのに、相手である俺が途中で集中を切らしてしまっていたのが悲しくなったのだろう。
俺の興味を惹ききれなかったことに心底落ち込んでいるようで、あんなに張っていた背もいつもの暗い猫背に戻っている。
……なんか、凄く可哀想だし、罪悪感まで沸いてきた。
「い、いや、教えてもらえるのは凄く楽しいし、剣術はなにも知らないんだ! だからこそ、なにも知らないことに、少し自己嫌悪してしまって……」
「つまらなかったとかではなく?」
「もちろん」
ラフェムは安心したようで歪めていた表情を楽にした。彼は腕を組み直し、背をキリリと伸ばす。
「なんだ、そうだったのか、よかった……。うん、うん、無知なのは仕方がないさ、だって君は……記憶喪失……だからね。わからないことはこれから勉強していけばいい、僕も沢山教えられることは教えるよ、安心するがいい」
また得意気に胸を逸らせ、自信満々の表情でそう言った。
…………ああ、そうだ。
昔やれなかったなら、今から出来るようにすればいい。
記憶喪失という設定を生かして、色んな事を学んで、変わればいい。
ラフェムの活気に溢れた言葉に、救われた気がした。
よし、これからもっと学ぶぞ。次は…………
「ということで」
ラフェムが、突如雰囲気も脈絡も無視してそう言うと、笑顔のまま左手を右胸に添える。
「エンジャロ サラウィズフレイミア!」
詠唱を掻き消すように、燃え盛る業火の唸りが彼の腕から轟いた。
手刀のように、勢い良く降り下ろされた左腕には、昨日ギルドで見せた紅の燃えるレイピアに変わっている。
鱗粉のように様々な暖色に輝く火の粉が彼の周囲に舞っている、その美しさはまるで幻想世界の夢を見ているようだ。
「今から、実践してみようか」
……は?
なにそれ、今からラフェムと戦うってこと?
あまりにも……唐突すぎるんだが……。
狼狽える俺を気にもせず、彼は容赦なく懐へと飛び込んできた! 戦いはもう始まっている!
細い刃を天に突き刺すように掲げ、俺の胴目掛けて降り下ろす!
咄嗟に剣を横にし、盾の構えで攻撃を向かい受ける。
「課題だ! 一度だけでいい、教えたことを駆使して僕にその白銀の刃を当ててみろ! 僕に攻撃を当てたら君の勝ち、君が力尽きて諦めたら僕の勝ち、そこで演習は終わりだ」
鉄と炎が触れたその瞬間、甲高い金属の音が上がり、赤と黄色の火花が接点から散る。
彼が宿す焔は見た目だけではない、硬度もレイピアそのもののようだ。
彼はそのまま、剣ごと叩き切るつもりか、その左腕に全霊の力を込めて押し潰してくる。
……ぐぐぐ……重い、重すぎる!
威力に押され、重心がずれて後ろへ倒れそうだ。
「む、無理だろ、ラフェム! 実力差も経験差もありすぎる!」
「それはわかってるさぁ。大丈夫、君に合わせて手加減はするよ。手抜きはしないがな」
彼は不敵に笑うと、突如力を緩めた。
均等の崩れた俺の押し返しに身を委ね、華麗に後ろへと跳ぶ。俺は支えの消えた勢いで、前のめりにぶっ倒れそうになった。
体制を立て直すと、また間合いを詰めてきて、今度は水平に剣を振ってきた。
半ば反射のように、剣を縦にしてそれを防ぐ。が、すぐに反動を利用して火のレイピアを左上へと浮かせ、そこから再び剣を降り下ろしてきた。
上、下、横、斜め、華麗な手首のスナップで、様々な方向から斬撃が止むことなく襲いかかる。
俺は当たらないように必死に彼の攻撃を目で追って、盾の構えの向きを変えて受けることしか出来ない。
ギリ、キンキン、カッ。キン、キン。カン、カン。
一方的にレイピアで殴られる。
……鍛冶屋で叩かれている真っ赤な鉄の気分だ。
鼓膜にくる鋭い音が、等間隔で広大なフィールドに絶えず鳴り響く。
どうすれば攻勢に移れるんだ?
どうしたらこの連撃を止められるんだ!?
このままでは、俺が先に体力を削られて、バテて負けだ。
しかしその運命を変える方法が思い付かない。
反撃の隙さえもない勢いにじわじわと押されながらも、必死に思考しながら攻撃を受け続けていると、ラフェムはなにかを仄めかすように語りかけてきた。
「おい、弱気でただ守るだけじゃあ、一生活路は拓かないぞ。戦いというものは剣先だけで起きている事ではない、もっと視野を広げてみろ!」




