56:第8氾濫区域中枢塔-5
「……」
そこには方角も天地もなかった。
そこには方角も天地もあった。
全てがあって、全てがない。
理解できるものも理解できないものも入り混じり、渾然一体となった文字通りの混沌。
そんな場所でラルガは……
「舐めるなぁ!雑魚霊如きが私様から主導権を奪えると思うな!!」
「「「ーーーーー!?」」」
大暴れをしていた。
これから生み出されようとしているフィラの中核になる事を望む想念、怨霊、魂、それらを悉く叩き伏せ、喰らい、己の物として同化させ、元々強固な自我をさらに強固なものとすることで、自らを保ったままフィラ形成における次のステージに移行しようとしていた。
「はぁはぁ……ぐっ……これは……」
そして次のステージに移行した瞬間。
ラルガの背に膨大な圧がかかる。
「始まった……わね……」
まるでラルガを見下すように幾つもの影が現れる。
影は嘲笑うような笑みを浮かべつつ、粗雑な動作でラルガの背に向けて落としていく。
レゲスと言う既存の物理法則を捻じ曲げる力を宿らせるための力を、ラルガの精神を押し潰し、壊す事を目的とするような形で次々に落としていく。
「舐めんじゃ……ないわよ……」
ラルガの体にかかる圧がすさまじい勢いで増していく。
だがラルガは、それほどの圧がかかっても歯を食いしばり、全身に力を込めて抗い、この状況からの脱出口として認識させられた一点の光に向けて歩き出す。
「誰が……負けて……やるもの……ですか……」
膝を屈してはいけない。
頭を垂れてはいけない。
諦めの言葉を吐いてはいけない。
例え一瞬であってもそれらをしてしまえば、ラルガと言う人間の精神は粉々に砕かれ、混沌によって全く別の人格に……クライムたちに従うフィラになる、それがこの場のレゲスだった。
「私様は……ラルガ・キーテイク……なんだから……」
そうして、ゆっくりとではあっても、確実に歩を進めていくラルガの姿に、それまで嘲笑を浮かべていた周囲の影たちが少しずつ騒ぎ始め、震え始める。
それは恐怖だった。
彼らは理解出来ていなかった。
自分たちの前に居る少女がどれほどの意思を以って、自ら死地へと踏み込んだのかを彼らは知らなかった。
とうに自分たちには耐え切れない程の圧力がかかっているのに、それでもなお進み続ける少女の姿に怯えていた。
今までに自分たちが遊んできた人間と同じならば、小さな虫を踏み潰すように壊せていたのに、それが出来なくて呆然としていた。
「貴様ら、傍観者、如きが……私様を止められると思うな……この屑神共が!」
止めなければいけない。
彼女を彼女のままフィラにしてはいけない。
そんな思いに駆られた影の一つがラルガの背に更なる力を落とそうとした。
それはラルガの精神を破壊するのに十分な量の力だった。
だが、その力がラルガの背に乗ることは無かった。
「ぶははははっ!いい啖呵だ!!人間が神に反逆をしようと言うのなら、これくらいでなければ面白くは無い!!」」
「パオオオオォォオォン!」
力がラルガの背に乗るよりも早く、力も、力を落とそうとした神も、巨大な象に乗った何者かによって一切の痕跡も残さずに消滅させられていた。
「だれ……よ……」
「気にするな。俺様はただのファンだ。ファンだから……これ以上木っ端の雑魚共が無様で無粋な真似をしないように見ているというだけの話だ」
「そう……いずれは……貴方も殺しに行くかもしれないわよ……」
「ふはははは!その時は歓迎してやろう。俺様は煩悩を司るものとして、相応に寛大だからな。さあ、貴様の生き様を以って、俺様を楽しませろ!!」
ラルガは知らず、気づかなかった。
その神こそがギーリと言うフィラを生み出した元凶であることに。
その神がラルガの背ではなく、魂に直接力を与えて、より多くの荷を持てるようにしていることに。
その神の乗騎のすぐ近くにメイド服を着た少女の影が二人分存在していたことに。
「もう少し……っつ!?」
「ふむ、乗り遅れたか。まあよい、妾も一枚噛ませてもらうぞ。それ行け、八雷」
「おっと、私も乗り遅れた。ふふふ、可愛くて賢い子は好きよー」
「うん?ああ、貴様らか。まあいいぞ。その方が後が面白くなりそうだ」
「ふふふ、さてどうだろうな?だが、あちら側で手綱を握る手段くらいはあった方が良かろう?」
「元々賢いから、これぐらいは与えたって大丈夫でしょう?」
「くくく、それもそうだな。勝負は五分五分になる方が面白いし、分かり易い手綱の一つもあった方が面白そうだ」
更に別の影が二つ現れ、片方の手からは八本の稲妻が放たれると、それだけでラルガの背にかかる力が更に少なくなる。
それはまるで、見えない誰かがラルガの体を支えているようだった。
もう片方の手からは黒い蛇のような力が放たれ、ラルガの体に入り込むと今まで以上に活力が漲らせる。
「ぐっ……あっ……でも、これなら……」
「ま、妾は人間嫌いだからな。助力をするからには少々の対価は払ってもらう」
「おっと、私の毒の影響も少し出ちゃったか」
「おいおい、あんな可愛い子の顔を……ああいや、これはこれでありか。あ、この後何だが二人とも……あいだっ!?」
「パオッ(少しは真面目にやってください)」
稲妻がラルガの全身に走り、その身を焼く。
毒によってラルガの目の瞳孔が歪み、痛みと共に皮膚に鱗のようなものを生み出す。
だが、もはやその痛み以外にラルガの歩みを止めるものは無かった。
ラルガは確実に光の出元へと向かっていく。
「ああくそっ、しょうがない。じゃあ、俺様も少しはらしくするか。行け、人間。俺様を楽しませろ」
「さあ、良きものを見せてみよ。妾の目的を果たすためにもな」
「ふふ、ふふふふふ。やっぱり可愛い子が頑張っているのはいいわぁ。食べちゃいたいくらい」
「待っていなさい、クライム。私様はパパの、ママの、カーラの……そして、ギーリの仇を取るわ」
そしてラルガはラルガのまま混沌を抜け出した。
「さようなら、お嬢様」
「じゃあね、ラルガ」
それと同時に影たちも混沌から消え去り、その場は静寂に包まれた。