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#11 水色だけど紅一点

 挿絵(By みてみん)



 俺は一人、物静かな部屋の中で寝転がって、借りた図鑑をぼんやり眺めていた。






 ……あの遅めの昼食を済ませた俺たちは、寒くなる前に帰ろうと帰路に就いた。




 そして家に着き、部屋で腰を下ろした時。ラフェムが突如小さくあっ、と声を漏らす。どうしたのか聞くと、恥ずかしそうに苦笑いしながら頭を掻きつつ、こう言った。




 「クアのところ寄るの忘れてた」




 そう、朝に出した洗濯物を受け取るのをすっかり忘れていたのだ。




 取りに行くから家の中で本でも読んで待っててくれと、彼は慌てて壁に掛けられた黒のダウンジャケットを一着だけ羽織って、外へと行ってしまったのだった。





 ……そういうことで、俺は一人でお留守番。






 天のガラスに浮かぶ灯火が、部屋の明るさと温度を適切に調整してくれるこの空間は、とても居心地がいい。




 図鑑のページを捲る。厚紙は、ペラリと気持ちいい音を発した。


 現れた次のページには、ランゴレンプと呼ばれるリザードマンと思われる生命体と、ヒトの生物学的な違いが載せられていた。





 今暇つぶしに読んでいる図鑑には、ディフォルメとリアリティが巧みに拮抗した絵柄で、様々な生物の絵が描かれている。




 絵の横には、生物名と平均的な大きさ、簡単な説明が付けられている。子供用の図鑑だけれども、フルカラーで沢山の絵があるし、何より説明がちょっと面白いので、この一冊だけで丸一日平気で潰せそうだ。




 家畜や愛玩動物としても飼われるルモルスタというでかいネズミ、灰色の鱗を持った大きなトカゲ。昨日遭遇したイタズラスクイラーも勿論いる。




 数えきれないほど沢山の生物が描かれているのだが、これでも世界に居る種類のごく一部しか載せられていないそうだ。




 この星に暮らす、まだ見ぬ生き物たちに探求心や冒険への憧れが刺激されて胸が躍る。




 いつか、他の街や大自然を巡る旅をしてみたいなぁ。





──────────




 「ガタガタうるさい……」




 吹き荒れる冷風が窓を叩いてきたので、どっぷり本に浸かっていた俺の気が紙の外側へと逸れた。




 立ち上がってカーテンを開くと、もう真っ暗で外は見えず、ガラスは鏡の如く部屋と俺を映していた。




 壁の向こうからは、笛のような甲高い風の音がかすかに聞こえる。




 ……こんなにもう経っていたのか。




 ……ラフェム、遅くないか? 多分クアに捕まってるんだろうけど……。




 氷のように冷えた窓に手を添えて、初めて会った時のことを追想する。


 何十にも着込んでもなお寒そうに腕をこすり合わせて震えていた、ダーク雪だるまのような姿のラフェム。




 あの姿でさえ凍死しそうだったのに、ジャケット一枚で果たして無事帰ってこれるのだろうか。





 ……まさか、もしかして、本当に凍死して……。





 み、見に行くか……!?





 ドアノブに手を掛けた、その時!





 「ただいまぁ、あぁ寒い寒い寒い!」





 扉が閉じた揺れと、めちゃくちゃ元気な震え声が玄関からここまで伝わってきた。




 ……心配は無用だったな。まあ、か弱い赤ん坊でもあるまいし。




 杞憂に調子を狂わせられつつも、出迎えるべく、部屋を出た。




 階段を駆け降り、玄関前に飛び出す。





 ラフェムの隣に、数センチ背の高い誰かが立っている事を脳が理解したのは、帰宅した友達に挨拶を交わそうとしてから数秒後のことだった。





 「ラフェム、おかえ……え? あれ?!」




 「あらこんばんは、ショーセ! お邪魔するわよ〜」




 「え!? わ、は、はい。えっと、こんばんは……」





 洗濯篭を脇腹に抱えたラフェムの隣に、何故か宿屋のクアがいた。




 大きな手提げ鞄を持ち直し、長い髪をかき揚げながら明るい笑顔を見せて、こちらに手を振ってくる。服は例のコート。青のラインだ。




 急に連れてきて一体どうしたものか。ラフェムにこっそり耳打ちすると、どうも最近の事を話したとき、「ショーセを泊まらせてるの!? ズルいわ! ワタシもお泊まりしたーい!」と返されたので、冗談で来たらどうだと返したら本当に付いてきたらしい。宿は今、妹のロネちゃんが代わりに番をしているという。







 「僕、先に風呂に入るから。二人はここでくつろいでいてよ」




 ラフェムはクアを部屋に案内するとすぐに、さっさと着替えを持って出て行ってしまった。相当野外の冷気に堪えたらしい。





 ……おいおい、一人きりの次は、知らない女の子と二人きりかよ……。




 彼女は部屋を大きく見回してから、机から椅子を引き出すと、マットレスで項垂れし俺と向き合うように動かし、椅子の足が浮くほど大胆に座る。




 そして、昼のネルト程ではないけども、腰を折り曲げて俺の顔を観察し始めた。




 ……そんなに俺の顔、変なのか?




 ……。




 ……彼女が好きなのはラフェムで、俺に対する好意が無いのはわかっている。




 だけども、彼女の純氷そっくりな曇り無き輝く虹彩で、こんなにも舐るように見られると、ちょっとぐらいは好意があるんじゃないかって、勘違いしてしまいそうだ。




 女の子からこんなに見つめられるなんて早々無い。




 体は燃えるように熱いし、心臓は激しく鼓動している、これ以上端麗な顔の華奢な瞳で見つめられたら、今にも俺の身は爆竹となって霧散してしまうかもしれない。




 顔を逸らすタイミングをうかがっていると、先に彼女が慈愛の滲んだ微笑みを投げ掛けながら、背を正したのだった。





 「ショーセ。あなたが来てから、ラフェムは随分昔のような明るさを取り戻したの。……ありがとう」




 「……へ?」




 彼女は突然、今までのはつらつたる態度からは微塵も想像出来ない、しおらしい声で突如感謝の言葉を告げた。




 ……そういえば、まだたった三日しか経っていないけれど……大通りでラフェムに会った時と比べ、振る舞いや言葉使い、声のトーンに活力がこもり、若干明るくなってきている……ような気がする。





 「……じゃあ、俺が来る前、彼はどんな様子だったんですか?」





 「ラフェムはね、ずっと一人で全てを背負って塞ぎ込んで……ずっと引き籠っていたの。三年前のあの出来事から……」





 三年前。





 また三年前だ。




 ラフェムも、ネルトも、ギルドでの言い争いから三年前を恨み、そして恐れているようだった。


 ラフェムの姉も、これに関係して命を落としたと思われる。





 しかし、世界を狂わせ破滅を造り出そうとする化け物に姉は殺された……彼はそういっていたけれど、図書館には三年前に大きな事件を記す本も、あったことを仄めかすような題名の本もざっと見た限り無かった。





 そんな強大な敵が現れたのならば、当時の記録等を残した物は、絶対一つぐらいあるはずなのに。





 一体、過去にどんな災厄が降りかかったのだろう。





 ……もしかしたら、記すのも思い出すのも忌まわしい出来事だったのかもしれない。





 ……でも俺は知りたかったし、知らなければいけない気がした。


 失礼を承知で、俺は事の正体を聞くことにした。





 「三年前……ラフェムに、この世界に、一体何があったんですか?」





 「…………」





 クアはずっとこちらに向けていた目線を不自然に逸らし、狼狽えた。




 何か伝えようとしているのか、口を僅かに開くもののすぐに飲み込むように閉じてを何度か繰り返し、やがて彼女は目を隠すように深く俯いてしまった。





 鼓動十回分ほどの短く長い沈黙。





 ようやく顔を上げた彼女は、今にも涙を溢れさせそうな悲痛の面持ちだった。





 「ごめんなさい、ワタシがあの出来事を教えることはできないわ…………。話したところできっと誰も幸せにならないし……ワタシも、ワタシも辛いのよ……」





 思い出してしまったのだろうか。彼女の顔に不安と恐怖、そして憎しみの混沌が滲む。




 彼女が握り締めていたコートに更に力が加えられ、シワが張り裾が縮んだ。





 「あのね、お願い。きっとラフェムが、心の底からあなたのことを信用して一番の親友と感じたとき、きっと彼自身が全てを話してくれる。だから、その時が来るまで、この件の事はさっぱり忘れて深追いせずに待っていて欲しいの」





 彼女は、静かに震える声でそう答えた。






 ……そう言われるとますます気になるけれど……知ることが彼女らを傷付けることになってしまうのならば、仕方がない。




 彼女の言葉通り、今は忘れることにしよう。




 俺はその想いを言葉にはせず、ゆっくり頷いた。




 「……いい? 絶対に調べたりしないでよ。……教えられなくて、ごめんなさいね。」




 そう念押しをして、彼女は申し訳なさそうに再度謝った。





 「……」





 「……」





 この後はこの重苦しい雰囲気を打ち砕く話題もなく、そもそも俺は会話が苦手だったので、お互い妙に遅く流れる沈黙の中、口をつむんでラフェムの帰りを待っていたのだった。





 「あぁ~いい湯だったぁ~」




 部屋を取り囲む気まずさに不似合いな呑気な声と共に、火照ったラフェムが真っ白なタオルで髪を乱雑に拭きながら帰ってきた。




 元々寝癖のような髪が、更にめちゃくちゃになっている。





 「……? どうした二人とも……」




 彼は、俺と彼女が楽しくお話しできるとでも勘違いしていたのだろうか? 困惑をあらわにしながら、首にタオルを巻いた。




 互いに不自然に目を背けていた俺たちの間を通り抜けて、奥の棚から寝間着一式を取り出してこっちに放り投げる。




 「いやあ、友達の友達同士とはいえ、気まずかったか……すまない。次はショーセが入りなよ。僕は晩飯の準備でもしようかな、クアは……」




 晩飯という単語を聞いたとたん、クアは目をぱっちり開け、宝石のように輝かせた。




 「あっ! ワタシ料理手伝う! ねえねえ! なに作るの?」




 椅子が倒れそうなほどの勢いで立ち上がって、ラフェムの側へとすっ飛んでいく。




 彼女の顔は、先程までの暗さなど微塵の欠片も感じさせない太陽のような笑顔に戻っていた。




 ぞっこんのクアと、好意に気付いていないのか、はたまたもう慣れてしまったのか、普通の友人のように構うラフェムを見てて、なんだか悔しさと恥ずかしさが込み上げてきたので、さっさと風呂に行くことにした。





 ……あーあ。俺も可愛い女の子に惚れられたり告白されたりしないかなぁ。





 あーあ、あーあ! あんぐらいベタ惚れって訳じゃなくて良いから、嘲笑とかそういうのじゃない目線を向けられたい。





 歩きながら、脱衣しながら、心の中で愚痴を吐く。


 愚痴が言い終わらないまま、蛇腹ドアを押し開けた。





 ……あ。


 昨日は気付かなかったけど、床から風呂を沸かす火の唸る音が聞こえた。





 この家の外観に竈や煙突は無かったから、蒔や本当の火ではないだろう。


 思い付くのは、ラフェムの魔法だ。なるほど、蒔風呂ならぬ魔法風呂か。




 今日の汗、穢らわしい妬みや、悶々と呻く不明瞭な過去。嫌なものをすっぱりすっきり流し落として、熱い湯船に浸かった。




 手をお湯から揚げて、雫が肌を伝って流れる様子を何も考えずぼんやり眺める。




 ふと、一つ試したいことが思い浮かんだ。





 握り拳を作り、その指を開花のように広げながら、俺は小さく呟いた。




 「エン ジャロフラミア……」




 …………。




 やっぱり駄目か。何も起こらない。




 なぜ皆が使える魔法を使うことが出来ないのだろう。


 俺がこの世界の人間じゃないからだろうか、それとも魔法の適性が全くないからだろうか?


 もし魔法があったら、こんな風に湯船を温めたり明かりを灯せたりと、色々使えて便利なんだろうけどなぁ。





 ……だいぶ温まった。クアの順番もあるし、そろそろ出るか。





 脱衣所で水気をふき取り、持たされた着替えを手に取る。


 ゆったりした焦げ茶色のスウェットだ。今日のパンツも赤だったし、ラフェムは赤系の色が好みなのだろうか。




 脱衣室から出ると、炒め物の音と、楽しげな話し声が耳に入り込んできた。




 食堂に入ればすぐ見える、仲睦まじく並んだ二人の背。邪魔するようで気が引け、畏れながらも声をかける。





 「ラフェム、今あがったよ」




 「おう」




 今日の朝と同じように体を捻ってこちらを向いて微笑み、すぐに体勢を戻すと隣のクアの肩を軽く叩いた。




 「入ってきなよ」




 「はぁい、ラフェム! じゃあワタシ寝間着取ってくるわね!」




 彼女はすぐに、浮かれた足取りで食堂から出ると、二階へと駆け登っていった。




 彼女の気配が完全に消えたあと、俺は先程まで彼女がいたところ、つまりはラフェムの隣に近付いた。彼は炒める手を止めぬまま、顔だけこちらを向ける。




 「ショーセ、ちょっとばかし手伝ってくれるかな?」




 「えっ、でも俺、料理はてんで駄目で……インスタントめ……お湯を沸かす事ぐらいしか……」




 「大丈夫、僕が頼もうとしているのは、他の料理作ってとかそういう難しいことじゃないから」




 「そ、それなら……」





 と言うことで、食器を運んだり、既に茹で終わった豆を茶碗によそったり、サラダをドレッシングが平等に掛かるように混ぜたり……と、俺でも出来る簡単な事を手伝った。




 支度はすぐに終わり、いつでも食事できる状態になる。




 完成した食卓を見ると小さな達成感が満たされて、清々しい気分になった。





 ラフェムは素朴ながらも温かい感謝の言葉を述べた後、いつか料理を教えると言ってくれた。




 この世界で自立するためにも自分の生活の事は、ちゃんと自分で出来るようにしなければいけない。彼の申し出はとてもありがたかった。





 「あれ、ご飯の支度終わったんだ。ワタシ、ラフェムの隣座るわ!」




 丁度彼女も風呂から出たようだ。彼女は食堂へと帰ってきた。 




 水に濡れ、更に艶やかになった長い髪は、まるで紅の牡丹みたいなふんわりしたた真っ赤なシュシュで後ろに結われていた。




 自前の白いルームウェアには、豊満な二つの丘が浮き出ている。先程までのコート姿からはわからなかった風貌の良さに思わず目を見張った。





 くそう、ラフェムが羨ましい。





 ……でも、彼女が彼を恋慕する理由はわかる。




 先日彼女自身が言ってたように、見返りとかそういう下心を感じない、真の正義の優しさがあるからだ。


 見ず知らずの俺に、救いの手を差し伸べてくれた、あの優しさ。




 ……俺には、正義なんて気高い物は無いだろう。




 もしも俺が女だったり、逆にラフェムが女の子だったら、同じく惚れちゃっていただろうな……もしもの話だがな!





 俺とラフェムは今日の朝の通りに、クアはラフェムの隣の席……俺から見て向こうの左側へと座る。





 献立は、たっぷり厚切りベーコンと芋の入った根菜炒めもの、謎の焼き魚と例の豆、みずみずしい緑のサラダ。野菜ずくめだ。





 「それじゃあ食べるとするか。いただきます」




 「いただきまーす!」




 「いただきます」




 三つの音が綺麗にハモる。




 三人揃って手を合わせ、一斉にスプーンとフォークを手に取ったのだった。

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