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きみおもふ  作者: 豆蔵。
5/13

さん、緑の都-1

 空が青い。

 木々が雄雄しく、深い緑の葉を茂らせていた。近頃は、ツクツクボウシの鳴き声が一層うるさくなっている。

 雲は入道。

 着座するように浮かんでいる雲の下で、夏草の群れに混じって、秋桜が蕾を付け始めていた。もうすぐ夏草の時期も終わり、穏やかで哀愁のある花々が顔を覗かせるのだろう。

 茶々はいつもの濡れ縁に立ち、その様子を深く息を吸うようにして眺めていたが、はたと、木に目を留めた。

 「……何をしているの?」

 正確に云えば、木の根元に座っている青年に対してだ。

 彼――神威は、揺れる葉を見上げていた視線を茶々に向けると、

 「吹雪(ふぶき)と話をしていたんですよ」

 緩やかに微笑んだ。

 「吹雪と?」

 吹雪と云うのは、この桜の木に棲んでいる霊。

 ちなみに、あの時葛を木から突き落としたのが彼だ。

 茶々はついと木の上を見る。枝の上に、青っ白い若者が一人寝転んでいた。

 元は人の子。月夜の晩因果によって殺され、この木の下に埋められた。

そうして、何ヶ月が経った頃。

霊が出るとの話が広まり、今まで白かった花が、突然淡い桃のような色になったと住人が気味悪がった。腕に覚えのある陰陽師が彼を掘り当てた時には、白骨の隙間から出た根が絡みあっているような状態で、彼の遺体を取り出すには、木の根を随分と切り落とさなくてはならなかった。

ほとほと困り果てていると、彼は、自分は無念を嘆いて出ている訳ではないと云い、




 ――ただ、自分を殺した人の世が、どう移り変わって行くのかを眺めていたいだけさ。




 そう呟いて、都を見下ろす。

 人としても、妖としても、彼は随分と風変わりだった。

 だが、彼がこう度々出てきていては、怯えた人々はまったくこの付近を歩けなくなってしまう。害を与える訳ではないが、木ごと祓うしかないか、と、陰陽師が唸り声を上げていた折、山荘に住むと云う姫が、この木を引き取ろうと申し出た。

 そうしてたった一晩で、木は雲隠れしたように姿を消してしまったのである。

 きっとあれは天狗の仕業に違いない。

 と、云うのが一般的な話で、茶々はこの木を遺体共々、屋敷の庭に移植した。屋敷に棲む妖共を総動員しての大仕事。救いだったのは、桜の木が協力的だった事か。樹齢千年近いと云われた木は、いともすんなりと茶々の庭へ収まった。

 まるで、彼の遺体を抱き込んだのだと云わんばかりに、植え替えられた後も弱る事なくどんどんと幹を伸ばし、葉をつけている。まるで言葉なく、全身で喜びを表現するかのような咲き乱れが毎年春になると見られ、さらに散る頃になると、庭一面に桃色の絨毯を敷き詰めた。

 また、霊は茶々に深く感謝をし、名で縛ることを許したのである。つまりそれは、式としての契約を結ぶ事を意味する。

 茶々は木を、桜と。青年を吹雪と名づけた。

 吹雪が云うには、桜は時を越して神格を帯び、人の姿を取る事もあるそうだ。

 だが、桜がそうして茶々の前に姿を現した事はない。彼が吹雪の前にだけ姿を現すのも、何かしら思う所があるのだろう。

 春には花を。夏には、強い日差しから庭の草花や、茶々達を護るように、年々大きな木漏れ日を作っていくことで、桜の感謝は、十二分にも伝わって来る。

 彼が口を利かない代わりに吹雪がよく喋るため、コミュニケーションにも事欠かない。

 遠目に見れば、枝にうつ伏せに寝転んだ吹雪が、ひらひらと茶々に手を振っていた。

 一目は病弱そうな青年で、白い肌に、ぶかぶかの直垂を纏っている。腕はきっと、茶々よりも細い。生きている時も、あまり生命力の強い方ではなかったのだろう。

 ただ、彼はよく笑う。

 今も、満面に浮かんだ笑みが、夏の日に良く似合っていた。妖には不釣合いなほど眩しい笑顔だ。

 死んでいる人間とは思えない、彼の底抜けの明るさを茶々は気に入っている。

 茶々も手を振り返すと、神威は、吹雪に一二言告げて腰を上げた。庭の草花に足を取られながら屋敷へと戻って来る。草花も随分と神威を気に入っているらしい。

 茶々にはそれが気に食わない。

吹雪に向けていた笑顔を一変、

 「よくこんな暑い日に庭に出るわね」

 と、冷え冷え云えば、彼は、

 「茶々様こそ。あまり室内にばかりおられると、苔が生えてしまいますよ」

 余裕綽々の笑みを返してきた。

 怒ってでもいいのでさっさと屋敷から出て行って欲しい茶々からすれば、まったく手ごたえがなく、ますます腹立たしい。

 「苔なんて生えないわ」

 茶々は一刀両断するように言い返すと、神威を睨めつける。

 「葛ってば、余計な事をして」

 おかげで茶々の意にそぐわず、屋敷は随分と彼を気に入ってしまった。 ――いや、屋敷は以前から、いたく彼を気に入っていたか、と、茶々は思い返す記憶に胸がチクリと痛む。

 そんな茶々の心の揺らぎに気づいているのか、いないのか、神威は仰ぐように、屋敷と庭を眺めた。

 「そうですか? 俺は楽しいですよ」

 「楽しい?」

 穏やかな笑顔で返された言葉に、茶々は怪訝な顔で問い返した。

 「普通は怖いわ」

 これには神威が虚を突かれたようで、

 「茶々様は怖いのですか?」

 と、驚いた風に訊きかえす。

 「あたしは別に。生まれた時からこの世界にいるもの。性質の悪いモノに会えば、そりゃあ怖いけど、妖が通り過ぎるのも、人が通り過ぎるのも、似たようなものよ。あたしにとってはね」

 茶々は子どものように膝を立てて座ると、膝に肘を付き、手のひらに頬を乗せた。いつもなら行儀が悪いとたしなめる神威も、珍しく茶々が身の上を話すので、つい流してしまう。濡れ縁に腰掛けると、彼女はぼうとした顔のまま、

 「人だろうと妖だろうと、大差ないわ。妖だからって、いい奴悪い奴はいるもの。それを云うなら、人は人を殺さないの? 妖は忌むべきものだと云うなら、それを吐く顔の方が、よっぽど醜い面だわ」

 淡々と口にする。

 その顔に憎悪も哀しみもなく、




 ――だのに、泣く事にも疲れてしまったのですわ。




 鬼灯の言葉が胸を過ぎった。

 「茶々様は、人が嫌いですか?」

 神威に問われて、茶々はカッと頭に血が上るようだった。冷淡だった気持ちが、脈打つようにして怒りに震えるのが、自分でも分かる。

 「嫌いよ! 大嫌い!」

 茶々は叫ぶと、立ち上がり、

 「あんなに愚かで浅ましい生き物は他にないわ! 自分が見ている世界を全てだと想っている、頭の悪い動物よ! 皆腐って死ねばいいんだわ!」

 吐き捨てるように云ってから、唇を噛み締める。

 「茶々様」

 そんな茶々に、神威は優しく説いた。

 「茶々様が大嫌いなのは、人ではありません。一之宮様です」

 「っ」

 「お嫌いなのは、あれだけ一緒にいたにも関わらず、茶々様の痛みに気づかなかった鉦靖様。 ………そして、何一つ力になれなかった俺です」

 茶々は、ハッと目を見開いて神威を見る。

 彼は茶々と視線が合うと、自嘲するように、片方の口端を持ち上げて笑った。涼しげで切れ長の、黒い瞳が細くなる。

 「俺が茶々様に何が出来るのか、ここに来てからずっと考えていました。茶々様に命を救ってもらったにも関わらず、俺は、茶々様が傷つき果ててしまうまで何一つ出来なかった。そんな俺がこれから先、何が出来るのだろうか…と」

 あの時茶々の前で布団に包まっていた青年は、随分と風貌を変えた。

 まだあどけなさを残していた顔つきは、見違えるほど男っぽくなった。それに、丁寧に結い上げていた髪を下ろしてしまっている。これは、表舞台から降りて隠居したことを、彼なりに表しているのだろう。

 歳若いうちに様々なことを経験し、早くに隠居しているだけあって、彼は同年代の大人よりも風流な色気があった。帝の影をしていただけあって、見せる仕草は雅なそれ。それどころか雅が型崩れし、どこか擦れたような意地の悪さが、なおの事彼の魅力を引き立たせる。

 彼は、茶々が好意を向けた、あの時の神威ではない。

 だのに、時折見せる表情は、昔の面影を思い出させる。

 「鬼灯殿が云っておりました」




 ――人に付けられる傷を、人に付けられた傷を、わたくしたち妖が癒す事が出来たなら。




 「鬼灯が…」

 茶々が呟く。

 真っ直ぐに茶々を見つめる瞳から、目が逸らせない。

 黒曜石のような瞳に、燃え盛る炎の姿が見えるようであった。

 彼の真摯な想いが、視線一つ、言葉一つに、痛いほど伝わってくる。逃げたいのに動けない。

 「葛殿に呪をかけて頂いて、俺は、茶々様に見える世界を見ました。恐ろしいはずがない。 ……茶々様が愛していらっしゃる世界が、恐ろしく、怖いものであるはずがない」

 やめて、と、茶々は小さく云った。

 聞きたくないと両耳を押さえると、神威は力ずくでそれを外しにかかる。

 小競り合いになったのはほんの数秒で、神威の力によって、茶々の手はたやすく取り払われてしまった。

 「嫌だ」

 「茶々様、あなたが愛していたのは、妖も人も同じだったはずです」

 「ちが…」

 「違わない。だからこそ、俺に出来る事は一つだけだ」

 取ってつけたような敬語が、彼の調子に戻る。

 茶々の視界が、ぐらりと傾くようだった。

 



 ――あなたに繋いで貰ったこの命を、俺は、確かに生きて行く。だからいつか……もう一度会おう。いつか、会おう。




 別れの刻。

 手渡された鬼灯。泣きじゃくる幼い茶々。困ったようにそれを見ていた神威は、恐る恐る、腫れ物に触れるかのような手つきで、茶々の頭を撫ぜた。

 本当に帰るのか、と鉦靖に問われ、神威は渋々と頷く。帝の影ではなくなった以上、彼のおわす都から離れねばなりませぬ、と、瞳を伏せた。

 去り行く彼の姿を追って走りだした茶々を、鉦靖が留めるように後ろから抱く。

 伸ばした自分の、小さな手のひら。

 真っ青な空に向かって歩き出す神威の背中が、絵のように見える。

 握り締めた鬼灯に、涙が落ちた。




 ――茶々様、俺はいつでもあなたと共に。




 「あなたにもう一度、人を愛して欲しい」




 ――薬師丸! 神威殿を止めて!




 「それが俺でなくても構わない。一之宮殿を、鉦靖殿を、俺を恨み続けてでもいいから」




 ――行っては嫌です、神威殿!




 「もう一度、素直に世界を愛するあなたに戻って貰う。それが俺に出来る、唯一の恩返しだ」

 神威の言葉一つ一つを、茶々は息を潜めるようにして聞いていた。そうして、震える両の眼に神威を映していたが、やがて、そっと瞼を閉じる。

 緊張に強張っていた両手が下り、自然と神威の手も離れた。

 「もう遅いわ、神威殿」

 そうして、静かに微笑んだ。

 「あたしは二度と人を好きにはならない」

 「二度と人は信じないし」

 「………二度と、人を愛さない」

 立て続けにそう云う間も、一変と笑顔を崩さない。

 それは、全身による拒絶。

 救いなどいらないのだと口にした所で、されど助けたいのだと彼は云うであろう。それでは前回と同じ平行線だ。

 だからこそ茶々は、何も云わない。

 ただこれ以上踏み込んで来るなと線を引く。

 神威にも、そんな茶々の意思が通じたのであろう。しばしの間隙を窺うように茶々を見つめていたが、やがてその表情に陰りがないことを悟ると、ふ、と微笑んだ。

 「分かりました。お互い譲る気がないのなら、俺は俺で好きにさせて貰います」

 茶々も負けじと笑顔を繕う。

 「勝手にすればいいわ」

 我慢比べと云うやつですか、ええそうね、ニコニコと言葉を交わしていると、客間を通りかかった狛が、怖ぇ! と、恐怖に毛を逆立て、脱兎のごとく逃げ出した。

 狛の悲鳴で正気を取り戻したように、茶々はふと、

 「散歩に出て来るわ」

 と、踵を返し、そのままスタスタと客間を出て行く。

 そんな茶々の背中を視線で追っていた神威は静かに微笑んだ。

 「これくらいの事で逃げ出すようじゃ、俺の勝ちは見えていますね。茶々様」


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