子供の価値と、両極の階級に潜む「乳母」の需要
子宝と言う言葉がある。子供は愛され、守られ、健やかに育てられる私達にとっては、それは至極当然の発想であり、命の大切さを歌うばかりの動物愛護団体も平和主義者も、こぞって称賛する一つの国際基準として機能している。
しかし、子供の概念がはっきりと認識されたのは、実は意外に新しい時代である。1762年『エーミール』において、ジャン・ジャック・ルソーがそれまで「小さな大人」であった子供を子供として教育するように勧めたのが現代的な子供概念の始まりであり、古典的に見ればギリシア時代にも被教育者である子供の概念がないではないが、当時のそれは一部の成人も含めて「若者」という概念がより近いように思われる。一応、ヒポクラテスによれば、8歳から14歳までを「子供」と定義しているが、小さい、重要なものではないという語源を持つ言葉であり、現代の子供ほど概念の上で恵まれた存在とは言えない。
中世ヨーロッパ世界について語る需要はこの小説家になろう内において非常に多い事であろうから、「小さな大人」概念についても触れなければならないだろう。出生率に対して死亡率が非常に高かった中世ヨーロッパ世界では、子供は「生まれた」だけで愛される存在ではなかった。彼らは一定期間生き延びる事が出来て初めて、社会の構成員として扱われるようになる。それまでは、嫌悪される節さえあり、子供は労働資源として早速利用されるようになる。扱いとしては、現代の新入社員の研修期間の様なものであろうか、徒弟や小僧として使い走りにされた子供達は、現代日本の子供達と比べてはるかに逞しく成長した事であろう。
上流階級であっても、多産の伝統を重んじる風潮があった当時は、子供を育てる「母」は外部に委託されていたのだから、子どもの権利とは余りに新しい概念のように思える。委託を受けた母は、真の母が子作りに勤しむ間、乳を授ける乳母として、養育係として働いた。このような書き方をすると、貴族は酷いものだ、愛が足りないと思われるかもしれないが、そうでないという事を、乳母を通して考えてみたい。
ここで一度、乳母と言う存在について、歴史的な視点から解説しなければならないだろう。現代日本に住む私達にとって、男性にしかできない仕事と言うものは、意外なことにそう多くはない。同様に、女性にしかできない仕事と言うものも少なくなり、それに伴って育児に関わる問題が生じる事になったともいえる。
しかし、時代を通して、女性にしかできない仕事と言うものは常に存在してきた。その一つが出産であり、それに伴う「乳母」である。乳母とは、出産した女性の母乳が分泌される期間が、子供の授乳期間よりも長い事を利用して、他者の子供を授乳・養育をする職業であり、農民の女性などにとっても良い副収入となった。
世界各地に存在する乳母と言う職業には、貴族などの高貴な人々の需要を満たす目的が主たるもののように思われるが、実際には捨て子の受け入れ先としても、高い需要が存在した。修道院などに預けられた乳幼児や奴隷商に預けられた赤子を育てるために、乳母はその役割を担っていた。
この事実は裏を返せば、捨て子が当たり前のように横行した時代であるという事をも指している。童話の世界にも見られる継母いじめの構図も、存在して初めて語られてくるのであり、当時の「子供」概念が如何に現代の倫理観において酷いものかを考えさせられる。
閑話休題。乳母についての話を続けよう。乳母は、先述の通り上流階級の為需要を満たし、そして、捨て子達の受け入れ先として最下層民の需要をも満たした。彼女達が子供を抱える時に現代の愛情が存在したかと言えば簡単に頭を縦に振る事は出来ないが、そこには、当時の「すぐ死ぬ子供」「食い扶持が嵩む子供」を疎ましく思う思想が垣間見れる。考えてみれば当然のことで、このような世界観において母親が直接愛情をもって子供を育てるなど土台無理な事だ。上流階級にとっても子供は、血を栄えさせる「子宝」なのであれば、「子宝」と言う言葉に正しく素晴らしい意義が見られるように妄信するのは、些か奇妙なように思われる。
そして、少し強引に論を進めるならば、思想が中世ヨーロッパに立ち返るかのように、現代は子供の出生率が減少傾向にあるのである。もっとも、これは現代の倫理観の発展と共に、「過酷な世に産み落とす事の申し訳なさ」から生じる愛情故の現象ともとれるし、単純な金銭的な問題と言う明確な正解の一つも存在するのであるが。
それでも私達は、子宝を妄信し続ける事だろう。何せ、私達は現代日本人なのであるから。




