「アンゲロス」を読んで
この作品内に纏めてある拙著『アンゲロス』を読みました。
昔から、僕は、他人が言っていた言葉を言わなかったことがある。
それは、何となく、それが自分のことを指す言葉だと思っていたからだ。
カジュアルに使われる「ガイジ」って言葉のこと。自分で自分に言うのは割と平気なんだけど、他人から他人へ言う言葉として聞くときは、なるべく自分では同じ言葉を返さないようにした。
だって、ほら。
言っていないだけで、僕も「そうかな」って思ってたからさ。
空を飛びたいだなんて、僕はそんな言葉をここに書いたけれど、実際のところは、まだ飛んでいないよね。それって、とても、「無責任」だと思わない?
奇跡のような巡り合わせで、この場所にこの体で生まれて、うまくいかない経験ばかり経験して、言葉で伝えたものが伝わらない経験と、伝えなかったことが伝えられない経験をして、変だなって、首を傾げながら生きてきた。
「僕は、変なこと言ってるかな?」って、ずっと頭の片隅でモヤモヤと悩みながら、他の人が「どうやらそうらしい」常識に、理屈も知らずに半笑いで合わせた。
ううん、合わせようとしたんだよね。
世の中はもっとシンプルな方がいいとずっと思ってたんだよね。理屈通りであるべきで、心とは別にある基準通りにやるべきであって。
うまくいかないなぁって、空に投げ出した足をふらふらとぶらつかせて、生きるってことを、周りが考えていることを、たくさん気にして、自分の考える「どうやらずれているらしい」ことを、矯正して、周りのためにって思って生きてきたんだよね。
なんか、それって、無駄だったみたい。気を遣ってこうしたら喜んでくれるだろうか、なんて「考え」自体が良くなかったみたいだね。
最近さ、思うんだ。
本当に、僕って、こう。何と言うか。
「余分」だと思っていたけど「無駄」なんだなって。
ほら、そこに91作品って書いてあるでしょ。それも全部、データの無駄だしさ。
ほら、空気を吸って吐くと、二酸化炭素が排出されるでしょ。あれって無駄じゃない?
そういうこと。ぜんぶ、ぜーんぶ、無駄だったね。
あんなに大事にしてた大学の研究資料も、社会に出てから一つも役に立ってないね。
一番断捨離しなきゃいけないのは、あぁ、僕だって、思い知ったなぁ。
枕元の原文の源氏物語とか。書斎を埋めた法律のテキストとか。書棚に積んだ就活の資料もさ。
古文は社会でやらないしさ。車運転してたらわかるけど、法律はまぁまぁ破られるしさ。志望職種にはこれっぽっちも引っ掛からなかったしさ。
僕の人生ってなんで無駄なんだろうね。
まぁ、でもさ。いいじゃない。
無駄な僕でも、蔑んだり、嘲笑したり、無関心だったりで、生きててもその程度で通り過ぎる世間っていうのはさ、案外優しいと思うんだよね。
別にわかった時点で殺しちゃってもいいわけだしさ。そう思えば優しいもんよ。
それなのに、笑っちゃうよなぁ。
まだ、書くんだって。求められてもない物語をさ。
僕って、結構、楽観主義者かもね。死にたいなぁとか思うくせに。
さて、まぁ。
君の翼は折れちゃったけど、結局堕ちてはいけなかったね。落ちぶれてはいるけれど。落ちこぼれてはいるけれど。
結局、自分の意思で決めたことは、今でも何も出来てないねぇ。
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