55:第8氾濫区域中枢塔-4
「引き裂いてくれる」
「さあて、どう来るかお手並み拝見でもあるな」
ダイ・バロンが俺たちに向けて正面から走ってくる。
「イーダ!」
「言われなくても!」
だから俺も前に出る。
そして『魔女の黒爪』も水鉄砲も手放すと、ラルガが予め作っておいてくれた一つのカプセルを口に放り込んで噛み砕く。
カプセルの中身は……俺の血液、つまりは『魔女の裁血』を基本として、幾つかの物質を混ぜ合わせたもの。
だから、カプセルを噛み砕くと同時に、口の中に鉄臭い血の香りが漂い、俺の神経と肉体を昂らせ、軽度の神憑りによる全能感を与える。
「何を……しても……無駄な……ぬっ!?」
ダイ・バロンの鉤爪が俺に向けてゆっくりと振り下ろされる。
その後ろでクライムが左手に持った拳銃を俺へ向けようとしている。
ラルガは『魔女の黒爪』を素早く拾い上げると、行動を開始する。
そんな状況下で俺はダイ・バロンの懐に素早く入り込んでその腕を掴むと……
「せいやっ!!」
「ぬぐおっ!?」
護身術として習わされた体術でもってダイ・バロンの姿勢を崩す。
「ちっ」
そして、ダイ・バロンの体を盾としてクライムの拳銃を受けないようにする。
で……
「走りなさい!」
「ああっ!」
走り出す。
第8氾濫区域の核に向けて。
「させっ……ぬおいっ!?」
俺が離れると同時にラルガがダイ・バロンに向けてショットガンを撃つ。
だが、放たれたのは普通の弾丸ではなく、粘着性の投網のようなものであり、ダイ・バロンは直ぐに起き上がりたくても起き上がれなくなる。
「何をする気かは知らないが……おっと、拘束は密室でなくても監禁罪になるんだが?」
「知っているわよ。そんなこと」
そして、その弾丸はクライムに向けても放たれ、僅かな時間ではあるが動きを止める。
無論、クライム相手では拘束できる時間はほんの僅かである。
しかし、その間も俺は走り続け、ラルガとの距離を離し続け、その距離は20メートルを超えて、赤い紐が切れる。
「で、20メートル以上離れたら……って、うおい!?あの分からず屋!?そのバグ修正しておけって俺言ったよなぁ!?」
「まずは賭けに一勝ね。まあ、貴方たちの仕事がお粗末と言うより、『魔女の黒爪』が特殊すぎるのが原因なんでしょうけど」
だが、20秒が経過しても何も起きない。
『魔女の黒爪』が俺の体の一部であり、ラルガがそれを握っているからだ。
「くそっ、コラプスウィッチを止めないと……」
クライムの微妙に焦る声と、そのクライムを止めるような銃声が響く。
その間に俺は第8氾濫区域を操作するためのモジュールに到着。
神憑り状態は何時の間にやら解けていたが、第7の時と同じようにどうすれば破壊出来るかを調べ始める。
「ここで背を向けるのは流石に駄目なんじゃないかしら?クライム=コンプレークス。だって、それは……逃げの一手だもの」
「どういう意味だ……」
「そのままの意味よ。貴方はゲームマスターとして圧倒的な力を有している。それこそマトモにやり合えば私様たちには勝ち目なんてないと言い切れるほどにね。そんな貴方がただの人間である私様に背を向けて、より重要なものに取りついた代わりに余裕がなくなったイーダへの対処を優先する。これが逃げと言わずしてなんて言うのかしら?」
「口車に乗せられるな!クライム!時間稼ぎだ!」
「ああっ、そう……」
「そう、これは時間稼ぎ。でもクライム?本当にいいのかしら?私様を無視して。この場合、私様が脅威であるかどうかは重要な問題ではないの。問題なのは……出資者がどう思うか、こん華奢で可憐な少女に背を向けて、目に見えた勝利に走ることがどう思われるか、そこのところをよく考えるべきではないかしら」
だが……破壊は……出来ない。
いや、それどころか同化すら出来そうにない。
何故ならば、コンソールが俺のレゲスを弾いている。
まるで第8氾濫区域に由来しない力は受け入れないと言わんばかりに拒絶している。
「言ってくれるじゃねえか……覚悟は出来ているんだろうな?マッデストガール?」
「ふふふ、狂いきっているだなんて誉め言葉だわ。勿論、覚悟なんてとっくの昔に決めているわ」
「クラアアァァイム!今はそんな事をしている場合ではない!」
「黙れよスタッフ風情が。犯罪者ってのはなぁ、舐められちゃあ駄目なんだよ。そしてマッデストガールは俺の事を舐め切っている。この状況を利用されていると分かっていても、結果が確定していようとも、ここは背を向けていい場面じゃあねえのさ。第8撮影区域の管理者としてなぁ」
「あら、結果が確定している。と言うのは少々言いすぎじゃないかしら?案外、世の中やってみなければ分からない事も多いわよ」
クライムとダイ・バロンの焦り方からして、これは恐らく第8氾濫区域だからある仕掛けではない。
恐らくは最初から核に仕掛けられている仕組み。
『インコーニタの氾濫』を作り上げた何者かが設定していたのだ。
氾濫区域の核は、その氾濫区域で生まれたフィラやマテリアのレゲスを利用しなければ干渉する事は出来ない、と。
「だったら……」
そして、この事実をラルガは予測していたらしい。
だから俺は事前に一つのマテリアを持たされていた。
それはメカラのフィラが落としたマテリアを基にラルガが改造した、パソコンなどの機器同士を繋ぐために使うような端子。
俺はそれをコンソールの適当な場所に突き刺した。
「これで……」
これで後はラルガがパソコンからコンピューターウィルスのようなものでも流して、第8氾濫区域を崩壊させるのだろう。
この上なく殺したい相手ではあるが、ラルガの天才ぶりならば、それぐらいの事は出来るはずだ。
俺はこの時までそう思っていた。
だが、現実は違った。
「そもそもとして、私様としては一方的過ぎる戦いって受けが良くないと思うのよね」
「そこまで狂っていたかマッデストガール」
「まさか……」
「は……?」
俺はコンソールを操れる位置から飛び出ると、ラルガの方を見た。
ラルガの鎖骨の辺りには……先程俺がコンソールに突き刺したものによく似た端子が刺さっていて、二つの端子の間の空間には白い霧状のケーブルが生じていた。
「そんなわけで出資者の皆様に一つ提案があります。戦いの結果を未知なるものにすべく、私様へ投資してみてはいかがでしょうか。自我を失ったフィラとなってイーダを食い殺す結末となるか、自我を得たフィラとなってクライムとダイ・バロンの二人と戦うか、どう転んでも見世物としては上等でしょう?」
「ははっ、ははははは!いいだろう!その話乗ってやるよ!!ええっ!出資者の皆様!どうぞご投資ください!この自称天才の馬鹿女が皆様の圧倒的な力に嬲られ!呑まれ!壊れていく様をご覧になれる事でしょう!!」
ラルガの提案、それはラルガ自身をフィラとするものだった。
そして、この提案を見た俺とダイ・バロンの気持ちは……非常に、この上なく、限りなく嫌ではあるが、一致してしまった。
「ラルガアァァ!?何を考えているんだあぁぁ!!」
「クラアアァァイム!?吾輩はどうなっても知らんぞおおぉぉ!?」
相方がぶっ飛びすぎていてツラい、と。
そうして、そんな事を俺が思っている間にラルガは周囲の空間から溢れ出した混沌に飲み込まれた。