28:命呑む口-2
「幸いにして我々は十分な量の食糧と弾薬を持ってきている。故に、避難民の皆さんが今までに集めてくれた情報も活用することで数日の籠城は可能だろう。その籠城の間に安全なルートが見つかれば、生存者全員での脱出も可能であると思う」
「水については効率に多少は難ありだが、薪さえあればいくらでも生み出せるから心配しなくてもいい。むしろ足りないのは武器だろう。完全に安全なルートが産まれるとは思えない」
「私たちが脱出する人間の護衛をする事は出来る。けど、相手のレゲス次第では逆にこっちが狩られるからねぇ……今回の蛇なんてイーダのレゲス以外じゃ、無理だろ」
大蛇の異形についての説明が終わった後、大人たちは今後どうするかについての話し合いを始める。
俺の名前が挙がっているが……まあ、俺にしか出来ない事があるならば、その内呼ばれるだろう。
それよりもだ。
「皆と逸れた後の事とか、大多知さんの事とか誰に話せばいいんだ?」
「あ、私が聞いて、書いておくよ。イーダ」
「分かった」
俺はツノに、大多知さんが恐らくは氾濫区域から脱出した事、ダイ・バロンがまだ生きている事を伝える。
それから、ダイ・バロンがほぼ間違いなく何かしらの方法で自らに迫る危険を感知出来ると言う事も。
尤も、これらの情報をどうやって集めたのかは言えないので、微妙にぼかした表現になるが。
と言うか、今になって気付いたが、あの生き返る時に感じた小さな命が巨大な命に呑まれて統合されていくって言うのは、大蛇の異形の事なんだろうな……ああうん、それが正しいなら本当にどうしたものって感じだな……。
「そっか。大多知さんは逃げ切れたんだ……」
「まあ、無事とは言い難い感じだったけどな」
いずれにしても、俺から出すべき情報はこの程度だ。
「ごめんね、イーダ。一人で先に逃げ出しちゃって」
「それは別に良い。ツノのレゲスと持っている物、それに周囲の状況なんかを合わせて考えたら、あそこは逃げるのが正解だからな」
「そう言う物なの?」
「そう言う物だろ。ダイ・バロンはマトモにやり合っていい相手じゃない」
「うん、ありがとう」
ツノが真っ先に逃げ出した件については何も問題ない。
勝てない相手に挑んで殺されるなんて、俺のように生き返る方法を持っているならともかく、そうでなければ論外である。
たとえそれが全体の勝利や時間稼ぎになるとしてもだ。
「で、こっちからも確認なんだが、さっき立壁さんが言っていたフィラってのは?」
「あ、そうだったね。えーと、これがそうだね」
ツノはそう言うと、分厚い資料と言うか論文のようなものを持ってくる。
どうやら『インコーニタの氾濫』についてのレポートであるらしい。
「これは?」
「立壁さんが持ってきてくれたの。『インコーニタの氾濫』については分からない事ばかりだが、中に居る君たちが読めば、何か新たに気付く事があるかもしれない。だってさ」
「ふうん……」
俺はレポートをめくって、軽く中身を眺めてみる。
だが……うん、駄目だ、てんで分からない。
専門用語とか数式とか並べられても困ります。
こっちはただの高校生男子なので。
「あ、此処か」
「そう、それ」
だがそれでも読み取れる部分はある。
具体的に言えば、外と言うか学会や国際会議の場では、レゲスを保有している生物の事はフィラ、レゲスを保有している物品の事をマテリアと呼ぶ事などだ。
ちなみにフィラはラテン語で猛獣、マテリアはラテン語で物質、ついでに言えばレゲスもラテン語で法を表す言葉であるレーゲースに端を発する言葉ではないかと思われているらしい。
まあ、そんなわけで、異形の存在は勿論の事、俺やツノ、それにダイ・バロンなんかも学術的にはフィラと呼ばれるし、『月が昇る度に』や『薪を湯に』などは形もレゲスもまるで違うが、マテリアには違いないとの事だった。
「ふうん、核の消滅による氾濫区域の崩壊……ね」
そして、この資料の中には他にも気になる事が書かれている資料があった。
だが、この資料は様々な方面から氾濫区域について書かれたこのレポートの束の中でも、最後の最後にほんの数枚分あるだけで、表紙には他の研究者からの注意書きあるいは切り捨てとも取れるコメントがある。
曰く、『オカルトに傾倒した妄想スレスレの取るに足らない三文小説の設定書き。だが、もしかしたら何かの役に立つかもしれないし、状況が状況だから一応載せておく』だそうだ。
けれど、俺は不思議とそのレポートに惹かれた。
「イーダ、よくこんなの読めるね。私は軽く目を通しただけでくらっと来たのに」
「おい、それでいいのか図書委員」
「それは人間だった頃の話だもん。自分で言うのもアレだけど、根っこはともかく表面はフィラになってからかなり変わっていると思うんだよね。私」
「ふうん……」
レポートの内容はとある場所にひっそりと暮らしていた魔法使いの女ことゾクター・グリスィナに対して自称トップクラスのオカルト研究家であるエクリプス・ゴドイタが氾濫区域についての知見を求め、そのインタビューの内容をまとめた物であるようだ。
なるほど、確かに表紙の注意書き通りの内容であるのかもしれない。
だが……不思議と惹かれる。
氾濫区域に核と言う物が有る事を知っているからなのか、それともこの二人の語り口が上手いのか、あるいはほかに何か有るのかもしれないが……とにかく惹かれる。
惹かれる上に正しいのではないかと思う。
「ま、最終手段ではあるが、覚えておくべきだな」
「最終手段?」
「そ、最終手段だ。さて、名簿の方も調べてみないとな」
いずれにしても覚えておくべきではあるだろう。
氾濫区域には核となる部分が存在し、核を潰せば氾濫区域は崩壊する。
そして、その崩壊によってエリアのレゲスと内と外を分ける境界は消滅し、中に居る者が外に出られるようになるという予測ぐらいは。
俺はそう考えると、レポートを閉じた。




