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火葬場のファウスト 絶え間ないピグマリオンに関して  作者: 民間人。
煉獄のナルキッソス
35/57

権威が大好きで、「戦い」が嫌いなんだ

 僕は、人間を恐ろしいものだと思う。何よりも恐ろしいものは、自分が正しいと自覚した人だ。彼らは自分と異なる価値を否定して、自分を正当化しようとする。例えば、それは作品の主人公によく見られる。絶対正義の人が悪を討つことの快感が、麻薬のように脳内に雪崩れ込む。自らの正しさを認める者に敬意を示そうとする。戦いによって得たもの、自分の正しさを証明したもの、信仰のための凡ゆる聖典(バイブル)が、作品の中に詰め込まれて行く。


 それは全て、僕も同じ事だ。他人の意見を馬鹿にして否定する、誰かの暴虐を見て見ぬ振りする、自分らしさをできる限り合理的に排除する……。凡ゆる権威に従い、争いを避け、共存も避ける。望むものはただ不存在であって死でさえなく、故に死に至る闘争を嫌うが、自分以外の死に心を痛めることもない。


 かつて人類は、肌の色で人を分け、自らの肌の色を至高の者として他を否定しさえした。それが出来なくなると、今度はかつての魔女狩りに逆戻りして、自らの持つ血塗れの鉈が、正義の鉄槌になって「協調性のない人」を貫く。密告に次ぐ密告で洗い出される協調性と社会性の理不尽な自由至上主義は、「自分を持たない人」を塵同然に扱う一方で、明るく、よく懐き、敵を噛み砕く者を「永遠の友」とする。

 人間は社会性を持つ生き物だ。虐めは社会性を保つのによく役立つし、生存競争の上でも「明るく健康的な思考」は役に立つ。しかし、そうで無いものを軽蔑する事は正しいのであろうか?自分が虐めていないと本気で言っている人達の前に、虐められた人を置くだけで、世界は彼らにもっとずっと複雑な事を教えてくれるだろう。誰かを虐めていない人など……。


 そして、その先に待つものが全て死であっても、当たり前のように挑戦を要求され続ける。曰く、「努力をしない者は塵だ」と。彼らが唾を吐き捨てたそれが、自らを押し殺して従う事で生き残ろうと努力してきた事も否定して。


 何度でも告げよう、この社会に蔓延る明るい正義の鉄槌が生み出したものが虐めと差別の歴史なのだと。私達はその渦中にある。この世から差別と偏見は無くならず、それは流れる小川の如く変遷し、やがて混沌たる大海に溶け込んでいく。海に馴染んだ人々に、こう問うてみるといい。「貴方は人を虐めたか?」と。みな口を揃えて「私は虐めていないし、虐めは悪い事だ」と答えるに違いない。

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