非死からの警句
人間が一時も忘れる事のなかった夢が、間もなく叶うという噂がある。人類は創世の領域へと踏み込んで久しく、遺伝子を操作して健康な農場を経営し、同じ遺伝子を持つ不気味な子供を作る事に成功し、空に浮かぶ犬や、月に足をつく類人猿が夢物語で無くなっていった。私達はしかし、永遠の夢の一つを未だ叶えられずに足踏みを続けていた。老いもなく、死のない世界を夢見てきた私達は近いうちに、その禁忌に触れるかもしれない、と言うのである。
永遠の命を巡る最古の旅は、メソポタミア神話にまで遡る。太古の英雄ギルガメッシュは、永遠の命を求めて旅をつづけ、終にそれを手にすることは出来なかった。それは人間の限界であり、それを悟った彼は、良き王として永遠の命を語り継ぐことを選んだのかもしれない。
ギルガメッシュよりも熱烈な永遠を望んだ者と言えば、紀元前221年、中国を初めて統一した秦王政が挙げられるだろうか。彼は永遠の命を求める余り、自らの肉体を毒素に満たし、艶出しに精を出す帽子屋の如く水銀の波に毒されて眠りについた。人間とはかくも恐ろしいものであろうか、際限なく求めてきたものは手に入れられず、叶わない夢の為にその貴重な生涯を燃やすのだ。
しかし、私達は近いうちに、非死(つまり、大規模な損壊が無ければ死の訪れない生命)を手に入れられるかもしれないのだという。
それを聞いて、私達はどう感じるべきなのであろう。資本主義に満たされたこの世界において、このギルガメッシュ・プロジェクトが成功したとして、永遠を手にすることが出来る者達は無用な火遊びを避け、自らの生に贅を尽くそうとする。その一握りの非死者達は、世代交代を経ずに意のままに有限を搾取するかもしれない。
神にも近き力を手にし、動物達を改造し、首尾よく支配してきた人間たちは、今度は一握りの生の為に労働を繰り返す機構となる。
……いや、今でさえそうなっているのだから、今更何を恐れる必要があるのだろう?人間は小麦が全世界で繁栄する手伝いの為に腰を痛め、聖なるものを広める為に命を奪い合い、祖国に最大の繁栄を齎す為にブリキの玩具を兵器に練り替えた。そして今や、一握りの成功者が継続的に成功するために、目や耳を酷使して真夏の鉄馬に乗り込むのだ。私達に非死の夢を見させることは無く、寧ろ断絶による救済を約束した。私達は死を恐れるにもかかわらず、この永遠の営みから逃れる事を望み、それが手に入らないとわかると、「永遠など要らないのだ」と負け惜しみを漏らすだろう。
ギルガメッシュや始皇帝が求めた夢の跡を追う時、私達が見なければならないのは本当にそのような夢なのであろうか。或いは、現実と隣り合わせの夢を望むという行為こそが、真の恐怖の根源なのだろうか。私は永遠を望まない。こんな苦しい生を繰り返したくない。
そう言って、断絶を恐れるその唇から、物語が零れ落ちて行く。




