近世フランス精神と現代の「傘貸し屋」について
突然だが、私達はどのような時に傘をさすだろうか。
雨の日や、日差しの強い日などには、日傘や雨傘は必須のアイテムと言える。私達はそのようにして、傘を自分の健康のために利用するだろう。
意外なことに、傘の発祥は日傘であると言われている。およそ4000年前、貴族や王族などの日差し避けとして利用され始め、13世紀頃には折りたたみ式の傘が誕生したが、雨傘の誕生までは18世紀まで待たなければならなかった。
さて、先述の通り、傘の発祥は高貴な人々のためのものであって、それを持つのは基本的には従者であった。
では、これを踏まえた上で、話を少し変えよう。かつて、近世フランスにおいて傘貸しという職業が存在したことをご存知だろうか。彼らはわずかな建物と建物の狭間……例えば建造物が必然的に建てられず、日光に晒される橋などで、傘を貸し出す仕事である。
このようなビジネスが成り立つことに疑問を抱く人々は、当時の社会における傘の立ち位置を理解しなければならない。
そもそも、傘をさすという行為には、必然的に従者がいなければならない。なぜなら、彼らは高貴な者であって、煩わしいものを手元に置くことを嫌ったためである。
雨の日には、彼らは馬車を使うか濡れて歩くことに慣れていた。もし従者もおらず、傘を手にかけて歩こうものならば、彼らにとって馬車を持っていない人という不名誉な烙印を押されてしまうだろう。
このような見栄の形は、現代では考え難いような不思議な状況を数多く生み出した。しかし、それは現代の視点でもって過去の世界を見たからに過ぎない。
例えば傘を差してまで濡れることに抵抗しない人と、傘を差してでも日焼けしたくない人が同一人物である可能性は、決して少なくなかったように、自由や権利のために権力に立ち向かうことが「かっこいい」のだと、勝手にそういうレッテルを貼り続けて作られた作品達は、彼らから見れば歪に思えるかもしれない。
さて、バブルが破裂した現代日本に戻ろう。バブルの時に確かにあった「高ければ高いほどいい」風潮は鳴りを潜め、雨傘は雨傘として、日傘は日傘として持ち歩くような社会において、縋り付くべき理想は常に精神的な逞しさを演じることであって、自分が解放されることを望む意識こそが彼らの思想の記念碑となっている。
彼らが持っている友は、常に自分の都合のいいように解釈できる人であって、彼らは彼に付き従う訳ではないが、常に彼によって都合よく解釈されていく。彼らは互いに心の中での従者であって、同時に権力に刃向かう反逆者でもあるのだ。
再び傘貸しの生きる近世世界を見てみよう。彼らが守りたかったものは、他者からの評価を受ける自分自身であった。私たちが守りたかったものはなんであろうか?私はいつも、この問題に対する反論を探している。




