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きみおもふ  作者: 豆蔵。
8/13

よん、土蜘蛛-1


 庭から、ひゅお、と冷たい風が吹き込んできた。

 秋風か、と、神威は身を縮める。ひやりとする足元を隠すように、あぐらも掻いた。

 茶々は風を背中に受けるような形で、庭を背に座っている。

 一夜明けた今、彼女は小袖から唐衣へと姿を変えていた。結い上げていた髪も降ろしている。珍しく正座だった。

かしこまった態をしていれば、由緒正しい姫君そのものですよ、と、出掛かった余計な一言を神威は飲み込み、静かに話に聞き入る。

 「土蜘蛛を見つけ出すわ」

云い切った彼女に、向かいあうようにして座っている狛が、ひょいと肩をすくめた。烏帽子が揺れる。

 「見つけるってどうやって。今まで散々探して来たがこのザマだ。 ――ヤツはこの四年で臭いを消してやがる」

 「あの時はそもそも、土蜘蛛が京にいるかどうかも定かじゃなかった。だからこそ、狛が気付かないなら、京にはいないと踏んだわ。でも、居る事がはっきりしたなら話は別よ。狛の嗅覚はあてにならない。なら、探す方法は一つしかないわ」

 「……何だよ」

 「目視に決まってるじゃない」

 断言した彼女に、狛は頭を抱える仕草を返した。あぁああ、と、嘆くような声を上げる。

 「あのなあ茶々、いったいいくらの人間が京にいると思ってるんだ。草の根分けて探すのと、同じ位無謀な話だぜ」

 「四年前も見つけたじゃない」

 「あれは…! 探して探して。結果、偶然行き当たっただけだったじゃねぇか」

 ほとほと呆れたような狛の言葉。神威もまた、考え込んだ。

 京にいる人間一人ひとりを当たっている間に、次、次の次と犠牲者が出る可能性は高い。長引けば長引く程、多くの犠牲者を出すはずだ。

 何かいい手はないものか、と、思案するが、一向に名案は浮かび上がらない。

 神威は両手を挙げるようにして、周りの面々を見渡した。

 だだっ広い客間にいるのは、馴染みの五人。

 神威は部屋の隅で、壁に背を預けている。鬼灯は茶々の後ろに控え、茶々を挟むようにして、前には狛と薬師丸が腰を下ろしていた。

 長引く沈黙を破ったのは、薬師丸。

 薬師丸は、傷跡を向けるようについと狛に顔を向けると、

 「相変わらずの、駄犬ぶりですね」

 これみよがしに笑みを浮かべた。形の良い薄い唇が、三日月を描くようにして持ち上がる。

 「あ?」

 「京にごまんの人間がいるのなら、ごまんの妖を使えばいい事。何のために、この屋敷に有象無象の輩を匿っていると? ――狛、借りと云うのは、こういう時に返して貰うものですよ」

 咲き誇る蘭のような優美な笑顔と裏腹な言葉に、狛がぞわぞわと逆立つ毛を押さえ込むようにして、自らの身体を抱きこむ。目が見えずとも、そんな姿を端にやるようにして、薬師丸は茶々に首を巡らせた。

 白銀の髪が、するりと肩から滑るように落ちる。

 「姫。屋敷の者たちは、わたしが」

 薬師丸がそう云った途端、今まで息を潜めるかのように静かだった屋敷が、一斉に気配を膨らませた。

 どん、と、屋敷が爆発したようだ。

 ドタドタと走り回る足音や、普段聞きなれない妖の声まで、一気に耳に飛び込んでくる。

 『薬師丸が仕切るそうだ』

 『なんと、狛なら撒いて逃げられるものを…!』

 『と、とにかく少しでも情報を集めないと、薬草と一緒に瓶詰めにされちまう!』

 薬師丸に怯えるのなら、もう少し声を落とせばいいものを、客間の中に一から百まで聞こえている。

神威は苦笑を浮かべた。

 この状態なら、土蜘蛛へ早くたどり着けそうだと云う喜びと、屋敷の者たちの身の上を心配する一抹の不安とをどう表現していいのか分からないまま、神威が薬師丸を見ていると、彼は神威の視線に気づいたようで、ふふ、と、声に出して笑った。

 「心躍る雑音ですね」

 こういう切り替えしが思いつく辺りがさすが薬師丸で、思わぬ撒き沿いを受けるのが、毎度おなじみ、狛だ。

 彼は床に手をつくようにガックリと肩を落とすと、おいおいと、泣くような素振りを見せた。

 「………つか、オレなら撒けるってどういう意味だよ、おい」

 呟くように云うと、慰める等と云う言葉を知らない茶々と薬師丸が、

 「単細胞だからでしょ」

 「馬鹿ですからね」

 傷を抉るように揶揄する。

 お、と声をあげた薬師丸は、愉快気に持ち上がった唇を、袖で隠すような仕草を見せた。

 「単細胞は、姫様も負けていらっしゃらないかと」

 「なんですって!」

 途端にいつもの調子だ。

 先ほどまでの緊迫した空気はどこへ行ったのやら、売り言葉に買い言葉で真に受けた茶々が、涼しげな薬師丸の胸倉に掴みかかろうとする。

 それを見事にするりと避けて、薬師丸は衣擦れの音をたてながら立ち上がった。

 「それでも、後悔はなさりたくないのでしょう?」

 落とすような薬師丸の言葉に、茶々がぴくりと動きを止める。確信を突かれたような仕草だ。

 茶々が見上げると、薬師丸の傷跡に皺が寄る。まるで目元が、優しげに微笑むような動きだ。

 まるでわが子に微笑むかのような暖かい雰囲気に、神威は思わず驚いた。彼は主と呼ぶ茶々に対して、常に遠慮がない。歯に衣着せぬ物言いが、彼の親愛表現だと思っていた。

 こんな風に笑えるのか、この男は。

 神威がつらつらと考え込む時間があるほど、茶々は黙りこくっていた。

 畳を見つめて、口を噤んでいた茶々が、神威、と小さく名を呼んだ。

 「はい?」

 突然名を呼ばれて、神威は我に返る。

 茶々は身を起こすと、正座を組みなおし、背筋を伸ばした。意を決した様子で、

 「神威」

 もう一度、名を呼ぶ。

そのリンとした鈴の音のような声は、黄泉から神威を呼び戻した、あの時の音とよく似ていた。

「お願いがあるの」

「……何でしょうか」

お願い、なんていう、しおらしい言葉に自然と身構えてしまう。

今までの事から考えても、すぐ手の平を返して、神威に嫌味だの悪態だのを吐くのだ。頼って欲しい、甘えて欲しいなんて云えるような存在でない事は分かっているけれども、彼女が少し甘い声を出すたびに、どこかで期待してしまう自分がいる。そしてまた、落胆させられるのだ。

今更こんな時に、屋敷を出て行けなんて云う話を蒸し返すとは思えないが。

訝しげな顔をしている神威を見ていた茶々は、ふと、口端を緩めるように笑った。

瞳を伏せて、ゆっくりと微笑む。

「あなたに触れてもいいかしら?」

「――は?」

ギョッと見開いた目に、畳を蹴る茶々の姿が映る。

「茶々さ、ま…っ」

触れる、と云う速さではない。

突進するような勢いで駆けて来た彼女は、飛びつくようにして神威に抱きついた。

わ、と声を上げる神威は、壁に背中を打ち付ける。

「茶々様、あの…」

「ありがとう」

「え」

「会いに来てくれて、ありがとう」

耳を疑った。

神威を見上げた茶々が、今にも泣きそうな顔をしているので、目も疑った。

「子どもの頃の別れが、最後じゃなくて良かったわ。もう一度こうして…」

ゆっくりと伸びて来た手が、神威の髪を撫ぜる。

神威の結っていない黒髪が、茶々の指の間から零れるように落ちて、

「手を伸ばせば触れられる事を、最後に確かめる事が出来て良かった」

その言葉の意味を理解した瞬間、茶々は突き放すようにして神威から離れた。

彼女の手にあるのは、安部清明から預かった護符。

「茶々様!」

ようやく彼女の行動に理解が追いついた神威が、それを取ろうと身を起こそうとした瞬間、目の前に白い影が現われた。薬師丸だ。

彼は神威の目の前で、一瞬の間に姿を獣へと変える。

鵺だ。身体は狛よりも大きく、顔は猿、胴は狸、その先に続く隆々とした虎の毛並みは、氷柱のような、透明に近い白銀。紺色の模様が刻まれている。大蛇の尻尾が、ちろり、と赤い舌を出した。

「薬師丸、か…?」

潰された両の瞳が、唯一彼である事を示している。

是を示すように。からかうように、鵺が笑った。

神威は固唾を呑むと、全身に押しかかるような威圧を振り切り、一歩前へ踏み出した。山のような鵺の合間を潜ろうと試みるが、尾っぽが邪魔をする。

「茶々様…!」

神威の呼ぶ名に、茶々は応えない。

薬師丸も、神威を傷つけるつもりはないのだろう。阻むばかりで手は出さないが、それでも茶々へはたどり着けない。

薬師丸に阻まれてもなお、前に進もうと躍起になる神威についに、長い大蛇の尾が絡みついた。大の男一人をゆうに持ち上げる。

「離せ! 薬師丸!」

天井まで持ち上げられて、ようやく、茶々の姿が見えた。

狛と鬼灯に身を寄せる彼女は、ボロボロと泣き崩れている。

「茶々さ――!」

「もしも、出来る事なら…っ」

神威の声を掻き消すように、涙声で茶々が叫んだ。

すがるような、睨むような瞳が、神威を射抜く。

「もう一度、あの時に戻りたい! 去り行くあなたの手を…とれたなら、あなたが行く場所に、ついていけば良かった…!」

そうすれば、義母に傷つけられずに済んだだろうか。

そうすれば、父を裏切らずに済んだだろうか。

そうすれば……人を嫌わずに済んだだろうか。

泣き濡れた茶々は、全身でそう訴えているように思えた。

でも、と、しゃくりあげる。

「あたしはあたしの道を選んでしまった。 ……もう、あなたのいる道には戻れない。だから…、だから……」

くしゃりと泣き顔のまま微笑んだ彼女は、

「あなたはあなたの道で、どうか、幸せになって…神威殿」

気丈に、笑顔で手を振った。




 薬師丸によって神威は、茶々の住む山から、都を挟んだ、丁度反対側の山中へと降ろされた。

 地面に足をつけた神威は、苦渋をなめるように立ち尽くす。

 すぐさま立ち去ると思われた薬師丸は、何を思ったか、一度、人の形を取り直した。そうして、問うてくる。

 「傷は、まだ痛みますか?」

 「……何の話だ」

 脈絡のない話に、神威は上の空で返事を返す。

 薬師丸のおかげと云うのも癪な話だが、神威はケガの一つも負っていない。痛むのは心くらいか。

 言葉にするもしないも、彼は、神威の苛立ちを汲み取ったような笑顔を浮かべた。

 「あの薬は、刀傷によく効くでしょう。 ――元はといえば、わたしの瞳を癒す為に煎じたものですから」

 我に返ったように、神威は薬師丸へ目を向けた。

 薬師丸の目を走る、一線の太い傷跡。刀傷だといわれれば、なるほど、太刀そのものだと神威は改めて見る。

 「…それは、人に付けられたのか」

 「ええ。あなたや茶々が生まれるより前の話ですが、ね」

 傷跡を辿るように、薬師丸の人差し指が目元を走った。まるで、恋人に触れるような優しい仕草だ。

 神威も背中に手を回すと、小さく笑う。

 「雨の日には、まだ痛む」

 確かに不思議だった。死の淵にいる人間を救うような薬が、少女に用意できるはずもない。

あの時すでに、茶々は薬師丸といたのか。

その真実は、暗く翳った心に、追い討ちをかけるように気持ちを沈める。

若い神威は、何一つ知らなかった。知ろうとしなかった。茶々がいる世界の事を。彼女を取り巻く世界の事を。




――あなたが行く場所に、ついていけば良かった…!




連れていけば良かったのだろうか。

口には出せぬ問いに、神威は下唇を噛み締めた。

そんな彼に笑って、薬師丸は、遠い記憶を懐かしむように宙を仰いだ。空を覆うような木々を眺めるような仕草だ。

この山は、早くも秋がのぞいている。ところどころ、葉が黄色に染まっていた。

「あなたの傷も、わたしの傷も、傷自体は癒えています。 ……ですがまだ、わたしも時々痛む。身体の傷も、心の傷も――この世には、癒えぬ傷ばかりだ」

茶々の傷は、癒えない。

そう云われたようで、神威は苦しくなる心臓押さえた。薬師丸は続ける。

「ですが、傷が癒える必要など、ないと思いませんか」

「…」

「傷など、癒えぬがいいのです。この痛みがあるからこそ、わたしはここに在る。あの時の事を思い返す事が出来る」

神威殿、と、薬師丸は悪戯に微笑んだ。

「わたしにはこの傷が、いい思い出ですよ」



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