#1 あの世とこの世と別の世と
XX年。人々の生きる土地へと堕ちた流星は、世界の運命を……いや、宇宙の運命を握ることとなる。しかし、そんな事になろうとは、当時誰も知らなかった。誰一人も、堕ちた光さえも……。
清瀬 頼太、中学生。
ある深夜、自覚出来ないほどにあっさりとトラックに轢かれて死んだ少年は、神の提案によって異世界転生を果たした。
転生先の星で、次こそは平和で楽しい人生を勝ち取るべく、仲間達と世界を歩む……。
ただ漠然と、何処かを目的もなく歩いていたはずの俺は、突然、目を刺すような強烈な閃光と、耳を引き裂くような警笛に包まれた。
一体何か起こったんだ?
それを考える暇も与えられず、内臓の髄まで震わす程の重い衝撃が、俺を突き飛ばした。
その勢いのまま、白の光から抜け出して、闇の中へと突入する。
闇の中は水みたいだった。抵抗の壁に包みこまれ、ようやくスピードは鈍く殺された。
先程与えられた運動エネルギーが完全に収まったので、身に起きた状況を理解すべく、体を起こして辺りを窺う事にしたのだが……。
「ここは……?」
辺りを見渡しても、何の変哲も変化もない、ただ一面の黒、黒、黒。
なんということだろう。そこにあるはずの自分の体さえ見えない。
僅かな光さえも喰い尽くされた真っ暗闇の中に、俺はふわふわと浮かんでいたのだった。
異常な程の暗さに、ぞわぞわと心が蝕まれていくような不安に駆られる。
他に誰かいないか、助けてくれないかと、大声で叫んでみた。
誰かいませんか?
ここはどこですか?
だが、どんな問いにも返事は無い。
それどころか、ここで聞こえるのは己の声だけ。
そしてそれさえも、口から離れると即座に暗黒に吸い込まれて消えてしまう。
なんだこれは? どこだここは? なぜこんなことに!?
ああ、もう訳がわからない。脳を幼児にクレヨンで落書きされている気分だ。
どうにか手掛かりを掴まなければ……声が駄目なら実体で……! 闇雲に体を動かしてみる。
右手で空を掬い、左足で奈落を蹴り飛ばす。
なにも手ごたえなし。俺の体はひっくり返った。
……いや、今までひっくり返ってて、今正しい向きに戻ったのか?
場所が悪いのかも。泳いでみる。……そもそも進んでいるのか分からない。
……あれ、また俺ひっくり返っちゃった?
どんなに足掻いても、手に触れるのも、足にぶつかるのも、虚無。
何をしたって、重力の無い闇の中で、ぐるぐるその場で回転するだけだ。
……本当に何もないのか?
いや、そんなはずが。あ、諦めて堪るかよ。
探し続ければ、何かがあるかもしれない、何か起こるかもしれない。
意地を張って、暫く暴れ続けてやる。
ぐるぐるぐる。
あっちはどうだ?
ぐるぐるぐるり。
……こっちは調べてないよな? ……わかんねえなあ。
ふわふわり。
……。
やはり何もないし、どうにもならなかった。
何をしても無駄だ。そんな諦めが胸の内に渦巻き始めた。
どんなに努力しても無駄ならば、もうやりたくない。
いつも部屋で閉じ籠っていたから、もう四肢を振り回す体力が尽きた。
行動を一切止め、いつものように膝を抱える。
「マジでなんなんだよ…………。」
何もしていないはずの俺が、急に何の罰でこんな場所に閉じ込められたのか、とてつもなく不満で、不安だった。
寂しさが堪えて、ちょっと泣いてしまった。
涙は、頬を伝うことなく、勝手に重力の存在しない闇の中に散らばっていく。いつもの熱い涙痕を感じないことが、さらなる不安を掻き立てて、とても気持ち悪い。
俺はいつまで、どのぐらいこの無を漂うのだろう?
瀕するこの状況の続きを考えるだけで、気が狂いそうになる。
ああ、早く誰か助けてくれ。ここから出してくれ。
助けてくれ、誰か……。
助けてくれるのならばアイツでも。
それかいつもならば馬鹿にしてるが、いるのならば、いるなら神様でも。
誰でもいい。どうか……。
どうか……。
「ああ、まだ若いというのに。こんなに呆気なく死んでしまうとは、人の命とはやはり儚いのう」
「……は? あわわっ!? え、な、爺さん誰だよ……?」
急に暗闇が滝のように奈落へと流れ落ちると、光のある世界が現れた。
俺はいつの間にか正座をしていた。
声も消えない、目前が見える、体の重みも感じる。
ほんのりあたたかい床が、さっきので冷えたらしい俺の足を癒してくれている。
俺の目の前で、今にも臨終しそうなヨボヨボの爺さんが、サンタクロースの様にたっぷり蓄えた口髭を弄くりながら、訳のわからない大きな独り言をだべっていた。
何一つ理解できない現状を少しでもわからなければ。辺りを見回す。
ギリシャにある、あの白い柱が俺達二人を取り囲むように並んでいて、その隙間から、柔らかな陽光が入り込み、辺り一面を黄金色に染めている。
太陽は俺の背側だ、爺さんに向かって、真っ直ぐに影が伸びているからな。
床は、自分の姿が映るほどつるつるに磨かれた、いかにも高級そうな大理石。
途切れることなく、地平線までずっと続いていた。
憶測だが、地平線の向こうにも永遠と延々に続いているのだろう。
この爺さんは絹のように滑らかな白い布を纏い、肩には青い爪のような飾りが施されている。日本じゃあまず見ない服装だ。年老いたしわしわの顔は日本人系なんだけど。
頭頂は、髭に毛根を集中させてしまったせいなのだろうか? 大理石も驚きの滑らかさで、陽ざしを跳ね返して燦々と輝いていた。
なんか、落ち着く。
しかし……こんな場所、人生で一度たりとも聞いたことも見たこともない。
ここどこだ? 柱、大理石、黄金の日差し。まるで神殿だ。
「しかし、わき見運転のトラックに轢かれるとは。さぞかし痛かったろう、少年」
爺さんは、独り言を未だに続けている。
……これ、まさか俺に対して話しているんじゃないんだろうな……?
「な、なあ、爺さん……さっきから何言ってるんだ? もしかして俺の話なのか? というか、俺に話してるのか?」
「そうじゃ、お主の話じゃ。お主が可哀想でな、ついこの神殿に魂を呼び寄せてしまった」
爺さんは、俺の顔を覗き込むと、なだめるように穏やかに微笑んだ。
俺はやっと措かれた状況を理解した。
これ夢だ。
つーか、こんな意味不明な連続、現実であってたまるか。
どうも夢の中ではおかしいことが起こってもそれが変だと気付かないものだ。
つんざく音光、暗黒の宇宙も、この場所も、何でもありの夢を見ていただけ。
これで全て説明がつく。
……しかし、これまでの出来事は夢にしては鮮明だったな。
こんなにリアルな夢なら、可愛い女の子とあんなことやこんなことをする、むふふな夢が良かったなぁ。そう考えると、不気味なほどニコニコしている爺さんに無性に腹が立った。
こんな変な爺さんとお話する夢など、面白味要素が微塵もない。
さっさと起きよう。頬をえぐり取る勢いで力一杯つねった。
「イっ、……痛あああああああああああああ!」
痛い! 痛い!
あああああああああああああああああああああああ!!
後ろへと跳ね跳び悶絶。視界が涙に覆われて滲む。
力を込めすぎた。すぐに手を離したというのに、未だじんじんと痛む。
で、でも、この痛み、まさか……。
爺さんは悶え転げ回る俺を見て、怪訝な顔をしていたが、何かを閃いたようで、あぁ、と声を漏らして頷いて手を打った。なにその納得しましたみたいなジェスチャー。漫画かよ。
変な爺さんは、へらへら笑ってから、頭を下げた。
「お主、身に降りかかった不幸を飲み込めていないようじゃな? 普通はそうじゃろうなぁ……失敬、失敬。まず紹介をしようかの、ワシは神じゃ」
「……は? 神ぃ?」
「そうじゃ」
あまりにも突飛で阿呆らしい自己紹介につい薄ら笑ってしまったが、神と名乗る爺さんは俺の失礼な態度など一切気にせずに、淡々と成り行きを説明し始めた。
俺は、人気の無い夜道を歩いていたとき、不幸にもわき見運転をしていたトラックに撥ね飛ばされたという。
その衝撃に助かる訳もなく、魂は体を飛び出して死の淵へ。つまりさっきの闇の中をさ迷っていた。
そして、偶然にもそれを見かけたこの爺さん、この神は、それを憐れみ助けてやろうとこの神殿へと俺の魂を召喚し、今に至る……という訳だそうだ。
信じがたいのだが、何一つ信じられる事象のない今、矛盾のないこの言葉を真実として信じるしかないだろう。
……。
しかし……もしこの爺さんがいなかったら、俺はあの絶望の中でいまだに浮かび続けてたってことか?
下手したら、永遠にさ迷い続けていた可能性も……?
そのことに気付いた瞬間、不意に氷の手で背を撫でられたかのような寒気が背を駈け上がった。
暗黒から掬い救ってくれたこの爺さん、いや、神様が、さっきまではショボくれて見え心の内ではあれほど蔑んでいたというのに、今や御来光に包まれているように見える。
頭は本当に光っている。
……ああ、俺は恩人に、神になんて無礼な真似をしてしまったのだろう。
すっかり心身共々畏縮しきった。何度もありがとうございます、すみませんでした……そんな拙い感謝の言葉を述べながら頭を下げ、これまでも数々の無礼を謝る。我ながら、お礼の語彙がなさ過ぎて情けなくなった。
神様は、平気じゃよと、ただ朗らかに笑う。本当に俺の態度など取るに足らないって感じだ。偉大な力を持っているからこそ、この寛容さなのか?
神は、ふと頬杖を付き、ため息を付いた。
「実は、神も神で忙しくてのう、こうやって人を召喚したのは久々なんじゃ。誰にも会えなかった空白の分、たくさん話したいのじゃが、いいかのう少年。いいな。よし」
この神様、寂しがりなのだろうか。
俺の是非も待たずに、たわいない世間話が始まった。
といっても、俺は現実での記憶がどうも曖昧で、日常もなにも話せることが無かった。なので、たまに気紛れで偶然死んでしまった人を助けてるとか、娯楽感覚で眺めている人間界であった面白いことなど、神視点での雑談を一方的に受けて、うんうんと返事するだけの会話といえるか危ういものだったが。
でも、呆れるほど聞かされた人間の自慢話なんかよりも、比較出来ないほど新鮮で悪意もなくて、とても面白かった。神も、こうやって誰かに話せて楽しいようだ。
そんなこんなでだいぶ時間が経った。
日がさらに傾いている、もう夜が来る。
まだまだ神の話を聞いていてもいいのだが、ずっと神の家とも言える神殿に図々しく居座り続ける訳には行かない。
それにおおらかな神様だが、もしかしたら俺に気を使って話続けてるだけかもしれないし。
あと、現世に未練だってある。思い出せないが、謎の執着が心にあった。
ここから帰らないといけない、そんな意志があった。
話を強引に切ってしまうが、どうやったら現実に帰れるのか聞くことにした。
「すみません……どうやったら生き返れるんでしょうか?」
「あ、無理」
……。
うえっ!?
きっぱりと、一瞬で断言された。
神なら簡単に生き返らせてくれると確信していたのに。その呆気ない返事に盛大な肩透かしを喰らい、変な声を漏らして悄然とうなだれた。
神は、そんな俺を見て、気不味そうにわはは……と笑う。
これ笑いごとじゃあないぞ……。
何故元の世界に帰れないのか、 ちゃんとした理由が無ければ納得出来ない!
あ、無理。とだけ言われて、そう易々「分かりました、成仏します」なんて、誰も言わないだろう?
「なんで生き返れないんですか? 理由を教えてください……」
神は、今までの穏やかな表情から一転、上手く言葉が出てこないのか、つっかえながら、背筋を異様に張らせて、顎を引き深刻そうな焦り顔で、話し出した。
「い、いやぁ……事故が事故でなぁ」
「それで……?」
「それで……お主の体、そ、そう、バラバラ、なんじゃ。その、いくら神とはいえ、原型を留めてない者を治して戻すのは…………。すまないのう。だから……」
えっ、バラバラ……!?
俺の体、スプラッター?
…………。
聞かない方が良かった。
苦手なグロテスクな映像を脳内で描いてしまい、加えて嫌いな自分の体だったが、消えて無くなってしまった事実に、酷く気分が悪くなって、返す言葉を紡ぐことが出来なくなった。思わず顔を伏せる。
網膜に映る自分の暗い影が、ますます彩度を落とし、どんどん広がり延びていく錯覚がした。
この黒が、まるで先程の闇の色と全く同じように見えて、冷や汗が流れる。
怖い、おぞましい、見たくない。
視界から影を外そうと試みたが、全身がすくんでしまって、目を動かすことさえ不可能だった。
影は、今にもこの内に戻してやろうと言わんばかりに広がり続けている。
闇は、お前は原型を留めず憐れに死んだのだと嘲笑ってくる。
恐怖に釘付けにされた俺は、ただ震えることしか出来なかった。
そんな俺の頬に、おもむろに神が手を添えた。
恐れるな。そう枯れた優しい声で俺の耳を打つ。
ああ、なんだか勇気が湧いてくる声だ……。
俺を金縛りにしていた恐怖心はたちまち解けて、体は柔軟性を取り戻していく。
神の手は、老いで皺まみれ、潤いもなく粗暴にかくばっている。だのに、むしろそれが優しく感じた。
ほのかな命の暖かさを帯びた手は、何故かどうも懐かしくて、言い様の無い不安の波に荒れていた心も、すぐに鳴りを潜め、穏やかになる。
ゆっくりと顔をあげ、神の表情をのぞき見た。
神は気の毒そうに眉も口角も下げて、じっと俺を見つめている。さっきまで、あんなに笑顔だったのに。
……こんな俺を心配してくれたのか。誰かに心配して貰えるのは、とてつもなく久々の気がする。心なしか、胸の奥がじんわり温かくなった。
ゆったりした間の後、神が申し訳なさそうに頭を少し下げ、話を再開する。
「気が利かなくてすまぬのう……。お主はバラバラ死体になってしまった。だから戻れぬ。だから、お主には、別の世界……異世界で、そのことも全てを忘れて、新たな明るい人生を送って欲しくて呼び寄せたのじゃが、やはり元の世界でないと駄目かのう。」
「……え!? 異世界!?」
その単語を聞いたとたん、先程までの負の感情はどこへ行ったのやら。
正の感情は天を貫く如く昂る。
俺は子供のように、無邪気に明るい声で復唱した。
初投稿です。これからもよろしくお願いします。
次の木曜日まで毎日更新、以降は毎週木曜日更新になります。
2018/10/11 20:30
──────────
旧あらすじを前書きに移動させました。
また、現在更新は毎週木曜から毎週曜日不定となっております。
2019/8/25