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きみおもふ  作者: 豆蔵。
3/13

に、すっかり荒んだ姫君-2




 茶々の生活は、至って単純であった。

 朝、起きる。朝食を取る。そのまま、何をする訳でもなく一日を過ごす。大抵は簀子に座して、外を見ている。神威が訪れてから向こう二週間、滝のような大雨であったが、茶々は雨戸も閉めずに濡れ縁や、庭、都を見、時折何かを思いついたように、狛や薬師丸を都に遣わせた。が、自分はまったく外へは出ない。

 そうして、夕食を取って寝る。

 食事はいつの間にか用意されていた。

 いつも、気がつけばそこにある。思い出して振り返った間に現われている事もあった。

 神威が来てからは、親切にも、神威の膳も一緒に現われる。

 大抵いつも食事は、茶々と狛、薬師丸、そして神威で取っている。鬼灯は食べる事を必要としないらしく、畳に座って、茶を注いだり、微笑んでいたりするのが常だ。

 食事は基本的には、山菜や魚、木の実など、裏山から取って来たような食材が並ぶ。

 時折、鬼灯が差し入れですと、新鮮な肉や旬の魚が出て来る事もあった。ここで重要なのは、誰が尋ねて来たのかがまったく分からないということだ。

いつの間に来たのか、誰が来たのか、いつ帰ったのか分からないまま、土産だけがある。

 貴族ですら、新鮮な肉や魚介類を手に入れる事は難しく、乾物として並ぶのが一般的だ。それが、当たり前のように食卓に並ぶ。

 不思議な事は他にもあった。

 屋敷を走りまわる多くの足音。

 茶々が滅法機嫌の悪い時、うるさいと怒鳴り散らした途端、鳴り止んだ。

 物がいつの間にか動いている事もある。

 ふと見るたび、屏風の絵があったりなかったりする。まるで出入りしているかのように、女がいる時もあれば、いない時もあるのだ。笑っていたり、悲しそうだったりする事もある。

 茶々が誰もいないのに、喋っている事はしばしばだ。

 世間話をしているような口調で、笑う。そうなの、と相槌を打つ。けれど、そこにはやっぱり誰もいない。

 訊ねて来た時のように神威を拒絶する事はないものの、茶々と神威の間には、やはりどこか壁のような物があった。

 何かしたいのに、何も出来ない。

 何をすればいいのかが分からない。

 濡れ縁に足を下ろし、唐衣をたくし上げ、水を張った盥に足を浸している彼女の背中を見ながら、毎度同じ事をぐるぐると考えている。

 「暑いわね、鬼灯」

 「ええ。本当ですわね、茶々さま」

 穏やかに相槌を打つ鬼灯は、ひとつも汗をかいていない。

 重そうな服を着ているにも関わらず、涼しげな顔で今日も微笑んでいた。

 一方の茶々は汗だくで、

 「やっぱり寝巻きのままいるべきだったわ」

 と、着合わせた着物の襟をぐいぐい引っ張っている。

 「茶々様、お行儀が悪い」

 たしなめた神威に、茶々はふふんと笑って返すばかりだ。

 「だったら出て行けばいいじゃない」

 そうして、二言目にはこれが続く。

 別に無理している必要もないのよ?

 そう云えば神威が言葉を返せないのを分かっていて、そう続ける様は、よほど性格がひねているのをわざわざ見せ付けるようだ。

 神威がため息を一つ吐いた時、ふと、茶々と鬼灯が視線を庭へと動かした。

 二週間以上降り続いた雨で、庭はぐっしょりと濡れている。歩けばぬかるみに足を取られるし、裾も汚れる。日照りが土に跳ね返された折蒸発する雨水のせいで、辺りは一層と蒸し暑かった。だのにこれだけ太陽が照らしていても、草は相変わらず雨水を纏っていて、どれだけすさまじい雨だったか見て取れる。

 そんな庭を見ながら、

 「あら、まぁ」

 鬼灯が袖を持ち上げた。草陰に何かの姿が見えたらしい。

 神威が目を向けると、草葉をかき分けて一匹の狐がのっしりと出てきた。ただ、普通に狐と称していいのかが分からない。普段見かけるそれよりも体は三倍ほど大きく、尾は五つに分かれていた。

 キキキ、と歯軋りするような鳴き声を上げた狐が、軽く土を蹴る。するとたちまち急加速して、風を斬る矢のような速さになった。茶々を射抜くように向かって来る。

 「茶々様!」

 神威が血相変えて立ち上がろうとするが、弧は速い。

 あっと云う間に茶々へと辿り着こうとしたそれは、目前にして現われた薬師丸によって弾き返された。彼が撫でるような仕草で払っただけで、ギャッと鳴き声をあげて飛ばされ、ぬかるみに倒れこむ。

 彼は傷痕で見るように視線を落とすと、

 「野弧上がりとは、なかなか性質が悪い式をお持ちだ」

 口端を引っ掛けるように持ち上げて笑った。

 答えたのは、庭に立っている桜の木で。

 「いや、説き伏せると、これがなかなか可愛い奴でね。ここ最近の式じゃあ、一番強い妖だったけど……それでもやっぱ、薬師丸には敵わねぇのな」

 少年の声だ。

 が、姿が見えない。

 どうやら桜の木の陰に隠れているらしい、と、神威が合点いった時、ざわざわと桜の木が揺れる。

 「え? 何? どうせ負けると分かっている勝負だったって? 失礼だなあ。じゃあ、同情で僕の隠れ蓑になったって云うのかよ」

 カサカサと、木が葉を擦りあって音を奏でた。少年が、苦笑するように笑う。

 「ひっでぇの。ここに棲む奴らは茶々に似て、すっかり性悪ばかりだな」

 そう一人で云った途端、真っ逆さまに少年が木から落ちてきた。ズブッと音を立ててぬかるみの中に転がり込む。

 少年はのたうち回るようにして身を起こすと、背後に佇む木を、ギッと睨み付けた。

 まるで桜の木が彼を落としたような態で、

 「何すんだよ! 突き落とす事はねぇだろ! ……茶々の悪口? あのなあ、僕がいつ茶々の事を貧乳なんて云ったかよ」

 馬鹿にするように肩をすくめた少年の言葉に、不意を突かれた神威は思わず、ふ、と零すように笑ってしまった。

間髪入れず、ぞわわ、と身の毛がよだつような殺気が茶々から膨れ上がる。

 「………狛…」

 地を這うような低い声。

畳みの上に寝転んで傍観していた狛は毛を逆撫でされたように、ビクゥッと身体を浮かすと、すぐさま立ち上がった。一蹴りで少年の前へと降ると、形崩れた萎烏帽子の上から容赦ない力で頭を引っ叩く。

 「いってぇ!」

 「お前な、もうちょい言葉選べよ。(くず)

 「…慎ましやかな胸」

 ぽそっと、訂正が入る。

 が、それが当然受け入れられるはずもなく、

 「狛ぁ!」

 屋敷を揺らすほどの大声が後を追う。

 「……とりあえず。もうちょい静かに遊びに来いよ。な?」

 激しく憤る茶々の怒気を背中で感じ、半ば懇願するように少年の両肩を握った狛が真顔で諭すと、葛と呼ばれた少年はヘヘ、と笑って、

 「腕試しがしたかったのさ。なあ、(ぜん)

 地に伏している狐に語りかけた。

 すんなりと身を起こした狐は、薬師丸に頭を下げる。

 五つのしっぽが、ゆらゆらと陽炎のように揺れた。

 『お初にお目にかかりまする。主様に与えられた名を禅。先ほどは無礼と承知であのような暴挙を。失礼致した』

 「手ごたえは?」

 薬師丸が問うと、

 『まったくござらん』

 狐は笑うように、にんまりと両の口を持ち上げ続けた。

 『いや、しかし、噂に聞くその御力をこの身で感じた事、妖として幸せである』

 それに頷いたのは、葛。

 彼は泥のついた袴を持ち上げて、すっかりと重くなったそれに肩をすぼめた。

 「ホントに、のうのうと都に住んでいる陰陽師の連中は、まったくの大損さ。連中、式を競ってはいい気になっているけど、実は、山荘に引き篭もりっぱなしの姫君が一番の式の使い手だなんて思いもしていない。損も損、さ。まあ同時に、知らないって事は連中にとって幸せでもあるかも知れないけどね。青くなって、尻まくって逃げられたんじゃあ、都が成り立たない」

 そう云いつつも、袴に気を取られている葛に、

 「袴、貸しましょうか?」

 茶々が訊ねると、彼はいらないと首を横に振って、懐から紙を取り出した。

 慣れた手つきで紙を折っていく。

 一つ折り目をつけ、二つ折り込む度、平面だった紙はみるみる姿を変えた。器用と云うよりも、もはや神業に近いと神威は思ったのだが、茶々はそんな彼の手腕をニヤニヤと品のない笑いを浮かべながら見ている。興味というよりかは、どれ程のものか様子を見るといったような風だ。

 紙はやがて、鳥の形を取った。

 葛は人差し指に泥をつけると、羽の部分に呪を記し、

 「山を降りる頃に、袴の換えを用意して欲しいと伝えてくれ」

 誰にともなく云うと、鳥にふぅっと息を吹きかけた。

 「なんと」

 神威は我が目を疑う。

 ちょこんと彼の手の上に乗せられていた鳥が、紙で出来た己の羽を動かし始めたかと思うと、生きた鳥のように、ふわりと宙に舞い上がったのだ。

 愛着を示すように、是を示すように、鳥は一度葛の頬に寄り添うと、大空へ向かって羽ばたいていく。

 太陽に反射して一層白く輝く姿は、まるでカモメか何かのようだ。

 葛はそれを見送ると、

 「式となった妖の中で、最強を謳われる薬師丸。神々から便宜を図れる位にいる、狛。茶々、アンタは僕が知る中で、唯一無二の、式の使い手だ」

 「これはまた、随分なご挨拶ね」

 言葉遊びを楽しむように、茶々は、盥の中に浸した足をちゃぷちゃぷと動かしている。

 葛は土に腰を落としたまま、片膝を立てると、腕を乗せた。薄い唇が、綺麗な弧を描くように持ち上がる。

 葛は陶器のように透き通った肌をしていた。瞳は、黒よりも鳶色に近い。唇は薄く、色も淡く、まるで桜の花びらのように繊細な形をしていた。

 よくよく見れば少年だが、一目では少女と紛うに違いない。

 それほど美しく、線の細い少年であった。

 そんな彼が、悪戯に鳶色の瞳を細める。

 「だが、そんなアンタでも式に出来なかった妖がいた。 ――名を(つち)蜘蛛(ぐも)。違うかい?」

 「……へぇ」

 僅かに目を開いた茶々が、面白そうな声をあげる。

 「よくそんな話を知ってるわね」

 「人の世にはあまり出回っていないけれどね。妖の世界じゃ、有名な話さ」

 「口に戸が立てられないのは、人の世も妖の世も似たようなものね」

 「人殺しの土蜘蛛とあれば噂にもなろうよ。聞けば、四年前の辻斬りの犯人は土蜘蛛。そしてそれを祓ったのが、茶々、アンタという話だ。ここまでに否はあるかい?」

 「特には」

 茶々と葛の会話を、神威だけでなく、屋敷そのものが息を潜めて聞いているかのようだった。

 あれ程賑やかだった虫達が鳴かない。

 風もピタリと止み、花や草、木々たちは一ミリも揺れなかった。

 鬼灯は茶々の隣で、正座のまま、静かに笑みを含んでいる。薬師丸と狛も、口を挟むつもりはないらしい。屋敷を走る音も、喋る声もない。

 見える事はなくても、常に騒々しい気配で溢れている屋敷が、今では深々と静まり返っていた。

 雨露に濡れた草が醸す濃い香りが、いつもより一層強く感じられる。

 神威はごくりと、固唾を呑んだ。

 四年前。それは、神威が知らない茶々の時間だ。

 「なら話は早い。知っているだろう? 都じゃ最近、辻斬りが頻発している。この数日で五人が死んだ。その模様が、四年前、土蜘蛛が起こしたものとよぉく似ているんだ。アンタは何か、知ってるんじゃないかい?」

 「知らないわ」

 茶々はきっぱりと云う。

 「辻斬りが起きている事も、それが土蜘蛛の可能性が高い事も知ってる。でも、肝心の土蜘蛛の事が何一つ掴めていない。京に戻って来ているかも分からないわ」

 神威が茶々の屋敷を訪れる以前に、辻斬りの話を聞いた覚えはない。

 という事は、屋敷で暮らしだした僅かな間に起こっているのだろう。

 世間を知る術もない、閉鎖的な屋敷。

 その中で茶々は何故、知っているのか。

 一ついえる事は、神威の理解が追いつかない所に茶々がいると云う事だ。

 「狛と薬師丸に都へ行ってもらって、探してもみたわ。でも、土蜘蛛は人に化ける。あの時と別の形をとっているとしたら、見つけ出すのは困難だわ」

 「ふうん。前回はどうやって見つけ出したんだい?」

 葛の問いに、怪訝な表情を向けながら答えるも、

 「たまたまよ。人を斬る所に遭遇したの」

 「へぇ」

 彼の応えは釈然としない。

 茶々は盥から足を出すと、濡れ縁に添うように、簀子に乗せた。

 そうして、眉根を浮かすように持ち上げる。

 「葛。あなた、何を企んでいるの?」

 「その土蜘蛛を手懐ける事が出来たら、茶々に勝てるだろうか、てね」

 悪びれもなく、いけしゃあしゃあと葛が云う。

 茶々は出鼻を挫かれたように、拍子抜けして肩を下げた。呆れ過ぎてため息も出ない。ひと呼吸を置いてようやく言葉になったのは、

 「バカみたい」

 一言に尽きる。

 茶々の暴言にも、葛はどこか勝ち誇ったような風に、

 「男っていう生き物は、惚れた女より強くありたいものだと思うけどね」

 口角を持ち上げて笑った。

 茶々が一度真顔に戻る。

 そうして、何を思ったのかゆっくりと首を巡らせると、突然茶々と目があった事で、虚を突かれたように驚いている神威を見つめた。数秒。おや、と神威が口を開く前に、ギッと勢いよく睨まれる。

 ツンと庭へ視線を戻した茶々は、茶化すような風でニタニタと笑っている葛を見て、サッと羞恥に頬を染めた。からかわれた事に遅れて気付く。

 「あなたねぇ!」

 「おやおや。強くなって欲しい男に心当たりでもあったのかい?」

 「このクソ餓鬼…ッ」

 「茶々様、お言葉を慎みませんと」

 間が悪く、神威が傍から窘めた。

 すると、茶々は地団駄の代わりといわんばかりに両手で濡れ縁を弾き、勢いよく立ち上がる。めくれあがっていた唐衣の裾が淑やかに戻り、しかし形相はというと、淑やか所か般若に近い顔で、

 「うるさい、うるさい! 口うるさいジジィも、クソ餓鬼も、さっさと出てけ!」

 云うなり、自分が退室するが早いというように、ドシドシと足音を立てて客間を出て行った。茶々を視線で追っていた鬼灯が、困ったように微笑する。

 「葛さま。あまり茶々さまをからかわれませんよう」

 「ああ」

 云いつつも、葛は愉快気にクスクスと笑っている。これは確信犯だ。

 そこでようやく、茶々と葛の掛け合いが毎度の事らしい、と理解した神威は、葛をよくよく観察してみた。

 光を浴びると、彼の髪は茶に見えた。絹のように細く、滑らかな髪が、彼が笑うたびに揺れている。ははは、と軽快な笑い声が庭中に広がった。

 「面白いじゃないか。薬師丸と狛。その気になれば天地をもひっくり返せる式を持つ癖に、人嫌いだと引き篭もっているなんて。 ………茶々にとって、妖よりも人の方が、よっぽど怖なんだなあ」

 落とすように呟いた言葉を、神威は聴き損じなかった。

 葛はややあって庭を見回す。

 湿り気を帯びた空気。まだ濡れている草花。濃厚な青葉の香りを醸しだす木々。水を打ったように静かだった虫達は、ようやく、思う存分鳴き声を上げていた。やかましい蝉の音に酔うように、鳶色の瞳が瞼に隠れる。

 詠うように、

 「いい屋敷だ。ここには命がある。……ああ、僕もいずれ、このような屋敷に住もうかな」

 云うと、彼は神威へ目を向けた。

 「そこの人。出口まで案内してくれないか?」


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