53:第8氾濫区域中枢塔-2
強い感情は人を狂わせる。
この言葉はやはり正しいのだろう。
この強い強い殺意の源が、この第8氾濫区域の核に敷かれているローカルレゲスであると分かっていてもなお、この殺意の発露が決して行ってはいけないと分かっていてもなお、それでも今の俺がラルガに抱いている殺意は耐え難いストレスを俺に与えていた。
「キツいな……」
「爪を噛むのを止めなさい。見苦しいわよ」
「うるせぇ。こうでもしないと落ち着かないんだよ」
だから俺は第8氾濫区域の核に向けて歩く中で、少しでもストレスを発散しようと爪を噛んだり、指を甘噛みしたりしていた。
それほどまでにきついストレスが俺には生じていた。
「ま、落ち着かないのは理解できるけどね」
「ふん」
そして、ラルガにも同じようなストレスが生じているからだろう。
前方の敵への警戒と称して、進行先に向かって不定期にショットガンを撃って、敵が居ないかを探るついでにストレス解消をしているようだった。
『弾倉』によって百発以上の残弾を用意しているから、戦闘面での問題は無いだろうが……その銃口がこちらに向くかもしれないと思うと、やはり殺意が湧く。
『はーー、はーー……』
『おっ、いいねぇ……』
「で、この映像は何なのかしら?」
「氾濫区域の核は電波塔のような物でもある。恐らくだが、この第8氾濫区域の何処かで実際にあった光景だろうさ」
「ふうん、胸糞悪いわね」
そうして歩いていると、第7氾濫区域の時と同じように、壁を走っている赤い燐光が画像へと変わっていく。
『馬鹿だ!馬鹿が居るぞ!ぎゃははは!』
『いい様だ!俺の事を馬鹿にしているからこうなるんだよ!』
「でも、人間が人間を殺したり、貶めたりする光景ばかりね」
「それについては第8氾濫区域だから、としか言いようがないな」
だが、流れる画像と音声の内容は、第7氾濫区域のものとは大きく異なっている。
第7氾濫区域ではフィラが人を殺す映像が、その大半を占めていた。
しかし、此処では……人が人を殺す光景が圧倒的に多い。
『此処は俺たちの国だ!神様愛しているぜええぇぇ!』
『食え食えっ!マトモな食料はマトモな人間が食わなきゃなぁ!!』
『いやああぁぁぁ!!助けてえええぇぇぇ!!』
『死にたくなきゃ、分かっているよなぁ……』
『おらぁ、逃げてんじゃねえぞ!!手前らの役目は俺の盾になる事だろうが!!』
人が人を殺す。
人が人を傷つける。
人が人の物を奪う。
人が人を隷属させる。
人が人に同じ人とは思っていないような行動をする。
そんな画像と音声が非常に多かった。
『あ、いつの間にか死んでら』
『あららー、実験失敗じゃねえか』
『ま、胴体は残っているんだし、遊ぶぐらいには使えるんじゃね』
『ぎゃははは!そりゃあそうだ!』
『お前らそう言う趣味だったのかよードン引きー』
『おい、蠍野郎。とっとと冷蔵庫から酒を持ってこいよ』
今は沈んだコーラルホールで撮られたと思しき映像が、カラジェと思しき人物の視点で流れる。
やはり、カラジェが最初に殺した男たちは相当の屑であったらしい。
「人間同士が多いのは、やっぱりクライムの趣味かしらね」
「だろうな。フィラが人間を襲うのは自然なことで、それは野生の熊が人間を襲うのと同じで犯罪ではない。だから、クライムにとってはあまり食指が動くものじゃない。故に流す数も少なくなる。そういう話なんだろ」
『お、可愛い金髪はっけーん』
『隣の青髪も中々じゃねえの』
『へへへ、女っていいよな』
『ああ、何にでも使え……ペギャ!?』
ラルガと思しき人物の姿が、自分たちを襲おうとした人間たちを撃ち殺す画像が流れていく。
どうやら、ラルガの方もそれなりに嫌な経験は積んできたらしい。
『ゴメンなさい。お嬢様……イーダ……ギーリ……』
『ありがとう……ばいばい……』
そして、カラジェとギーリの今際の言葉が聞こえた瞬間。
ほとんど無意識的に俺は『魔女の黒爪』を剣サイズにまで巨大化させ、ラルガは前方に向けてショットガンを打ち込んでいた。
それほどまでにペアの相手に対する殺意が高まっていた。
これほどまでの献身を一度は無為に帰そうとしたラルガへの強い殺意が俺の中に生まれていた。
だがそれ以上に、一つ理解できた。
「クライム。アンタがどんだけの屑なのかがよーく分かるわ……アンタ、私様たちがアンタへ向ける殺意を、ペアの相手に向ける殺意へ変換しているわね」
「あるいは、常に一番の殺意を抱く相手をペアの相手に指定している都合で、二番目の殺意が向く相手への殺意が高まると、一番への殺意も強まるってところかもなぁ……」
「ふふふふふ……」
「ははははは……」
クライムは『インコーニタの氾濫』に関わっている連中の中でも別格の屑である、と。
いかなる手段を用いてでも始末するべき相手である、と。
そう理解できた。
「ねぇ、イーダ。私様、挨拶ってのはとても重要だと思っているの。あ、拒否は要らないわ。拒否してもやらせるから」
「安心しろラルガ。俺も挨拶はとても重要だと思っているんだ。そういう訳で全力でかましてくれ。そういう面での信頼は薄れていないからな」
やがて俺たちの前に一つの扉が現れる。
そこに書かれていたのは、『第8撮影区域。コードネーム『信用と信頼』。『信用と信頼』管理エリア。関係者以外立ち入り禁止。管理者:ReコンプレークスTV』との言葉。
ああうん、確かに信用と信頼は重要だ。
強制的にペアを組まされる第8氾濫区域では、それが無ければ戦いなど出来やしないし……犯罪行為をする上でも信用と信頼が出来る共犯者は必須だろう。
「じゃあ、いくわよー」
「何時でもいいぞー」
だが俺たちにとって重要なのは信用でも信頼でもなく、この扉の先に第8氾濫区域の核、そしてクライム=コンプレークスがほぼ間違いなく居るという事実である。
だから俺とラルガは扉に細工を仕掛けていく。
「ポチっとな」
そしてラルガが光の無い目を伴った乾いた笑みでスイッチを押すのと同時に、扉は核がある部屋の中に向かって飛んでいき……俺のレゲスによって黒い液体と化した上で爆散。
黒い気体ととある物質を部屋中に撒き散らした。