めぐりあひて
『めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな』とは、紫式部の短歌である。
源氏物語を著した紫式部が、成長して再会した友人と久々に会った際に、ゆっくりと語らう暇もなくすぐに用事で帰ってしまった、そんなどこか寂しい思いを詠んだ短歌である。
平安時代、太陽太陰暦を採用した我が国では、月は時間の経過を感じさせる運命の星であった。年『月』を経てようやく『巡りあ』った友人を、雲に隠れる月に見立てて表現する、なんとも美しい秀歌であると言える。
悲しみや痛み、寂しさについて、古く私達は『もののあはれ』として独特の美的感覚で慈しんできた。現代では分かりやすい感情をいかに溌溂と言語化することにこそ重きを置きつつあるが、時代の移ろいに合わせて、この『あはれ』は複雑な文学的意味合いを含んで、私達の心を慰めてきたわけである。
時代の移ろいと文学の大衆化に合わせて「一般的」とされる感性が徐々に変化したのもあるのだろうが、そうは言っても、現代でもこの感性は『エモい』という言語化によって、きちんと受け継がれてきているのである。これは私達の感性の根底にある、誰かの境遇に対して共感や感動を覚えるという美的感覚が人類にきちんと継承されてきた証であり、私達と王朝時代とが地続きで繋がってきた証でもある。
では、月についてはどのように見るだろうか。現代の私達は太陽暦を採用し、時間の移ろいを月の満ち欠けで感じることは少なくなりつつある。紫のゆかりから離れても、かの清原元輔の娘、清少納言と同じように、四季を感じる美的感覚も、(半ば笑い話ではあるが)随分と風情のない時間の移ろいを感じるようになったものである。
かくいう私も、起床時間の空の明暗くらいにしか、時間の移ろいを感じなくなりつつあるのだが、いやはや、随分と私達は余裕を切り捨ててきたものである。
・・・さて、話を戻して、私達にとって、月とは、最早時を刻む時計ではない。さらに、1969年に科学が人類を月へと送り届けたことによって、届き得ない神秘の美でもなくなってしまった。その後の宇宙開発を思えば、最早天体が神域にはなく、我々の生活の一部に組み込まれているとさえいえるだろう。
では、今ある月というのは、単なる天体に過ぎないのだろうか。
これらは私の私見に過ぎないが、月は人類史数十万年の間にようやく手に届くようになった、困難な目標の具現であり、人類の知的好奇心を育んだ知識の母であるという風に思う。最早「神的な」神秘性を保ってはいないとしても、人類にとってはこれまでの知的な活動を見守ってくれた親であると同時に、ごく個人的には(あるいはある大規模な社会集団にとっての)至るべき現実的目標の象徴へと変化しているように思うのである。
そして、付言すれば、月が持っていた『神的な』不可能性を、現代はさらに大きな未知の空洞、知り得ない宇宙が抱くに至ったのではないだろうか。これから先、さらに科学技術が進んだ際に、もしかしたら、これらの感性がさらに遥か彼方の、全く異なる対象へと変化していくこともあるだろう。そうなれば、月は人類に寄り添う友として、新たな地位をまた与えられるかもしれない。
あはれにせよ月にせよ、それらを取り巻く環境が変化したというこの過程こそが、私達が歴史の中の一部であり、その仲間であるということを感じさせてくれる。あはれがエモくなり、月が神秘性を損なったとしても未だ高い目標たり得る、この感性の地続き感に、紫のゆかりを感じ取って時折嬉しく思う私の感性は、果たしてそれほど奇妙なことだろうか。
そんなことを思って、冬の月が分厚い雲に隠れるのを眺める、夜更けであることよ。
しっとりとした年納めになりそうですね。よいお年を。




