『農園』の位置づけから始まる異世界ファンタジーの社会史
中世ヨーロッパ風の異世界ファンタジーが親しまれて久しい。私は近世から近代国家へ向かっていく社会の変容を、この異世界ファンタジーの世界に取り込んできたが、それは人類の社会史としての側面が強い。果たして多くの異世界ファンタジーが、同じような社会史を内包するものなのか、それとも全く別の社会史を含んだものなのか、考えずにはいられない。
今日、ふと、SNSでの知人とのやり取りで、農園とモンスターの関係性というものが話題に上がった。
モンスターと言えば恐ろしく、人類に害成すものと考えられている。一方で、私は、モンスターを自然と置き換えた考え方をしていることに気づかされ、再び思考の旅をこなしてみたいと思った。
我が国のファンタジーには、自然によって形成されたモンスターと、人為的に作られたモンスターというものが存在する。ゴーレム、スケルトン、ゾンビ、ホムンクルス……。現代では科学の双子として生まれて忘れ去られた錬金術や呪術の類によるモンスターが、確かに存在している。
私の想定してきたモンスターは、先ず第一に生態系を形成する存在であり、彼らは『動物』の一類型として存在している。その為その土地に生息するモンスターが信仰や力の象徴として長く語り継がれ、それが多様な文化を形成する、と考えてきた。
農村は都市の周辺、城壁の外側に広がっているので、モンスターと人類との関係性はその限りでは自然の一部として存在し、継続する。この時都市を守る城壁は人類と自然を隔てる砦、つまり文明と自然の境界線であり、そのすぐ近くに森林や農園があることは何ら不思議ではない。
あるいは、高度に商業活動が発達した社会において、農園が付近になく、交易の要衝として発展してきた諸地域においては、自然は脅威でしかなく、排除して支配する対象となっている、と考えることが出来る。この場合の文化は人間的な「神」の文化と共に発展し、神は自然と人を隔てることで選民を行う、という考え方が自然と浸透しやすい下地を作る。
この時、自然と融合した人類文化では畏怖や共生の対象であった隣人のような自然は希薄となり、自然との棲み分けが重視される。そしてそれは、排他的な人類社会にも繋がり、つまり画一化された文化への志向力が強まっていく、と考える。
そこに人為的なモンスターが介入すると、事態はもう少し複雑になる。この人為的なモンスターは後者に近い性質を持っている。彼らは被造物であり、自然の形成物であるモンスターを人工的に作り出す技術として発展する。つまり、人為的なモンスターの形成は、そのまま自然を『支配する』思想へと繋がっていく。
しかし、これは、自然を排除する選民的な社会史よりは現代により近い、万能の超人としてのヒトの思想を生むことになるかもしれない。今のところ、人類は神の真似事を完全に出来はしないが、『自然を創造する』ファンタジーの中の文化は、むしろ疑似的な万能者、即ち人類神的な側面を持っているように思う。
自然と共生する第一の社会、自然を排除して支配する第二の社会、そして、自然を『創造する』第三の社会。異世界ファンタジーの社会史を考えるとき、その構造は人類史の各時代をあてがうようなパズルとして捉えることもできるのではないか。現代と古い時代が対話する可能性として、異世界ファンタジーという世界を使うことはできるのではないだろうか。




