「穏やかな死者」の文化
先日、阿部謹也氏著『西洋中世の罪と罰-亡霊の社会史』(1989、弘文堂)を拝読する機会があった。
『アイスランド・サガ』の時代には生の延長線上にあった「力強い」死者の世界が、キリスト教化に従って死後の世界というものに明確に区分され、「憐れで救われるべき」死者に向かっていく、という文化的な教化の過程について、詳しく、実際の言い伝えを交えて記された良書である。
私達はいま、宗教というものをどこか遠いもののように感じている。かつて私達が身近な死から救われるために追従した、あの圧倒的な権威-それは絶対の救済の証でもある-は、今は電子の海と黴臭い書庫に押し込められて現実味を失ってしまったらしい。
宗教的なものの見方が、科学とイデオロギーに置き換わった後の世界で、改めて死を想起することは少ない。勿論日本では、全く異なる死生観が存在していたはずだが、それでも今の死は、特別なものとして描かれている気がする。それは、死もまた現実味を損なって、隅に追いやられてしまったからなのだろう。
『アイスランド・サガ』の時代には死者は闊歩し、喚き立て、酒を飲んで騒ぎ、ひと暴れして、「生き生き」と描かれていたのに、今の私達は彼らを見ることも知ることもできない。恐怖の本質が未知であるならば、今の死をこそ最大の恐怖というべきなのかもしれない。とどのつまり、私たちが切り捨ててしまった死の現実味が、私達を追い立ててくるのだ。
日本における死生観のうち最も古典的なものは、私の知る限りでは『古事記』にある『国産み』ではないだろうか。死んだ伊邪那美命を思うあまり、伊邪那岐命は彼女の死後の姿を目にしてしまう。追われた彼は黄泉比良坂を閉ざし、有名な「1000人の人を殺す」、「1500人を産む」という会話へと繋がっていく。
日本神話にはある程度初期から、繋がっていた死者の国が、ある時分断されていく描写が記されている。その後、仏教の伝来と共に、死後の世界はさらに洗練され、生とは異なる精神世界が醸成されていったのかもしれない。
勿論、死者が神となり、その怒りを鎮めるために建てられた神社として、菅原道真公を祀る北野天満宮の存在も忘れられない。
私達は死者の国について、ある時から袂を分かったものの、未だに死者の実在を世界観に組み込んでいるのかもしれない。だからこそ、地続きの(岩で道を塞いだだけの)死後の世界が存在するのかもしれない。
そして、今、私達は死者を口汚く罵るような事を避けようとする。死後の彼らは穏やかで安らかであるように、私達は祈る。
それは、生前の苦しみが顕在化していくに従って、より深く、根強く信じられるようになった(あるいは、都合よく解釈したいと思った)、ひとつの死者の文化なのかもしれない。力強い死者、迫り来る恐怖の象徴としての死者、憐れまれるべき死者、安らかなる死者。死者は次々に形を変えて、私たちの心の中に息づいている。死あってこその生、生あってこその死。語り継ぐべき死者観は、今後も変わり続けるのだろう。
私たちがもっと死を身近に感じるような、悍ましいギフトが齎される時、再び死は私達の隣人となり、泣き笑い暴れて酒を飲み、町の至る所に現れるのだろう。




